新体制への疑念
菜津希side
新しい1年が始まり、目に見える形で変化が起きている。
この歳になって、世の中に変わらないものなんて無いのはわかっているけど、それでもいざ変化を目の当たりにすると、戸惑いを覚えてしまう。
職員室にて、私……仲川菜津希は隣のデスクを見ては、もう居ない人のことを思い浮かべて溜め息が漏れる。
岸野先生……。
空席になったデスクに、彼の荷物は何も無い。
痕跡を全て残す気が無いと言うように、引き出しの中も空っぽだ。
「また、溜め息が出てるね……仲川ちゃん」
後ろから声をかけられて、振り返ればそこには坂本先生がいつもの陽気な笑みを浮かべていた。
そして、その手に持っているミルクティーをデスクの上に置いてくれた。
「根を詰め過ぎても、仕事のパフォーマンスは上がらないよ?…って、アッシーなら言うんじゃない?」
「そ、そうですよね……」
置かれたティーカップを手に取り、ミルクティーに口を付ける。
「私、未だに実感が持てないんです。岸野先生が、居なくなったことに……」
岸野先生は春休み明けに、突然異動を告げられたらしい。
元々、才王学園は教職以外でも人を雇っていて、その中には研究機関も含まれている。
彼も教師で採用されていたが、別の研究機関の方に異動している。
そして、その施設については、何も教えられていない。
「あのクラスだって、岸野先生からいきなりクラス担任が代わったことに納得していない子も居ると思うんです。本当なら……できることなら、私があの子たちの担任になれたら……」
個人的な交流が在ったというだけの、肩入れに等しい意見。
指導者としての能力不足で、副担任すらも任せられていない身分で言えたことじゃない。
それを坂本先生は聞き流しながらも、今のEクラスの担任に視線を向ける。
「まぁ、彼女よりは君の方がアッシーのクラスには合っていると思うけど、そうも言ってられないのが社会って奴だよね」
教師間でも、突然の担任交代に疑問を持つ人は少なくない。
Eクラスの担任になった牧野先生は、あのクラスに対して好意的じゃない。
それは周りから見ていても、よくわかる。
何故、そんな彼女がクラス担任を交代しなければならなかったのか。
元々、問題児だった柘榴くんのクラスから異動した理由すらも明かされていない。
岸野先生が止むを得ない理由によって担任を離れなければならないのなら、元・Fクラスの瀬戸先生が穴埋めに入るのが理想的なはず。
学園側は、何を目的として大がかりな変更を余儀なくされたのか。
「何か、どこもかしこも居心地が悪くなってきたよねぇ……」
職員室内に流れる空気は、どこか張りつめている。
というよりも、坂本先生の言う通り、どこもかしこも……学園全体の空気が重たくなっている気がする。
新学期が始まってから、状況は目まぐるしく変化しているのがわかる。
「坂本先生と仲川先生。無駄話をしている暇があるなら、仕事に集中したらいかがですか?」
私たちの会話が気に障ったのか、新任の女性教師が話しかけてくる。
今の柘榴くんのクラス…Dクラス担任、榎本理沙先生。
そろそろ夏が近いというのに、黒い長めのロングスカートワンピースに身を包んでいる。
「厳しいことを言うねぇ、榎本先生。少しは肩の力を抜いたら?クラスに問題児が居るからって、ここでも気を張る必要は無いでしょ」
「柘榴くんのことを言っているなら、ご心配なく。彼を更生させる手段は、既に考えてあります。この学園の風紀を乱す輩に、容赦するつもりはありません」
新任教師ゆえの真面目さか、彼女は柘榴くんを更生させると言っている。
牧野先生はクラスに対して放任主義だったのに対して、彼女は逆に徹底して介入するようだ。
この学園では、基本的に生徒の自主性が尊重される。
それに対して、教師ができることは限られている。
にもかかわらず、榎本先生からは口にした言葉を遂行する自信を感じさせる。
「他のクラスのことに気を取られている場合ですか?Aクラスとて、今は状況が変化して混乱していることでしょう?まとめ役だった和泉要さんが、現在はその能力を活かせないでいる。代わりに台頭しているのは、下位のクラスから這い上がって来た梅原改……。和泉さんに期待していたあなたとしては、面白くない状態なのでは?」
まるで挑発してくるかのように、今のAクラスの状態を客観的に説明する。
「まぁ、これも変革なのかな?俺はあくまでも、あのクラスには自分の意志で変わってほしいと思っている。それが和泉さんによるものなのか、梅原くんなのか、それとも俺たちも予想していない誰か。どちらにしても、教師として温かく見守るのが俺のポリシーだからね」
榎本先生の言葉に感情を動かされることはなく、彼は自分のスタンスを伝える。
どのクラスも、状況は動き始めている。
その中に介入する権利は、今の私には無い。
「次の特別試験で、状況の変化は目に見えるものになってくるでしょうね。結果が楽しみです」
それだけ伝え、彼女はPC画面に視線を戻して仕事に戻る。
そして、坂本先生も軽く手を振って自分のデスクに戻られた。
私は気分転換も兼ねて、外の空気を吸おうと職員室を出ては生徒指導室に向かう。
ここは生徒への指導が無ければ、誰も入ってこない隠れ休憩スポットになっている。
1人になりたい時は、ここで独り言を言って心の内を吐き出していることが多い。
「はああぁ~~~~……。私は一体、どうすればいいんでしょう?」
助けを求めるように、不意にボソッと名前を呟いてしまう。
「岸野先生……」
こういう時、すぐに相談に乗ってくれていたのは岸野先生だった。
新人だった私のことを気にかけてくれて、黙って愚痴を聞いてくれていた。
今になってわかる。
私の中で、岸野先生がどれだけ助けになっていたのか。
「まるで恋する乙女のように、あの人の名前を口にするんですね」
ここに来て、呟いていた独り言を誰かが聞いていたようで、長テーブルの先に座っている人物に気づいた。
「く、九条先生!?いつから、そこに!?」
彼はかけていた丸眼鏡の位置を正し、レンズを光で反射させる。
「あなたよりも先に居ましたよ。すいません、影が薄いことは自覚しています。……と言うよりも、無自覚に消してしまうと言った方が、正しいでしょうか。人の癖とは、恐ろしいものです」
テーブルの上には、サンドイッチが置いてあって、それに噛み後があることから休憩していたことがわかる。
「こ、こちらこそ、すいません……。ちゃんと、周りを見てから言えば良かったですよね」
アハハッと苦笑いを浮かべて誤魔化すけど、九条先生の表情は変わらない。
そう言えば、この人は1年生の担任だったっけ……。
あんまり喋ったことないからなぁ……気まずい。
「2年生の方は、大変みたいですね。こちらまで、噂は聞こえてきています」
そのまま沈黙が流れるかと思ったけど、そうなる前に九条先生が話を振ってきた。
「私はそこまで状況に対して詳しくはないですが、少しだけ気掛かりな部分があります」
「気掛かりな部分……ですか?」
彼は職員室に居ても、そこまで口数が多い方じゃない。
どちらかというと、最小限のことしか話さないから、ここで自分の考えを口にすることが意外に思えた。
「今年になって行われている特別試験……それが2回とも、3学年合同のものだったことが気になっているんです。前のペア対抗戦や、今度のシックス・ロック・スクランブル。例年とは異なる内容であり、噂ではこの試験が終了した後も、生徒会はまた合同特別試験を企画していると……。おかしいと思いませんか?」
「た、確かに……。去年、合同特別試験が行われたのは2学期で、その時は仮面舞踏会だけでしたもんね」
本来であれば、学園ごとのクラス間での競争が主体となるのがこの学園のやり方のはず。
それなのに、学年を跨いだ対抗戦を実施することに疑問は残る。
生徒会が新体制になってから、3学年合同で行う試験が増えている。
その変化に、何か意図があるのならばどういう理由があるのか。
九条先生はデスクに両肘をつき、顔の前で手を組む。
「私はこの体制の変化に、人為的な思惑が絡んでいる気がしてならない」
少し険しい顔を浮かべ、自分の見解を口にする。
「特別試験を企画、実施できるのはあくまでも学園という組織。しかし、その立案ができるのは生徒会、教師、そしてもっと上……言うなれば今、岸野先生が居るはずの教育研究機関。どの立場での目的なのかはわかりません。もしかしたら、それら全てが絡まっている可能性もある……」
九条先生は、今の体制に対する疑問に対して、自分なりの予測を立てている。
私みたいに、状況に流されているわけじゃない。
「私が許せないのはそんな大人、あるいは立場的に強者の立場に居る者の勝手な事情に、子どもたちが巻き込まれていることです。私は大人として、子どもたちを守る義務があると思っています」
「で、でも、この学園では……特に次の特別試験では、必ず退学者が出ますよね?」
自分では否定したいとは思っても、現実がそれを許さない。
この学園のシステムは未だに、生存と脱落の地獄を形成している。
そして、次のシックス・ロック・スクランブルでは、それが顕著に現れる。
「だからこそ、私は私の受け持つ子どもたちを守りたい。そのために、彼らを導くのが役割だと思っています。……まぁ、任されたのが、今のクラスだけではないのが予想外でしたが」
後半は独り言のようだったけど、よくわからなかったため追及はしない。
「今度、2年Eクラスに顔を出してみては?気になるのでしょう、あの人が残したクラスの今後が」
私の心境を見透かされ、「うっ」と言葉が詰まる。
「あの人も、本当ならばあなたに自分のクラスを預けたかったはずですから」
そう言って、九条先生はサンドイッチを食べ終わり、立ちあがっては出口に向かう。
その時の言葉から、彼と岸野先生の存在が重なる。
「あの……九条先生は、岸野先生と仲が良かったんですか?何だか、先生のことを理解しているような口ぶりですし……」
「……ただの、職場の同僚ですよ」
無表情でそう言って、足を止めずに指導室を出て行き、私は今度こそ1人になった。
「次の試験までに、様子は見て置いた方が良い……かな」
私はあの子たちの担任じゃない。
本当なら、1つのクラスに偏った好意を向けるのは間違いなのはわかっている。
それでも、心の中で整理がつかなかった。
九条先生に背中を押され、まずは行動に移すことにした。
例え担任じゃなくても、私にできることはあるはずだから。
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