1年生の頂点
2年生になろうと、日課に大きな変化は無い。
忘れられがちだけど、俺は早朝には目を覚まして地下街のコースを10キロ走りこんでいる。
体力作りという面が強いが、長年続けているともはや寝ぼけ眼でも身体が勝手に動いている。
何だったら、夜にベッドに横になったはずなのに、気がついたら朝のランニングの最中だったことがあるくらいだ。
「せ、せんぱぁ〜い!ペース速すぎますぅ、もうちょっと……ゆっくり走りましょうよぉ〜!」
後ろから情けない声が聞こえ、振り返ればジャージ姿の真咲が左右にフラフラと揺れながら走っていた。
「だらしねぇな。まだ5キロも走ってねぇぞ」
「はぁ…はぁ……そ、そうですけど…先輩のペースに合わせてたら、もう…あ、足がぁ…!」
流石に、最初から10キロのランニングに突き合わせるのはハードだったか。
毎日やっている方からしたら普段通りでも、そうでない人間からしたら過酷でしかないよな。
近くにベンチがあったため、そこに真咲を誘導して座らせる。
そして、自販機で買った飲料水を手渡した。
「ほらよ。これでも飲んで、息整えろ」
「あ、ありがとうございます…」
受け取るとすぐにゴクゴクゴクっと一気飲みする真咲。
そう言えば、俺も初めは姉さんの日課に付き合わされたのが、このランニング習慣の始まりだった。
あの人も初心者のペースに合わせる気が一切ないスタイルだったから、すぐにバテたのを覚えている。
ガキの頃は、こんなことを毎朝していたら死ぬって思っていたけど、案外できるもんだから、慣れってものは恐ろしい。
「先輩って凄いですよね。勉強もできて、運動もできて……。僕なんて、どっちもできないから、今回の試験だって足を引っ張ることになるかもですけど……」
聞いてもねぇのに、口を開けば自分を卑下する後輩。
こういう場面が、前にもあったな。
あれは伊礼がクラスメイトだったから、今後のこともあって慰めの一言を送ったが、真咲はそうじゃない。
こいつの場合は、伊礼のような才能に富んだ部分は見受けられない。
能力としては、未知数な部分が多い。
だからこそ、今は……少なくとも、この特別試験の期間は俺と行動を共にさせて、その才能を探っている段階だ。
学力も身体能力も、確かに平均よりは若干低い印象ではある。
それでも、こいつはこの1週間で根を上げることはなく、必死に俺についてこようとしていた。
この自分を卑下する態度からは、結びつかないほどの向上心があるのは間違い無い。
「足を引っ張ることが怖いなら、ペアは解消するか?」
「えっ…‼️」
それは脅しにも近いセリフだということは、重々承知している。
しかし、だからこそ真咲の心には刺さる言葉だと思った。
「おまえが自分を卑下するのは、別に良い。だけど、それを自分に期待している人間の前でするのは止めろ。誰だって、自分を信じられない人間に、時間は割きたくねぇだろ」
「そ、そう…ですよね。気をつけます」
苦笑いを浮かべ、俯きながら返事をする彼に、俺は慰めの言葉はかけない。
伝えるのは、自らが得た教えだ。
「泣き言、弱音は吐いても良いし、惨めに喚いたって良い。それでも、足は止めんなよ?」
これは姉さんから言われた、諦めそうになった時に思い出している言葉だ。
「おまえ、俺の出すトレーニングメニューに対して絶望してたけど、投げ出すことも、途中で諦めることも無かっただろ。そういうところは、素直にすげぇと思う」
「それはっ……僕にも、ここをそう簡単に退学できない理由がありますから」
理由という言葉を出した時、さっきまで自分に対して弱気だった男からは考えられないほどの強い眼差しを感じた。
そして、その眼で俺を見上げてくる。
「だから、先輩が僕を強くしようとしてくれるなら、僕はそれに全力でついていきます。それで、この学園で生き残れるくらい、強くなれるのなら…‼️」
生き残る…?
考えすぎかもしれないが、その言葉が引っかかった。
もしかして、真咲は知っているんじゃないのか?
この学園が、死と隣合わせの環境にあるということを。
「羨ましいなぁ。理想的なペアだね」
どこからかその声が聞こえ、真咲とともに周りを見れば朝霧の中から姿を現す者が1人。
肩まで伸びた黒髪を後ろでまとめた、緑眼の男だ。
そいつは俺たちに歩みより、口角を少し上げて笑みを見せてくる。
「初めまして。いい朝ですね、椿円華先輩」
「おまえは…?悪いけど、知らねぇ顔の奴に向けられる笑顔ほど、不気味なものはそうそうねぇぜ」
「それは失礼しました。俺は北条勇。1年Sクラスの者です。ちょっとした有名人みたいですよ、これでも?」
両手を軽く広げて首を傾げ、陽気な態度で接してくる。
側に居る真咲は、北条を見るとビクッと肩を震わせた。
「この人は……今の1年生で、最強候補だって言われています。確か、SASは1年生の中だけで言えば、唯一のオールS評価です」
「どういうチート使ったら、そんな見方になるんだよ。冗談でも笑えねぇぞ」
軽い説明を聞いただけでも、半目で笑ってしまう。
「椿先輩の話も、聞いていたら冗談だろってレベルで笑えてきましたよ。元・軍人で、この学園でも数々の偉業を成し遂げておられるとか…。いつか、そんなあなたとも、戦ってみたい」
上級生だろうとお構いなしに、戦意を見せてくる北条に対して、俺は澄ました顔になる。
「俺は平和主義なんだ。無意味な戦いはしねぇよ」
「そうですか、それは残念です。先輩なら、俺を楽しませてくれると思ったんですけどね」
「自信があるんだな、自分の実力に」
「そうじゃない人間が、この学園で生き残れるんですか?俺はこの学園で、1番強いと自負しています。先輩にも、敗ける気はしません」
謙虚とは正反対の態度に、不快感は別に感じない。
それでも、引っ掛かる部分が無いわけじゃない。
「宣戦布告は別にスルーするとして、俺たちに何の用だ?ただの挨拶で、こんな早朝に外に出てきたわけじゃねぇだろ」
「……察しが良いですね。間違ってるとすれば、用があるのは先輩だけで、そこの彼は眼中に無いんですけど」
狙いは元から、俺1人か。
もう真咲のことは居ないものとして扱っているらしい。
「単刀直入に申し上げます。椿先輩、俺とペアを組みませんか?」
まさかの提案に、真咲は「えっ!?」と悲鳴のような反応をする。
「先輩となら、今回の試験で1位を取ることができると思うんです。そうすれば、学園中の注目は俺たちに集まる。俺の宣伝効果としては、初手として上々ですよ」
「それで受ける、俺の利点は?」
一応の確認として問いかければ、隣で「先輩!?」と過剰な驚きを示す真咲。
「椿先輩だって、いつまでもDクラスで終わらせる気はありませんよね?1位になれれば、SクラスやAクラスからスカウトされる可能性が高い。いつまでも、下位クラスに甘んじることも無いんですよ」
何も知らない奴が提示する利点としては、まずまずの提案だな。
「そういう戦法なら、成瀬や真央、Cクラスなら柘榴だって居たはずだ。何で俺を選んだ?」
「先輩の実力を知りたかったから。ただの好奇心ですよ。目に見えて強者だって思われている人間に、興味ないんで」
隠れている強者を引きずり出すことに、喜びを覚えるタイプか。
面倒くせぇな。
「俺は先輩の話を聞いて、ファンになっちゃいましたよ。あなたなら、俺をさらに高みに行かせてくれる。一緒に、この学園を変えるほどの化学反応を起こしませんか!?」
「……興味ねぇな」
こういう輩は、後々で面倒になるのが目に見えている。
「革命家を気取るなら、他を当たれ。仮に俺を利用したいなら、おまえの実力を示して、逆に俺を引き寄せてみろ。話はそれからだ」
この学園を変えると言った時の、言葉の重みがあの人とは大きな差があった。
進藤先輩と北条勇。
この2つの選択肢から選ぶなら、前者の方が信頼できる。
「それに化学反応っていうなら、俺はこいつと組んで、どこまでいけるかの方が興味あるしな」
そう言って、真咲の肩を引き寄せ、北条の視界に入るようにする。
奴は真咲にチラッと視線を向けた後に、少し冷めた顔になっては肩をすくめた。
「先輩の言うことも尤もですね。じゃあ、今回の試験で俺の実力を証明しますよ。先輩の目を、俺に釘付けにさせるので覚悟してください」
「期待しないで受けてたってやるよ」
北条はこの場では俺とペアを組むことを諦めたが、離れる前に、最後に真咲に対して鋭い目付きを一瞬だけ向けたのを見逃さなかった。
「はあぁ~~。見ました?あの人、最後に僕のことを睨んでましたよ」
「目を付けられたかもな。ある意味、おまえも有名人になるんじゃねぇの?」
「絶対に悪い意味で有名になりますからね、それ‼」
涙目で不安さを隠さない後輩は、これからのことを想像しただけで頭を抱えてしまっている。
「あの北条って人、入学式で僕ら1年生の全員を踏み台って言ったんですよ。そんな人に目を付けられたら、この学園で生き残れるかどうか……」
「SASがオールAのSクラスの最強候補……。まぁ、普通に考えたら、退学一直線だよな。そんな奴に目を付けられたら」
「他人事みたいに言わないでくださいよぉ‼」
泣きながらも過剰に両手をブンブン回して抗議してくる真咲に対して、俺は目を逸らして頬を人差し指でボリボリと掻く。
「だったら、おまえがあの1年生最強と同じくらい…いや、それ以上に強くなるしかねぇだろ。潰されたくなかったら、それ以上の力で押し返すのが、この学園でのやり方だ」
良くも悪くも、この学園は個人の実力に掛かっている部分が大きい。
弱肉強食の学園では、社会のルールなんて関係ない。
だからこそ、己の力で道を切り開かなきゃいけないんだ。
「僕にそんな力があると思いますかぁ?」
腰を丸めて俯く真咲は、慰めを求めるように聞いてくる。
「有るか無いかじゃねぇよ。やらなきゃ、おまえは終わりだ。死んでも良いって余裕があるなら、諦めるんだな」
可能性に縋ろうとする奴に、容赦なく現実を突きつける。
「そんな余裕……あるわけないじゃないですか‼やりますよ、僕だって、退学できない理由があるんですから‼」
こいつには、変な慰めよりも現実を教えて危機感を煽った方が火が付きやすい。
真咲の目付きが変わり、駆け出していく。
「先輩!僕、やってやります!全力でついていくので、もっと鍛えてください‼」
「おぉー、望むところだ。ビシバシ扱いてやるから、覚悟しろー」
化学反応って言葉を、北条は出していた。
それを聞いて、俺と真咲のこの状態がマッチしているのがわかってきた。
見てみたいという衝動があったんだ。
真咲空雅と言う男が、俺の影響でどこまで成長できるのかを。
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