10秒間の死闘
敦side
学生が春休みを謳歌している中でも、大人は仕事に忙殺されるのが社会人としての運命だ。
卒業式が終わっても、次は4月の始業式、新1年生の入学式やらの準備に追われる。
それは全ての教師に共通することであるが、俺の場合は他にもやらなければならない仕事がある。
組織の人間としてか、復讐者の協力者としてか。
ダブルフェイスを使い分けるのも、骨が折れる。
今だって、この部屋の前に立っているだけで心臓が口から飛び出そうな気持ちを理性で抑え込んでいる。
理事長室。
俺は先程、この中に居る人物に呼び出された。
ドアを3回ノックし、「岸野です」と声をかける。
「入ってください」
優し気な声が返ってくるが、それが逆に緊張感を高める。
少し重たいドアを押し開ければ、目の前の机に1人の神父服の男が着いている。
男は俺と目を合わせ、口角を上げる。
「急な御呼出しに応えていただき、ありがとうございます。お忙しいのに申し訳りませんね、岸野先生」
「理事長……」
ヴォルフ・スカルテット。
この学園の理事を務める者にして、もう1つの顔として緋色の幻影に属する面を持つ。
警戒心を向けるのは、目の前の優し気な笑みを浮かべる男を敵として見ているからだ。
「どのようなご用件でしょうか?理事長もお忙しい立場でしょうし、お互いに時間は有効に使いましょう」
「そうですね。どうぞ、おかけください」
机の前にある2つのソファーの内、右側に腰掛けるように手で促してくる。
「いいえ、このままで。話を進めましょう」
少しでも動作が遅れるような体勢は避ける。
その意図を察したのか、ヴォルフは手を組んで「ふむ」と言って一呼吸置く。
「用件というほどのことではありませんが、あなたとは話をしたいと思っていたのです。職員面談のようなものだとお考えください」
職員面談……ねぇ。
そう言う割には、不信感が拭えない。
「最近はいかがですか?あなたのクラスは、この1年で快進撃を見せています。それも導き手としての、あなたの実力ゆえでしょうか?」
「いいえ、それについてははっきりと否定させていただきます。謙遜でも何でもなく、私は何もしていませんよ。教師失格だと言われてもおかしくないくらいに、生徒たちには放任主義を貫き通していますので」
実際に、俺は本当に何もしていない。
全ては生徒たちの努力が成した結果だ。
それを教師である俺が自分の手柄のように言うのは、あいつらの頑張りを裏切ることになる。
俺の返しに対しては表情は変化せず、話題をすぐに変えてくる。
「学園長の孫娘と転入生、クラス移動によって変化するクラスメイトを受け持ち、あなたの心労は察するにあまりあります。私としては、この1年であなたには負担をかけすぎていると反省しているところです」
「お気になさらず。逆に忙しいくらいが調度良いですから。理事長のご配慮には、感謝しています」
両手を後ろで組み、軽く一礼する。
「そうですか。それでは、これから言う言葉は理事長としてではなく、同じく組織に属する者への命令として告げさせていただきます」
その一言で、空気が重たくなる。
ヴォルフの細目が開き、黒い結膜と紅の瞳が現れる。
「岸野敦。あなたにはDクラスの担任を外れ、組織の研究に専念していただきます」
威圧感を放ちながら、その命令は拒否することを許さない強制力を持つ。
「……思ったより、遅かったですね」
「驚かないですか。流石です」
「いつかは、辞令が来ることはわかっていました」
組織としては、俺があのクラスで担任をしていることは快く思っていなかったはずだ。
椿円華、最上恵美、狩野基樹、成瀬瑠璃。
今頭に浮かぶ連中だけでも、組織からすれば危険な存在があのクラスには揃っている。
そんな中で、俺が要らぬ知恵を与えないかと疑心暗鬼になるのも頷ける。
「ちなみにですが、俺の後釜は誰が?」
「それをあなたが知る必要があるでしょうか?」
「俺はあいつらの担任です。あいつらの成長過程で、変な横槍を入れられたら困るんですよ」
もはや、2つの意味で上司に当たる存在であろうとも関係なかった。
言葉遣いが少しずつ荒くなるが、それをヴォルフは咎めはしない。
「その目……殺気ですね。初めて見ましたよ、あなたが我々にそのような感情を表に出すとは。椿涼華が死んだ時も、その感情を我々に抱いていたわけですか」
俺が負の感情を目に乗せようとも、奴の余裕な態度は崩れない。
一触即発しそうな空気の中で、椅子から立ちあがってはフフっと笑う。
「我々としても、あなたと敵対するのは損失になります。オーディンの力を振るわれれば、我々も秘密裏にあなたを処理することは難しい」
「それがわかっているから、組織は俺を処分することができなかった。俺を警戒して、野放しにしたのは失敗でしたね」
右手を前にかざし、握る動作をすれば黄金の槍が顕現する。
「グングニル……。やはり、神の力を解放する覚悟を固めたようですね。いつまでも、腑抜けた態度でいれば良かったものを」
「腑抜けてましたよ、あいつが来るまでは。しかし、あいつ……椿円華。涼華の弟であるあいつが、前を向いているんだ。自分の覚悟を、奮い立たせるには十分な理由だ」
周囲に黄金の稲妻を轟かせ、臨戦態勢に入る。
男もそれに合わせ、赤黒いオーラを全身から展開する。
「オーディンの鎧を、装着しないのですか?」
「それは挑発のつもりか?だとしたら、早とちりだな。すぐに消滅させたら、おまえから知りたいことを吐き出すことができないだろ」
オーディンを解放するのは簡単だ。
しかし、互いに力を解放しているのは、威嚇であり互いの力量を主張するためだけのデモンストレーションのつもりだ。
だからこそ、直接的には攻撃を仕掛けていない。
そして、今の稲妻と瘴気のぶつかり合いだけで、俺とあの男は互いに拮抗している現実を認識する。
「私から、何を聞き出すつもりで?」
「今言ったところで、おまえが素直に吐くとは思えない。しかし、その余裕な態度は見ているだけで腹立たしい。俺たちを思い通りにできると思っている、その目が気に入らん…‼」
オーディンの力を解放したところで、男が怯んでいるようには見えない。
つまり、こいつは知っているのだ。
この力の脅威を、事前に確認している。
だからこそ、対策している可能性が高い。
「ただの辞令で終わらせるつもりでしたが、良い機会です。あなたとの手合わせは心が躍りますね」
両手を横に広げた瞬間に、その身体は自身の放つ赤黒いオーラにを空間全体に行きわたらせる。
「ここは理事長室です。このフィールドは全て、私のテリトリーだとお考え下さい」
「……この程度で、勝ったつもりか?」
サングラスを外し、俺も紅の瞳を晒す。
「全てを記せ、オーディン」
コードを唱えれば、槍が輝き黄金の鎧がこの身に装着される。
奴のオーラが周囲を包む中で、そのプレッシャーを跳ねのけるにはオーディンをその身に纏うしかなかった。
しかし、長時間の装着は危険が伴う。
持って10秒。
この男の覇気を払うには、方法は1つしかない。
カンっと音を鳴らし、グングニルの柄を床に打ち付ける。
「オーディン、あの目を使う」
『良かろう。卿の覚悟で、あの者に鉄槌を下せ』
全知全能の神より、許しは降りた。
それと同時に、持ち手と反対の手を前にかざした。
向こうが領域を支配するのであれば、こちらもその領分で対抗する。
「共鳴技 全知之眼」
左目に埋め込まれた『叡智の目』が、眩しい程に白く輝いては周囲の赤黒いオーラを打ち消していく。
それだけでなく、目の前に居る神父服の男は頭を押さえて膝を床に着ける。
「んぐぐっ…‼これがっ……オーディンの……叡智の眼を解放した、真の力…‼」
すぐに腕で目を覆って防ごうとしたが、時すでに遅し。
それを認識した時点で、もう俺の術中に嵌っている。
オーディンは神話の中で、知恵を得るために自身の目を捧げたという逸話がある。
そして、それを基に生成されたのが『叡智の眼』。
これは自身の持つ全知のデータを、瞳を見たものに光情報を媒体として強制的に流し込む。
そのデータの総量は、一瞬で情報処理が追いつかないほどのものに到達し、思考が停止する。
電子機器で表せば、強制シャットダウンされているような感覚だろう。
戦いの場において、思考が止まることは死を意味する。
そして、思考が停止した敵など、ただの的でしかない。
跪く男に歩みより、グングニルの矛先を向ける。
「データとしては知っていても、実際には知らなかったかんじゃないのか?組織が俺を野放しにせざるを得なかった理由を。俺がこの力を解放すれば、誰も彼もが今のおまえと同じ状態になるからだ」
敵に回してはいけない存在。
それは組織の中にも確かに居る。
緋色の幻影の場合は、その位置に居るのが俺だったというわけだ。
全知の眼と必殺必中の槍。
俺がこの2つを持ちながら、勝てなかった相手は1人しか居ない。
破滅の従者であろうとも、その限りではない。
男は俺を見上げながら、立ちあがる力が無いために顔を引きつらせる。
「これが、神殺しのために生み出された最強の異能者とその魔鎧装の力……。やはり、今はまだ敵に回すべきではなかったようですね」
神殺し。
懐かしい響きだ。
それには失敗しているわけだが、得たものはあった。
組織によって生み出された存在ではあっても、生き方を決めるのは俺自身だ。
そのことを、俺はあの悪戯の神との戦いを通じて教わった。
「おまえたちが、俺を力で抑えつけることは不可能だ。ここから先は、俺の好きにやらせてもらう」
「っ…‼」
宣戦布告とも取れる言葉を告げれば、男は表情を歪ませる。
しかし、次の瞬間には状況は一変した。
『今、その男を失うわけにはいかない』
背後から声が聞こえ、後ろを振り返れば目を疑った。
俺は先程、能力を以て敵の思考を止めた。
しかし、この時の俺は内なる記憶との矛盾によって、思考が止まった。
「……何故……おまえがっ…!?」
動揺は魔鎧装にも伝わり、変身が解除されてしまう。
目の前に立つ存在は、俺にそれが現実であることを拒絶させる。
長い藍色の髪をポニーテールに結び、凛とした佇まいと手に握る蒼刀は彼の記憶の中の、ただ1人と一致する。
一本角が生えた仮面で顔を隠してはいるが、それが意味を成さないほどに。
そして、その認識の矛盾を修正するまでの時間が、大きな隙を生み出した。
ザクッ‼
その音と共に、腹部に激痛が走る。
「んぐっ‼」
刀の刃が貫通し、血が滲み出てくる。
「フフフっ。やはり、彼女に無理を言って奥の手を用意して正解でしたね。あなたに力で勝てるとは、私も思っていませんでした。だからこそ、あなたの記憶を利用させていただきました」
机を支えにして立ち上がる男は、悪魔のような笑みを浮かべる。
「感動の再会なのです。喜んだらどうですか?」
俺の中で、あらゆる感情が込み上げてくる。
「ふざっ……けるなっ…‼」
声を荒げようとも、追い詰められた現実は変わらない。
刀を抜かれ、多量の出血と激痛によって床に倒れてしまう。
仮面の剣士を睨みつけながら、脳裏に浮かぶのは1人の復讐者の顔。
こんな…ことがっ‼これを、今のあいつが知ったら……。ダメだ、ここで……今度こそ、俺…が……‼
薄れゆく意識の中で、何もかもが手遅れであることを悟る。
その中で、理事長室のドアが開く音が微かに聞こえる。
最後に聞こえてきたのは、青年の陽気な声だった。
「やぁ、お役に立てたようだね。母さんが複製した、新しい人形は♪」
靴音が響き、近づいてくるのがわかる。
「これで邪魔者が、もう1人片付いた。母さんの計画通りだね」
この声には聞き覚えがあるが、もうそんなことを気にしている気力も無い。
何者かが、俺を排除するために動いていた。
そして、俺の他にも……。
これから先は、もうあいつらだけで乗り越えるしかない。
この学園に蔓延る悪意を。
ぼやける視界の中で、ふと倒れた先に見える窓からの影に視線が行った。
窓辺には見覚えのある黒猫が佇んでおり、透き通るような蒼い瞳で俺を見下ろし、ニャーオと鳴いた。
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敦先生を刺した人物の正体は、あまりにも残酷な現実。
これと邂逅した時、円華はどうなってしまうのか……。




