1人の女として
あの子はいつだって、ズルい時に素直になる。
だからこそ、私の感情を揺さぶられる。
そこにいつも期待していて、でも、それには応えてもらえなくて。
いつか、また呼ばれたい。
そうであると認めてほしいと思っていても、それが現実になることは無いと思っていた。
十数年にも及ぶ長い時間、その欲望が満たされる日を願っていた。
願望と諦観を抱きながら、退屈な日々を過ごしていた。
その時間が無駄ではなかったと、この学園を去る日に知ることになるとは何たる皮肉なのかしら。
「……悔しいわね」
並木道を歩き、1人で小さく呟く。
嬉しいはずなのに、何も言うことができなかった。
望んでいた呼ばれ方だったのに、それを感情として表すことができなかった。
円華は私の気持ちに、やっと応えてくれたというのに。
姉ちゃん。
そう呼ばれた時、私は何も言えなかった。
ただ頷くことしかできなくて、離れることしかできなかった。
そして、そんな私を追わないでくれた。
襲撃を回避したことで、安心した気持ちもあったのかもしれない。
私自身も、もう周りから殺意を感じることは無かった。
本当に今、孤独に自分の気持ちを整理している。
桜が咲く並木道を歩きながら、もうこれを見収めることに儚さを覚える。
「私は結局、1人で居るのがお似合いの女ってことよね」
自分に並び立つ存在を、この学園で求めていた。
しかし、そのような存在は現れなかった。
自分より下、あるいは上の存在は居ても隣に立って歩んでくれる者は居なかった。
人と関わって、嬉しかったり愛おしいと思うことはある。
それでも、自分を理解してくれる者は居なかった。
誰も本当の私を理解してくれる人は、現れなかった。
円華でさえも、全てを理解することはできなかったでしょう。
私は支配者の器となるべく生まれた存在。
その本心は、他人に推して知るべくもない。
そう、誰も……。
「1人になると下を向いて歩くところは、3年経っても変わらなかったようだな」
聞き覚えのある声に、思わず顔を上げて目を見開いた。
ありえない。
それが最初に頭に浮かんだことだった。
「どう……して…?」
卒業生も在校生も、ほとんどが地上に居るはずだった。
それに誰かが地下に居たとしても、私がここを通ることは誰にも話していない。
それでも彼は、私の目の前に現れた。
「俺に何も言わずに、ここを去るつもりだったのか?だとしたら、侮られたものだ」
眼鏡の位置を人差し指で正した後、私に歩み寄っては目と鼻の先で止まる。
「卒業式が終わった後、話があると電話で言ったはずだ。覚えていないのか?」
「覚えているわ。でも、あなたのそういう言葉は……信じていなかったのよ」
横に伸びた髪をクシャッと掴み、視線を逸らす。
「あなたは1年前も、私に話があると言って……この場所に来なかったじゃない。進藤くん」
私がこの道を何度も通る習慣には、理由があった。
彼があの時の約束を思い出して、ここで待っているかもしれない。
その淡い期待を、手放すことができなかったから。
「あの時のことは、すまないと思っている。今更何を言っても言い訳にしかならないだろうが、本当はあの時、俺はここに向かっていた。しかし……」
「誰かに気を失わされて、そのまま1年間眠っていた?本当に、最悪のタイミングね」
嘲笑するように、怒りを押し殺しながら声を震わせる。
その日は、涼華さんがこの世を去った日でもある。
それから、私と進藤くんの運命は大きく狂っていった。
彼が目覚めるまでの1年間は、本当に退屈だった。
そして、目を覚ましてからも空虚な時間が流れていた。
私の中の時計は、あの時に並木道で彼を待っていた時から動いていない。
「本当は……あなたと一緒に、卒業したかった」
今さら言っても、どうしようもないことだとはわかっている。
それでも、言葉が漏れてしまう。
「もっと、あなたと競いたかった……。あなたとなら、今よりももっと高みに行けると思って…‼……いいえ、やっぱり……違うわね」
1人で去り行く寂しさから、今日は素直になれそうな気がする。
円華だって素直になってくれたんだもの。
私だって、そうなっても良い資格はあるわよね。
「私はあなたと、一緒に居られる時間が愛おしかったのよ……。情けないでしょ?」
今まで、誰にも見せたことがない顔を見せている気がする。
この学園の生徒会長でもない、桜田家の当主でもない。
ただの1人の女としての、『桜田奏奈』で居られる時間は今しかないのだから。
「そうか……」
私の本心を聞き、進藤くんは小さく呟いてはゆっくりと歩み寄ってくる。
そして、頭の上に手を置いてきた。
「俺はおまえのことを、誇りに思う」
その言葉が耳に届いた瞬間、彼の優しさに包まれるような感覚があった。
「Sクラスとして、生徒会長として、おまえはこの3年間で多くの人間を導いてきた。おまえは強い。その強さが、他の誰かに影響を与え続けたのは確かだ」
淡々と事実だけを伝えているようだけど、それが止まった時計の針をゆっくりと後押ししてくれている。
ああぁ……この人も、本当にズルい。
どうして、あなたは……私の心を見透すように、ずっと欲しかった言葉を言ってしまうの?
だから、私は……あなたのことが嫌いなのよ。
「嫌い…」
「……そうか」
「嫌い……嫌い、嫌い、嫌い‼」
苦し紛れに、彼を否定したくて子供染みた拒絶を口にする。
言葉だけでなく、駄々をこねる幼児のように彼の胸部を両手の拳で何度も叩く。
それでも、進藤くんの心には響かない。
私の今の言葉1つ1つが、虚勢だとわかっているから。
「そんなに……俺のことが嫌いか?」
「……当たり前でしょ。あなたにだけはずっと、3年間勝つことができなかった。私にとって、あなたの存在は消化不良でしかないわ」
俯きながら、彼をなおも否定する言葉が口から洩れる。
もう、嫌になってしまう。
もう会えないのに、私はこんな言葉しか出てこない。
本当は、こんなことを言いたいわけじゃないのに。
「そうか、そんなに俺のことが嫌い……いや、嫌いになりたいのか。それなら、気に入らんその望みを奪ってやる」
「えっ――――」
下を向いていた顔を、流れるような動作で上げさせられる。
その次の瞬間―――私と彼の唇が重なった。
「んんっ!?」
目を見開き、身体が反射的に左手が彼を押して引き剥がそうとするけど、それを先読みしてその手を掴まれる。
抵抗することまで織り込み済みで、唇を奪われた。
「んっ…ぷはっ‼」
少し長い接吻から解放された後、腰に手を回して抱き寄せてくる。
「やっと、俺の中の欲望が少しは叶ったらしい」
耳元で呟かれた言葉に、ビクッと震えてしまう。
「何よ、それ……同意のないキスなんて、訴えられても仕方がない程の犯罪よ」
「訴えられるのか?」
「……それができないことを、わかっていてやったんでしょ。だから……苦手よ」
「嫌いから表現が和らいだな」
「う、うるさいわね‼」
感情が引きずり出されるように、顔が熱くなってしまう。
見上げると彼が過去に向けてくれた、勝ち誇ったような涼し気な笑みを浮かべている。
それを見る度に、私は何度も感情を乱された。
そして、その時間が心地よかった。
「1年前も、本当はこうしたかった……。そして、伝えたい言葉があった」
私の中で、動き出した時計の針が帳尻合わせをするように、あの頃に叶わなかったことが今起きている。
「おまえはずっと、俺の手の届かない所に居た。あの時からおまえはSクラスで、俺はAクラス。おまえの居る場所に辿りつくまで、あと少しだったな……」
「あなたなら、そのままSクラスまで来れていたでしょうね。現にあなたは今、かつての私と同じ頂に立っているのだから」
本当に、運命というのは残酷ね。
私はその歯車が狂ったからこそ、この学園の頂に居座り続けた。
何ともつまらない、望んでもいなかった勝ち逃げという結末。
そんなものに満足できるほど、私はまだ大人にはなれなかった。
「あの時伝えたかった言葉を今、やっとおまえに伝えられる……」
進藤くんは私と目を合わせ、真剣な眼差しと言葉で心を貫いた。
「今度こそ、おまえを迎えに行く。勝ち逃げは許さない」
その言葉が表す意味を、理解するのに時間はかからなかった。
「……本気で、言っているの?」
「当たり前だ。おまえとの約束を、2度も反故にするつもりはない」
こちらの動揺とは対照的に、彼は淡々と返事をする。
「私は……桜田家の当主になるのよ!?そのための器として育てられて、そのためだけに活かされてきたの‼これから先だって―――」
「1年だけ」
私の訴えを遮るように、彼はその言葉から繋げていく。
「1年だけ時間が欲しい。おまえの決められた運命など、簡単に覆せることを証明してやる。おまえを独りにはさせない」
「……そんなの、ありえないわ」
今まで自分が辿ってきたのは、決められた道のみ。
円華のように、自分の意思で道を決められたことなんて無い。
私は頂に立つための道を、歩むことしか許されなかった。
その呪縛を断ち切ることなんて―――。
「俺が決めた、これは絶対だ」
それはまるで、王が告げる命令のような強さがあった。
彼なら本当に、私の運命を変えられるんじゃないかと思えるほどに。
感情があふれ出し、目から涙が零れる。
「そうやって、あなたは私を新たに縛るのね。本当に、最低だわ…‼」
「それを最高だと言い換えさせる日が楽しみだ」
私は今、やっと新しい希望を掴むことができたような気がした。
桜田家の人形としてではなく、変わらずに1人の女として見てくれる人が存在することの喜びを確かに感じていた。
「うっ…うううぅ…‼」
今日は何ていう日なのだろう。
今まで待ち焦がれていた時間が清算されるように、諦めていた願いが叶っていく。
「うわぁあああああぁんっ‼」
気づいた時には、私は進藤くんをしがみつくように抱きしめては、泣き崩れていた。
本当に……最高で、最低な1日。
今日になって、こんな思いをするだなんて。
願っても叶わないことなのに、願わずにはいられなかった。
卒業なんてしたくない。
ただの桜田奏奈で居られる時間が、終わっていく。
こんな惨めな私を、進藤くんは何も言わずに抱きしめてくれていた。
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もうこの章のヒロイン、奏奈ちゃんとちゃう?(何を今更)




