挑戦者からの賭け
大和side
3学期のカリキュラムは全て終了し、次のステージに進むために準備が必要な時期に入るのは、1年生も2年生も同じだ。
3学年への進級が意味する所は、例年通りであればDクラスとEクラスの消失、並びにそのクラスの生徒全員の退学を意味していた。
しかし、選挙以降に取り組んでいた改革が進み、手始めとして進めていた進級時の退学制度は廃止となった。
今までのシステムを書き換えるにあたり、やはり生徒会長の権力は絶大だった。
教師の中には、我が身可愛さに今のシステムを維持しようとする者も居たが、それを黙らせるための協力者は既に立てていた。
「ありがとうございました、先生。あなたの協力が居なければ、今年中にここまでの改革を進めることはできなかったと思います」
生徒会室にて、目の前に立つ教師に頭を下げれば、彼は俺に身体を向けることなく「やめろ」と小さく言った。
「俺はおまえとあいつの理想のために、邪魔者を黙らせたに過ぎない。それも、褒められたやり方じゃないしな」
「やり方は関係ありません。やはり、先生に協力を要請したのは正解でした。あなたは、学園側への牽制になると踏んでいましたからね――――岸野先生」
名前を呼ばれ、彼……岸野先生は、チラッと横目を向ける。
「おまえ、涼華からどこまで踏み込んだ話を聞いたんだ?」
「……どこまでだと思いますか?」
「質問に質問で返すのは、人の神経を逆撫でする行為だぞ。感心しないな」
「逆撫でしようとしていることに気づいているから、冷静になろうとしてらっしゃるのでは?」
敵意ではなく、大人として咎めるような視線を向けてくる。
それに対して、俺は目を閉じて肩を軽く上下させて笑って言った。
「冗談ですよ、気分を害したのなら謝罪します。あなたと戦ったところで、勝てるとは思っていませんので」
「……別に怒ったわけじゃない。正直、俺はおまえに恨まれていると思っていたからな」
岸野は俺に身体を向け、サングラス越しに目を合わせてくる。
「進藤、おまえは立派にやっている。涼華の遺志を引き継ぎ、目的のための大きな一歩を踏み出したんだからな」
そう言って俺を称賛しつつも、その眼は悲哀を感じさせる。
「しかし、おまえからは自棄のような危うさを感じる。おまえは、この改革の行きつく先に何を見ている?」
彼はこちらの深淵を探るように、心に手を伸ばしてくる。
しかし、それを掴ませるつもりは無い。
「もちろん、今よりも良い学園を作ることです。椿先生の目指した、誰もが自らの力で這い上がることができる学園。それが俺の目指すゴールですから」
言葉の最後に眼鏡の位置を正して笑みを向ければ、岸野はそれ以上の追及を無駄と判断し、目を伏せた。
「気づいているとは思うが、おまえの改革を後押しする者も居れば、妨害しようとする者も現れるだろう。何なら、後者の方が多数だろうな。それでも、おまえはその道を突き進むつもりか?」
「当然です。そのために、俺はこの学園に存在するのですから」
この学園を変えることが、進藤大和としての存在意義とすら感じている。
そして、あの人が成し得なかったことを果たす先で、望んでいる願いもある。
そのためには、やはりこの学園のシステムを変えるのは必須事項だ。
「残り1年という時間の中で、おまえがどれだけのことを成し遂げられるのか。陰ながら、元・担任として観察させてもらうさ」
「ありがとうございます、先生」
感謝の言葉を伝えれば、彼はこれで話は終わりだと言わんばかりに出口に向かい、部屋を出て行った。
そして、それと入れ違いで1人の男が姿を見せる。
男は岸野先生に一礼した後、部屋に入ってはドアを閉め、冷めた目を向けてくる。
「生徒会室での、他学年の先生との密会……。あまり、穏やかな話をしていたようには思えませんね?進藤先輩」
「仙水……残念だが、これは脅しの材料にはなり得ないぞ。ただ元・担任からの激励を受けていただけだからな」
先に彼が言いそうなことを潰した後で、「何か用か?」と問いかける。
すると、仙水は目の前の机に1枚の用紙を空気に乗せるようにして置いた。
そこには、来年度からの生徒会の新体制が書かれている。
「まさか、本当に俺を副会長にするとは思いませんでしたよ。そんなに俺を虚仮にしたいんですか?」
「……まだ、おまえはそんなことを言っているのか」
呆れ紛れに小さくも短く息を吐き、人差し指で眼鏡の位置を正す。
「そんなに不服か?DクラスとEクラスの退学が廃止になったことが」
「ええ、不服ですよ。俺の目指す真の弱肉強食の学園からは、大きく遠ざかったんですから」
目尻を吊り上げ、鋭い視線を向けてくる仙水の怒りを正面から受け止める。
「しかし、これはおまえが俺を止められる立場にありながら、止めることができなかったが故の結果だ。おまえが余計なプライドを捨て、あの場ですぐに俺の手を取れば、少しはおまえの望む方向に誘導できたかもしれない」
選挙戦後の壇上で、彼は俺の手を取らず、目を逸らして行ってしまった。
だからこそ、その後は俺のスタンドプレーで事を進めることに至った。
退学制度の軟化がスムーズに言った要因として、仙水の妨害が無かったことも挙げられる。
「俺の意思を無視して、勝手に副会長の座に着かせておいて、どの口がっ…‼」
「意思を無視?それは感情に任せた言い回しか?だとしたら、おまえはその言葉を後悔しないのか?」
怒りをぶつけようとする仙水の心を見透かし、眼鏡のレンズを反射させながら言葉を続ける。
「断言してやる。おまえはあの時、俺から与えられたチャンスを本当は掴みたいと思っていた。しかし、直前の敗北によって余計なプライドを肥大化させ、それを掴むことを拒否した……」
あの時の仙水の心中を言語化した上で、こちらも鋭い目付きを向ける。
「はっきり言おう。愚かな選択だ」
「んぐっ…‼」
人間は良くも悪くも、感情に左右される生き物だ。
しかし、それに振り回された結果は、大抵後悔という終点に向かっている。
「おまえは俺と戦うことに重きを置く人間であり、その反骨精神には目を見張るものもあった。しかし、今のおまえはどうだ?1つの大きな敗北を経験し、そこから何も得ようとしていない。そんな人間が、俺に自分を敵として認識させようとするなど、片腹痛い」
感情に振り回され、選択を見誤ることの愚かさを、この機会に頭と心に教え込む。
ここで意味も無く言い返してくるのであれば、仙水凌雅という男を見限るだけの話だ。
仙水は俺の言葉に余計な口は挟まず、奥歯を噛みしめては怒りを堪えている。
ここで様子を窺うために静観すれば、彼は小さく口を開いた。
「俺が副会長であることを受け入れれば、先輩の下らない改革を邪魔するかもしれませんよ?」
「それで良い。イエスマンのみの体制を、俺は望まない。自身のやり方を否定する存在も、時には必要だ」
何も俺は独裁体制を敷きたいわけじゃない。
仙水の掲げる理想を全て受け入れることはできずとも、その中で必要だと思う事柄もあるはずだと考えている。
彼と俺は正反対の考えをしているように見えるが、1つだけ共通している認識があることは分かっている。
「俺もおまえも、この学園を変えるという理想は同じだ。そのために、おまえの存在が必要だ」
「……そうですか。俺の存在が必要……。
自身の足下に視線を落としながら、仙水はフッと笑った。
「そんなんだから、俺はあなたを邪魔したくなるんですよ」
彼は黒い笑みを浮かべ、前髪をかき上げて俺を見る。
「わかりました、受け入れますよ、副会長の役割……。ですけど、先輩……それには1つ、条件があります」
その殺意にも似た強い敵意から、仙水の言わんとしてることがわかる。
「俺と勝負してくれませんか?俺と先輩、そして先輩のお気に入りを巻き込んだ勝負をね」
予想通りの提案だ。
しかし、第3者を巻き込むと言うところから、仙水の中で是が非でも俺の認識を改めさせようとしているのがわかる。
「期間は1学期。その間に俺はどんな手を使ってでも、先輩のお気に入り……椿円華を退学させます。それが実現したなら、俺に生徒会長の座を譲ってくださいよ」
「大きく出たな。して、それができなかった場合はどうする?おまえには何のデメリットも無しか?」
「いいえ?ありきたりな条件ですけど、それができなければ俺はこの学園を去ります」
平然とした口調で言っているが、この学園での退学は他の学校とは意味合いが大きく異なる。
「それは死を意識していると判断して良いんだな?」
「当たり前ですよ。背水の陣って奴ですね」
自分の命を賭けてでも、仙水は俺との戦いを望むという。
並大抵の覚悟では、許されないことだ。
「俺は先輩の全てを否定したいんですよ。だから、先輩の認めるものも否定したい」
進藤大和を否定するという行動原理のために、己の命すらも天秤にかけるほどの狂気。
それはこの俺、そして椿に届き得るほどの力を持っているのか。
仙水の目を見ると、少しずつだが好奇心が搔き立てられる。
「俺はあなたを否定する……いや、殺すためなら何だってしますよ。この俺を自分の側に置いたことを、死ぬほど後悔させるつもりですから、そのつもりでいてください」
歪んだ思考をしているが、それでも仙水は俺の計画には必要なピースとなる。
その俺に対して抱く殺意すらも、今後のためには残しておきたい要素である。
「この条件をのむ覚悟があるから、俺が必要だって言ったんですよねぇ?」
ここまで来て、引き下がることなど許さないというように挑発してくる。
この勝負を受け入れた時、椿は仙水から標的として認識されることになる。
奴からしてみれば、はた迷惑な話であろう。
しかし、この戦いは成長のために必要な過程となる。
「良いだろう。その勝負、受けてたとう」
これは俺1人で終わる戦いではない。
仙水のことだ、これから全学年を巻き込み、全てを犠牲にしてでも椿を、そして俺を潰そうとするだろう。
それで良い。
そこから生まれる混沌の先に、俺の求める理想への道筋が加速する。
結果として、この勝負を受け入れたことで仙水は副会長となることを受け入れた。
これも改革のための、必要な過程だ。
仙水は俺に左手を差しだしてくる。
「これからもよろしくお願いします、生徒会長」
確か、この男の利き腕は右手のはずだが……。
まぁ、良いだろう。
俺は利き手である左手で、その手を取った。
「ああ、こちらこそ、仙水副会長」
これは、敵対することを表すための契約だ。
挑戦者からの賭けに、応えることが条件となる。
仙水が退室した後に、椅子に座って深く腰をかけながら天井を見上げる。
全てを巻き込むことになる波乱を予期しながらも、俺は無意識に笑みを浮かべていた。
「これからの残り1年……少し楽しみになってきたな。上手く成長してくれよ?おまえなら、本当に……」
恩師の忘れ形見の顔を思い出せば、自身の中で湧き上がる欲望が思い出される。
そして、鞄の中に入れている手帳を取り出しては1枚の写真を取り出して見る。
そこに映るのは、俺を含めた1つのクラスの集合写真であり、中央には大人とは思えないほどに無邪気な笑顔を浮かべた担任教師が座る。
当時の1年Fクラス。
椿涼華の受け持っていたクラスだ。
しかし、この中に映る者の中で、この学園に残っているのは俺1人。
「そろそろ、俺もそっちに行くかもしれないな。その時は、怒らないでくれよ?」




