悪人の嘘
蓮side
3学期が終了してから、Aクラスには暗雲が広がっていた。
学園側の手に落ち、毒に犯されていた俺には何があったのか、当初は知る由も無かった。
差出人不明の誰かが用意した解毒剤を使ったことで、体調は回復しつつあるが2、3日は真面に身体を動かすことができなかった。
解毒剤を使用したのは、要だった。
彼女が何の確証もなく、そんな得体の知れない薬を使うとは思えない。
自分で動けるようになった時に、解毒剤と一緒に小さな封筒があった。
そこには1枚のメッセージカードが同封されており、その内容に憤りを感じたからだ。
『さっさと治せ アホ執事』
こんなものを用意する者を、俺はこの学園で1人しか心当たりが無い。
今度会ったら、礼はしつつも文句の1つは言うつもりだ。
しかし、それよりも俺には気になる変化があった。
毒の効果によって、薄れゆく意識の中で解毒剤が自分に使用された時、彼女は涙を流していた。
そして、ずっと『ごめんなさい』と謝る声が木霊するように続いていた。
あれは夢だったのか。
それにしては、その声ははっきりしていた。
今も俺の記憶に残るほどに。
何か不吉な予感が頭を過ぎる。
自分の手が届かないところで、最悪の事態が起きているという漠然とした胸騒ぎ。
これがただの行き過ぎた不安であることを祈ろうとした時、部屋のインターホンが鳴った。
ピンポーンっ。
静寂の中で響いたその音が、俺の神経を過敏に刺激して不快感を抱かせる。
「誰だ……こんな時に」
宅配は頼んでおらず、訪問販売がこの学園であるはずもない。
来るとすれば、学校関係者の誰かでなければありえない。
まさかとは思うが、いつかみたいに椿が見舞いにでも来たのか?
であるならば、早速カードについて文句を言う機会が巡って来たというわけだ。
小さく息を吐いた後に鍵を開け、ドアを開けた。
その時、ドアの向こうから軽く手を挙げて「よぉ、元気か?」と間の抜けた表情で挨拶してくる男をイメージしていた。
その傍らに、要が俺の後からの反応を見越して苦笑いをしている姿も。
しかし、そのイメージは一瞬にして、現実に裏切られた。
「やぁ、久しぶりだね。元気になったかい?」
その陽気な声が耳に届いた瞬間、不信感から目を見開いてしまった。
「貴様はっ…‼」
何故、この男が俺の目の前に現れる!?
意図しない来訪者に対して、状況が飲み込めずにいた。
男は長い前髪にコンコルドを挟んでおり、貼りついたような笑みを向け、優しそうな印象を与えてくる。
それが第一印象として与える、情報操作だとしても常人はそれを受け入れるだろう。
だが、俺は違う。
「貴様は、あの時の…‼何故、ここに居る!?」
3学期の初めに遭遇した時の記憶は、まだ残っている。
椿に対する不信感を煽ろうとした、不愉快な男だ。
名乗らずに去って行ったため、名前は知らないが妙な奴だった。
「何故?ただのお見舞いだよ。クラスメイトへのご挨拶も含めてね」
「クラス……メイト…?」
引っ掛かりを覚えるワードを復唱し、眉間に皺が寄る。
そして、俺の反応に対して、奴も首を傾げた。
「あれ、もしかして和泉さんから聞いてなかったのかい?俺は2年生から、Aクラスに昇級することになったんだ。この前の対抗戦のおかげでね」
対抗戦?
確かあの時、Aクラスと対決していたのはBクラスだった。
その結果が、この男の昇級と関係している?
全く話が見えてこない。
「とりあえず、中に上がっても良いかな?外で話すようなことでもないからね」
許可を要求するような聞き方だが、否を認めないような妖しさを放つ。
事の顛末を知るために、この不快感と疑心感しかない男を部屋にあげることを決めた。
リビングに通し、対面する形でテーブルに着いた。
「改めて、自己紹介させてもらうよ。元・Bクラスの梅原改だ。さっきも言ったけど、2年生からは君たちのAクラスに参入させてもらうことになる」
梅原改。
聞いたことが無い名前だ。
こんな男が学園に居たことすら、気づかなかった。
あの日以来、俺はこの男と接触するどころか、廊下ですれ違うことも無かった。
そして、目の前に居るというのに違和感を覚える。
視界に捉えているのに、まるで存在していないかのように気配を感じない。
人は大なり小なり、他人から感じる気配に対して印象を抱くものだ。
しかし、この男にはそれが無い。
「俺のこと、相当疑っているようだね。無理はないけど」
奴の自己紹介から言葉を返さずにいたことで、こっちの疑念が伝わってしまったようだ。
だが、それで良い。
気配が読めないのなら、真っ向から探るだけだ。
「貴様が誰なのかは、この際どうでも良い。しかし、BクラスとAクラスは対抗戦で競っていたはずだ。そして、結果としてAクラスが勝利したことは、俺も知っている。おまえが移動するなど、辻褄が合わない」
AクラスがBクラスに勝利した時に、学園側に要求するのはクラス全員への能力点の倍増化だった。
クラスのトレードは在りないことであり、Bクラスに何か縛りを設けることは要の思考として存在しない。
だからこそ、Sクラスに近づくことを見据えての選択だった。
そして、それは実行されている。
Bクラスからの生徒の移行など、どこにも条件にはあるはずがないのだ。
「貴様、一体何をした?」
見えてこない背景に苛立ち、目の前に居る男を睨む。
しかし、梅原はそれに対して薄ら笑みで返してくる。
「そんな怖い目で睨まないでくれよ。俺はただ自分の実力を見せた上で、俺と言う個人を買い取ってもらっただけさ。和泉さんが俺を求めてくれて、本当に嬉しいんだ」
「ふざけるな‼だったら、何で彼女は俺の前で泣いていたんだ!?」
この対抗戦で、要を追いつめる何かがあったのは明らかだった。
そして、彼女が泣いていた事実を訴えた時、梅原から笑みが消えた。
「泣く?そうか、そうだったのかぁ……」
その事実を受け入れながら、瞳から光が消えた。
「本当につまらない人間だな、彼女は」
つまらない。
そう吐き捨てた時の奴の表情は、顔全体が黒く染まったような幻覚が見えた。
「俺はね、雨水くん?俺の存在は君たちのクラスに必要だと思ったから、対抗戦を……そして、君という存在を利用して、彼女にクラス移動を認めさせたんだ」
笑顔の仮面が剥がれ、無表情のまま言葉を続ける梅原。
「結果として、その選択は正しかったようだね。やっぱり、彼女は統率者としての器じゃない。俺が導き手にならなければ、Aクラスは破滅する」
それは要を侮辱する言葉だった。
梅原に対して、怒りのままに手を伸ばそうとするが、逆にその手を容易に掴まれて止まる。
「君に教えてあげるよ。俺が君に毒を盛ったと和泉要に伝えたとき、どんな顔をしていたと思う?解毒剤を手に入れるために、俺を受け入れる以外に選択肢が無い状況に打ちのめされた時、どんな声を出していたと思う?」
問いかける形ではあったが、想像する余地も与えずに答えを出した。
「とても情けなかったよ。リーダーとしてあるまじき、退屈な人間の絶望した表情をしていたねぇ‼声も震えて、思考を停止した負け犬の様だった」
俺の手を掴む力が強くなり、こっちも苦痛さから震えだす。
「人って本当に愚かだよね?どうしようもできない絶望的な状況に立たされた時、確証が得られないどれだけ嘘みたいな話でも頭に残る。学園側の毒だけじゃなくて、俺からも毒を盛ったって言った時はあっさり信じてさぁ」
思い出して話している間に、梅原は悪意のある笑みを浮かべる。
「全部、俺の嘘なのに‼勝負が終わった後、ただの水を入れただけの小瓶を、大事そうに持って……笑いを堪えるのに必死だったよ‼いやぁ~、友情?それとも、愛情かなぁ?傍から見たら美しい感情に踊らされる人間って、本当に見ていて滑稽だったよ」
奴の言葉で、全てが繋がった。
要が涙を流していた理由。
梅原改がAクラスに移動する根拠。
何故、彼女がこの男を受け入れたのかも。
「君が弱っていたおかげで楽をさせてもらったよ。いやぁ~、本当に感謝しているんだ。君と和泉要の強い絆には、素直に感激したんだ。まさか、俺みたいな悪人を受け入れてでも、君を助けようとするなんて思わなかったからさぁ」
怒りで身体が震えるのに、行動に移れない。
ただ、睨みつけることしかできない。
潜在意識から、伝わってくるんだ。
『俺は梅原改には敵わない』と。
「プラスに考えなよ。彼女は人の綺麗な部分しか見ようとしない。俺みたいな悪意を利用した策略には、脆く崩れる。だから、俺が善意で君たちの下に来たんだ。これからのAクラスは変わるんだよ、この俺によってね」
俺たちのクラスに投下される、悪意の塊。
それがもたらす未来が、輝かしいものであるとは到底思えない。
「俺は……おまえの存在を、認めない…‼」
力では敵わずとも、心まで折れてはいない。
明確な敵意を向けながら否定する言葉をかければ、梅原の目が据わる。
「良いね、そう言うの。君のその反骨精神が、長く続くことを願ってるよ。まぁ、でも……」
手を離して席を立ち、玄関に向かいながら言葉を続ける。
「和泉要の心は、もう俺に染まりかけていると思うけどね?」
そう言った時の梅原は、歯を見せて笑う。
黒い感情を、剥き出しにして。
今、彼女はどんな気持ちで居るのだろうか。
俺を助けるために、最悪の決断をしたことを悔いているはずだ。
それなのに、俺はまた側に居ることができなかった…‼
全て、この男の用意する盤上の上で踊らされていたと言うのか。
「これからの学園生活、少しは楽しいものになりそうだ。よろしく、雨水蓮くん」
奴は俺の反応に対して満足したのか、最後に笑みを貼り付け直して玄関を出て行った。
「俺は一体……どうすれば…‼」
俺が行動を起こそうとも、それがあの男の掌である可能性がある。
また、椿に頼るのか?
いや、それは悪手だ。
奴は俺が椿に協力を仰ぐことを見越して、挑発した可能性がある。
どこまでが、あの悪人の想定通りなのかがわからない。
あの笑みの先には、暗闇が奥まで広がっている。
それに対抗するために必要な力を、俺は持っていない。
しかし、やるべきことは決まった。
俺を利用し、要を陥れた奴を許さない…‼
必ず、報いを受けさせる。
梅原改……あの男はクラスメイトじゃない。
打倒すべき標的だ。
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雨水蓮、彼もまた復讐者の1人となった。




