見えざる横槍
真央side
最上さんが2回戦目を勝利し、勝負は振り出しに戻る。
彼女の勝利は、1つの事実を証明した。
女帝であっても、その策略は絶対ではないと言うこと。
自身の側近の敗北を目の当たりにし、鈴城さんの表情から余裕が消えていた。
彼女も理解したはずだ。
Sクラス……鈴城紫苑にとっての脅威は、椿円華だけではないということを。
そして、次は僕がこの流れに続く番だ。
案内人の誘導により、別の個室に通される。
四角い白い空間の中で、中央に白と黒の駒が配置されたチェス盤が用意されている。
そして、向こうの扉から僕の対戦相手が姿を現した。
「石上……真央」
名前は藤崎翔斗。
長い髪を後ろにまとめている、口数の少ない男だと記憶している。
影が薄い印象であり、運動面でも学業面でも目立った成績は残していない。
彼がこの対戦に召喚されたと言うことは、鈴城さんの思惑に関係しているはずだけど……。
互いに対面する形で机に着き、顔を見合わせる。
「裏切り者……。おまえは、ここで負ける」
「鈴城さんの策略によって、ですか?1つ、訂正しておきます。先に僕を裏切ったのは彼女の方です。僕はここに、女帝の力が無くとも勝つことができることを、証明しに来たんだ」
Sクラスに居たままだったら、僕は今日まで生き残ることはできなかったはずだ。
体育祭で、椿くんは僕の中の執着を断ち切ってくれた。
そして、自分のためではなく、自分を頼ってくれる誰かのために実力を活かすことを知った。
力だけでなく、僕という存在を受け入れてくれる人たちの温かさを知った。
この対抗戦は、僕を見捨てたSクラスへの雪辱戦。
新しい居場所で成長できた、実力を証明するための戦いだ。
藤崎は盤上の黒と白の2つのポーンの駒を手に取り、僕に見えないように手を後ろに回してシャッフルする。
そして、両手を前に出した。
チェスにおいては、この時に選んだ駒の色によって、先行と後攻が決まる。
白ならば先攻、黒ならば後攻。
「右手だ」
彼が選んだ方の手を開けば、握られていたのは黒のポーン。
藤崎が先攻の白で、僕は後攻の黒になる。
『それでは、第3回戦『チェス』。開始してください』
審判の指示により、ゲームが開始された。
藤崎は初手は大きく動かず、こちらの様子を見るように1つずつ駒を中央に寄せていく。
それに対して、僕は攻めの姿勢で駒を動かす。
相手が様子を見ている内に、形勢を自分の方に傾ける。
だけど、一気に畳みかけることはしない。
向こうの配置を全体で捉えつつ、守りに入る準備も忘れない。
ターンが進むごとに、相手の駒を取り、こちらも取られる攻防を繰り返す。
「おまえは、あの時紫苑様によって葬られるべきだった」
10ターン目になって、彼は駒を動かしながら口を開いた。
「Dクラスに堕ちてまで、生き恥を晒すおまえが理解できない。おまえは一体、何がしたいんだ?」
ただの純粋な疑問か、それとも揺さぶりのつもりか。
どちらにしても、本来ならば真面に返す義理は無い。
「強くなりたい。あの時の、焦りで力に溺れた情けない自分よりも、ずっと強く。そのために、僕はDクラスで学ぶことを選んだんだ。Sクラスの地位に縋りついたままだったら、絶対に見られない光景がそこにはあった」
だけど、僕は彼の疑問に答えた。
そして、彼と同様に駒を動かす手も止めない。
「生き恥と思っているなら、それでも良い」
ルークを前に出し、相手のポーンに迫る。
「僕は自分の強さを得るためなら、喜んで恥を受け入れる。それによって、本当に大切なものを得られたから、そのことに気づけたから。それは、鈴城紫苑の駒に成り下がったままだったら、ずっと手に入らなかったものだから!」
「っ‼」
僕のナイトが向こうのクイーンに迫った時、彼は苦汁の表情で震え、一瞬だけその駒を動かすことを躊躇った。
ターンは既に、30を過ぎていた。
盤面の状況は、黒に有利に進んでいる。
どこまでが、女帝の想定通りの展開だったのかは読めない。
だけど、状況は既にその思惑から外れていることは、藤崎の表情から読みとれた。
「……」
彼が駒を動かす手は、序盤に比べたら重くなってきている。
目が鋭くなる中で、猶も勝利のために長考しているのがわかる。
その間に、僕は頭の中で勝利のための戦略を盤面でイメージする。
それも1つではなく、相手の動きに合わせて数十通りは想定して。
やはり、鈴城紫苑の想定を超える状況ではあるようだ。
藤崎はもはや、自分の力だけで僕と渡り合おうとしているんだ。
女帝の想定を超えた状況でも、勝利を目指して駒を動かし続ける。
だけど、僕も今日のために自分の腕を鍛えてきた。
そう簡単に、盤面の状況は覆すことはできないはずだ。
一手一手の動きが、僕も藤崎も慎重になっていく。
もはや、無駄口を叩く余裕も無くなっていく。
僕らは互いに盤面の白と黒の駒を見て、勝利のために一手を打つことに集中している。
「……確かに、おまえは強くなったようだ」
攻防一体の状況の中で、50ターンが終わる頃に藤崎は重々しく口を開いた。
「俺はもう、ここから先、どう動いたらいいのかが手探りだ。紫苑様から示された勝利の道筋からは、もう大きく外れている。しかし、おまえには見えているんだろ?俺に勝つ方法が」
「……大体は」
完璧に把握しているわけじゃない。
だけど、ここから僕がどう駒を動かし、彼がそれに対してどう動くのかは予測ができる。
その予測通りなら、ほぼ確実に勝利を掴んだことになる。
藤崎からは、諦めの表情が見える。
そして、両手をテーブルに着けて俯いた。
「降参しますか?」
それはこれ以上、相手の心を傷つけないための提案だった。
勝ち筋は見えている。
僕が間違えることなく、その筋道を進むことができれば勝てる。
それは藤崎もわかっているはず。
しかし、彼は右手を前に出し、盤上のビショップを掴んで前に動かした。
「降参は……しない‼例え紫苑様の手を借りることができなくても、君に勝ちたいという意地がある…‼だから、戦うことを止めない」
「それは悪足掻きじゃないんですか?」
「おまえは今のクラスに移動してまで、力を付けた。だったら、彼女に頼らなくても勝つための方法は必ずある。これは彼女のためじゃない……俺がおまえに勝ちたいという、対抗心だけで続ける戦いなんだ…‼」
諦めの表情が、挑戦者としての目付きに変わる。
ここに来て、彼は僕への認識を変えたんだ。
Sクラスの裏切り者としてではなく、Dクラスの1人として。
そして、その上で僕に対して勝ちたいという意志を示している。
もはや、女帝の駒としての行動から脱している。
それならば、僕もその想いに応える必要がある…‼
僕もクイーンを前に動かし、彼の動かしたビショップを取る。
「手加減はしませんよ。それがあなたに対しての礼儀です」
「それで良い。俺はこの戦いを通じて、おまえに近づいて見せる…‼」
勝利を掴みたいという意地のぶつかり合いは、止まらない。
ターンが65を超えたところで、僕は彼の変化に気づく。
順応してきている。
学習していると言っても良い。
予想していた筋道から外れそうになるのを、僕の駒の動きで軌道修正を繰り返す。
攻められそうで、攻め切れない。
「流石だ……強いよ、石上。おまえはSクラスに居た時から、その実力でクラスを先導しようとした。紫苑様には及ばなかったにしろ、おまえが俺たちよりも力も知恵もあったのは事実だ。だけど、俺たちは彼女の命令1つで、おまえを排除しようとした……」
藤崎の目からは、少しずつ罪悪感が見え始める。
「それでも、おまえは自分の決断で新しい居場所を見つけられた。それが俺は……いや、俺たちはおまえが、羨ましかったのかもしれない。だけど、それを認めたくなくて、一方的に敵意を向けていた。俺たちが彼女に従い続けることが、本当に正しいのか……考えないようにするために」
初めて知った。
僕はSクラスに居た時、鈴城紫苑に勝つことしか考えていなかった。
周りのクラスメイトのことを、見ようとなんてしていなかった。
だけど、今ならちゃんと見ることができる。
彼らの迷いも、そこから生まれる妬みも受け入れることができる。
「藤崎くん……」
僕は対戦者ではなく、1人の元・クラスメイトとして彼の名前を呼ぶ。
それに応えるように、藤崎くんは顔を上げる。
そして、目を合わせて笑みをむける。
「ありがとう。その気持ちが聞けただけで、十分です」
僕は認められていた。
見るべきものに目を向けられなかったから、それに気づけなかっただけだった。
真実を知ることができたからこそ、自身を奮い立たせることができる。
前のクラスメイトの気持ちに応えるため、今のクラスメイトの期待に応えるため。
僕は、この勝負に――――。
ジージジッ、ジ―――――ジッ。
一瞬、視界が大きく歪む感覚に襲われた。
頭に電気が走っては、痺れを感じさせた。
その直前に、僕はクイーンを動かそうとしていた。
それなのに、その意志に反してキングの駒を掴んでいた。
そして、相手のナイトの前に動かしていた。
何故…!?
意図していない一手だ。
それは相手に、決定的な逆転のチャンスを与えることとなった。
「ここだ…‼」
それを藤崎くんも理解し、彼はナイトを僕のキングに寄せる。
キングを守るために、残る駒を集めるが、その際中にクイーンを奪われる。
これもミスだ。
おかしい。
僕がこんな、初歩的なミスをするなんて…‼
長期戦になったが故の思考力の低下?
違う、それにしては違和感がある。
まるで、自分の身体が勝手に動かされているような感覚…‼
だけど、それに抗うことができない。
僕は今、自分の意思で彼と戦っているのか?
自身の思考に対して疑念を抱くうちに、焦りで動きが緩慢になっていく。
そんな状態で勝利できる者など居るはずもなく……。
藤崎くんのクイーンが、僕のキングの前に置かれた。
「石上……チェックメイトだ」
緊張の面持ちで、彼はそれを宣言した。
もはや、ここから巻き返せる一手はない。
1分ほどの無言の後、僕は顔を上げて無理に笑ってみせた。
悔しい気持ちを、押し殺しながら。
「僕の……負けですね…」
敗北の言葉を聞き、藤崎くんは目を見開いては奥歯を噛みしめて震わせる。
「途中から、手を抜いたのか!?手加減はしないって言ったじゃないか‼」
「いいえ。これは僕の采配ミスが招いた結果です。君も強くなった、それだけのことです」
彼の怒りを冷静に受け止め、立ち上がって右手を前に出した。
「ありがとうございました。いい試合でした」
僕の手を見つめ、藤崎くんはその手を握ってくれた。
すると、悔しさが震えを通して伝わったのかもしれない。
彼は握っていた手の上に、左手を乗せて強く…力強く握ってくれた。
『対抗戦3回戦『チェス』。勝者 Sクラス 藤崎翔斗』
試合が終わり、僕らはそれぞれの控室に戻ることになる。
案内人の誘導に従って廊下を歩く中で、自然と左目から涙が零れた。
悔しい……悔しい…‼
僕自身の力で負けたのなら、納得ができた。
だけど、この言い知れぬ悔しさが物語っている。
僕はあの時、自分の力で戦うことができなかった。
何かに思考を支配されていた。
その何かは、僕にもわからない。
だけど、その何かに対して、僕は言葉にできないほどの怒りを抱いた。
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