先手を打った者は
選挙期間3日目。
午前7時30分を回ったころ、進藤先輩から連絡が入った。
目標の人物は、食堂に居るらしい。
契約とか言っていたけど、わざわざ部屋を用意するまでのことじゃないみたいだな。
連絡が来た時、既に校舎に居た俺はすぐに所定の場所に向かった。
広い空間の中に、等間隔に並べられた長テーブルと椅子。
窓ガラスから差し込む日の光だけが照らす、薄暗い食堂の中で、椅子ではなくテーブルに座っている読書をしている紫髪の女が居た。
「おまえは…」
意外な人物に軽く目を見開いて声をかけると、彼女は本を閉じては横目を向け、口角を上げる。
「こんな朝早くに、静けさが広がる食堂に最初に来たのがおまえとはな。円華」
俺の目の前に居るのは、Sクラスの鈴城紫苑。
彼女の様子から、偶然ここに居合わせたような感じではない。
何より、1人でここに居ることに違和感を覚えた。
「たった1人でこんな所に居るなんて、おまえにしては珍しいんじゃねぇの?いつも連れ歩いている2人はどうした?」
「私とて、いつも誰かを連れているわけではない。おまえと初めて会った時も、そうだっただろ。本当ならば、私は独りを楽しみたい女なのだ」
そう言ってテーブルから腰を上げ、俺と対面するように立っては軽く腕を組む。
「おまえがここに来たのは、早朝の散歩で偶然立ち寄ったわけではないだろ?私と同じく、おまえも呼び出された口か」
こっちの事情を見透かし、怪訝な目になる紫苑。
この女に関しては、変に話をはぐらかそうとしてもすぐに看破されるだろうな。
「先輩から呼び出されたんだ。ここで会う人物との契約に、立ち会って欲しいって言われたんだよ」
「……そう言うことか。少し気に入らないが、面白い策だな」
1人で納得の表情を浮かべている紫苑だけど、俺には全く話が見えない。
「必要な役者はそろっているようだな。上の者より先に来ていることに、素直に感心する」
そんな中で、もう1人の役者である進藤先輩が到着しては俺と紫苑に視線を向ける。
紫苑としては、今の先輩の言葉に引っ掛かりを覚えのか目尻を吊り上げる。
「上の者?私の手を借りようという身でありながら、頭が高いのは、上級生であろうともいただけないな」
おいおい、こいつ、先輩にも女帝スタイルなのかよ。
俺は呆れた目を向けるが、進藤先輩はそれを気にせずに軽く手を挙げて訂正する。
「いや、すまない。他意はない。協力関係を築こうと提案する立場である以上、俺たちは対等。もしくは、君の方が立場が上であることは確かだ」
「それならば、それ相応の態度で臨んでほしいものだが」
「女帝と呼ばれるほどの君なら、これぐらいは寛容な気持ちで受け入れてもらえると思ったが……見込み違いだったか?」
「期待していただけたのなら、何より。私としても、2年生の中でも数ある有力者の1人から目をかけていただけるとは、光栄の至りとでも言っておこう」
お互いに品定めするように、一歩も引かない言葉の押収をする。
その顔には、今から協力関係を築こうとする者に見せるはずがない黒い笑みが、見え隠れしている。
ギクシャクした空気になる前に、俺が話を進める。
「それで?進藤先輩、紫苑との契約ってどういう内容なんですか?」
「ああ、すまない。挨拶はこのぐらいにして、本題に入るとしよう。時間は、あまり残されていないからな」
朝早くから来ているとしても、無駄に時間を過ごしていたら、他の誰かに見られる可能性もある。
その場合、敵に手の内がバレることも考えられるしな。
交渉するなら、早く済ませるに越したことはない。
「単刀直入に言えば、鈴城紫苑、君には投票日の当日までにクラスの全員が俺に投票するように先導してほしい。君の一声があれば、それくらいは容易いはずだ」
「高々1クラスの票を誘導したところで、変化は微々たるものだと思うが…」
「そうだな。欲を言えば、君自身が俺を支持すると公表してくれれば、もっと多くの票が動く可能性があると見ている。君の影響力は、1つのクラスに収まるものではないはずだ」
女帝の一声で動くのは、何もSクラスだけじゃないってことか。
今回の生徒会長選挙は、何もクラスで団結しなければならない戦いじゃない。
そして、誰を支持するのかを話すことを強制されているわけじゃない。
1人1人の考えで、誰を支持するのかを決めることが求められる。
その中で最高位であるSクラスの女帝が、進藤大和を支持することを知れば、他クラスでも大なり小なり変化は生まれるかもしれないな。
進藤先輩の提案を聞き、紫苑は受理も拒否もせずにしばし口を閉じる。
そして、口を開いては低い声音で問いただす。
「私としては、この学園での生活は退屈凌ぎの延長線に過ぎない。正直、誰が生徒会長の椅子に座ろうと興味もない。進藤大和、あなたの目指す学園の在り方が、私の退屈を忘れさせるほどのものなのか?」
「そうできるように、最善を尽くすつもりだ。君としても、ただ自分よりも弱い人間を痛めつける趣味はないはずだ。1度敗北を経験し、そこから這い上がって成長した者と戦うことも、一興とは思わないか?」
進藤先輩が掲げるのは、『絶望から這い上がり、成長することができる学園』だ。
それと紫苑の好戦的な性格を、掛け合わせてきたな。
交渉の前に、進藤先輩は紫苑の人となりを調べ上げているな。
相手の性格などを把握することは、自分の話を進めるのに有利に働くのを、この人は理解している。
「相手の成長を感じながら、より戦いを楽しめるということか。それは頭脳戦においても、肉弾戦においても同じことを言えるだろう。確かに、私にとっては都合のいい話ではあるな」
納得するように、表情が和らいでいく彼女は、俺に視線を向けてくる。
「円華、おまえは進藤大和の掲げる理想に対して、共感していると見て良いんだな?」
やはりというべきか、進藤先輩だけでなく、俺の選挙戦に対するスタンスを確認してきた。
取捨選択試験での約束のこともあるし、そう言う質問が来ることはわかっていた。
進藤先輩も、こっちの返答を心配しているのか、視界の端に俺を捉えている。
「誰もが絶望から這い上がれる学園…。俺には、それが正解かなんてわからねぇ。正しさなんて人それぞれだし、信じる道も同じだ。だけど、俺には進藤先輩が語る理想を、信じても良いと思えた。俺の手の届く範囲では、誰も死なせない。そのためにも、この人の理想は必要だと感じた。だから、進藤先輩に協力する」
素直に自分の気持ちを口に出せば、2人はそれに納得するように口元に笑みを浮かべてくれた。
「そうか、おまえがそう言うのであれば、私は―――」
紫苑が何かを言いかけた瞬間、誰かが食堂に入り、こちらに近づいてくるのを靴音から察する。
「へえぇ~、おまえってそう言うことを言う奴だったのか。退屈な奴かと思ったら、意外と面白いところもあるんだな」
その声に不快感を覚え、近づいてきた男に視線を向ける。
奴は進藤先輩に視線を向け、不敵な笑みを浮かべる。
「おはようございます、奇遇ですね。進藤先輩♪」
「仙水……」
陽気に挨拶する仙水とは対照的に、進藤先輩の表情は曇る。
交渉が始まって10分が経ったとしても、窓の外にはまだ登校する生徒の姿は見えない。
偶然というには、出来過ぎた遭遇だ。
「仙水、どうしておまえがここに……」
「さてね?偶然じゃないことは確かですけど、手の内を晒すには、まだ早すぎる」
仙水は話をはぐらかし、椅子を引いては腰を掛け、話に参加する意志を示してくる。
そして、進藤先輩から視線を外しては、俺と紫苑の方に笑みを向ける。
「あぁ~、なるほど。俺の中で合点が行きましたよ。どうして、あなたが1年生の特別試験に介入したのか。俺の仮説は正しかったってわけだ」
仙水は俺に指をさしてくる。
「進藤先輩を動かしたのは、おまえだった。可愛い後輩から頭を下げられ、ただの善意で協力したとも考えられるが、それだとおまえが《《ここに来る》》理由がない。おまえは、今回の生徒会長選挙で協力することを交換条件に出していたんじゃないのか?」
勘が鋭いな。
最初から俺の存在に目を付けていなければ、辿り着かない見解だ。
反論することなく、心の中で少しだけ感心していると、図星を突かれて黙っていると思っているのか、仙水は上機嫌に饒舌になる。
「進藤先輩も人が悪いですよ。こんな優秀な駒を手に入れていたなら、教えてくれれば良かったのに。おかげで、こっちも先手を打っていたのに、条件がほぼ互角になってしまった」
先手…?
その言葉に引っ掛かりを覚えていると、彼は紫苑に視線を向ける。
「そうだよな、鈴城紫苑。おまえとしては、願ったり叶ったりって所か?ずっと、勝負したがっていた相手の1人だろ」
その問いを聞き、俺たちの視線が彼女に集中すれば、Sクラスの女帝は平然とした表情からフッと傲慢な笑みに変わる。
「確かに、理想的な形ではある。退屈凌ぎのつもりだったが、少しはマシな展開になってきたようだ」
仙水は紫苑の傍らに立ち、その肩に手を置く。
「悪いですね、先輩。先約は、俺だったみたいだ。《《1人の》》後輩に現を抜かしているから、こういう展開になる。Sクラスの女帝は、俺がもらいますよ」
仙水から不敵な笑みを向けられ、進藤先輩の表情が少し険しくなる。
「おまえがここに来たのは、彼女からこの密会のことを聞いたからか?」
「そうですねぇ~。鈴城から話を聞いて、すぐに思ったんですよ。先輩が俺に出し抜かれたって知ったら、少しは敵として認識してくれるかなってね。おかげで、その余裕さが少し崩れているのが、確認できたってわけだ」
言われるように、先輩の顔から余裕は消えている。
手を伸ばしていたものを掴み損ねたら、どんな人間にも大なり小なり動揺を感じる。
それは進藤先輩も同じだ。
紫苑を敵に奪われ、精神的ダメージは少なくないはずだ。
俺は仙水と紫苑を、目尻を吊り上げて睨みつける。
「あんたのやり方は理解したよ、仙水先輩。それでも、紫苑を味方に付けただけで勝てると想ってるなら、詰めが甘すぎるんじゃねぇの?」
「おっと、これは思ってもなかった方向からヤジが飛んできたもんだ。進藤先輩はどうかわからないが、おまえの心には火がついてくれたようだな、椿円華」
歯を見せて愉快そうな笑みを向けてくるのが、癪に障る。
人を怒らせて楽しんでる…というより、敵意に火をつけることに喜びを感じているのか。
はた迷惑な趣向だぜ。
進藤先輩は眼鏡の位置を、左手の中指で正した後で紫苑に声をかける。
「鈴城紫苑、俺たちが何を言おうとも、その考えが変わるとは思えない。この場所に、俺たちがそろっている。この時点で、もう答えは出ていると見て良いんだな?」
「ああ、その認識で構わない」
彼の問いに対し、紫苑はさも当然という顔で肯定を示した。
交渉は決裂した。
しかし、進藤先輩は既に頭を切り替えているのか、冷静さを取り戻している。
仙水はこの状況に満足したのか、紫苑から離れては俺たちに背を向けて出口に向かって歩き出す。
「それじゃ、お互いに頑張りましょうね、進藤先輩♪」
不快さを感じさせる陽気な挨拶をして去っていくのを確認した後で、残された紫苑は俺に身体を向ける。
進藤先輩は、気を遣ったのか「先に出ている」と言ってその場を後にした。
静かな食堂に居るのは、もう2人だけになる。
「一応、この機会に確認をしておこう。今回の選挙戦において、あの約束は適用されない」
「……どういう意味だ?これは、おまえの望んだ勝負のはずだろ?」
取捨選択試験の時に提示された、協力することを条件とした約束。
それは、紫苑と勝負をすること。
どんな形で戦うのかは、後日伝えると言われていたが、それはこの選挙戦とは関係ないという。
俺たちは今、敵対関係になることをお互いに認識した。
しかし、これは例外というのは違和感があった。
「私はこの生徒会長選挙において、私情を挟むつもりは毛頭ない。好奇心よりも優先して、やらなければならないことがあるのでな」
「何だよ、おまえのやらなきゃいけないことって」
「おまえにはおまえの目的があるように、私には私の使命がある。それを互いに詮索するのは、無粋と言うものだろう」
使命。
その言葉を口にする紫苑からは、強い覚悟を感じた。
そこには、Sクラスの女帝としての傲慢さはなく、1人の戦士のような風格があった。
「円華、おまえはおまえの目的のために進藤先輩を勝たせれば良い。私も、そのつもりでやらせてもらう」
紫苑はそう言い、「そろそろ人が集まる時間だ、教室に行こうじゃないか」と話を区切り、俺たちは食堂を出て校舎と花園館に分かれて歩き出した。
紫苑にも、紫苑の抱えている何かがあり、それが俺と敵対することに繋がっているのかもしれない。
それでも、こっちにも譲れない目的がある。
例え女帝が相手でも、一歩も引きさがるつもりはねぇぜ。
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