貸し借り
取捨選択試験発表の翌日、昼休み。
午前中からギスギスした空気が流れ、授業中も疑心暗鬼の目はそこら中に散りばめられていた。
それは教室だけでなく、廊下に出ても痛いほどの視線などを浴びていた。
この状況を、内通者はどう思っているのかはわからない。
しかし、奴らは今日も例のメールを送ってきた。
その内容はこうだ。
『1年Dクラスの伊勢園子は、住良木麗音をブサイクだと思っている』
今回はただの悪口だけど、女子って人前では笑顔でも腹の奥底では何を考えているのかわからないもんだよな。
このメールから分かる通り、特別試験に自分の存在を利用されようとも噂を流すことを、犯人は止めるつもりは無いらしい。
1週間後までに特定することができなければ、ずっとこの流れが卒業まで続くかもしれない。
想像するだけでぞっとするぜ。
この行動から察するに、敵は自分が特定されることを微塵も想定していないんだろうな。
それか、特定されても退学にならないと思える何かがあるのか。
どっちにしろ、表に引きずり出さなきゃ話にならねぇ。
そのための方法は、昨日の内に糸口は見えていた。
実行に移すためには、より多くの情報と技術、そして権限が必要だ。
前者2つの方はクラスの中で、助けを願える人物が居る。
しかし、最後の1つは話が別だ。
今まではBCが居たから、気乗りはしなくても生徒会の力を借りることができた。
それが今では、あいつが生徒会長の座を降りたことで、俺を敵視している奴も動き出そうとしているという話だ。
迂闊に接触しようとすれば、痛い目を見るのはこっちだ。
だったら、手は限られてくる。
今の生徒会の手を借りることができないなら、その権限の一歩手前に助力を求めることにする。
その人物のことは、既に朝の内に電話で待ち合わせの予約をしてある。
他言無用の空間を作るため、4限が終わり次第屋上に来てもらうように頼んである。
俺は屋上への階段を上がり、ドアノブを握って押し開けた。
すると、待ち人の凛とした立ち姿が視界に飛び込んできた。
「あれぇ……早すぎじゃねぇすか、先輩?」
「4限が終わり次第、すぐに来いと言ったのはおまえだ。呼び出した本人が遅く来るのは、褒められた話ではないな、椿」
眼鏡の位置を正し、進藤先輩は腕を組んで鼻から息を吐いた。
「上級生、それも次期生徒会長選挙の準備で忙しい身の上の者を下級生が気軽に呼び出す。並大抵の案件では、あまり良い思いはしない行為だ。しかし、俺はおまえが軽い気持ちで呼び出したとは思っていない。理由を聞こうか?」
先輩には、敢えて電話では事情を話していない。
言葉だけで伝えるには、今回の作戦は少々複雑だからな。
それに顔を見て話したいと思ったのは、先輩が俺が出す条件に対してどう反応するのかを見たかったからだ。
「理由を話す前に、確認したいことがあります。先輩は1年生の間で、新しい特別試験が行われていることは知っていますか?」
「3学期が始まって早々のこの時期に?奇妙な話だな。俺たちの世代では無かったことだ」
「原因は、最近鬱陶しいほど流れてる噂話です。先輩も、耳にしたことはありますよね」
「……詳しく聞こうか?」
先輩は顎を引き、目尻を吊り上げる。
俺は進藤先輩に、3学期が始まってからの特別試験発表までの経緯を話した。
すると、彼は話の最中は神妙な面持ちになっていたが、説明を終えると目を閉じて口角を少し上げた。
「なるほど、要するにその内通者を見つけ出さなければ、その疑心暗鬼の状態が継続する可能性が高いと……。それで、おまえは俺に何を求める?」
「求めるなんてとんでもない。俺は先輩の手助けをするために、好感度アップの機会を提供したいだけですって」
満面の笑みで言ってやれば、進藤はフッとこっちの心を見透かしたように笑う。
「思ってもないことを言うのはやめろ。自分の目的のために、俺すらも利用しようとする。そう言う強かな者は、嫌いじゃない。本心を語れ、おまえと俺の仲だろう?」
包み隠さずに本性を現せ、右手を軽く前に出して促してくる。
上辺だけの関係で終わらせる気はないってことか。
上等だよ。
「……そうっすね。俺と先輩の仲ですもんね。じゃあ、お言葉に甘えて」
作り笑みを消し、先輩だろうと関係なく冷たい目を向けた。
「俺を…俺の仲間たちを、邪魔しようとしている奴が居る。そいつを排除するために、あんたの力を貸してくれ。進藤大和」
俺の目から放つ威圧を受け止めても、進藤大和は笑みを絶やさない。
「おまえに協力することで得られる、俺の利益は何だ?」
「そんなこと、わざわざ言わなくてもわかってんじゃねぇの?」
「互いに想定している利益を確認するのは、交渉する上で大事なプロセスだ。それを聞いた上で、その話に乗るかどうかを判断させてもらおう」
この状況でも、俺を試そうとするスタンスは変わらないみたいだ。
気に入らないと思いながらも、それに乗らなきゃ話にならない。
「あんたが俺に協力することで、得られるものは2つだ」
左手の人差し指と中指を立てて見せ、一応説明する。
「1つは、今回の1年生の特別試験を覆した結果として、あんたの功績が残る。来たる生徒会長選挙で、1年生からあんたに流れる票は増える可能性が高い。それは生徒会長を目指す上でプラスだろ?」
「それは確かにありがたい。では、もう1つは?」
「あんたはこの一件で、俺に貸しを作ることになる。俺は貸し借りをすぐに解消したい性格でさ。だから……」
俺は自分から、進藤大和に対して右手を差しだす。
「その生徒会長選挙で、あんたに協力するぜ。あんたに対して、誰がどんな妨害をしようとしても、俺があんたの障害を取り除く」
今回の試験の先で、生徒会長選挙を見据えた契約だ。
取捨選択試験を乗り越えた先で待っている存在。
それを討ち取るために基盤は固めておく。
彼は差し出された右手をじっと見つめた後で、俺と目を合わせる。
「確かに、何の縁も無くおまえの助力を求めたのは早計だったかもしれないな。俺はずっと、おまえの実力を見ていた。しかし、おまえは俺のことを知らない。この契約は、おまえが俺の実力を試すために必要な手順になると言うことだな」
「捉え方はあんたの自由だ。だけど、あんたが協力してくれるなら、俺は迷わずに恩は返すぜ」
「ギブアンドテイクと言うわけだな。シンプルでわかりやすい関係だ。まずはそこから、お互いの信頼関係を築いていこう」
進藤は俺の手を取り、強く握ってくる。
その手はまだ冬だと言うのに、温かさを感じさせる。
異能力の影響で、常に冷たい俺の手とは対照的だ。
契約成立の握手を交わし、そこに自身の空いている手を重ねて置いてくる。
「小さな手だ……。しかし、この手には数えきれない程の人の想いが宿っている。おまえの強さが、感じ取れるようだな」
「美化した言い方をしても、意味なんてねぇよ。背負っているのは、ほとんど怨念だ。血に塗れた手なんて、そう長く握るもんじゃない」
俺が手を離せば、進藤先輩も両手を退けてくれた。
そして、早速本題に入ってくれた。
「俺が協力できるとすれば、やはり、おまえたちの準備が終わった後になるだろう。これは時間との勝負になるぞ?今日を含めても1週間しかないのだからな」
「そこは段取り良く進めるって。俺にとって一番の課題は、今のところはどうやってあんたの協力を取り付けるかだったんだからな」
「それがクリアできた今、事はスムーズに進むと考えて良いんだな?」
「多分な。確証は持てねぇけど、やれるだけはやる」
俺が頭の後ろに手を回して目を逸らせば、進藤は呆れ顔になる。
「そこは自信を持って『大丈夫だ』と言って欲しかったな」
「悪かったな、過度な期待はさせねぇ主義なんだよ」
半目でバツが悪い感じに言い返したら、「そういう所は、似ていないんだな」と呟く進藤。
それに対して、目を逸らして俯いてしまった。
「あのさ……一々、姉さんと比べるのやめてくれねぇか?俺が涼華姉さんよりも劣っていることなんて、自分が一番良くわかってるんだからさ」
「……そういう意味で言ったわけではないのだが。しかし、気分を害してしまったのなら、謝ろう。すまなかった」
軽く頭を下げられると、それもそれで気が重くなる。
真面目過ぎるぜ、この人。
目の前にしているだけで、こっちも肩に変な力が入っちまう。
こっちが気疲れしていると、「椿」と名前を呼んでは急に進藤先輩の表情が変わる。
真剣で力強い眼差しで、俺のことを見てくる。
「言うまでもないことだとは思うが……死ぬなよ?」
それは、どこまで見透かした上で出てきた言葉なのかはわからない。
この人は俺よりも長くこの学園に居るわけだから、当然退学=死のルールは知っているはずだ。
今行われている試験の中で、万が一にも俺が敵の策略にハマってしまわないとも限らない。
そう言う心配をしているのかと推測されるけど、それにしては進藤先輩の目からは並々ならない想いを感じる。
それに対して、ありふれた言い方で返すのは違うと思った。
「よっぽどのことが無い限り、死ぬつもりで生きている奴なんて誰も居ない。俺だってそうだ。いろんな奴らに恨まれて、疎まれて、化け物みたいに扱われて、死んだ方が楽になるって思ったことが無いわけじゃない。でも……」
過去に奪ってきた命が、俺を地獄に引きずり降ろそうとする夢なんて何度も見てきた。
この先も、生きている限りその夢を何千回、何万回と見ることになると思う。
死を意識することだって、この先に無いなんて言えない。
それでも、その度に姉さんや椿家のみんな、師匠などの俺を支えてくれる人たちのことが頭に浮かんでいた。
こんな俺に、生きても良いと思わせてくれる人たちが居た。
そして、今は後ろから支えてくれるだけでなく、隣に立ち、共に居てくれる仲間が居る。
かけがえのない存在が居る。
「俺は死なない。例え誰が俺を殺そうとしたって、死ぬことなんて許されない。姉さんの復讐を遂げて、あいつらを守るという目的がある。だから、誰が何をしようと、俺は死なないし……俺の仲間も、誰も死なせない」
俺の決意を聞けば、進藤はノーモーションからポンッと頭に手を置いてきた。
「……お、おい、この手は何だよ?」
「その言葉を聞いて、安心した。前に会った時もそうだが、おまえにはちゃんとした指標がある。それに自分で気づいている。自分の中にある、譲れない根源を知っている者は、今よりももっと強くなれる」
そう言って手を離し、「椿先生が、俺に言ってくれた言葉だ」と締める。
「姉さんが……そんなことを」
「あの人は、俺たちに多くの言葉を残してくれた。また時間があるときに話そう」
話を切り上げて、進藤大和は出口に向かう。
「進展があったら、また連絡してくれ。期待しているぞ」
「うわー、プレッシャー。気が重ーい」
軽く受け流しながら先輩の背中を見送る。
姉さんの生徒だった男。
そんな人と手を組む日が来るなんて、思いもしなかった。
あの男が俺を見定めたように、こっちも試させてもらうぜ。
あんたが、この学園の生徒として頂点に立つ器があるのかどうかをな。
もしかしたら、俺のこれからの復讐に必要なカードになるかもしれねぇからな。




