認識の違い
円華side
週末の終礼の後、俺はリュックを担いで教室を出る。
成瀬が独りで帰っていくのを追うように、基樹が「先に行くわ」と言って離れていった辺り、彼女のことを気にかけてのことだろうな。
恵美も麗音や久実と一緒に女子組で帰ってしまい、1人残されたわけだ。
まぁ、あいつらに関しては、麗音の付き添いの面が強いだろうな。
3学期になってから、麗音の体調がおかしいのは確かだ。
体調管理を怠るような奴じゃないし、今回の噂騒動に振り回されるような奴でもない。
何か他に理由があるとしても、それは男子が踏み入れることじゃないのかもしれねぇ。
と言うことで、結果的には1人で帰ることになったわけだけど、玄関が近くなった所で「椿くん」と俺を呼ぶ声が聞こえた。
横目を向ければ、クラスの下駄箱の前に伊礼が立っている。
やべっ、考え事してて存在に気づかなかった。
見ると、彼女は手を重ねてモジモジとして俯いている。
「……伊礼、どうした?帰らねぇのか?」
「か、かか、帰りたい…んだけど、その…椿くんに、聞きたいことが、在って……」
そう言う伊礼の瞳は、不安と葛藤によって左右に揺れている。
俺に何か確かめたいことがあるってことか。
「少しだけ、時間もらっても……良いかな?いや、でも、何か予定があるなら、そっちを優先してもらっても良いんだけど……」
まるでそうであることを願うかのように、遠慮してくる。
その態度に、引っ掛かりを覚えた。
「そう言う意味じゃ、ラッキーだったな。何の予定もねぇんだよ。伊礼に付き合うぜ」
「そ、そうなんだ……。本当に、ごめんね?大事な話だから……人に、聞かれない所が良いんだけど…」
よほど重大な話らしい。
そう言われると、そんな人が来ない所なんて限られてくる。
放課後の学校なんて、部活動とかで人が散らばるし、そんな都合のいい場所を探すのは難しい。
伊礼の性格から、恵美みたいに何の警戒も無しに俺の部屋に上がってくることもねぇだろうし、俺が彼女の部屋に上がるのも論外だ。
とりあえず、2人で校舎の中を回り、使われていない選択教室を見つけて使わせてもらった。
教室に入るや否や、彼女は机の上に鞄を置き、スマホを取り出して俯く。
「あの…ね。答えたくなかったら、それで良いんだけど……。私が今から聞くことに、答えてもらっても……良いかな?」
身体と声が震えており、今から言おうとしている言葉を、望んでいた環境になっても出すのを躊躇っているように見える。
伊礼は今、自分の勇気を試されているのかもしれない。
俺はその恐れを抱いている顔から、何を聞かれるのかは大体察していた。
それでも、彼女は周りに人が居る状態ではなく、敢えて2人の状態で聞くことを選んだ。
その俺に対する配慮と覚悟に応えないわけにはいかない。
彼女が事実と向き合おうとしている勇気を、受け止めないわけにはいかない。
そして、伊礼は顔を上げ、両手でギュッとスマホを握りながら聞いた。
「椿くんは……どうして、この学園に来たの?」
ここで「何でそんなことを聞くんだ?」って返すのは簡単だ。
だけど、それは伊礼の疑念を増長させることになる。
それは望むところじゃない。
これから先のことを見据えて、俺は事実をそのまま口に出した。
「姉さんを殺した犯人への復讐。それが、俺が才王学園に来た目的だ」
伊礼はビクッと肩を震わせ、目を見開いてしまう。
その表情から、彼女が抱く不安と恐怖の正体を確信した。
「それは……冗談、じゃ、無いん…だよね」
「こんなことを冗談で言えるほど、情緒不安定じゃねぇよ。それで?聞きたいことは他にねぇの?」
他にもあるなら答えると言って促すと、伊礼は目を伏せる。
「お姉さんのことは……聞いちゃ、いけないんだよね?」
「どうして、そう思うんだよ?」
「だって、今の椿くん……その、お姉さんの事を言う時、とても……恐かった、から」
やっぱり、復讐のことを考えている時の俺は無意識に威圧的になるみたいだ。
これは前からだからしょうがねぇな。
「悪いけど、そうしてもらえると助かるぜ。これ以上話すと、多分、今よりもおまえを怖がらせそうだからさ。伊礼を泣かせたら、久実辺りにぶん殴られそうだし」
今度は冗談を含ませながら苦笑いで言えば、空気が和らいだのか少し微笑んでくれた。
だけど、彼女の中で俺への恐怖が消えたわけじゃない。
ただ、疑念が確信に変わっただけだ。
これ以上、俺と言う復讐者の心の内に踏み込むことはできない。
それを直感しているように思う。
本当なら、復讐の意味や、この学園と何が関係しているのかが疑問に思うはずだ。
だけど、それを明かすのは今じゃない。
スマホを握る力が緩くなり、画面を胸に当てて安堵のような息を吐く伊礼。
「やっぱり、椿くんは……良い人、なんだね。こんなことに振り回されるなんて、私って本当にバカだなぁ…」
「……こんなことって言うのは、例のメールのことだよな?」
俺が自己開示したことの効果なのか、彼女は素直に頷いてくれた。
「今日、私の所に椿くんのことが書かれたメールが届いたの。そこに、あなたが復讐者だって書かれてたんだ。だけど、それだけじゃなくて……」
口から出すのが憚られるのか、スマホの画面を見せてくれた。
ー--
1年Dクラスの椿円華は復讐者である。そして、クラスを崩壊させることを画策して皆殺しにしようとしている、人の皮を被った化け物だ。
ー--
この前、成瀬から見せられたものと似たような内容だ。
だけど、あいつの時と違って証拠となる動画は添付されていない。
そこに違和感を覚えたけど、頭の片隅に置いておく。
「復讐者ってだけじゃなくて、化け物……か」
あくまでも初めて見た風を装って呟けば、伊礼はあわあわと両手を振る。
「さ、流石に私も後半の方は信じてなかったよ!?椿くんが、クラスのみんなに酷いことをするなんて思ってないから。人の皮を被った化け物だなんて、本当に酷いよね」
悲しそうな言う彼女の優しさに、「別に気にしてねぇよ」と返す。
あながち、間違ってねぇからな。
伊礼の中の不安にとりあえずの折り合いはついたのか、さっきまでの震えは収まっていた。
そして、胸のつっかえが取れて満足したのか、彼女は鞄の紐を肩にかけた。
「ごめんね、私のために時間を割いてもらって。でも、本当は言いたくなかったよね、その……目的、のこと」
直接復讐と言うのは恐いからか、目的と言う言葉で濁された。
「まぁ、聞かれなきゃ言うことでもねぇしな。知っているのは、伊礼だけじゃねぇし。話したのはおまえが初めてじゃねぇよ」
「そ、そうなんだね……。あの、安心してね?私も、このことは他言しないから。ま、まぁ、私の場合は、言うような友達が居ないから、そんな心配はいらないかな…ハハハッ」
自嘲するように苦笑いする伊礼。
「久実と最近仲良いように見えたけど、あれは違うのかよ?」
「く、久実ちゃんは……私が可哀想な女に見えるから、善意で仲良くしてくれてるだけなんじゃないかな。だって、あの子は誰とでも仲良くなれるから……」
どこまでも自己評価が低い所は、2学期の時から変わってねぇな。
思えば、体育祭の後で彼女とはほとんど関わって無かった気がする。
「久実はそんな頭良くねぇよ。それに良くも悪くも自分に正直な奴だ。あいつがそんな、誰かに気を遣うなんて所、想像できねぇけど」
「そ、そんなことないよ‼2学期末の時だって、石上くんとの勉強会に私を誘ってくれたし……。良い子なんだよ、久実ちゃんは」
久実をバカにされるのは我慢できないのか、伊礼の目力が強くなる。
「……きっと、あいつも俺が伊礼について悪口を言ったら、おまえぐらい…いや、おまえ以上に怒ってくると思うぜ?」
口角を上げて言えば、感情的になったのが恥ずかしかったのか、両頬に手を当てて顔を真っ赤にする。
「ご、ごごご、ごめんなさい…‼私……そんな、つもりじゃなくてぇ…」
「だからさぁ~。伊礼は、深く考えすぎなんじゃねぇの?俺はおまえと久実が仲良くしていても、別に変には感じねぇけど」
俺からの素直な感想を聞き、伊礼は自信無さげな目を向けてくる。
「本当に……そう思う?」
「まぁ、あくまでも俺個人の意見だけどな。試しに今度、遊びに誘ってみろよ。きっと、2つ返事でOKを出すと思うぜ?」
言った後で無責任だったかと思ったけど、それは伊礼の背中を押すことができたらしい。
彼女は笑顔で強く頷いてくれた。
「じゃあ、後で久実ちゃんに聞いてみるね!」
元気を取り戻してくれたようで良かった。
俺の存在を受け止めてくれたクラスメイトが、ずっと俯いた顔をしてたらいい気はしねぇしな。
伊礼の気持ちが晴れた所で、俺たちは選択教室を後にした。
ー----
教室を出てすぐの廊下で、その近くに知っている男子を見かける。
そして、そいつは俺と伊礼の方に歩み寄ってきた。
「女を連れ込んで、空き教室で何をしてたんだよ?椿円華」
まるでスクープを見つけるために張り込んでいた記者のように、男は嫌味な目でこっちを見てくる。
それに対して、俺は何の気ない顔を向けて言った。
「戸木、おまえが声をかけてくるなんて珍しいな。やっと、俺への疑いが晴れたのかよ?」
戸木は川並や入江のグループに居る男だ。
だけど、あの2人が俺のことを受け入れてくれた後から、妙に付き合いが悪くなっているのはわかっていた。
こいつは、ずっと俺に対して懐疑的な目を向けていた。
相対している今は、敵意を含んでいるように感じる。
「聞いてるのはこっちだ。質問に答えろよ。話をはぐらかすつもりなら、先生を呼んできて、じっくり問い詰めてもらっても良いんだぜ?」
脅しのやり方が小学生だな、おい。
隣で見ている伊礼は、俺と戸木を交互に見ては取り乱しそうになっている。
ここは、これからの下らないやり取りに巻き込まない方が良さそうだな。
「伊礼、先に行ってくれ」
「えっ…?でも……」
「早く久実と話せた方が良いだろ?早ければ、土日に予定ができるかもしれねぇし、時間が経ち過ぎるとチャンスを逃すぜ?」
俺の意図を察してくれたのか、彼女は渋々頷いては「じゃ、じゃあね」と俺に心配する目を向けたまま行ってくれた。
やはり、難癖を付けたいのは俺だけのようで、戸木は伊礼を止めようとはしなかった。
「伊礼には、久実のことで相談に乗っていただけだ。おまえが思ってるような、思春期の妄想とは関係ねぇよ」
下らねぇイチャモンを付けてくる奴には、こっちも下らねぇ言い方で返す。
それが癪に触ったのか、あいつは目付きを鋭くさせる。
「そんなことはどうだって良い。椿円華……俺は、おまえのことを認めない‼」
指をさされ、怒りを込めた目で言ってきた。
いきなり否定する言葉を浴びせられ、俺は怒りを通り越して「は?」と呆気に取られてしまった。
素で呆れた顔になってしまい、首の後ろに手を回して視線を横に逸らす。
ダメだ、相手をする気にもならねぇ。
こいつ、一体何を言ってんだ?
「入江や川並、成瀬さんや石上たちのことは騙せても、俺はそうじゃない‼おまえは、みんなを陥れようとしている。そうだろ!?」
ダメだ、何の脈絡もない言いがかりに頭が痛くなりそうだ。
「……一応聞くけど、何でそう思うんだよ?おまえ、まだ夏休みの時に送られたメールを気にしてんのか?」
「それだけじゃない‼この前、おまえの本性が書かれたメールが届いたんだ。おまえが、人ならざる化け物だってな‼」
こいつ、メディアリテラシーって言葉を知らねぇのか。
「おまえがみんなを陥れようとしたって、そうはさせない。おまえがみんなをどう取り込んだかは知らないが、俺は断固としておまえを認めない‼絶対にだ‼」
1人で舞い上がって宣言してくる戸木に対して、こっちはただただ気持ちが冷めていく。
うっぜぇ……。
相手にするだけ、時間の無駄だな。
俺は足を進め、戸木の横を通り過ぎる。
「待てよ、逃げるのか!?」
アホの三下が吐きそうなセリフを恥ずかし気もなく言う奴に対して、振り向き様に冷たい目を向ける。
「別におまえが認めようが認めまいが関係ねぇよ。俺は俺のできることをするだけだ」
軽く殺意にも近い威圧をするだけで、あいつは肩を震わせた。
言うべきことは言ったので、俺は前を向いてその場を後にする。
そして、廊下を進んでいる間に、すぐに後ろでドアを強く蹴る音が響いた。




