水やりの合間に
4限までの授業が終わり、昼休みになれば、恵美たちとは別行動で昼食を済ませて職員室に向かった。
しかし、あのサングラス男の姿は無かった。
「あれ、椿くん?どうしたんですか?」
探し人が居なかったがために棒立ちになっていると、後ろから仲川先生の声が聞こえたので振り返れば、顔が近かったために両肩がびくついた。
「近っ‼……岸野先生に用事があったんですけど、あの人は居ないみたいですね。この時間、どこに居るのか知ってますか?」
「先生は大抵、この時間は化学室に居るはずですけど……。でも、さっき訪ねたら居なかったんですよね。私も捜しているんですよ」
「仲川先生も…?ったく、あのキャンディー依存症、どこに行ったんだよ…」
頭の後ろを掻きながら悪態をつけど、それは気にせずに彼女は流してくれた。
「昼休みが終わるまでには戻ってくると思いますけど、職員室の中で待ちますか?」
「流石にそんな度胸無いですよ。わかりました、そこらへんを歩きながら捜してみます。それじゃ」
軽く挨拶をして職員室を離れれば、各クラスの教室から出てきた生徒の呟きに耳を傾ける。
「さっき、辰崎さん、トイレで泣いてたよね…」
「間田さんのあの噂、本当だったのかな……。教室の中で気まずそうにしてたし」
「池田のストーカーの件さぁ、前々から危ない奴だって思ってたんだよねぇ」
案の定、それぞれのクラスでもクラスメイトの噂を話し合っている感じみたいだ。
だけど、聞こえてきた声から察するに、Dクラスのように騒ぎになるほどじゃなかったんだろうな。
それは争うことを避けたが故か、それとも面倒事は御免と言う心理なのかはわからなねぇど。
Aクラスの前を通れば、調度中から薄い赤髪の知り合いが顔を出してきては目が合う。
「あっ……椿くん。ヤッホー、あけましておめでとう‼…って、もうこの挨拶は遅いかな?」
和泉要の笑顔を見て、一瞬だけ反応が遅れてしまった。
「年明けの挨拶って意味なんだし、まだ良いんじゃねぇの?まぁ、そう言う形式ばったのはそこまで気にしてねぇから良いけどさ」
あくまで平然とした態度で言葉を返せど、彼女の笑顔を間近で見ると違和感を抱かずにはいられなかった。
本人はいつもの陽気な笑顔を見せているつもりなんだろうけど、その表情からは疲れが見えて、空元気にしか感じない。
教室の方を見れば、彼女の側近は見えない。
「雨水はどうした?別行動しているなんて珍しい」
雨水の名前を出せば、和泉は視線を逸らす。
「あぁ~、雨水はね……。最近、体調を壊しやすいみたいで、今日は学校を休んでるんだ。でも、大丈夫!私は1人ってわけじゃないし、クラスのみんなが居るからね」
心配をかけないように言っているようだけど、『クラスのみんな』って言葉が引っ掛かった。
「Aクラスは、あの書き込みについて何か変なことは起こらなかったのか?」
「うん、特に何も無かったかな。宇垣くんの人柄はみんな知ってるし、信頼もしてる。本人も気にしてる様子は無かったかな」
まぁ、本人が幼女趣味だとしても、法律に触れない範囲なら『勝手にしてくれ』ってなるよな、普通。
騒ぎにならなかったってことは、宇垣という人物はクラスの中で妬みを買うような奴じゃなかったってことか。
あの程度の書き込みで揺らがないなら、Aクラスの結束は本当に硬いってことかもしれねぇな。
俺たちのクラスも見習ってほしいもんだぜ。
「石上くんの様子はどうだった?彼、真面目だから、思い詰めたりしてない?」
「あいつは、謂れのない噂で気が滅入るような男じゃねぇよ。まぁ、何も無かったかって言われたら、そうじゃねぇけどさ……」
要約してDクラスで起きたことを話せば、和泉は頬をかいて苦笑いを浮かべる。
「凄いなぁ~、成瀬さん。私だったら、そんなはっきりと言える自信が無いよぉ」
「それこそ、信頼関係って奴だろ。クラスの大体は、成瀬の人柄も実力も認めてる。だから、発言力も高い。それは、和泉も同じなんじゃねぇの?」
あくまでも推測で聞くと、彼女はそれに頷くことはなかった。
「どうなの…かな?自分じゃ、よくわからないよ。でも、クラスは仲が良いし、私の足りない部分はみんな協力してくれている。みんなの期待に応えるためにも、私も頑張らないとって思うんだ」
仲が良くて、リーダーの不足分を補うクラスか。
そして、その協力に応えるために、リーダーは自身の力を高めようとする。
もしかしたら、正攻法で行けば理想的なクラスなのかもしれねぇな。
並大抵の努力で成立するような集団じゃない。
これも一重に、おそらくは和泉の人柄と実力の賜物なんだろう。
その言葉の1つ1つからは、本心でそう思っていることが伝わってくる。
だからこそ、俺の中で和泉とAクラスという集団がわからなくなる。
恵美と紫苑、雨水の見解から見えてくる不可解な部分。
彼女は何か、大きな秘密を抱えている。
そして、それは和泉だけでなくAクラス全体の問題なんじゃないだろうか。
だけど、今はそれについて追及するつもりは無い。
今回の出会いは偶然のことだし、和泉が表面上は元気なことが確認できたくらいで十分だ。
それにしても、雨水が体調を崩したということが気になるけど……。
時計を見れば、立ち話だけで5分が経過している。
昼休みも残り20分しかない。
「じゃあ、そろそろ俺も行くぜ。立ち話に付き合わせて悪かったな」
「ううん、久しぶりに話せて嬉しかったよ。またね」
「ああ。雨水に会ったら、『執事が体調管理を怠ってんじゃねぇよ』って伝えておいてくれ」
伝言を頼んで離れようとすれば、あいつの名前を出しただけで笑顔が曇るのがわかった。
ーーーーー
校舎の中を見ても担任の姿は見当たらず、校庭に出れば、ランチを終えた生徒が弁当箱などを持って教室に戻っていく。
その中で残っているのは、花壇にじょうろで水を与えている長身の男だけ。
服装は神父服であり、前に見たのは1度だけだがとても印象に残っていた。
恐る恐る近づいてみると、男は俺の気配に気づいて横顔を向けてきた。
「この雰囲気はぁ……。君ですか、椿円華くん?」
後ろに目があるのか、この男は。
名前を呼ばれ、堂々と歩み寄ることにした。
「何で俺だって気づいたんですか、ヴォルフ理事長?」
「1度会った生徒のことは、覚えているものです。特に君のような特殊な生徒は、独特なオーラを放ちますから、気づきやすいのですよ」
開いているのかもわからない糸目で俺に視線を向け、口角を上げる。
「無事に3学期を迎えることができて何よりです。Dクラスへの昇格、おめでとうございます」
「……びっくりしました。クラスの移動についても把握してるんですね」
「当たり前ですよ。この学園の理事を任されているのですから、常に小さな変化にも気を使うものです」
ヴォルフ・スカルテット。
前から思っていたが、この男からは感情というものを感じない。
貼りついたような笑顔だけど、初めて会った時にカルル・ヴァリアに向けた威圧的な笑みは忘れられない。
警戒しなければならない者の内の1人として見ている。
理事長と言うことは、緋色の幻影の関係者である線は濃厚だからな。
それでも、あの時カルル・ヴァリアから俺を助けてくれたことは確かだ。
学園側からしてみれば、邪魔者でしかない俺のことを擁護した理由は、今もわからねぇけど。
理事長と並んで立っていると、彼は花壇に水をかけながら言葉を続ける。
「君とこうして、もう1度会うことができるとは思っていませんでした。君とは、1度ゆっくりと話し合いたいと思っていたのですよ」
「元・軍人の生徒って言うのは、やっぱり興味が湧くものですか?」
「確かに、それも興味深い要因ではあります。しかし、私が興味があるのは、その特殊な事情に対してです」
ヴォルフ理事長は俺の方に身体を向け、貼りついた笑みを解いて真顔になる。
「君がこの才王学園に転入してきた理由……その熱意の根源だったもの。椿涼華先生の復讐。それがとても興味深い」
「……あんたも、それを知っていたのかよ」
姉さんの名前を出されれば、警戒心が強くなる。
敵意にも似た感情を表に出そうとすれば、その前に静かに「落ち着きなさい」と呟く。
その一言が自然と身体に馴染んでいき、警戒心が揺らぎそうになった。
「興味があると言っても、私は君の目的を邪魔するつもりは毛頭ありません。第一、君のその目的を否定する意志があるのでれば、転入手続きを許していない。そうは思いませんか?」
「そう言うなら……ずっと、気になっていたことがあります」
「何でしょう?私の答えられる範囲であれば、お答えします」
理事長も学園長も、俺の目的を知っている。
その上で、才王学園に入ることを許した。
ずっと、何か目的があるからだと思っていた。
でなければ、俺みたいな危険分子をわざわざ招き入れる理由がない。
今なら、緋色の幻影に近づけるかもしれない。
「どうして、俺みたいな復讐者をこの学園に入れることを許してくれたんですか?」
「……なるほど、単刀直入ですか。これも若者故なのか、君は相当恐れ知らずなようですね」
そう言いながらも、この質問を想定していたのだろう、動揺が見えない。
そして、口角を上げて軽く自身の顎を触る。
「困りましたねぇ。……まさか、君本人から直接、私に問いかけられるとは思っていませんでした。しかし、これもいい機会かもしれません」
この男、今の状況を楽しんでいるかのように、糸目の向こうの目を輝かせている。
「確かに、君の志望動機を見た時に教師の間で戦慄が走ったのは確かです。危険な思想を持った者を我が校に入れることを、反対する意見もありました。しかし、それでも私は君の想いの力こそが、この学園を変えてくれる要因の1つなのではないかと考えたのです」
「変える?……この学園を?」
俺が怪訝な顔を向ければ、ヴォルフ理事長は目を合わせてはっきりとこう言った。
「椿円華くん。私はですね……この学園をぶっ壊してほしいんですよ。君の持つ、混沌の力でね」
混沌の力。
その言葉を聞いたと同時に、彼の開眼した目が薄く蒼色に変化したような気がした。
それに反応するかのように、俺の左目が疼き始めてすぐに手で押さえる。
そして、頭にヴァナルガンドの声が響いた。
『甘ったるくて、気に入らねぇ匂いだ』
こればっかりは、獣の感想に共感する。
今の現象で、俺の中でヴォルフ理事長に対する警戒心が強くなる。
ヴァナルガンドが反応したってことは、組織と何かしら関係があることの証拠だ。
だけど、変な感覚だ……。
この男からは、高太さんに近い何かを感じた。
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