悪意なき賛辞
真央side
冬休みに入ろうと、僕の日常はそれほど変わらない。
生徒会の仕事が残っているため、毎日校舎へ出向かなければならない。
逆に授業が無いので、ずっと生徒会室に引きこもっている始末だ。
今も次の生徒会に雑務を残さないように、資料に目を通して整理している。
「石上、これも頼む」
伊藤先輩がデスクの上に、束になった紙の資料をドサッと置いていく。
それに対して苦笑いしながら「わ、わかりました」と返事をし、気づかれないように小さく息を吐く。
この資料全てをパソコンのデータファイルにまとめて残す作業を、冬休みが始まってからずっとしているけど、正直終わりが見えない。
これも桜田生徒会長が雑務をほぼほぼ後回しにしていたことが原因なのだけれど、もう生徒会を去る人に苦言を呈していても変わらない。
彼女はさっきまで椅子に座って黙々と承諾のハンコを資料に押していたけど、「飽ーきた!」と言って出て行ってから2時間は経っている。
あの人の自由奔放ぶりは、その役職が終わる寸前まで変わらない。
桜田奏奈が生徒会を去る。
生徒会長でなくなる。
その時期が近づいているにも関わらず、その実感が持てない自分が居る。
僕は彼女が去ろうとも、もちろん生徒会に残り、よりよい学園づくりに全力を注ぎたいと思っている。
だけど、その前に果たしたい目標があった。
それは、桜田奏奈に僕の実力を認めさせること。
彼女が生徒会に居る内に、それを実現するために努力してきたけど、もう不可能かもしれない。
SクラスからEクラスに自主的に降格した時から、その覚悟はしていた。
いや、体育祭で会長と椿くんに敗北した時から気づいていたんだ。
結局、会長の目には僕は映っていなかったのだと言うことを。
住む世界が違うというように、その実力を否が応にも見せつけられたのだから。
「石上、そろそろ休憩に入ったらどうだ?もう正午を回るから」
「ありがとうございます、森村副会長。では、今の作業が終わったら、昼食に行かせていただきますね」
返事をして好意に甘えては、森村先輩はハハっと乾いた笑いをする。
「君に副会長って呼ばれるのも、あと少しなんだな。ついこの前、副会長になったと思ったら、もう卒業だ。時が経つのは本当に早いよ」
「そうですね。僕もこの学園に入って、生徒会に入れていただき、もう1年が終わると思うと感慨深い気持ちになります。入学当初から、少しは成長できてると良いんですが」
前の自分を思い返しながら呟くと、肩を落としてしまう。
過去の地位に拘っていた自分が、今の僕を見たらどう思うのだろうか。
多分、愚か者だって怒鳴り散らすのかな。
「成長してるのかなぁ~?だって、ずっとSクラスだったのに、いきなり最下級近くまで落っこちちゃったんだよ~?成長というよりは、劣化の方だったりしてぇ~」
2年の駿河芽衣先輩に意地悪なことを言われ、視線を逸らしては笑って誤魔化しておいた。
この人の場合、まともに相手にしていると玩具にされる。
「確かに、石上が大幅に降格した時は全学年で少し騒ぎになったほどだ。今だから聞くが、1年の女帝に嵌められたのか?」
伊藤先輩が目を鋭くさせながら詮索してきたけど、ここで正直に答えるのは気が引ける。
この話をすると、希望の血のことに触れなければならない。
これは僕と会長、そして椿くんの間で決めた秘密なのだから。
「そうですね。鈴城さんには悔しい想いが無いと言えば、それは違います。でも、僕は逆にこの状態はポジティブに捉えているんです。E……いや、今のDクラスで自分の実力を高めれば、彼女に一矢報いることはできるんじゃないかって」
「それは……あの椿円華が居るからか?」
伊藤先輩から、椿くんの名前が出てくる。
その時、彼は少し怖い顔をしていた。
「椿くんは確かに心強いクラスメイトだと思っています。ですが、彼はやる気にむらがありますから、あまり頼りにしたらダメなんですよ。今のクラスで頼りになるのは、成瀬さんや住良木さんなどが中心ですかね」
「……それなら良い。あの男、椿円華はいい話を聞かないからな。十分に注意しておくことだ」
「彼はそこまで警戒しなければならない人ではありませんよ、先輩。少なくとも、柘榴くんや鈴城さん、木島さんたちに比べたら、大変好感が持てる友人です」
僕が彼に信頼を寄せていることを伝えれば、伊藤先輩の顔がさらに険しくなった。
しかし、すぐにいつもの無表情に戻った。
「1年の間で椿円華が注目を浴びていたのは元・軍人と言うこともあるが、それだけではなく、桜田生徒会長の親族だったことも理由としてあげられる。しかし、あの人が居なくなった後は、おまえも奴に対する身の振り方を考えた方が良いかもな」
逞しい両腕を組み、顎を引く。
「奴に対して手を出したくても出せなかった。そう考える奴も居るはずだ。だが、それも生徒会からの報復を恐れて行動に移せなかった。それなら、彼女が生徒会長の座を離れた後、そいつらはどうすると思う?」
桜田会長が去った後、椿くんに対する執拗な攻撃が始まる可能性があるってことか。
確かに、それはありえる話だ。
「それでも、僕は彼の友人で居たいと思っています。椿くんが危機的状況に陥った時は、迷わずに手を差し伸べるつもりです」
確固たる意思を示せば、伊藤先輩の目から光が消えては視線を逸らした。
「そうか。……その時は頑張れよ、石上」
そう言って、先輩は自分の業務に戻って行った。
今の会話での表情の変化から、1つだけわかったことがある。
伊藤先輩は、椿くんに対してあまりいい感情は抱いていない。
もしかしたら、さっきの話にあった生徒は……。
桜田先輩が去った後も、伊藤先輩は生徒会に残留するだろう。
その時の動向によっては、生徒会の中で衝突が起こることは避けられないかもしれない。
空気が悪くなりそうなのを察し、僕は自分の作業を終わらせて早々に生徒会室を後にして休憩に入った。
すると、そこには壁に背中を預けて腕を組んでいる会長が立っていた。
「会長!?こ、こんな所で何してるんですか?」
「気分転換の散歩帰りのつもりだったんだけど、壁越しに面白い話を聞いちゃったから立ち聞きしてたわ」
そう言って、彼女は壁を中指の関節でコンコンっと軽く叩いた。
壁越しに聞こえたって、そんなに壁は薄くないはずなのに……。
多分、出て行く時に部屋の中に盗聴器を忍ばせてたんだろう。
「戻ろうとしていたのだけど、あなたが出てきたなら調度良いわ。顔を貸しなさい、真央」
僕の返事も聞かずに歩き出した所から、元から拒否権なんてあるわけもない。
仕方なくついていけば、誰も居ない選択教室に通される。
「ここなら、誰にも話を聞かれることはないわ」
「誰かに聞かれちゃいけない話をするんですか?」
「まぁ……そうなるわね。プライバシーに関わることは、十分な配慮をすることは常識よ」
会長は椅子ではなく机の上に腰をかけ、脚を組んでこちらに視線を向ける。
そして、目を合わせてはフフっと笑う。
「良い目をするようになったわね。前のあなたとは大違いよ」
「えっ……どうしたんですか?いきなり。会長が僕にそんなことを言うなんて、何か企んでいるように感じます」
「酷いわねぇ~。これでも、以前よりはあなたには目をかけていたのよ?SクラスからEクラスに移動した時からね」
「それは、可愛い弟さんが居るクラスだったから、偶々視界に入りやすかったからってだけでは?」
図星を突かれたのか、会長はギクッと肩を震わせては顔が引きつって視線を逸らす。
「や、やるようになったわね、真央。洞察力も、幾分かはレベルアップしたんじゃないかしら?」
この場合、洞察力は関係ないと思うけど、その言葉は胸に仕舞っておこう。
会長は「でも」と言って、からかうような雰囲気から真剣なものに変わる。
「確かにあなたは成長しているわ。あのままSクラスに留まったままだったなら、今、あなたは私の目の前に居なかったでしょうね。そう言う意味では、円華の導きがあったとしても、正しい選択をしたということね」
「……そう、なんでしょうね。会長としては、この展開は面白くなかったんじゃないですか?どう見ても、椿くんの予想していた展開通りですし、生意気な後輩がまた粋がるかもって心配になることもあったでしょう?」
この人は基本的に、他人の思惑通りに事が運ぶことを嫌悪する。
そう言う意味では、僕がここに立っていることは彼女にとって良くない展開だったはずだ。
この問いに対して、会長はフフフっと笑い、肩を落としては深く息を吐いて俯いた。
「そうね……。あなたの言う通り、これはとても面白くない展開だわ」
そう口にする彼女ではあるが、口元には笑みを浮かべている。
「あなたが成長して、実力を付けていくのを見て、いつ潰してあげようかしらって何度思ったかわからないわ。EクラスがDクラスに昇格できたのも、あなたの力があったことも関係しているのは間違いない。このまま力を付けて生徒会に残られたら、あなたに私がこれまで築いてきた物を壊されるかもしれないわね。怖いくらいだわ、本当に……」
そこで一旦言葉を区切り、満面の笑みを向けてくれた。
「あなたは本当に、将来が期待できる大っ嫌いな後輩だったわ。真央!」
大っ嫌い。
そう言われて、悪い気がしないのは何でだろう。
あー、そっか……。
僕はもうとっくに、自分の目標を達成していたんだ。
胸が温かくなるのを感じていると、桜田会長は机から離れて僕の前に立つ。
「私は今年いっぱいをもって、生徒会長の椅子を降りることになる。この事実は変わらないわ」
「はい……僕も、それはわかっています」
「でも、あなたは生徒会に残れる。私が去った後、この学園を頼んだわよ、石上真央」
それは去る者からのエール。
僕は今、会長から想いを託されているんだ。
しかし、1つ疑問が生まれる。
「……どうして、僕にそんなことを言うんですか?僕よりも、2年の伊藤先輩や、駿河先輩の方が―――」
「私の生徒会を託すことができるのが、あなただけだからよ」
意味を含んだ言い方に、気が引き締まる。
「これから、生徒会は変わるかもしれない。どう変わるのかは、私にもわからない。だけど、私の意志を継いで、それを繋げていけるのはあなたしか居ないと思ったわ。円華を友人だと言ってくれた、心優しい真央になら……ね?」
「……はぁ~、結局、身内びいきじゃないですか」
落胆したように言えば、会長はそれが面白かったようで歯を見せて笑う。
「フフフっ、それもそうね?でも、本心よ。弱肉強食の学園の中でも、弱き者の立場に立って行動できるあなたのこと、私は信頼しているわ」
彼女は僕の肩に手を置き、目を合わせてくれる。
「仮初の希望を打ち破った、あなたの力は本物よ。いつまでも、その心を忘れないで」
「はい、任せてください。……今までお疲れ様でした、会長」
感極まり頭を下げれば、彼女は半眼になってしまう。
「あららぁ~?私が会長を辞めるまで、まだ数日残ってるのだけれど?そんなに早く世代交流したいのかしらぁ~?」
「ち、違いますよ‼そう言う意味じゃなくて―――」
「冗談よ。でも、ありがとうね。……あとを託せる、頼りになる後輩が居て、私は先輩としては幸せ者ね」
そう言って、いつもの人を喰ったような雰囲気に戻ってしまった。
会長は、僕を今後の生徒会を託すに足る者だと認めてくれた。
それがこの時は、何よりも嬉しいことだったんだ。
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