分離
12月22日の朝。
目が覚めて、身体を起こせば腹の上に置いていた本が最初に視界に入った。
やべぇ、寝不足だ。
ベッドに転がりながら本を読み返していたら夢中になってしまい、いつ寝たのかすらも覚えてねぇ。
電気は消えていたから、無意識に寝る態勢に入っていたってことか。
本をテーブルの上に置き、洗面台に行っては眠たい目を擦りながら歯を磨く。
頭起こせー。今日はある意味、決戦だ。
なんせ、あの女帝と会う日なんだからな。
妙な感覚だ。
あの女のことを警戒している自分が居るのは確かだけど、対話をすることを楽しみにしている自分も居る。
同じ好きなことで話せる相手に会いに行けるのが、嬉しいって思ってるのかもな。
それとも、自分に近い思考の持ち主だから、心が震えているのか。
自分じゃ判断がつかねぇな。
『だったら、その両方なんじゃねぇのか?』
頭の中に声が響き、辺りを見渡せば誰も居ない。
「今の声……あいつか?」
すぐにあの獣のことが頭に浮かんだが、今回は狼の幻覚は見えない。
『こっちだ、こっち。小僧、おまえの目は節穴か?』
また聞こえてきた。
声のする方に視線を向ければ、それは壁に立てかけた白華だった。
溜まらず、自身の愛刀に苦笑いを向けてしまう。
「まさかぁ……いや、そんなわけぇ……」
『そのまさかだ。悪かったな』
その声はやはり白華から聞こえており、近づいては掴んで半眼を向ける。
「おまえ、俺の中に居るんじゃなかったのかよ?」
『ずっとおまえの身体をルームシェアするのにも飽きてきた。おまえが俺様の力を使えるようになったことで、こっちに移れるようになったのさ。俺様の機転に感謝するんだな、小僧』
飽きてきたから白華に移ったって、そんな便利な機能があったのかよ。
増々、こいつのことが分からなくなってきた。
「恩着せがましいな、この野郎…。つか、それにしては最近静かだったな。白華に移れたなら、これからずっと、おまえと面と向かって口喧嘩かよ?」
『まぁ、俺様は暇潰しにおまえをからかって遊んでやっても良いんだがな。幸か不幸かそうもいかねぇ。今回は試しに表に出てやったが、それでも結構力を消費している。用がねぇ限りは、現れてやんねぇから安心しろよ、小僧』
さっきからずっと、あるワードが癪に障る。
「大体わかったけどさぁ……その小僧って言うの、止めろよな。おまえは俺なんだろ?自分のことをそう呼ぶのに抵抗ねぇのかよ」
『この状態になっちゃ、俺たちはもう別々になったも同然だ。聞いただろ?ヴァナルガンドって名前をな』
確かに、魔鎧装を装着する時に聞こえていた。
『紅狼鎧ヴァナルガンド』。
人狼を模した騎士の鎧は、その名を与えられていた。
「あの鎧の力は、本当に俺の中から生まれたものなんだよな……」
『その通りだ。だが、今は俺様の力でもある。根源であるヴァナルガンドの許しも無しに、そう易々と使えると思っているなら自惚れも甚だしいぜ』
こいつぅ……前々から思っていたけど、一々言葉に棘があるんだよな。
正直、話してるだけでイライラするぜ。
「つまり、これからも鎧の力を使いたかったら、おまえの機嫌を伺えってことかよ……。面倒だな、おい」
ただでさえ、分離したからってこいつのことを受け入れられるわけじゃないのに、こいつを敬えってなると気が乗らねぇよ。
『俺様は獲物が出てきた時にしか力は貸さねぇ。この前の魔鎧装は美味かった。次の獲物が出てくるまでは、俺様の力は使えないと思え』
「あー、はいはい。言われなくても、そう頻繁に鎧の力を借りるつもりはねぇーっての」
それこそ、こいつの力に飲まれたら柘榴の二の舞だぜ。
大抵は白華が使えれば十分だ。
つか、こいつと無駄話している余裕はねぇんだった。
そろそろ出ないと、女帝の機嫌を損ねないとも限らねぇしな。
「もう時間が時間だし、外に出るぜ。留守番よろしくな、ヴァナルガンド」
『あぁ!?てめぇ、早速俺様のことを嘗めてねぇか!?』
「これからはこの部屋でルームシェアなんだから、文句言うなよ。じゃ、頼んだからな」
その後もガミガミとうるさい狼を気にせず、俺は部屋を出て鍵を閉めた。
改めて考えてみれば、もう自分の中の獣がどうとか気にしなくても良くなった分、少し気が楽になった。
ーーーーー
約束の場所として向かったのは、Sクラスの寮だ。
鈴城はこの前のメールで、『外に出るのは面倒だから、私の部屋に来い』と書いてあった。
女帝様は本当に、下々を動かすことが好きなようで。
「はえー……噂には聞いていたけど、本当にこれ……寮なのかよ」
高層マンションを見上げて呟いてしまう。
前に和泉の部屋を訪れた時は、Aクラスの寮は確かに外観から高級マンションっぽさはあった。
だけど、Sクラスのそれはマンションと言うかホテルっぽい。
正直、入ることに躊躇ってしまう。
「って、入らなかったら入らなかったで問題だよな」
時計を見れば、約束の時間まであと少し。
女帝を待たせるのも気が引けるのは確かだし、ホテルっぽい寮に足を踏み入れては指定された部屋に向かう。
部屋案内を見ると、1年から3年までエリアが分かれていて、部屋の配置が複雑になっている所から俺たちとは比べ物にならないくらいの大部屋が個室になっているだろうことがわかる。
つか、その下を見ると電話1本で10分以内にデリバリーが来ることサービスがあることに驚いた。
ハハハッ、もう対応がホテルのそれだぜ。
真央はこんな高レベルな所からうちのアパートに引っ越したんだよなー。
今更だけど、あいつの生活水準とかが心配になってきた。
道中でいろんな人とすれ違ったけど、やはり痛い視線を浴びてしまった。
場違いなのはわかってんだから、放っといてくれよ。
要らない気疲れをしながら着いたのは1年エリアの奥の部屋であり、インターホンを押せば、ドアのロックが解除される音が聞こえた。
『入ってくれ、リビングで待っている』
手短にそう伝えられれば、言われるままにドアを開ける。
内装は予想通りと言うか……玄関からホテルっぽさが伝わってくる。
「お、お邪魔しまーす」
とりあえずは挨拶をして中に入り、部屋の圧に押されて静かにドアを閉めてしまった。
そのまま廊下の一本道を進んで両開きのドアを開ければ、ライトの明かりが壁の白に反射して少し眩しさを感じた。
「やぁ、時間通りの来訪で安心したぞ、椿円華」
鈴城の声が聞こえ、眩しさに目が慣れると、視界にはソファーに寝転がった彼女が、俺に目を向けて軽く手を挙げていた。
そして、そんな女帝を見て、「へ?」と呆気にとられてしまった。
青紫色の髪は濡れており、首にタオルをかけている。
そして、身体が濡れたまま一糸まとわぬ姿になっていらっしゃる。
「お、おまっ、おまえ、何て格好してんだよ!?」
「ん?ああ、ついさっきシャワーを終えたばかりでな。私が自分の部屋でどんな姿をしていようと、私の勝手であろう?」
そう言って彼女は身体を起こし、胸の下で手を組んで強調してはフフっと妖艶な笑みを浮かべる。
「どうしたぁ?私の身体を見て欲情でもしたのかぁ?」
「くっだらねぇこと言ってんじゃねぇよ。頼むから服着てくれ」
バツが悪い顔で視線を逸らすと、鈴城は仕方がないという風に「少し待っていろ」と言って前を隠さずに俺を横切ってリビングを出て行った。
深い溜め息をついては胸を撫でおろしていると、今の光景と夏休み時のアクシデントを思い出した。
確か、あれは罪島で湖に行った時に恵美が……。
って、何を思い出してんだよ!?俺、気持ち悪っ‼
頭を激しく振って邪念を振り払い、部屋の中を見渡せばやはり部屋の作りがアパートやマンションとは違っていた。
壁に設置されているテレビや長くて柔らかそうなソファー、装飾された置時計。
見渡す限り、一学生が使う部屋とはとても思えない雰囲気を感じる。
こんなだだっ広い部屋、1人で生活するのは持て余しそうだぜ。
その広さに驚きながらも、それ以上に予め設置されていただろう物の他に、鈴城の私物らしき物が少ないと思った。
部屋はその人の性格を表すというが、この状態を見るとミニマリストなのかもな。
後ろから「待たせたな」と言う声が聞こえて振り返れば、彼女は例の本を片手に戻ってきた。
しかし、その姿はそんなに変わっていなかった。
「いや、何で水着なんだよ!?」
思わずツッコんでしまい、自身の額に手を押し当ててしまう。
黒を基調とした露出の多いビキニを着ている鈴城は、俺の呆れを気にせずにソファーに戻る。
「これでも最大限の配慮なのだがな。外に出ること以外で服も下着も着けるのは好かん」
「おい、羞恥心って知ってるか?知らなかったらスマホで調べろ」
ここまで酷くはねぇけど、デジャヴュを感じる。
もしかして、この女と恵美は同種なのか?
それとも、俺の男女の常識がもう古いのかもしれねぇ。自信なくなってきた。
こっちの指摘をスルーし、隣に座るように軽くソファーを叩く鈴城。
「さっさと来い。そんな些細なことを気にするよりも、互いの友好を深めようではないか」
もう言っても無駄だし、ツッコむのも疲れたので、促されるままにソファーに座った。
すると、鈴城は本を手渡してくる。
「やはり、この作者の物語には心惹かれる。最後まで飽きることなく、ページをめくる手が止まらなかったものだ」
「確かに、今回の作品も傑作だったぜ。今までの傾向から考えたら犯人がわかると思ったけど、そうじゃなかったのが悔しかったな。完全にミスリードに引っ掛かった」
「私もだ。過去の物事に囚われず、逆転の発想をすることの大切さを学ばせてもらった。やはり、この作者は作品ごとに新しいことを学ばせてくれる」
本を開きながら互いに感想を話していると、鈴城の柔らかい表情を見て以前から感じていたことを再確認する。
やっぱり、女帝なんて呼ばれても、彼女は俺と同じ高校1年生なんだよな。
周りがその実力を認めて畏怖するのはわかるけど、こいつは本当は……。
鈴城の顔を見ていると、彼女は不意に身体を近づけてきては手を伸ばしてページをめくる。
その時、二の腕にムニッと胸が当たって柔らかい感触が当たる。
「そして、ここのシーンなんかは特に伏線の張り方が上手く……ん?どうした?」
「え!?いや、別に!?」
こいつも無自覚に危ねぇ女だなぁ……。
平常心、平常心。
「そう言えば、知っていたか?この本の作者は30年前から執筆活動を続けているらしい。その第1作目を読んだことはないが、それを読んだ者はとても感じるものがあったそうだ」
30年も前から筆を折らずに続けているって、すげぇな。
作者の名前はレーベン・シュバルツア。
ミステリー作家の中ではコアな人気を得ており、その独特の文才には人を引き寄せる何かがある。
人の罪や悪意の怖さ、そしてそれに抗う心の強さが訴えられている。
俺も最初にレーベンの本を読んだ時は、どこか救われたような気がした。
人間は悪意を持つ生き物だけど、それと同時に悪意に抗う心がある。
そう言うことを、レーベンの本を通じていつも考えさせられるんだ。
「この作者の本を始めて薦められた時は、あまりの分厚さに最初は嫌気が差したものだが、食わず嫌いをしなくて良かったと今でも思う」
「薦められたって……親にか?」
「いや、私は幼少の頃から両親が居なくてな。師が私を拾い、施設に預けながらも生きるための強さを与えてくれた。この本を与えてくれたのも、その師だよ」
「そうだったのか。悪いな変なことを聞いて」
「気にしていない。私にとっての親は師であり、家族は施設のみんなだ。あの人からは、生きていく上で必要な全てを教えてもらった」
師匠のことを思い出したのか、鈴城は黄昏たような笑みを浮かべる。
師という言葉で、俺も谷本師匠のことを思い出した。
あの人と椿の家族が居なければ、今の俺は居ないと思っている。
感謝してもしたりないくらいだし、口には出さないけど尊敬もしている。
師匠も親父たちも、今頃何してんだろうな…。
それにしても、鈴城を導いた師匠の存在が頭の中で引っ掛かった。
まぁ、これ以上プライベートのことに突っ込むのは野暮だろうと思い、追及はしなかったけどな。
その後も妙に距離が近いと思いながらも、俺たちは本の感想を話し合った。
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