宣戦布告
ホームルームになり、岸野が教室に戻ってくると同時に空気が変わったのが肌でわかった。
そのイラつきを隠さない横顔からは、いつもとは違う意味で面倒なことが起こったことが窺える。
教壇の前に立てば、すぐに左手に持っていたプリントを回してきた。
「公開しているのは、今度の期末試験の資料だ。そして、今年は例年とは少し違うということを考慮しろ。そして、覚悟して説明を聞け。良いな?」
それは忠告とも取れる言葉であり、いつものいい加減な部分を感じさせない。
プリントの一番上を見れば、題名には『2学期末試験利用脱落戦』と書いてある。
「2学期の期末試験ならわかるけど……脱落戦ってどういうこと?」
「今から説明する。黙って聞いていろ、狩野」
教壇の端に両手を置き、全員を見渡して岸野は話し出した。
「例年、1年から2年に上がる時に最下位クラスのFクラスが消えることは、おまえたちも把握していると思う。しかし、今年は例年とは異なり、2学期の学期末時点で最下位になったクラスを次の学期から振り落とすことになった。そのための試験が、今回の2学期末試験であり、それが振り落とすための脱落戦となる」
学校側がそう決めた。
だからと言って、自分たちの代でいきなり変更になったと言われても納得はできない。
「詳しく説明していただけますか?何故、2学期の時点で振り落とされることになったのかを」
クラス委員である成瀬が、代表して挙手した。
「理由としては、3学期では新体制となり、今までのような全体のクラス対抗ではなく、2つのクラスが1対1で戦う特別試験が行われるからだ。そして、1年の各クラスの成績は拮抗しており、今のFクラスに残存のチャンスを与えないわけにはいかない。7つのクラスを6つにするために、この学力試験は調度良いということだ」
「新体制になったのであれば、その特別試験を2年生に先送りすることは不可能なのですか?」
「不可能だから、今、この時期に行われているんだ」
「最下位になった場合、今保有しているクラスのポイントで退学を免除することは可能でしょうか?」
「無理だな。今回はおまえたち個人の保有しているポイントは関係ない。成績が全てになる。緊急で決まったことは申し訳なく思うが、その代わり上位のクラスが与えられるメリットは大きい」
プリントに目を通せば、そこには期末試験の各教科の試験範囲の下にこう書かれていた。
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期末試験利用脱落戦
順位報酬
最高順位クラス クラス全員の退学免除権
最低順位クラス クラス全員の退学処分
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「この退学免除権は、今後の試験で退学処分が下された者から、その処分を免除される権利だ。使用できるのは1回。そして、これはクラス内の生徒であれば譲渡することも可能だ。今後の試験の中で、退学の恐怖が消えることは、戦略の幅が大きくなる。大きなアドバンテージとなるだろう」
ハイリスク・ハイリターンってことかよ。
それでも、最高順位クラスになれればの話だしな。
「文句を言って気が晴れるなら、俺に対してなら全て聞き流してやる。遠慮なく弱音でも、憎まれ口でも吐いてくれ。それを溜めこんで頑張ろうとすれば、必ずパンクする。事はおまえたちの頑張りにかかっているが、それでも俺は頑張れと言うつもりはない。俺からおまえたちに言えることは、1つだけだ」
サングラス越しに岸野の目が真剣なものに変わる。
「お互いを支え合い、全力を出し切れ。Fクラスから這い上がったおまえたちの底力を証明するんだ」
「「「はい‼」」」
全員が先生の声に応えて強い気持ちを込めて返事をする。
マジの時の岸野先生の言葉は、みんなの心に深く刻み込まれる。
3学期の特別試験の体制のために、今から1つのクラスが減ると言うことに納得ができる奴は少ないだろう。
俺だって、理解もしてなければ納得もしてない。
それでも、岸野の言っていることは尤もだ。
今できることをやれない奴は、この先でできるはずがない。
乗り越えてやるよ、どこの誰が考えた筋書きかは知らねぇけどな。
これも特別試験の1つなら、今までの流れで組織の手がかりが尻尾を出すかもしれない。
その時を逃がさないように、俺もできることをしなきゃいけない。
ホームルームが終わり次第、成瀬がまたクラスのみんなを集めて勉強会でも開いて学力向上を図ることだろう。
そう言う点では、久実のテスト対策を早々に始めたのは正解だったかもしれない。
最下位=退学ともなれば、全クラスがいつも以上に策謀を巡らせることだろう。
Aクラスが協力を申し出る、あるいはこちらから出向くことも考えられるはずだ。
しかし、それは正攻法で仕掛けてくるならの話だ。
この学園では、正々堂々が似合わない連中も居る。
特に3クラスほど、目を光らせる必要があるだろうな。
柘榴の治めるBクラスとFクラス、そして魔女…木島江利が居るDクラス。
そこは基樹が成瀬に協力する傍らで注意を向けるはずだ。
俺は自分の目的を優先する。
それが、みんなを守ることにも繋がると信じているからだ。
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ホームルームが終わり、岸野が気が抜けた顔で教室を出て行けば、成瀬が真央、麗音と共に勉強会の計画表の作成を始めた。
学力に関しては、このクラスではあの3人に勝る先導者は居ないからな。
その間、みんなで苦手科目の試験範囲を互いに確認する。
川並に入野、久実などの赤点候補組も今回はガチで勉強しようと意気込んでいる。
「助動詞……過去進行形……have being……」
後ろの席では、恵美も教科書を恐い顔で睨みつけながら英語と向き合っている。
俺も勉強しているふりだけでもしようと思った、その時だった。
教室の後ろの扉が勢いよく開き、警戒しなければならない3つのクラスの内の1つが顔を出してきた。
「よぉ、Eクラスのクズども。次の試験について、挨拶しに来てやったぜ?」
その声に反応し、全員が後ろに身体を向けて目を見開いた。
俺もそいつを見て、背筋が冷えるような感覚があった。
柘榴恭史郎と内海景虎。
そう言うことか、金本の言っていたことが理解できた。
身体から放つ異様なドス黒い気配からわかる。
今のこの男は、普通じゃない。
真央が奴の前に行こうとする前に、俺が席を立って皆の盾になる。
「何をしにきた、柘榴?今、こっちは作戦会議中だ」
「作戦ねぇ、また無駄なことをしやがってるのか。クズがどれだけ努力しようと、超えられない壁はあるって言うのになぁ」
皆を見渡し、バカにするように不敵な笑みを浮かべる。
「クッフフフ、おまえも散々だなぁ、椿。足手まといに引きずられ、一緒にこの学園から脱落することになるんだからよぉ」
「おまえが何をしようと、Eクラスは想い通りにはならねぇよ」
「面白ぇ。最後の悪あがきを精々、クズどもと一緒に楽しめよ」
いつもの挑発から始まる悪巧みとも取れるが、今の柘榴はいつもと違う感じがする。
それをどう言葉に表せばいいのかはわからねぇけど、1つだけ確かなことがある。
金本は、柘榴が恐怖でクラスを支配したと言った。
だけど、俺にはその恐怖を感じないんだ。
柘榴は顎を引いて上目遣いで俺を睨みつけ、ポケットに突っ込んでいた手を出して指さしてきた。
「宣戦布告してやるよ、椿円華。今回の脱落戦で、俺が直々におまえたちを潰してやる」
奴の歪んだ笑みに釣られ、内海も口元に悪い笑みを浮かべる。
それに対して、俺は呆れて溜め息しかつけなかった。
「良いんだな?それで。おまえの相手をしてやれるのは、あと1回だけだって言ったよな」
「その1回に持ってこいの勝負が、この脱落戦だって言ってるんだぜ?」
柘榴の目は本気だと言っている。
しかし、どうも……さっきから違和感を覚えて仕方がない。
いつもの奴と違うのは、その放っているオーラから痛いほど伝わる。
だけど、それに対して警戒心が生まれないのは何故だ?
いつもなら、まだこいつに対して敵対心に近い感情は抱いている。
だけど、俺が今、こいつに感じているのはそれじゃない。
近い言葉で表すなら……失望だ。
「はぁ……わかった。受けて立ってやる」
「クフフフっ。調子に乗ってんじゃねぇよ。初めから、おまえに拒否権なんてねぇんだよ」
それはそうだろう。
拒否なんてしたら、ここで内海を暴れさせていたはずだ。
もしくは、Bクラスでそうしたように自分で俺のクラスメイトに鉄槌を下すか。
どっち道、今だけでもこいつらを抑えこむには勝負を受けるしかなかったんだ。
「今度こそ、おまえの全てを壊してやる。俺のこれまでの人生に賭けてな」
「それなら、俺はおまえから全てを守るだけだ。俺のこれからの未来を賭けて」
互いに相手と目を合わせ、闘志を滾らせる。
そして、柘榴は俺の対応に満足したのかEクラスのみんなを一瞥して背中を向けて教室を出て行った。
そして、最後に内海が俺に鋭い目を向けた。
「やっと、おまえを殺せそうだ。次こそ、必ず…‼」
その殺人予告には特に反応せずにスルーし、2人を見送ってる間に違和感の正体に気づいた。
顎を触り、柘榴の行動を思い出す。
「顎……引いていたよな、今」
「名指しで宣戦布告されたのに、随分と余裕だね」
教科書を持ったまま恵美が隣に来て、怪訝な目を向けてくる。
「余裕?そうでもねぇよ。あいつが厄介な敵なのは変わらねぇし。だけど……何つーのかな」
柘榴の背中を見ながら、頭の後ろを掻いて溜め息をついてしまう。
「あいつって……あんなに背中が小さい奴だったか?」
今のあいつを見ていると、金本が言っていたものとは違う意味で俺には柘榴が変わって見えた。
実際に会って見て気づいた変化。
俺には柘榴が、前よりも衰えて見えたんだ。
だけど、腹の底で何かがくすぶっているのも感じる。
腹部を摩りながら、柘榴の変化に思考が傾いていると、久しぶりに頭に中に声が響いた。
『獲物の……匂いがする…‼』
今のは記憶の声じゃなくて、『闇』の声だ。
その獣の唸り声から、また不吉な予感が加速した。
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