先輩からの助言
あの日の光景は、今でも忘れられない。
10年間、頭にこびりついて離れない。
屋敷の中が騒がしくなり、使用人たちが血相を変えて逃げて行く。
それを見ながら、俺は廊下を歩いていた。
引き寄せられるような感覚だった。
鼻腔を刺激するのは、鉄のような臭い。
足を進める度に、その臭いは強くなり、赤い世界に近づいていく。
いつもは固く閉じている父親の部屋の戸が開いており、心臓の鼓動が速くなるのを感じながら少しだけ顔を出して中を見た。
「お、お願いだ‼私には家族が……2人の息子が――――‼」
銃の引き金が引かれ、屋敷内に銃声が響いた。
あとに流れるのは、静寂のみだった。
「……生き残るための理由に、子どもを利用するんじゃねぇよ。クズが」
銃弾で額を貫通され、目のみ開いて倒れる父親。
その返り血を浴びようと、表情を変えずに立ち上がった藍色の髪をした女。
倒れた男の前で、息を切らして俯いている長い茶髪の男。
小さい頃の俺は、それを見ては口を両手で押さえて逃げた。
声が出ないように、必死に悲鳴を押さえ込んだ。
生存本能と直感がフル稼働したんだ。
声を上げたら殺される。
そう言う現場を、何度か陰で見たことがあったからわかっていた。
しかし、頭の中では混乱した言葉は渦巻いていた。
「恐い」「助けて」「どうして?」「何で?」
父親が死んだことに対しては、何も感じなかった。
ただ、生き残ることだけを理由に走り続けた。
自分だけが生き残るために。
そのことを、俺は10年経っても後悔し続けている。
それが晴れる日が来るとすれば、今の目的を果たすこと以外には考えられない。
名前を変えようと、地べたを這いつくばって生きようと、この炎だけは消えなかった。
復讐という、憎しみの炎は。
俺の人生を崩壊させた、あの一族を崩壊させる。
桜田家と、その汚れ役を務める椿家。
まずは、親父を殺した現場に居た男に復讐する。
椿円華を、俺の手で。
どんな手段、どんな力を利用しようとも。
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文化祭を終え、季節がまだ温かさの猶予があった秋から問答無用の寒さを突きつける冬に変わった。
地下だというのに暖房は入っておらず、逆に冷気が出ているような気がするくらいに寒い。
1人ボーっと公園のベンチに座り、噴水をじっと見て物思いにふける。
「……そろそろ、2学期も終わりか」
12月になり、才王学園での1年の2学期が終わろうとしている。
このまま、何事もなく冬休みに入れば御の字なんだろうが、そうはいかないだろうという気がしている。
特別試験でも何でもない、ただの学園のイベントにすら、組織は手を出してきた。
阿佐美学園での日下部と真城の暴動は、間違いなく緋色の幻影が関与している。
当然だ、あの学園は組織が立ち上げた施設だからな。
だけど、その割には全体にその手が回っているようじゃなかったことが気になる。
確か、阿佐美学園を治めているのは成瀬の母親で、組織の幹部だったよな。
全校生徒に希望の血を渡していてもおかしくないんじゃないか?
いや、異能具は認知されていたし、爆弾を使う先輩も、変な居合を使う先輩も居たみたいだしな。
どこまでが組織の手が届いていて、どこまでがそうじゃないのか。
最後まで、その境界線を見極めることはできなかった。
日下部の件で迂闊に動くことができなかったのは、そのせいだ。
いっそ、阿佐美学園全体が組織に染まっていたのなら、俺もあれ以上に大胆な方法で一翔の問題に介入できたかもしれない。
逆に考えれば、完全には染まっていなかったからこそ、一翔の問題にだけ集中することができたってことなんだけどな。
「腑に落ちねぇ…」
そんな感覚が、ずっと頭に残っていた。
才王学園とは違う、学園による管理を主体としたシステム。
弱肉強食の混沌としたシステムとは対象の、公正なる秩序を以て評価されるらしい。
緋色の幻影の目的が見えてこない。
組織のことを知れば知るほど、何をしたいのかがわからねぇ。
支配体制を真逆にして、まるで学生を使って実験しているようにも感じる。
その場合、復讐者の俺もその実験材料として生かされているってことで納得はいく。
しかし、手の平の上で踊らされていることには変わりないのか。
「すっげぇ、気に入らねぇ」
不満を含めた独り言を漏らせば、背後から「何が気に入らない?」と男の声が聞こえて咄嗟う言って俺の横に回ってベンチに座って脚を組む。
「考えごとをしていたのか?軍人上がりの男にしては、注意力不足じゃないか?」
「……まぁ、それは俺の悪い癖っすね」
立ったままで居ると、進藤先輩は隣に座るように促す。
「おまえに見下ろされるのは不愉快だ。座ってくれ」
「不愉快……。本当だったら、俺の近くに居ることがそうなんじゃないですか?」
そう言いながら俺も座り直し、顔を合わせずに言葉を続ける。
「この前、面と向かって俺のことが嫌いだって言ってたじゃないですか」
「根に持っているのか?だったら、申し訳なかった。おまえの前だと、俺は気が抜けてしまうようだ」
「それ、1年だからって嘗めてません?」
「そのつもりはない。逆に1年生の範囲で言えば、おまえは類稀なる有力者だと思っている」
「俺を?買い被り過ぎですよ」
軽く流そうとすれば、先輩は眼鏡の位置を正してレンズの光を反射させる。
「合同文化祭で日下部の悪事を、仲間と力を合わせて破ってみせた。多少綱渡りのような策だったが、悪い手段ではなかった。俺も似たような策を準備していたからな」
成瀬たちが実行してくれた策のことを言っているのか。
進藤先輩は言葉を続ける。
「全校生徒のほぼ全員が集まる場で、被害者の証言を見せられれば集団意識を強く刺激することはできる。しかし、裏に手を回す時に詰めが甘かった。おまえは、人の抱える恐怖を1つの面でしか理解できていない」
「1つの面…?」
言われていることの意味がわからずに復唱し、聞く態勢に入る。
「あの場で阿佐美側の生徒に与える被害者としての恐怖は、強弱を調整するべきだった。あれは強すぎる。あの証言の該当者があの場に居た場合、場の空気をこちらに傾けさせなければイベントホールから逃げていた。そして、あの証言の量から逃げ出す者は少なくともあの場の半分だ」
進藤先輩は背もたれに背中を預け、横目を向ける。
「人の抱える恐怖は、意志が弱ければ弱いほど、刺激されれば逃走する本能が先走るようになっている。恐怖を感じさせる基準を、おまえは軽視していた」
確かに、そこまで考えていなかった。
恐怖を利用する上で、その影響力の大きさを計算できていなかったのか。
「恩着せがましいことを言うつもりはないが、あそこで俺が動かなければ、おまえたちの計画は破綻していたかもしれない」
俺はこの人に、計画のことを話していない。
あの場で、計画の流れを見抜き、進藤先輩は行動に移してフォローしてくれたんだ。
場の空気を才王側に傾けさせ、逃走者を生み出さないために。
「……ありがとうございます、先輩。その話が本当なら、あの場に居なかった俺にはどうすることもできなかった。いや、そのことに気づきもしなかった俺には、何もできなかったです」
自分の未熟さを反省して感謝の言葉を述べれば、先輩は俺の頭の上にポンッと手を置いた。
「素直になれるのは良いことだ。そう言うところは……」
「そう言うところは……何です?」
急に言葉が詰まった先輩に違和感を抱けば、手を離して腕を組む。
「評価しておこう。それを含めて、俺は君をスカウトに来た」
今の言葉で納得が行った。
先輩は、ただの後輩への反省会で終わらせるつもりはなかったみたいだ。
「ここに足を運んだのは、俺を捜してたからってことですか。もしかして、今日1日ずっと俺を捜してたんじゃないですか?」
「おまえの部屋を訪ねてから、歩き回ったのは3時間程度だ」
「メールを使って呼び出すこともできたんじゃないんですか?」
「それができたら、そうしているとは思わないか?」
「……思います」
つまり、俺と接触を持とうとした事実を、電子機器のデータの残骸にもしたくなかったってことか。
厳重な注意力だし、事の重大さを覗かせる。
「俺は今日、椿円華という後輩に偶然会い、世間話をするために並んでベンチに座っている。その体を崩したくない。だから、今から言うことに対して絶対に驚かないでくれ。目を泳がせることも許さない」
「わかりました」
自分の感情を消し、ただ先輩の言葉に耳を集中させる。
そして、進藤大和は平然とした雰囲気でその言葉を発した。
「俺は次の生徒会長選挙に立候補する。おまえのその力を貸してくれ、椿」
そのスカウトとも依頼とも取れる言葉に対し、俺は目を見開いたり、その理由を問うこともしなかった。
息を少し長く吐き、空を隠す天井を見上げながら肩を震わせ、口角を上げる。
押さえ込むのは、驚こうとする自分ではなく、笑いだそうとする自分だ。
「そう言う事だったんですか。辻褄が合いましたよ、進藤先輩」
今の一言が、俺の中の彼に対する文化祭での不信感を払拭した。
進藤先輩に偽りのない本性の笑みを向けた。
「俺、先輩に品定めされていたってことですか。合同文化祭までの期間、ずっと」
それに対して、先輩も満面の笑みを見せた。
「逆に聞こう、椿。今の今まで、ずっと気づかなかったのか?」
煽るように聞いてくる先輩の言葉を否定できなかった。
先輩は立ち上がり、俺を見下ろしながら指をさす。
「時には、先輩らしく後輩に助言をしよう。椿円華、おまえの弱点の1つは、自分に対して無頓着だと言うことだ」
自分に対して、無頓着…?
そんなこと、気にしたことも無かった。
「状況と可能性だけでなく、己の弱さを見つめ直せ。そして、それを受け入れた上での最善の一手を模索しろ」
進藤先輩の目は冷たいものに変わり、鋭くなる。
「さもなければ、救える者に手を伸ばすこともできなくなるぞ」
それは助言でもあり、忠告のようにも感じ取れた。
背筋が凍るような雰囲気を解き、進藤先輩は口元に笑みを浮かべる。
「世間話のはずが、人生相談になってしまったな。話が脱線するのは、俺の悪い癖だ」
俺に背中を向け、離れて行く。
「今の提案の答えは、おまえなりの答えを見つけ出した後で聞くとしよう。期間は……そうだな、冬休みが終わるまでは待ってあげよう。期末試験、頑張って生き残ってくれ」
顔を合わせずに後輩に応援を送り、尊敬できる先輩は行ってしまった。
それを見送り、俺は深い溜め息をついてしまう。
「俺の弱さ……か。品定めの次は、課題を与えられるのかよ」
本当に、意地の悪い先輩だぜ。
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