寛大な保険医
恵美side
青団のテントでは、当然のことながら空気が重くなっている。
柘榴が率いるBクラスが場を仕切っていて、私たちに口答えすることを許さない。
誰かが何かを言おうものなら、柘榴が陰で内海や他のBクラスの部下を使って制裁を加えようとすると思う。
完全に恐怖政治になっている。
2年と3年も柘榴の横暴な態度に物申そうとするけど、あいつは内海という凶器をチラつかせて黙らせる。
それにしても、これまでの競技の結果で少し疑問に思っていることがある。
さっきの女子100メートル走で、私は金本との距離を少しでも詰めようと全力で走っていた。
それでも、今回は負けるかもしれないとも思っていた。
だけど、金本のスピードが落ちたあの一瞬。
不自然だった。
あそこで勝ちを確信して手を抜くとは、どうしても思えない。
何か、金本にアクシデントがあったとしか考えられない。
「さっきはギリギリの接戦だったみたいだな。だが、1位になれて何よりだ……最上」
「柘榴…恭史郎」
いきなり話しかけてきては、隣に座る柘榴。
その後ろには、内海が控えている。
何か変なことをしないように、目に見える恐怖をチラつかせておくみたい。
軽蔑の目を向けると、鼻で笑われる。
「そんな嫌そうな顔をするなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」
「あんたに可愛いって言われても、虫唾が走るだけ。私に関わろうとしないで」
「クフフッ、良いねぇ。気が強い女は嫌いじゃない。そこから服従させる楽しみがあるからなぁ」
「私があんたの奴隷になるとでも思ってるの?」
「俺は、欲しいものはどんな手段を使おうとも手に入れる男だ。それに、関わるなっていうのは無理な話だぜ」
柘榴は顔を近づけて来ては、その気持ち悪い目で私の瞳を覗き込んでくる。
「おまえは椿のお気に入りみたいだからなぁ。最近はつるんでいないみたいだが、それでもおまえを特別視しているのは変わらない」
「……くだらない。私を利用しようとしたって、円華には勝てないのに」
そっちが私の心を黒い手で握ろうとするなら、こっちも深淵を覗いてやる。
「そこまでして円華に憎しみを抱くのはどうして?あんたと円華に、昔何があったの?」
単刀直入に聞けば、柘榴は少し離れて目を逸らした。
「おまえに言う理由はねぇな。何を話そうとも、椿が俺の人生を狂わせたことに変わりはねぇ」
そういう柘榴の目が、微かに泳いでいるのが見えた。
その瞬間、私は無意識に溜め息が出た。
「自分だけが被害者みたいな顔してる」
「……何?」
目尻を吊り上げて威圧してくる柘榴だけど、全然恐くない。
私の中で先行している感情が、怯えではなく怒りだったから。
「あんたに何があったのかは、私にはわからないし興味もない。だけど、自分1人が不幸を背負っていて、それを円華のせいだと思うのは筋違い」
「クフフッ、言いたいように言ってくれるじゃねぇか。だが、おまえがどう思い、何を言おうとも俺の意思は変わらねぇ。椿円華を潰すのは俺だ。そのためなら、何だってする覚悟はできている」
「それを私に言って、どうするつもり?」
柘榴は不敵な笑みをして答えた。
「この体育祭で青団が黄団に勝った場合、おまえにはFクラスに落ちてもらう」
「……意味わかんないんだけど?」
「わからなくて良いぜ。これは俺にとってはゲームだ。椿からおまえを奪い、どんな反応をするのかを見たいだけだからなぁ」
その表情は狂気に満ちており、瞳が黒く歪んでいる。
「そんな勝手な条件を、私が飲むと思ってる?」
「普通は飲まないだろうなぁ。だが、断れば大事な友達が痛い目に合うのを見ることになるぜ?」
柘榴の視線の先に居るのは、井塚さんと話をしている久実。
私は平手打ちをしようとするけど、内海に手を掴まれた。
その力は強く、腕が折れそうになる。
柘榴は私の顔を見て、満足げな笑みをする。
「やっと、人間らしい顔を見せたなぁ。おまえが俺の所有物になった時、どう泣かせてやるか楽しみだ」
それだけ言い残し、内海に「行くぞ」と言って柘榴は前の席に戻って行く。
「精々、黄団が勝利することを願うんだな。だが、わざとおまえが負けようとしても、この祭りの結末は俺たちの勝利に繋がっているが」
柘榴は黄団のテントを見ては鼻で笑った。
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円華side
100メートル走の次は玉入れで、男女ともにグラウンドに集まっていく。
「じゃ、じゃあ、私、行ってくるね」
「ああ、無理はするなよ?」
それに参加する伊礼を見送ながら参加選手を見ると、久実も出ることがわかった。
凄く能天気な感じで歩いてるなぁ…呑気に欠伸してるし。
緑団からは2メートルほどの身長がある生徒が出てきた。
玉入れにあの身長は反則だろ。
玉入れは緑団の圧勝だと予想していると、100メートル走から戻ってきた真央に気づいた。
近づいてみると、様子がおかしい。
顔から噴き出すような汗が出ており、青ざめている。
「真央、大丈夫か?」
声をかけると、辛そうな顔を上げた。
「椿さん……僕のことは、気にしないでください。これぐらい……何でもないですから」
右足を見ると、シューズに穴が開いていて赤い血が滲んでいる。
俺は真央の耳に顔を近づけ、小声で聞いた。
「誰にやられた?」
「わかりません。ですが、おそらく、柘榴くんの手の者かと……」
柘榴が真央を?一体、何故。
黄団に勝つためとはいえ、ここまでのことをするとは予想外だった。
しかし、腑に落ちない所がある。
そんな単純な手段を、柘榴は使うのだろうか。
赤雪姫を敵視している、あの男が。
「あらあら、お顔が優れないみたいですが。ご機嫌いかがですか?石上くん」
真央の様子を見て、木島が話しかけてきた。
その表情は、どこか楽しんでいるように笑顔だ。
「悪趣味だな。この状態の真央を見て、何で笑っていられる?」
「私は常に笑顔なのです。機嫌を悪くされたのなら、謝罪いたしましょう」
「態度だけの謝罪なんていらねぇよ」
真央に肩を貸し、テントから離れようとする。
「椿さん、どこに行こうとしてるんですか!?」
「保健室だよ。無理をするにしても、応急処置ぐらいは受けておけ」
「僕に休んでいる余裕は―――」
「無いなら、俺が作る。さっさと行くぞ」
木島と目を合わせず、真央の意思も無視して保健室に彼を運ぶ。
その時、校舎に入るまで後ろからずっと木島の視線を感じていた。
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保健室に到着し、ドアを開けて先生を捜せば、目の前に白衣を着た長髪の男が居た。
確か、この人が保険医の扇八尋。
扇先生は俺の次に真央を見ては、すぐに状態を察して「そこのベッドに座らせてください」と指示してくれた。
言われた通りに真央を座らせるが、彼の表情は苦痛と俺への不満でよくはない。
ここに来る途中も、何度も引き返すにように言ってきたくらいだからな。
「椿さん、僕は……」
「文句なら後で聞くさ。今は足をどうにかしてもらえよ」
扇先生を見ると、包帯と消毒液を持って真央の前に座り、彼の右足を見る。
「出血はそれほどではありませんが、この傷では他の競技に参加することはできませんね。応急処置はしますから、安静にしてください」
「それじゃダメなんです!!痛みを無くす薬とか、そういうのはありませんか!?」
「そういう薬は、この保健室には置いていません。諦めてください。無理をすると悪化してしまいますよ?」
扇先生は困ったような表情をし、焦る真央を抑えようとする。
確か、真央がこの後参加するのは2つ。
コロシアムと団対抗リレー。
どちらも獲得できるポイントは大きい。
真央の性格上、他の団員には任せられないと思っているんだろう。
しかし、コロシアムに至っては午後の部で最初の競技だ。
間に合わない。
それでも、真央は無理をするだろうな。
「扇先生、右足に負担がかからない競技でも、参加したらダメですか?」
俺の提案に、扇先生は眉をひそめる。
「そんな競技、体育祭の種目にありましたか?」
「コロシアムは走るわけじゃありませんし、足の傷を庇って参加する分には可能だと思います。あくまでも、右足に負担をかけないという条件の元ですけど」
口にしているのは理想論だ。
普通の教師ならば、止めると思った。
しかし、扇先生は俺の目と真央の訴えるような目を見ては溜め息をついてこう言った。
「その条件に2つ追加しておいてください。今から応急処置は受けることと、そのコロシアムという競技が終わったら、すぐに保健室に戻ってくること。良いですね?」
「はい!!」
真央は強く頷いて返事をした。
これで少しは心の余裕も出て来るか。
そして、保健室に居れば真央を狙う奴らから守ることができる。
一安心して「じゃあ、俺はこれで」と言って保健室を後にしようとすると、後ろから扇先生に優しく肩を掴まれて耳打ちされた。
「友達想いなんですね、椿円華くん?」
「……そんなことはないですよ」
今の言葉に何か含みを感じたのは、気のせいだろうか。
とりあえず、真央は保健室に預け、俺は1人テントに戻った。
その時にはもう、次の綱引きの準備が始まっていた。
ーーーーー
瑠璃side
体育祭も午前の部はもうそろそろで終了する。
4つの団の現状は、緑団が優勢になっていて、青団がそれを追い上げている。
赤団と青団は僅差で、追いつかれそうになっている。
黄団は最下位になっており、ここから追い上げるのは難しい状況。
和泉さんは膝に両手で頬杖をつきながら、各団の点数ボードを見て唸っている。
「う~ん、現時点で2位かぁ~。すぐに1位になれると思ったんだけどなぁ~」
「そう簡単にはいかないわよ。他の団だって、思考を凝らして競技の選手を決めたはずだから。緑団が優勢なのは、1年ではなく2年と3年の競技が影響しているわね」
理由は、緑団のテントを見れば明白になる。
2年と3年で、周りとは異質な雰囲気を放っている2人が居るから。
2年は眼鏡をかけている陽気な男子で周りの男女と楽しく談笑しており、3年は優雅なたたずまいをしている女子で退屈そうな顔をしている。
2人を見て、和泉さんは屈託ない笑みを浮かべる。
「2年の進藤先輩と、3年の桜田先輩かぁ。あの2人、それぞれの学年で頂点に立っちゃってる人だもんね~。実力が雰囲気から漏れてるっていうか、存在感だけで、味方で居てくれることが心強く思えるよ」
「あなたは、あの2人と面識があるのかしら?」
「うん、2人ともあるよ。生徒会長とは、生徒会に入りたいって思って面接を受けた時に。進藤先輩とは入学当初に会って、『俺もAクラスからSクラスに上がったから、君も頑張って』って励まされちゃった。あの時は嬉しかったな~」
「そうなの。そう言えば、あなたが生徒会に入ろうとしていたのは初耳だったわ」
会話から得た情報を聞き返せば、和泉さんは苦笑を浮かべる。
「アハハッ、そうなんだよね。したたかな考えだったんだけど、生徒会に入ればSクラスに上がるのに有利になるかなって思ってたから。でも、その考えは会長にすぐに見抜かれちゃったよ。だって、会ってすぐにこんなことを聞かれたんだよ?」
人差し指を立て、彼女なりに凛とした表情をする。
「『生徒会に入っても、Sクラスに上がれる保証はないわ。それでもやる?』って。態度とか雰囲気でわかりやすかったのかな~、私」
流石、あの人の洞察力は計り知れないわね。
それか、大方今までの生徒会志望者の動機のほとんどがそれだったのか。
どちらにしても、桜田先輩は人の本質を理解する力が常人を超えているのは確かね。
流石は円華くんのお姉さまだった人と言えば良いのかしら。
「そこで少し動揺しちゃって、あとの質問にも十分には答えられなかったんだ。それと軽い実力試験も力不足で落ちちゃって、生徒会には入れなかったの」
「それは残念だったわね。本来のあなたの実力なら、生徒会に入れたかもしれないのに」
励ましの言葉を送ろうとしたけど、和泉さんは首を横に振る。
「そうじゃないよ、成瀬さん。心と身体は繋がっていて、それが本当の力を引き出すんだと思うの。だから、生半可な覚悟で挑んだ結果なんだって私は受け止めてる。それに、これで生徒会に入れなくなったってわけじゃないからね」
明るい笑顔を見せる彼女は、無理をして笑っているようには見えなかった。
「芯が強いのね、あなた」
「それは成瀬さんもでしょ?それに私の場合は、最後の会長の言葉が心の支えになっているからかな」
「あの生徒会長に、何を言われたの?」
生徒会長が励ましの言葉をかけるとは思えない。
和泉さんは、聞かれて嬉しそうな表情をした。
「『あなたを本当に理解してくれる人のために、強くなりなさい』って言われたんだ」
「本当に……理解してくれる人?」
「うん。その時、私は自分のことで焦っていたけど、その間もずっと側に居てくれた人のことに気づいたの。だから、彼に愛想をつかされないように、私も彼のように強くなりたいって思えたんだ」
そう言う和泉さんの頬は、少しだけ紅く染まっているように見えた。
その彼と言うのが誰なのかは、もはや聞くまでもないことでしょうね。
私からすれば、少しうざいと思うけど。
2人だけで会話に花を咲かせていると、横から噛み殺したような笑い声が聞こえてきた。
「誰かのために強くなる……か。おまえらしい発想だな、要」
私たちがそちらを向くと、鈴城さんが足を組んで座っていた。
その笑みを見て、私は怒りを覚える。
「今、和泉さんのことを笑ったわよね?鈴城さん」
「そう思ったか?誤解をさせてしまったのならすまない。他意はないのだ」
「あなたはそう言って、いつも私たちを見下している」
「見下してなんていないさ。敵ではないとは思っているが」
余裕な薄い笑みをしてくる鈴城さんを咎めようとするけど、和泉さんに静かに抑えられる。
「大丈夫だよ、成瀬さん。鈴城さんも、気にしないでね」
「要の寛大さには尊敬の念を込める。瑠璃も、戦力外の私のことは気に留めないでほしいものだ」
「50メートル走では最下位、障害物競走では3位。あなたの実力なら、どちらも1位を取れたはずよ?」
「今回の私の目的は優勝することには無いからな」
遠い目をしてグラウンドを見る鈴城さん。
その行動には法則性がなく、思考が読めない。
しかし、その結末は彼女にとって何かしらの利益を与えている。
それが、女帝が君臨し続けている証拠。
私は無意味とは思っても、聞かずにはいられなかった。
「あなた、この体育祭で何を企んでいるの?」
「企んでいるとは、人聞きが悪いな。何、心配するな。赤団に不利になるようなことはしないと約束しよう」
そう言う鈴城さんの笑みは、どこまでも黒く冷たく感じた。
「ただの遊びさ。……ただのな」
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