自己満足
昨日の気分転換に、あたしは地下街でショッピングをしていた。
気分転換と言うよりは、気を紛らわせるという言葉が合っているのかもしれない。
円華くんのことを思い出さないように、別のことに集中したかった。
たった1日、昨日1日で、あたしは椿円華にとって大きな存在ではないことがわかってしまった。
傍に居たいと言っても、それは受け入れられなかった。
円華くんは黙ってあたしから離れて静かに、悲しそうな表情のまま去って行った。
あの時に頭に浮かんだことはただ1つ。
あたしは彼の中で、最上恵美には勝てない女なんだと言うこと。
眼中に無いんだと言うこと。
そして、気づいた……気づいてしまったこともある。
やっぱり、あたしの中であの女は邪魔者なんだってこと。
気に入らないと思っていたことは事実。
あの女のせいで、円華くんがあたしのものにならなかった。
あの女が現れてから、あたしの人生が狂ってしまった。
あたしが学園を離れていた間に、2人の絆が強くなっていた。
その中に割って入ることが、誰にもできないと思えるほどに。
それでも、あたしにとって椿円華は残されたたった一つの光のような存在で、すがりついてないと不安でしょうがなくなる。
それなら、どうすれば良いのか。
あたしは1度、焦ってやり方を間違えた。
「どうしようもないじゃない」
ショッピングモールで、どれだけ欲しいものを買っても心が晴れない。
周りには、あたしに対して何の興味も無さそうな通行人だけ。
目の前の壁には、別に興味もないピアスが並んでいる。
買っても晴れないなら、盗んだらどうなるんだろう?
後先のことを考えずに、吸い寄せられるように中央にあった緑色のピアスを取って左肩にかけている鞄の中に入れようとした。
見つかっても見つからなくても、どうでも良い。
どうせ、この学園はやったもの勝ちの世界なんだから。
だから、あたしがこんなことをしたって……。
鞄の中にあと少しで入るというその時、思いもしなかったことが起きた。
誰かにピアスを持っていた手を掴まれた。
誰かって言ったのは、本当に誰かもわからなかったから。
「止めるんだ。そんなことをしたって、後で後悔することになるだけだから」
「……え?」
青い髪をした、同い年くらいの男子だった。
とても純粋そうな、澄んだ緑色の瞳をしている。
その目が、今のあたしには気に入らなく見えた。
「離しなさいよ」
「君がこれを棚に戻すなら、僕は今すぐにでも離すよ」
手を振りほどこうとしても、力が強くて振りほどけない。
あたしは男子を睨みながら、小声で怒りを露わにする。
「あんたには関係ないでしょ!?それとも、このまま店員に突き出すつもり?」
「それも1つの方法だけど、できればそんなことはしたくない。そのピアスを棚に戻すんだ。変に注目される前に早く。それまで、僕は絶対に君の手を離さない」
「うっざいなぁ。あんたのこと、痴漢って訴えてもいいんだけど?」
「君はそんなことはしないだろ?ピアスを盗もうとしたことが知られるリスクがある」
脅しを冷静に返されてしまった。
余計に腹が立つ。
「今の君は間違ったことをしようとしている。このままじゃ、ろくな大人にならないよ?」
「ろくな大人って……他人があたしに偉そうにっ…!!」
「万引きは悪いことだ。間違ったことを間違っているというのに、偉そうも何もないだろ。それとも、僕以外の誰かに言われたら、君は万引きを止めるのか?」
そう言われた時に、最初に浮かんだのは円華くんの呆れたような顔だった。
彼なら、この状況をどうしたんだろう。
この男みたいにあたしを止めてくれるのか、それとも『バレないようにしろよ』と言うだけなのか。
止めるにしても、そんなに真剣に止めてくれるとは思えない。
あたしが言葉が出ずに黙っていると、正論男は溜め息をついて強引にピアスを奪い取って歩きだす。
「ちょ、ちょっと、何する気!?」
「いいから、ついてきて」
男はあたしの方を見向きもせずに進み、カウンターまで来てしまう。
もしかして、言っても聞かないからってあたしを店員に突き出すつもり?
それなら、それでもいっか。
この際、どうにでもしてって感じだし。
でも、男はあたしのどんな最悪な予想も裏切った。
カウンターにピアスを置き、店員に「これ、買います」と言った。
それが、とても信じられなかった。
「ちょっと、買ってなんて頼んでないでしょ!?」
「うん、頼まれてないね。でも、君はこれが欲しかったんだろ?この才王学園のシステムのことは聞いている。状況によって止むを得ず君が間違ったことをするくらいなら、そうする前に僕が正しい方向に変えるだけだ」
「何それ、あたしに恩を売るつもり?」
「そんなんじゃない。僕は、僕の正しいと思ったことをしたいだけだ」
話している間に会計は終わり、男は「ほら」と言ってあたしにピアスの入った小包を渡してきた。
「……要らない」
「なら、着ける前に明日返品してくれ。金は君のものにしてくれて構わない」
一応、受け取った。
だけど、心のモヤは晴れない。
この男の言葉とか姿勢が、あたしの中で気持ち悪さを生む。
どうしてかはわからないけど、気に食わない。
「迷惑なんだけど、あんたの自己満足に巻き込まれるの」
「自己満足……か、言われ慣れてる。でも、君が間違ったことをしなくて良かった」
間違ったことって……うるさいなぁ。
あたしは元から、間違いだらけの女。
それを知らないで、こんなことを言ってくるこの男が、こんな男があたしは……。
ショッピングモールを出て、勝手について来た男を周りに人が居ない内に睨みつける。
「何でついてくるわけ?」
「君がまた万引きしようとしないか、それを見張っているだけだ」
「うっざ」
「そう言われるだろうこともわかっている。これも僕の自己満足だ。万引きしそうになったところを見つかったのが不運だと思って、諦めてくれ」
やっぱり、この男を見ているとイライラする。
眩しすぎるくらいに、正しいことをしようとしているこの姿勢が気に入らない。
何よりも、あたしに正しさを押し付けようとするのが気持ち悪い。
「あたし、あんたみたいな男が大っっ嫌い」
不思議と、思っていた言葉がすぐに出てしまった。
存在を拒絶されたにも関わらず、男は嫌な顔1つせずに平然とした表情を崩さない。
「残念なことに、嫌われることにも慣れてしまってるんだ。別に好かれようと思って君を止めたわけじゃないから」
男の表情は裏表の無さそうな笑みになっている。
……あたしに足りないのは、こういうものなのかもしれない。
嫌われても、誰かに何かをしたいと思う気持ち。
それがあたしには無いんだ。
だから、昨日……円華くんを止めることができなかった。
これ以上踏み込んだら拒絶される以上に嫌われると、心の中で無意識に思っていたのかもしれない。
そんなことに、今になって気づくなんて……こんな、誰かさんと正反対の男に気づかされるなんて。
「……あんた、名前は?」
「人の名前を知りたかったら、自分から名乗るべきじゃないかな?」
やっぱり、うざい。
「あたしは……住良木麗音」
仕方なく名乗れば、次に男も名乗ってくれた。
「僕は、柿谷一翔。阿佐美学園の1年です」
違う学園の名前が出てきたので、警戒して目を細めてしまう。
「阿佐美って……ここの生徒じゃないの?」
「うん。今日はうちの学園長に無理して頼んで、付き添いで来ただけなんだ」
「わざわざ、才王学園に?……どうして?」
理由を聞くと、柿谷の表情が少し曇り、天井のドーム状の空を見る。
「どうしてって言われたら……そうだな。見てみたかったんだ。昔お世話になったお姉さんの居た、弱肉強食の学園をね」
その顔はどこか黄昏ているように見えて、悲しみを感じさせる目だった。
柿谷は視線をあたしに戻したかと思うと、その向こうにある時計を見て目を見開いて「あっ!」と驚く。
「そろそろ学園長を迎えに行かなきゃいけない時間だ……。ごめん、僕もう行かなきゃ!もう万引きなんてしようとしたらダメだよ?縁があったら、また会えたら良いね」
そう言って、柿谷は走って笑顔で行ってしまった。
結局、彼がどういう男だったのかはよくわからない。
だけど、自分に実直な男なんだという感想を覚えた。
そう……円華くんのように。
人通りも多くなってきたので、あたしは人当たりの良い優等生モードに戻して寮に戻った。
その時には、最上恵美への劣等感も薄れていて、少し不安から解放されたように思えた。
柿谷に優等生キャラを演じることを忘れるくらいに、感情が表に出てしまっていることに気づいたのは、この後すぐのことだった。
感想、評価、ブックマーク登録、よろしくお願いいたします!!




