鞘と刃5
俺と一翔は、部屋の前で放心状態になりながら並んで座っていた。
屋敷の中で殺人が起きたということで、それぞれの家に帰ろうとしていたのが延期になる。
考えられる可能性の1つに、一族の誰かが殺人を起こしたということも含まれているからだろう。
冷たくなっていく蒔苗の身体、そして最後に見た笑顔。
まだ感覚として脳裏に焼き付いている。
「蒔苗は……助かるのかな」
「わからない。だけど、親父が何とかしようとしている。今は親父を信じるしかないだろ」
一翔の表情から動揺が消えない。
人の死を初めて見たのだろう。
手がまだ震えている。
俺だって、2年前以来の光景だ。
落ち着いているわけがない。
「誰でも良いから、蒔苗を助けてよっ…!!」
頭を抱え、振り絞るようにでる一翔の願い。
それを聴いているのは、俺だけ。
「蒔苗を助けるのは、俺たちにはできない。助けるための知識も無ければ、足がすくんで動けない始末だ」
言葉を区切ると、一翔は俺の横顔をじっと見る。
「俺なら多分……蒔苗の心を助けることはできる。あいつが助かることは前提だ。だけど、助かった後も、殺されるかもしれない可能性は残っている。だから……」
一翔の心を少しでも安心させるように、そして自分に言い聞かせるために決意を口にした。
「蒔苗たちを襲った奴は、俺が倒す」
静かにそう呟けば、一翔が俺の胸倉を掴んで目を合わせる。
「それは、仇を取るっていうことか?」
「それ以外にどんな意味があるんだよ?」
「そんなこと、蒔苗が望むと思うのか!?」
「じゃあ、蒔苗がまた殺されそうになっても良いって言うのかよ!?」
蒔苗が助かれば、それを知った犯人がまた殺しに来るかもしれない。
そうなる前に、犯人を見つけ出すしかない。
「敵討ちなんてしても、何も変わらない」
「変わる必要なんてあるかよ。この状況で、どっちも被害を受けない平和的解決なんてありえない」
前に修行中に師匠が言っていた言葉を思い出す。
それを一翔に向かって言った。
「誰かを救いたいなら、何かを切り捨てる覚悟を持たなきゃいけない。それなら俺は、倫理観なんて捨ててやる」
「そんなのは間違っている。何も切り捨てないで済む方法はあるはずだ」
「その方法を探している間に蒔苗が死んだら、元も子もないだろ」
「蒔苗は死なせない。僕が死なせない」
「それは理想論だ。理想だけじゃ救えない命がある」
一翔を睨みつけ、頭突きをして頭を冷静にさせる。
「誰かがやらなきゃならないんだ。その誰かは、嫌われ者の俺に向いている」
「君の言っていることは間違っている。誰も傷つかない方法はあるはずだ。誰も傷つけない方法はあるはずなんだ!!自分から傷つきに行く必要はないじゃないか!?」
一翔の言いたいことはわかる。
多分だけど、こいつは俺のために止めようとしているんだ。
でも、俺は蒔苗と一翔が傷つかない明日を作りたい。
だから……。
「おまえは俺を否定し続けろ。そして、誰かを傷つける以外で人を救う方法を探し続けろ。……その方法を探すことは、俺にはできないから」
その方法を探すには、俺はもう遅すぎる。
自分が化け物だって気づく前なら、それを一緒に探せたかもしれない。
しかし、それこそ理想論だ。
過去のタラレバを言っても、仕方がないんだ。
一翔は悲しそうな表情をし、その後は何も言わなかった。
俺も自然と口を閉じてしまう。
しばらくして沈黙の時は終わり、部屋から親父が出てきた。
「こっちの道に来る覚悟はできたか?」
「うん。……わかったんだろ?犯人が」
「ああ。おまえにとっちゃ、因縁のある相手だな。間接的な意味だが」
「どうでも良いよ。蒔苗をあんな目にあわせた奴を、俺は許さない」
親父は俺の目を見て、ふっと笑う。
「それだけの怒りがあれば上等だ。涼華を呼んでくる。外で準備しろ。谷本殿との修行の成果を生かす時が来た」
「了解」
最後に一翔を見ると、あいつは強い眼差しで俺を凝視していた。
「……絶対に帰って来い。それで一発殴らせろ」
「止めないのか?」
「これが間違っているのはわかっている。でも、君が言っても聞かないのはわかったから。それに僕も犯人が許せない。僕じゃ何もできない。だから、君に任せる」
「でも、間違っていることだから、俺を殴るってか?」
「そうだ。そして、君も僕のことを殴ってくれ」
「止められなかった自分への罰ってことか。……わかった」
俺と一翔は拳を合わせて別れ、親父と一緒にその場を去る。
「俺と涼華に任せても良いんだぜ?」
「駄目だ。ここで誰かに任せたりしたら、俺は自分を許せない」
「……戻れなくなるぞ?人の命を奪うってことは、簡単じゃない」
「経験済みだ」
「……そうだったな」
親父なりに、最後の最後まで俺を止めようとしていたのだろう。
しかし、こっちの意志は固い。
因縁だろうと何だろうと、そんなのはどうでも良い。
ただ、この1週間で初めてできた友達を殺そうとした奴に、俺の怒りをぶつけたいだけだ。
玄関を出ると、涼華が待っていた。
その手には鞘に納まっている小太刀が握られている。
「おまえも来るのか?」
「当然だろ」
「……わかった。おまえが決めたことなら、止めない」
そう言って、涼華は小太刀を俺に渡した。
「これは?」
「師匠から、もしもの時があったら渡してくれと言われていたんだ。受け取れ、おまえの仕事道具だ」
小太刀を受け取り、3人で車に入る。
これから俺は、椿家の闇に足を踏み込むことになる。
そのことに後悔する日は、今も来ない。
ーーーーー
夜、椿家である準備が始まった。
涼華は拳銃とナイフの手入れをし、俺は小太刀の刃を見る。
「今更怖気づいたのか?」
「まさか。ただの精神統一だよ」
お互いに背中を向けたまま言葉を交わす。
見られたくないんだ。
人を殺す準備をしている相手の姿を。
「今回の殺人を起こした犯人の名前、本当に知らなくて良いのか?」
「興味が無いって言ってるだろ。涼華も親父もしつこいんだよ」
「まぁ、そう言うなよ。オレたちにしてみれば、何ともやりにくい相手だし、奇妙な感覚があるからな」
「奇妙……?」
言っている意味がわからず、聞き返してしまう。
今回の桃園家襲撃の犯人と俺に何の関係があるって言うんだ。
「一応言っておくぜ。親父の調べだと、今回の襲撃は栗原家の仕業だ」
「栗原……」
全然聞き覚えのない名前だった。
それを察したのだろう、涼華が説明してくれた。
「おまえと奏奈が襲われた2年前の事件の首謀者だ」
2年前の暁の夜のことを思い出す。
ヘルメットを被った男が銃を向け、俺の中の何かを目覚めさせた。
あの時の感覚は今でも身体に染みついている。
「……どうして……」
「理由は本人たちに聞かないとわからない。だが、大方は桜田家への復讐だろうな。栗原家は分家に属しながらも、本家を敵視していた。いつかは当主を暗殺しようとしていたかもしれない。今回の襲撃の手口は暗殺のそれだった。桜田家への宣戦布告だったんだろう。『いずれ、おまえもこうなる』ってな」
「当主がどうなろうと、別に俺にはどうでも良い。……だけど、そのとばっちりで蒔苗が殺されるなんて納得できるわけないだろぉが!!」
爪が食い込むほどに拳を握るが、その怒りを涼華に向けても仕方がない。
「納得できないのは理解できる。それはオレも同じだ。栗原はもう、越えちゃいけない一線を越えてしまった。だから、オレたちが始末をしなくちゃならないんだろ」
涼華の声から、悔しさと悲しさが伝わってくる。
俺も同じ気持ちだから。
「悔しいよな……それに惨めだ。俺たちは、何かが起きた後じゃないと動けない。だけど、報いを受けさせることはできる。誰かを傷つけるってことは、それ相応かそれ以上の痛みを受けるっとことを思い知らせないとな」
銃のスライドを引き、瞬時に発砲する音が響いた。
後ろを向くと、涼華の10メートル先にある人型の的の額を貫通していた。
「……暗殺稼業として、どっちが上手か……。蒔苗のためにも、身体の芯にまで刻みこんでやらないとな。死の重みを」
その時の涼華の目から、光は消えていた。
この時、俺は初めて暗殺者のスイッチが入った姉を見たんだ。
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ターゲットの住居を確認した。
車は距離にして30メートル離れた場所に止められた。
車内には重たい空気が流れ、その中でも俺は構わずに精神統一を続ける。
「着いたぞ、円華」
「……わかった」
いくら意識を集中させても、何かが足りない気がする。
気持ちが揺らぐ。
まだ、迷っているのか……。
2年前のように、衝動に任せて人を殺すかもしれない。
その恐怖が、俺の刃を鈍らせるかもしれない。
小太刀を握っている手が震え、それを止めようとすればするほど激しくなる。
隣に座っていた涼華が、それに気づいて俺の手を握ってきた。
「胸を張って首を引け」
「……は?」
「良いから、言われた通りにしろ。そして、その状態で深呼吸しろ」
言われた通りにすれば、震えが少し治まった。
「おまえはオレの命令で人を殺せ。今から起こることも、オレの命令だ。おまえの意思での殺人じゃない」
「……涼華、何を言いたいんだよ?」
「おまえの殺人の罪は、俺が肩代わりするって言ってんだ。だから、おまえはオレの命令以外で人を殺すな。……良いな?」
そう言って、涼華は俺の手にある物を握らせた。
「これは……」
「師匠との修行で、あの人の戦い方を学んだんだろ?それなら、あの人と同じ条件になった方がやり易い。それを着けて戦ってみろ」
「……了解」
その時渡されたのが、黒い眼帯だった。
今思い出せば、この時に姉さんは俺の中のスイッチを作っていたのかもしれない。
この時から暗殺者の俺のスイッチは、姉さんの命令とこの眼帯になったのだから。
涼華が車のドアを開ける。
「じゃあ、行くか。初仕事だ」
「了解!」
もう迷いは無い。
今から俺は、無慈悲な暗殺者だ。
ターゲットが誰でも関係ないと思っていたが、俺の人生を変えた奴らが相手なら好都合だ。
栗原家……これ以上の殺戮は許さない。
蒔苗を殺そうとした罪を、その死をもって償わせてやる。
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栗原家の前に来れば、当然門に鍵がかけられている。
涼華は壁を見上げ、高く跳んで上に乗る。
「マジかよ……」
「驚いている時間はねぇよ、バカ。ほら、さっさと手を伸ばせ」
言われた通りに手を伸ばして跳び、壁の上に上げてもらう。
そこから降り、潜入成功。
それと同時に、センサーに引っ掛かったのか警報が鳴った。
想定されていたかのように、すぐに警備の者がぞろぞろと集まってきた。
「どうするんだよ、涼華ぁ……」
「名前で呼ぶな。今のオレはアイスクイーンって呼べ」
「ダサッ!」
「うっせぇ」
涼華は腰からナイフを抜いて逆手に構え、俺は鞘から小太刀を抜いて構える。
「おまえは護身用に構えているだけで良い。オレの戦い方を見て、多勢に無勢の戦い方を学べ」
「……は?もしかして、この数を1人で相手するつもりかよ!?俺だって―――」
「足手まといだ。メインは譲るんだから、量はオレに譲れ」
唇を舌で舐め、50人近く居る警備隊に突撃していく。
普通なら無謀だ。
相手は銃を持っており、近距離武器でも警棒を持っている者も居る。
すぐに袋小路にあって殺されるのが落ちだ。
そう、普通なら。
涼華の動きは、常人の目では追えないくらい速かった。
常に相手の目の動きを瞬時に認識し、死角に回りこんでは首や腕をナイフで掻っ捌く。
まるでナイフを自分の手のように自在に振るっている。
警棒でナイフを止められる前に、動きのブラフを使って体勢を崩させて腹を斬る。
30秒する頃には、警備隊の数は半分になっていた。
「流石に久しぶりで腕が落ちたなぁ。最短記録よりも大幅に時間がかかっている」
おい、最短記録で何秒なんだよ。
つか、目がギラギラしてるよ。
うわぁ、ナイフに付いた血を舐めてるし。
「さぁさぁ、オレを止めたいなら、もっと本気だせよ。弱い者虐めしかできないってか?ふざけんじゃねぇぞ!?」
傍から見たら、涼華は殺しを楽しんでいるように見えるかもしれない。
でも、俺にはその時の涼華が悲しみを押し殺しながら殺しているように見える。
自分を責めているように見えた。
警備隊を全員を殺した時には、涼華の手と顔は血に染まっていた。
「……先を急ぐぜ。ターゲット以外の邪魔な奴は、全員俺の獲物だ」
「わかった。……任せるよ」
俺たちは栗原の屋敷に入ることができた。
そこから先のことは、あまり思い出したくない。
だけど、あの出来事があったから、俺は鈴華を姉と呼べるようになったんだ。
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