鞘と刃2
一族の集まりが退屈なのは、2年経っても変わらなかった。
大人たちは当主である玄獎の顔色を窺って近況を報告し、そうでない者は料理や酒を手に取りながらそれぞれの業界での情報を交換し合っている。
子どもは子どもで自由なものだとは―――誰も思わないだろうな。
親の面子を潰さないように、心を殺して礼儀正しくしている奴がほとんどだ。
涼華の隣に座りながら黙々と冷ややっこを食べていると、不意にあいつはこう言ってきた。
「2年ぶりの母親の味は懐かしいか?」
「豆腐と醤油の味なんて、どこでも一緒だろ」
「昔を思い出したくないから、わざとそれしか食べていないんじゃねぇの?」
「まず第一に、母親の味なんて知らねぇよ。あの女が料理している所なんて、見たことがない」
「陰で何品かは作ってたりしてな」
何だよ、珍しく突っかかってくるな。
こういう時の対処は心がけている。
「見えない努力を主張したところで、結果が伴わなければ意味は無い。誰の言葉でしょうか?」
「……っふ、オレの言葉だな。悪かったよ、からかっただけだ」
自分の言った言葉を繰り返してやれば、バツが悪くなる奴は多い。
その言葉を1つ1つ覚えていれば、使える方法だ。
「弟で遊ぶなんて性質が悪い」
「自覚はしてる」
「直せよ」
「命令すんな、バカ」
不毛なやり取りをしていると、どこからか息苦しいくらいの敵意を感じる。
さりげなく周りを見てみると、1人の女がこちらを怒りを隠さずに凝視しているのが視界に入った。
その女の存在に気づくと、涼華が小さな声で名前を呼んだ。
「円華」
「な、何だよ?まだ何もしてねぇぞ?」
「注意されるようなことをしようと思ったのか?……全く。おまえの今の家族は誰だ?」
「……涼華と、親父やおふくろ、椿組のみんなに決まってるだろ」
「そうだ。だから、他の余計な縛りは気にするな。あの子には、あとでオレが話をする」
「何で涼華が?」
「まっ、姉の意地って奴を受け止める役は必要だろ。今はオレが適任ってだけさ」
「……何だよ、それ?意味わかんねぇし」
「ガキはわかんなくて良いんだよ」
涼華は頭を荒っぽく撫で、俺にはにかんだ笑みを見せた。
こういう時、深く追及することを憚られる。
涼華が笑うのは、大抵は本当に嬉しい時と何かを隠す時だけ。
そして、今のは後者だ。
「心配すんな。おまえの気持ちは、ちゃんと伝えるから」
俺が察しているのは想定済みかよ。
「……わかったよ、涼華に任せれば良いんだろ」
「ああ、たまに聞き分けが良いおまえは大好きだぜ」
「き、気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよっ…!!」
涼華は最後に激しく頭を撫で、本当の笑顔で手を離して席を立った。
何も言わずに部屋を出ると、それを待っていたかのようにあの女は涼華の後を追っていった。
あいつの目的が自分だってわかっていたのか。
あの様子から俺に見られたくないってことなのかもしれないけど、それでも気にならないわけじゃない。
冷ややっこを食べ終えて2人を追おうとすると、その前に俺を呼ぶ声が聞こえた。
「円華、ここに居たのか?」
「……柿谷……一翔…」
声をかけてきたのは柿谷一翔で、その後ろには桃園蒔苗も居て「あ、円ちゃんだ」と手を振ってくる。
俺がフルネームで名前を呼ぶと、柿谷は不服そうな表情をする。
「だから、僕のことは一翔って呼んでくれよ」
「それは別に後で良いだろ。つか、人目がある所で俺に話しかけるなよ」
「話しかけるなって……何で?」
「な、何でって……」
一翔は首を傾げては怪訝な表情をし、蒔苗も「ん~?」と言っては目を少し見開いている。
こいつら、本当にわかっていないっぽいな。
俺には嫌というほどにわかる。
この場の空気が、俺の存在に気づいた瞬間に凍てついたのが、はっきりと。
俺と話してはいけないという、暗黙のルールでも追加されたのか。
2人の親がすぐにこっちに来て、手を引いては俺から離そうとする。
「一翔、その子に関わるんじゃない!!」
「え!?ど、どうしてですか、お父様!!」
「蒔苗、勝手なことをするんじゃありません!!」
「い、いやだー!!」
早く俺から離したい親と、それを拒否する一翔と蒔苗。
俺はそれを見ることしかできない。
その中で、一翔の父親と目が合うと軽蔑の目で見下ろされた。
そして、小さな声でこう呟かれたのを聞き逃さなかった。
「この忌み子め……」
その一言がどういう意味なのかは、その時は知らなかった。
だけど、いい意味じゃないことだけはわかったんだ。
こんな大人に、容赦なんて必要ないよな。
その軽蔑の目に対抗して殺意を返せば、一翔の父親は「ひぃ!!」と変な声を出しながら怯んで尻もちを着いた。
「大の大人が子どもに怯んでどうすんだよ。だっせぇな」
今ので場の空気がさらに悪くなった。
親父が玄獎の元から離れて俺の方に来れば、一翔の父親に手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?柿谷殿」
「椿殿……結構だ!!」
勝手に怒って立ち上がり、恥を感じたのか一翔を置いて1人で部屋を後にしてしまった。
蒔苗の母親も、親父を見ては娘を置いて去ってしまう。
我が子よりも、自分が可愛いか。
本家がそうだと、分家もそうなるんだろうな。
親父は一翔と蒔苗を見ると、膝を曲げて視線を合わせ、強面の笑みを浮かべる。
「悪ぃな、坊主に嬢ちゃん。後でお父さんとお母さんに、うちのバカ息子が悪かったって形だけ言っておいてくれ」
「な、何で!?円華は何も悪いことしてないよ!?」
「そうだよ、円ちゃんは悪くないもん!!変なのは母様たちだもん!!」
本当にそう思っていることは、2人の必死さから伝わってきた。
だからこそ、申し訳なさを感じる。
俺が『椿円華』だから。
親父は2人の不満を受け止めながら、笑顔を絶やさない。
「そうだな……そう思うなら、2人は円華のことを信じてやってくれ。大人になると、自分が間違っていることが分からなくなる。だから、建前って奴が必要なんだ。……難しいか?」
一翔も蒔苗も、親父の優しさの籠った目を見てはゆっくりと首を横に振った。
「そうか。じゃあ、ここに居ても退屈だろ?うちのバカと一緒に他の部屋で遊んでこい」
「は?おい、親―――」
「良いの!?じゃあ、円華、一緒に行こう!!」
「はぁあ!?」
一翔と蒔苗に両手を握られ、部屋を出る俺。
すれ違いざまに親父の顔を見ると、その視線は俺に向いていなかった。
向いていたのは、静かに怒りの表情を浮かべている桜田家の当主の方。
もしかして、親父は俺をこの場から……?
真意を確かめる間もなく、部屋の戸は親父によって閉められてしまった。
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遊びに行けと言われたが、こんな夜にどこで何の遊びをすれば良いんだよ。
部屋を出たは良いけど、縁側に座って2人で考えている様子を見るに何も考えていなかったのだろう。
「ねぇねぇ、円ちゃんはいつも家でどんな遊びをしているの?おままごと?」
「遊んでる暇なんてねぇよ。釣りしたり、イノシシ狩りしたり、農園の手伝いはさせられるし、涼華からは勉強とか訓練とかさせられるし……」
「うわぁ~、面白そう!!」
「どこが!?おまえ、話聞いてたか!?」
蒔苗のプラス思考に呆れて溜め息をつくと、一翔が何かに気づいたのか耳の後ろに手を当てる。
「……何か、話し声が聞こえる」
「お話?どこだろう」
話……もしかして。
俺は2人に何も言わずに思い当たる2人を探すと、すぐに見つけることができた。
涼華とあの女……奏奈が対面して何かを話していた。
「待てよ、円華!!」
「円ちゃん、足速~い~」
「しーっ!!声が聞こえないだろ」
追いかけてきた一翔たちに静かにするように良い、遠くから気づかれないように聞き耳を立てる。
「円華は私の大好きな弟なの、私から円華を取らないで。あの子には、私が居ないとダメなんだから!!」
「何時までそれを言い続けるつもりだ?奏奈。その我儘だけは、誰にも許可できないことだとわかっているだろ。あいつは、もう桜田には戻れないんだ」
奏奈の怒りを、涼華は冷静に受け止めて言い聞かせようとしている。
論題は俺のことみたいだけど。
あの女、何を今さら拘ってるんだ。
あの時、見捨てたくせに……。
「円華には、私が必要なの!!私が居ないと、トイレにも行けないんだから!!」
「あいつはもう1人で必要最低限のことは全部自分でできるようになっている。今の円華に、おまえは必要ない」
「嘘!!円華はお姉ちゃんがお世話をしないと、何もできないんだから!!」
「そうか。……なら、『桜田円華』はそうなんだろう。しかし、『椿円華』は違う。今のあいつは自分で力を付ける道を見つけ、多くのことを学んでいる。姉であるオレが何もしなくてもな?」
「……円華のお姉ちゃんは……私っ!!」
奏奈が怒りを露わにするところを初めて見た。
あいつは涼華に手刀の構えをして特攻しようとした。
しかし、すぐに動きを止めた。
涼華は臨戦態勢に入らずに、腕を組んだまま奏奈を見下ろしている。
「……どうした?かかって来ないのか?」
奏奈は唇を強く噛み、手を下ろす。
手を合わせなくても悟ったんだろう。
涼華と戦っても、勝つ可能性が微塵も無いということを。
「おまえはさっき、円華は自分が居ないと何もできない。円華には自分が必要だと言ったな」
「それが何?本当のことよ‼」
奏奈は自分の主張を変えない。
頑なな彼女に、涼華は冷徹な目を向けた。
「もう1度、はっきりと言ってやる。オレの『弟』に、今のおまえは必要ない」
「っ!?」
目を見開き、一瞬だけ大きく身体が震えた奏奈。
「う、うう、ううるさいぃいい!!」
癇癪を起こして暴れそうになるが、奏奈は涼華の実力を察してしまった。
そこから取れる行動は1つだけ。
涼華に背を向け、そのまま走って行ってしまった。
その敗者の背中に向かって、この場の勝者は最後にこう言った。
「おまえの間違いを訂正しておくぜ。円華がおまえに依存していたんじゃない、おまえが円華に依存していたんだ。弟の力を信じてやれないで、何がお姉ちゃんだよ。ふざけんな‼」
その言葉が届いたのかどうかは、今となってもわからない。
ただ、この時俺は涼華の言葉1つ1つに、心が温かくなったんだ。
「涼華……」
名前を呼んで近づくと、あいつは俺たちの存在に気づいてバツの悪そうな顔をする。
「げっ……おまえ、何で……」
「涼華……もしかして、俺のために……」
俯いてしまうと、溜め息をつく声が聞こえた。
「当たり前だろ。まっ、今はオレがお姉ちゃんだからな」
「……うるっせぇよ」
涼華がフフンと笑い、俺の後ろに居た2人に目を向ける。
「円華……おまえ、遂に友達できたのか?」
「は?いや、その2人は―――」
「そうだよ!!蒔苗だよ!!」
「か、一翔です!!」
蒔苗は元気に挨拶し、一翔は顔を真っ赤にして姿勢を正しながら名乗った。
「そうかそうか、バカ弟をよろしくな」
涼華はそれだけ言って、笑顔で座敷部屋に戻って行ってしまった。
その時に、一翔がずっと涼華の後ろ姿を見ていた理由は、後になってわかることになる。
 




