鞘と刃1
恵美から1週間の猶予を言い渡され、部屋の中で1人で孤独を噛みしめていると、ふとこの前和泉と話したことを思い出した。
幼馴染。
あの時、俺は彼女に嘘をついた。
確かに、そう呼べるはずだった存在は居た。
だけど、もう俺にそう名乗る資格は無い。
机の引き出しを開け、その中から1枚の写真を取り出して見る。
椿円華として初めて撮った写真だ。
そこに映っているのは、6歳の時の俺と高校生の姉さん。
そして、青髪の少年と桃色の髪の少女。
「姉さん……一翔……蒔苗……。今の俺を見たら、どう思うんだろうな?」
思い出すのは、2代目としての原点となる記憶。
10年前に自分の意志で犯した、罪と亀裂の過去。
ーーーーー
1度裏切られると、人を信じることは難しい。
家族だと思っていた者たちに裏切られたら、他に誰を信じることができるのだろう。
椿家で生活して2年が経ったが、未だにその答えは見つからなかった。
涼華や親父たちのことが嫌いなわけじゃない。
師匠の教えだって、強くなるためだと割りきって従っている。
でも、俺の心はあの暁の夜から穴が空いたままだった。
家族として受け入れられても、弟子として育ててくれても、信頼という言葉が浮かぶと胸が痛くなった。
拒絶していたのかもしれない。
そんな中で、椿円華として生きて2年が経った日。
俺は涼華と親父に連れられて、桜田家の屋敷に顔を出すことになってしまった。
車の中で黒服に送られているとき、運転している部下が後部座席に座っている俺をカーブミラー越しに心配した目をちょくちょく向けてくる。
「当主、やっぱり、円華坊ちゃんを連れて行くのは止めませんか?」
「野島……何度も話しているだろ?これは玄獎様からの指示で、円華も納得している。おまえが気に掛けることじゃねぇ」
「ですけど……。坊ちゃんは、本当に納得しているんですかい?」
話を振られると、俺は間髪入れずに強く頷いた。
「……今のあのクソ爺が俺を見てどう思うのか、それが知りたいから」
思ったことをそのまま言えば、隣に座っていた親父に頭を殴られた。
「クソ爺は止めろ、クソガキ。せめて、当主って呼ばねぇか」
「ちぇ」
舌打ちをしてそっぽを向き、外の風景を見る。
桜田家に向かう道は初めて通るから、全てが新鮮だ。
当然だ。俺は生まれてからの4年間、ずっと屋敷の中の世界が全てだったのだから。
海沿いの屋敷だってことも、今初めて知ったくらいだ。
「あれからもう、2年経つんだな……」
涼華が目を閉じて腕を組みながら何気なく呟いたが、それには聞いていないふりをした。
あの時のことはあまり思い出したくない。
悪い意味で、いろいろなことが起き過ぎたから。
思い出して少し苛立ちを感じていると、親父がそれに気づいて粗く頭を撫でてきた。
「なっ、いきなり何だよ!?」
「安心しろ、円華。おまえは何があっても、俺たちの家族だ。見捨てたりしねぇよ」
「お、親父……」
目を見開いて親父を見上げると、涼華が鼻で笑う。
「……臭いのは加齢臭だけにしろよ。親父が言っても、臭い台詞にしかならねぇ」
「んだとぉ~!?今、俺良いこと言ったよなぁ!?」
「言うのが中年の親父だからな〜。親父よりも若いイケメンが言った方が絵になる」
「お嬢、それを言ったらお終いな気が……。当主は精神年齢だけは若いんですから」
野島がミラー越しに苦笑いを浮かべている。
「の、野島、おまえもかぁ……」
落ち込んだ様子の親父を見て、俺は笑みを浮かべてしまう。
2人は俺に気を遣って、親父を弄ることで気持ちを和ませてくれたんだ。
さっきまで抱いていた苛立ちが、嘘みたいに消えていった。
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桜田家の門の前で車を降り、3人で中に入る。
出迎える者は誰も居らず、玄関の前まで来れば、その前に静かに立っている男が1人。
「遅かったな、清四郎。私を待たせるとは、大した心構えだ」
「そう言うなよ、玄獎。これでも飛ばしてきた方なんだぜ?」
2人は視線を合わせ、互いに表面上だけの笑みを浮かべている。
俺はと言うと、黙って憎たらしい中年の爺を見られるほど大人じゃない。
すぐに玄獎の野郎を殴ろうとするが、涼華に襟元を掴まれて止められた。
「離せ!!離せよ、涼華!!」
「離したら殴りかかるだろうが、バカ」
手と足を振り回して離そうとするが、涼華の握力が強くて離さない。
しかも、やる気のないすまし顔なのが腹立つ。
「一発でも殴らねぇと気が済まねぇんだよ!!」
「一発も当たんねぇし、殴った所で大問題だろぉが」
「そんなの知るかぁ!!」
涼華と俺を見ても、玄獎の無表情は変わらない。
その目は黒く、ただ冷たい。
「清四郎」
「ん?」
「娘はわかる。いずれ、おまえの後を継ぐ者なのだから、集会に顔を出すのは納得しよう。しかし、何故その養子を連れてきた?」
……養子。
名前すら、呼ぶつもりはねぇのかよ。
「ぶん殴る!!」
「だから、ダメだって言ってんだろ、バカ弟が」
激しく暴れるが、遂には涼華に片手で身体を吊られてしまった。
「離せって言ってんだろ、ゴリラ女!!」
「誰がゴリラだ、タコガキ!!」
髪が肩まで長いから、時々怒ったらタコガキと呼ばれる。
涼華は俺が暴れるのも物ともせずに玄獎を見る。
「あんた、相変わらず性格悪いよな、当主」
「何の話だ?」
「……白々しい」
涼華が珍しく怒りを込めた視線を送る。
だけど、それは玄獎には届かない。
涼華は何かに気づいたみたいだけど、この時の俺は玄獎への怒りで我を忘れていたんだ。
その後、玄獎は俺を見ずにそのまま屋敷の中に入っていき、それに3人でついて行く。
俺は涼華に吊るされたままだけど。
それでも、涼華が止めなければ、無謀でも何でも玄獎に噛みついていたことは間違いない。
俺を捨てたこの男を、この先何年経っても許すことは無いのだから。
ーーーー
親父と涼華、玄獎は奥の部屋に行き、俺は1人で広い畳の部屋に置いて行かれた。
この屋敷の無駄なだだっ広さは2年前と変わっていない。
この畳の部屋で、いつも……あの女と一緒に遊んでいた。
今となっては、2度と思い出したくない過去の1つだ。
ここに居ても、嫌な意味で思い出に浸りそうになるので、誰にも言わずに部屋を出て縁側を歩く。
1つの大きな客室の中で多くの話し声が聞こえてくる。
俺のことを男だと見抜けなかった、あのアホ面の大人たちか。
何を話しているのか興味は無かったが、不意に俺の名前が聞こえてきた。
「円華様も、ここに来られているそうよ?」
「おまえ、もうあの娘に様を付ける必要は無いだろ。本家から追放された娘など、汚れ役の椿家がお似合いだ」
腐った目をしている爺にお似合いなのは、カビた脳みそと同じだな。
未だに俺のことを女だと勘違いしている爺に軽蔑しながら、部屋を通り過ぎる。
2年経っても俺が男だと言う事は明かされていない。
もはや桜田家の人間じゃない俺の性別なんて、言っても意味は無いか。
久しぶりに屋敷の中を歩き回っていると、俺を横切る召使いの何人かからはおぞまし気な目を向けられ、他からは哀れみの目を向けられた。
共通点は、誰1人として俺と言葉を交わそうとしなかったこと。
当然か、『桜田円華』からは想像がつかない程に変わってしまったのだから。
身体の成長だけでなく、心の成長の意味でも大きくな。
暇潰しに歩き続けていると、女の泣き声が聞こえてきた。
声からして、俺と同じ子どもか。
善意は全くないが、様子を見に行った方が良いかもしれない。
泣き声が聞こえる方に足を運べば、最悪と言わざるを得ない場面を見てしまった。
池の前で1人の女子を、3人の男子が囲んでいる。同じ顔な所から、三つ子みたいだな。
女子は泣きべそをかいていて、男子は後ろ姿からはわからない。
間違っても、仲良しグループのじゃれ合いじゃないだろう。
「私、知らない!!わかんなかったんだもん!!」
「そんなことあるかよ!!おまえのせいで、俺たちが怒られたんだぞ!?」
「責任取れよ!!どうして、俺たちが大人たちにしかられなくちゃならないんだよ!!」
虐めかと思ったが、そうではないらしい。
何か問題が発生し、男子たちは女子に対して責任を押し付けている。
助けに入るかどうかは、成り行きを見てからの方が良さそうだ。
壁に身体を預けて隠れ、4人を観察する。
水色でウェーブのかかった髪をした女子は、ただ言われるがままで怖気づいてしまっている。
泣き崩れてしまい、もはや言いたいことも言えないのだろう。
「泣いてばかりじゃなくて、本当のことを言えよ‼」
泣いてばかりいる女子に対して、怒りが爆発したようだ。
中央の1人が拳を握り、女子に向かって振るう。
拳を振るわれた瞬間の女の表情を、俺は見逃さなかった。
「何をしてるんだ、桐沢兄弟!!」
その声に反応し、振るわれた拳が止まる。
大きな声が聞こえ、剣道着を着た誰かが砂煙をあげながら走って近づいてくる。
そして、女子と男子の間に入り、手に持っていた木刀を多勢の方に向けた。
「女の子1人に対して、男子が囲むなんて見過ごせないな」
「柿谷、俺たちは悪くない!!悪いのはその女だ!!」
「理由はどうであれ、君は女の子に手を挙げようとした。それは間違いだ。わかるよね?」
「でも、元はそいつが…!!」
柿谷と呼ばれた男子は、桐沢兄弟の暴力を振るおうとした方に鋭い眼光を向ける。
透き通るような、純粋な緑色の瞳をしている。
「僕は君たちのために、止めているんだよ?」
しかし、睨みつける目が優しすぎた。
桐沢兄弟の怒りは収まらず、怒りの矛先を邪魔な柿谷に向けた。
「うるさい‼」
左に居た奴が柿谷に蹴りを入れるが、それは木刀を使って防がれる。
しかし、そこは一歩下がって回避すべきだった。
すぐに右に居た方から左頬に拳を食らっていた。
「むぐっ!!」
木刀というところから、柿谷は剣術を使うのだろう。
そして、そのスタイルは道着から見て剣道。
剣道は基本的に1対1で戦うのに対して、現実は1体3。
想定されていない状況では、普段のスタイルの効果は薄くなる。
予想通り、木刀はすぐに奪われてしまい、柿谷は3人から殴る蹴るなどの攻撃のサンドバッグになっていた。
「ぐっ!っ!あぐっ!!がはっ!!んがぁ!!」
「どうしたんだよ!!出しゃばっておいて、この程度か?柿谷!!」
「調子乗ってんなよ、この野郎!!」
「ほら、ほらほら!!」
弱い者を苛める子どもの、何と醜い表情か。
このまま傍観者を気取るのも良いが、柿谷の後ろに居る女のことが気になる。
ここは参入するか。
俺は5人の前に出て、桐沢兄弟を睨みつける。
「多勢に無勢で攻撃するほど、小物に見える光景は無いよな」
短パンのポケットに手を突っ込んで言えば、三つ子の内の1人がこっちに身体を向ける。
「おまえ……何だよ、柿谷の仲間か!?」
何だよってことは、俺のことは知らないのか。
ちょっと好都合かもしれない。
「いいや、全くの無関係な第3者だ。だけど、多勢に無勢は見過ごせない。弱い者虐めは楽しんだだろ?その辺で止めておけよ」
「お、俺たちに命令するんじゃねぇ!!」
三つ子の1人が拳を握って俺に襲いかかってくる。
しかし、隙が多すぎる。
大振りな拳、高く蹴り上げる足。
動きの1つ1つがオーバーだ。
一歩ずつ下がるだけで簡単に回避できる。
そして、蹴り上げられた足を下ろす前に片手で掴み、そのまま後ろに下がりながら勢いよく引っ張る。
「うぉわっと!!……っ!!あぁ~~~~!!!!」
バランスを崩したのと股の限界領域を超えた可動をした後の転倒で股間を押さえながら蹲る三つ子の1人。
兄弟の叫び声を聞き、2人も柿谷から俺に標的を変えた。
「おまえぇ!!」
「よくも弟ぉ!!」
美しい兄弟愛だな。
吐き気がする。
「うるせぇよ」
2人には、今起きたことが信じられなかったことだろう。
さっきまで目の前に居た俺が、もう既に2人の間に立っている。
そして、両手でそれぞれの襟の後ろを掴み、強く前に引っ張った。
それだけで、2人は後ろに倒れる。
「ぐぁ!!」
「痛っ!!」
勢いよく頭から背中を地面にぶつけ、頭を押さえながら痛みを訴える3つ子の2人。
残りの1人はまだ股を押さえている。
これで三つ子は戦闘不能、すぐに怯えながら逃げて行った。あとで告げ口でもされるかもしれないな。
「おい、おまえ、大丈夫か?」
近づいて様子を確認しようとすると、女子は泣きながら言った。
「来ないで、化け物‼」
化け……物……。
もしかして、この女はあの夜のことを……。
俺が止まっている内に、女子は泣き顔のまま逃げて行った。
「礼も無しかよ……。仕方ないか」
柿谷も立ち上がり、道着についた汚れを払い落とす。
こいつも、すぐに逃げ出すだろう。
あの時、俺はそう思っていた。
柿谷一翔という男を、他の人間と同一視していたんだ。
だけど……。
「君、凄いな!!」
「……は?」
何の毒気もない露骨な反応をしてしまった。
その時の俺は、間抜けな表情をしていたことだろう。
それに対して、柿谷は純粋な、ただただ純粋に輝いている目を向けてきては一気に距離を詰めてきた。
「君、名前は!?」
「つ……椿……円華…」
「そうか!!僕、柿谷一翔って言うんだ!!君、凄く強いんだね!?何を習ってるの!?誰に教えてもらったの!?歳はいくつ!?ねぇ、ねぇ、教えてよ!!」
ぐ、グイグイ来るなぁ……。
柿谷の両肩を掴み、少し押して間を開ける。
「お、おーちーつーけー‼……うるさい‼」
不機嫌に言えば、柿谷は少し冷静になってくれた。
「あ……ごめん、つい…」
「ついって……。おまえ、誰に対してもこうなのかよ?」
呆れた顔で訊けば、柿谷はアハハっと苦笑いで誤魔化す。
「僕を助けてくれた君が、凄くカッコよく見えたから」
「えっ……」
カッコいい……俺が?
胸の辺りが、急にむずがゆくなった。
何て言って良いのかわからずに言葉を探していると、遠くから明るい声が聞こえてきた。
「一ちゃ~~ん!!こんな所に居たの~~!?」
また、うるさい奴の予感……。
その声は桃色の髪をした女子のもので、すぐにこっちに来た。
柿谷のボロボロな姿を見て、女子は慌てふためく。
「か、かか、一ちゃん、どうしたの!?大丈夫!?痛くない!?い、痛いの痛いの飛んでけ~~!!!」
何とも精神年齢に見合った反応に、軽く驚いている。
桜田家に関係する子どもの中には、こんなにも純粋な心を持った子が2人も居たんだ。
「とりあえず、その柿谷くんをボコったのは俺じゃねぇからな」
「え?う、うん……君は?」
柿谷のことで頭がいっぱいで、俺の存在には今気づいたみたいだ。
そして、俺が名乗ろうとすると柿谷が代わりに言ってくれた。
「椿円華くんだよ。僕と女の子を助けて……あれ?あの子は?」
「今更かよ……。あの女なら、俺が怖くて逃げて行ったさ」
「え、何で!?円華くんを怖がる理由なんて無いよ!?」
おい、いきなり名前呼びになってるんですけど。
「理由なんて人それぞれだろ。大方、喧嘩が強い奴が怖いって所だろ」
2人だけで話していると、ピンク髪の女子が膨れっ面で間に入ってきた。
「んもー!!私を仲間外れにしないでー!!」
「そ、そんなことしてないよ、蒔苗」
苦笑いを浮かべる柿谷から、2人の中の上下関係が推察される。
蒔苗と呼ばれた女子は小さく息を吐き、俺の方に笑みを向ける。
「桃園蒔苗だよ。えっと……円華って、どんな漢字で読むの?」
「ん?あーっと……百円の円に、華道の華で円華って読むけど」
桜田家の教育プログラムでは、5歳から漢字を習う。それは分家でも同じだ。
「そっか、じゃあ、円ちゃんだ!よろしくね、円ちゃん!」
「え、えん……ちゃん!?」
今までの人生の中で、1度も呼ばれたことがない呼び名だ。
「だ、だめぇ…?」
少し自信なさげな桃園。
それに対して、何故かNOと言えないオーラを感じた。
だから、その時の俺はこう返すしかなかった。
「だめ……じゃないです、はい」
「じゃあ、僕も君のことを円華って呼ぶよ!」
「はぁ!?」
「君も僕のことを、一翔って呼んでくれ!」
「いや、もう、決定事項かよ……」
もはや、2人のペースに乗せられている。
柿谷はその流れに任せ、その純粋な笑顔で手を差し出した。
「僕たち、友達になろうぜ!」
そうだ。
柿谷一翔と桃園蒔苗は俺にとって、特別な存在だった。
生まれて初めて、俺と友達になろうとしてくれた奴らだったから。




