教師の思い出
敦side
生徒に夏休みがあるように、教師にも夏休みが存在すると思っている者が居るだろうか。
実際には教師の仕事に夏休みはなく、特に独身を謳歌していると押し付けられる仕事の量は多い。
この学園で6年教師を続けていて思うが、表向きにも裏でもブラック企業であることには変わりはない。
表しか知らない者も、新人の場合は夏休み後半になると身体が仕事量のキャパシティを超えてくる頃だ。
場所は職員室。
隣のデスクで、目の下に隈ができており、やつれた顔をしながらパソコンにデータを入力している女性の新人教師を見ると、彼女に気づかれないように溜め息をついてしまった。
今は夕方の5時。
出勤してから丸8時間、ずっと仕事をしているようだ。
新人は息抜きの仕方を知らないらしい。
俺は自分の仕事を終えて一休みをし、コーヒーを2つ淹れて彼女のパソコンのキーボードの隣に置く。
「休憩しないと、身体が持たないぞ?仲川先生」
「岸野先生……あ、ありがとうございますぅ」
疲れきった笑みを見せ、キーボードから手を離してコーヒーを両手で持って飲む仲川先生。
仲川菜津希。
才王学園に今年から入ってきた新任教師で、デスクが隣なので何かと面倒を見ることが多い。
担当クラスが与えられていないせいか、何かと雑用を押し付けられている。
今だって、今度の生徒への配布資料を作っているようだ。
ここの教師は基本的に世間話はするが助け合いはせず、新人だろうと手を貸すことはほとんどない。
クラス同士で競い合っているのに、教師同士が馴れ合うことはあってはならないという暗黙のルールがあるのだ。
俺も基本的にはそのスタンスは崩さない。
しかし、この仲川先生に関しては話が違ってくる。
どんくさいし、要領は悪いし、そのくせ仕事のために無理をしてばっかりで、隣に居ると見てられなくなるんだ。
今だって、この8時間ずっと飲食をせずにパソコンに向かっていた。
頭が働いていないのだろう、画面の文章の所々にタイプミスが多々目立つ。
「根を詰めすぎだ。せっかく頑張ってやっていても、ミスが多かったらやり直しをさせられる。時間の無駄になるぞ?」
パソコンを自分の方に向けて、タイプミスをわかる限りは直していく。
ありえないだろ、このミスの量は。
漢字変換だってミスってるし、誤字脱字だって多い。
こんなにミスが多い文章を見るのは久しぶりだ。
心の声が顔に出ていたのか、仲川先生はコーヒーを飲みながら肩をすくめる。
「はぁ、すいません。また、岸野先生のお手を煩わせてしまいました」
「良いよ。新人の面倒を見るのは慣れてる。何も仲川先生が初めてなわけじゃない。……それに、そうやって落ち込んでくれるだけ、君の方がまだマシだ」
タイプミスを直しながら、頭の中で昔のことを思い出している。
そう言えば、こういう事が前にもあった……な。
あいつは絶望的な機械音痴で、ほとんどの事務作業をさせられていたっけな。
あの時、俺は新人のあいつにミスを指摘しながら呆れていたが、全然話を聞かなかったな。
反省の色は全くなかったし、挙句の果てには全部やらされる始末だ。
そして、仕事終わりになって勤務時間中なのに缶ビールを渡されたっけ。
『サンキュー、敦。今度も頼むわ』
『ふざけるな、今度は最後まで自分でやれ。あと、先生を付けろ。俺は椿先生よりも年上なんだが?』
『え~、面倒くせぇなぁ。別に良いじゃねぇかよ~。オレとおまえの仲だろ?敦もオレのこと、涼華って呼んでも良いんだぜ?』
『俺たちはそんな親密な仲じゃない。馴れ馴れしいんだよ、おまえは』
『何だよ~、ノリが悪いなぁ~』
あいつの膨れっ面を思い出していると、急にまた溜め息が出てしまった。
何を思い出してるんだろうな、辛くなるだけなのに。
「あ、あの……岸野先生?そんなにできてなかったですか?」
「え?あ~、違うんだ。そうじゃない。……昔の後輩のことを思い出していただけさ」
「そうなんですか……。その後輩さんって、どんな方なんですか?」
「あいつは、簡単に言うと仲川先生とは正反対の女だったよ。礼儀はなってないし、誰に対しても馴れ馴れしいし、失敗しても反省しようとしないし、面倒くさがりだし。本当に、『どうして、教師になったんだ』って何度思ったことか……。でも、生徒に対する思いは誰よりも強かった。当然、俺よりもな」
そう言えば、あいつが教師を志した起源について、1度だけ聞いたことがあったな。
まさか、そのきっかけを作った奴が、俺の今の生徒になるなんて思いもしなかった。
タイプミスは見つけた限りは直して保存し、仲川先生には許可を取らずにシャットダウンさせる。
「な、何をなさってるんですか、岸野先生!?」
慌てて再起動させようとする彼女の手を掴み、頭を横に振る。
「今の君が仕事をしたところで、その仕事は無駄になるって言っただろ?」
「そうですけど……でも、この他にもやらなきゃいけないことが多いですしぃ~~」
「それをやったとしても、無駄になるだろうな」
「そ、そんなぁ~~」
落ち込んでいる仲川先生を横目で見れば、おかしくて口の端が上がってしまう。
「努力は認める。だけど、無駄な努力にしたら意味がない。実りのある結果を出すためには、努力とガス抜きをバランス良くすることが重要だ」
「ガス抜きって……私、大人のガス抜きの仕方がわかりません」
「そうだろうな、それは見てればわかる。それなら、仲川先生って酒は飲めたか?」
俺の質問に対して、仲川先生は首を傾げる。
「お、お酒ですか?人並みに嗜む程度ですが……」
「なら、俺に付き合ってくれる?」
「え!?今からですか!?まだ勤務時間ですよ!?」
「それは仕事ができる奴が言えば、説得力がある台詞だな」
「うっ!!」
言葉に詰まり、何も言い返すことができない仲川先生。
「じゃあ、少し早いけど夕飯食べに行こうか。今日は俺の奢りだ」
「そ、そんな悪いですよぉ~!!」
「気にするな。先輩にカッコつけさせろ」
一緒に職員室を出て玄関に向かえば、白衣のポケットに入れていたスマホの着メロが鳴る。
すぐに出して確認をすると、思わず目を細めてしまう。
「先生、電話が……」
「ああ、すまないな。先に玄関に行っててくれ」
仲川先生と別れてから電話に出れば、恐ろしい相手の声が聞こえてきた。
『お久しぶり、岸野敦さん。元気にしてるかしら?』
「まさか、あなたから連絡があるとは思いませんでしたよ。……クイーン」
緋色の幻影の幹部クラスからの電話とはな。
最悪な状況にならなければ良いが。
電話越しでも感じる狂気、背中に銃口を当てられているかのような感覚。
それを感じながらも殺意を隠し、俺はクイーンと言葉を交わす。
『今、時間は良いかしら?』
「新人教師と食事に行く予定があります。手短にお願いできますか?」
『あらあら、そうなの?それなら、世間話は無しで用件だけ伝えるわ。すぐに、カオスから回収した2つのメモリーライトを返してもらえる?』
メモリーライト。
記憶に関する異能具を総称してそう呼んでおり、普段はポーカーズクラスの者が管理している。
やはり、俺の手元にあることはポーカーズにも知られていたか。
「メモリーライト……ですか。しかし、クイーン。どうして、あなたが回収を?キングに進言した方がよろしいのでは?」
『そんなことをしたら、キングに没収されちゃうわ。私は使える人間も道具も手元に置いておきたいのよ』
「そうですか。では、メモリーライトは、元はあなたの手にあったのですね?」
『そうよ?メモリーライトシリーズは私が管理しているわ。それがどうかしたのかしら?』
「いえいえ。ただの興味本位ですよ。下々の者の、ただの戯言です。ですが……妙ですね。キングが知らないとなると、ほかの幹部はどうなのでしょうか?」
踏み込み過ぎたが、クイーンは電話越しに黙り込んでしまう。
『さぁ、どうでしょうね?それを知って、あなたに何のメリットがあるのかしら?』
電話越しの声は、明らかに警戒心をはらんでいる。
疑われていると考えるべきか。
「メリットならあります、あなたにね」
『私に?それはどういう意味かしら?』
食いついてきた。
クイーンは利己的な性格だ。彼女自身に利があることを証明すれば、こちらの予定通りに動いてくれるはずだ。
「あなた以外のポーカーズがこの件を知らないとなると、まだカオスに存在を知られたというミスを広められる可能性は低いことになります。管理者を私に変えたということにすれば、余計な手間も省けますし、あなたの駒にも失態を知られることはありません。あなたが直に回収しに来るというのであれば、私はすぐにでもあなたにお返ししますが?」
『私の威厳を保つためにも、あなたを利用しろってこと?』
「それが最善ではないでしょうか?ポーカーズの失態は、組織の士気に繋がります。ディーラーもさぞ、失望されるでしょうね。その後、どうなるかは存じませんが……想定外の最悪があなたを襲うかと」
『私に脅しをかける気?』
「恐れ多い。私はあなたのためを思って進言しているだけですよ」
電話越しに沈黙になり、クイーンが悩んでいるのが伝わってくる。
さぁ、苦悩するが良い。
おまえがどちらを選ぼうが、待っているのは破滅だ。
メモリーライトを回収したければ、クイーン本人が俺の前に現れるしかない。
ポーカーズは基本的に誰にも姿を見せない。
しかし、自分の失態を隠すためとなれば、この条件を飲むしかないのだ。
その前に俺のことを駒を使って殺そうとするか?
いや、あの女はそんなことをしても無駄だと知っている。
俺の能力を知っていれば、襲撃など誰も考えないのだから。
そして、メモリーライトを俺に譲渡しようとも、こちらが有利になることは変わらない。
『……良いわ。あなたにメモリーライトを託す。でも……忘れないことね。あなたが私を裏切った場合、すぐにでも、あの子の家族を消すことができるという事を』
「わかってますよ。俺はあなたたちに首輪を着けられた、ただの奴隷ですから」
これ以上踏み込めば、俺の考えも見透かされるかもしれない。
本当はまだ引き出すべき情報が多かったが、今は止めておこう。
『じゃあ、今回の電話はこれまでってことね。じゃあね、私の可愛いワンちゃん♪』
クイーンから電話を切り、ポケットにスマホを突っ込む。
「本当だったら、今すぐにでもてめぇを八つ裂きにしてやりたいんだがな。……すまない、涼華」
監視カメラに残らないようにボソッと小声で呟き、すぐに仲川先生を追いかける。
理想を言えば、ここでメモリーライトを餌にクイーン本人を誘き出して殺し、それを椿の仕業にするつもりだった。
しかし、思うようには動かないな。
涼華の仇を討つには、まだ時間がかかるらしい。
「やはり、俺1人でやるには手が足りないか。今は椿の動きに合わせて、機を窺うのが最善のようだな」
頭を切り替え、玄関で待っていた仲川先生に軽く手を挙げた。
ーーーーー
居酒場で酒を飲みながら仲川先生と話をしようとしていたのだが、彼女は思いのほか酒に弱かったらしい。
一杯飲んだだけでベロンベロンになってしまった。
「も~う……みんな意地悪なんれすよぉ~!!わらしにばっかり、仕事を押し付けて~!!岸野先生らって、心の中ではわらしのことをバカにしてませんかぁ~~!?」
「酷い被害妄想だな。まぁ、溜めこんでる愚痴は全部吐き出せよ」
「うぅ~~~。大体、この学園はおかしいんですよ!!何で生徒同士を競わせたり、人が死ぬような試験なんてさせてるんですかぁ!?」
バンっとテーブルを叩いては顔を真っ赤にして恨めし気に俺を睨んでくる仲川先生。
この前の特別試験のことを言っているのだろう。
確かに、あの時の仲川先生はいろいろと耐えていたな。
俺が所々で『ケア』をしなければ、もう精神崩壊していたことだろう。
「まぁ、そういう学園だからと言えば、それまでだがな。仲川先生は、どうして才王学園に入ろうと思ったんだ?」
「この学園の、子どもたちの持つ才能を引き上げるため教育っていう言葉に惹かれて、私も子どもたちの成長のお手伝いができればと思いまして……。でも、この前の特別試験はその言葉とは正反対です!!死傷者が出てるんですよ!?」
「そうだな。……だけど、あれはまだ始まりに過ぎないだろうな」
「……っと、言いますと?」
仲川先生は少し真剣な表情で聞いてくる。
同じ教師には教えておいた方が良いか。
「これから、生徒は生死をかけた試験に多く臨むことになる。通常のペーパーテストはもちろん、そのほかにも様々な力が試されるだろう。今から1番近い試験は……『マスカレードダンスパーティー』だな」
「マスカレード……ダンスパーティー?」
「内容はそのうち説明されると思うが……簡単に言えば、洞察力の試験だ。そして、例年クラスの編成がガラリと変わる」
「クラスがですか?そんな大がかりな試験なんです?」
「まぁな。……それの後にも、2学期の始めには体育祭があり、その次は中間試験、文化祭、期末試験と続いていく。文化祭に関しては、面倒なことに他校と合同だ」
「へぇ~、そんなことってあるんですね?他校と合同で文化祭なんて」
「毎年、いろいろと賑やかにやっている。2学期はそんなもんだが、3学期にも面倒な行事があるしな……。それはおいおい話すとして、今は次の特別試験に備えないとな」
「は、はぁ……ちなみに、私たち教師ができることってあるんでしょうか?」
「……さぁな。それは君自身が考えることじゃないか?」
「そ、そんな~~」
1学期は普通のカースト制度だった。
2学期からは、本格的に生死をかけた死のゲームを強いられることになる。
組織の中でも、この学園のシステムを把握しているのはポーカーズや管理者のイイヤツ、そして……。
「2学期……波乱の幕開けになることは間違いないだろうな」
スマホのカレンダーを見れば、2学期始業式の2週間後の予定に特別試験と書いてある。
「マスカレードダンスパーティー……椿たちにとって、最初の3学年合同の特別試験だな」
あいつが、復讐のためにこの機を逃がすとは思えない。
期待しているぞ、椿。
 




