貴族への相談
何が悲しくて、ドレッドナルシストと2人でカフェに居るんだろう。
プールの更衣室で心底望まない再会をしてしまった後のこと。
話を聞かずに勝手にファンだと断定されて、幸崎に強引に連れてこられてテーブルに着かされている状況を一言で表そう。
帰りたい。
大前提として1人になりたい。
幸崎は俺の前でもその絵に描いたような自分大好きぶりを崩さず、裏面がダイヤで埋め尽くされているゴールドの手鏡で自分の顔を見ながら前髪を弄っている。
財閥の御曹司ってこえぇ……全部が全部こんなにナルシになるのか?親はどんな教育をしてんだよ。
……って、俺は親がどうこう言える身じゃないか。
「ミスター椿。君が私を慕う気持ちは尤もだが、やはり男性から好意を向けられても何も感じないねぇ。実に気分が悪い」
「あっそ~。もうどうでも良いから、帰らせてくれよ。もしくは、おまえが帰れ」
「ハっハっハっ!!私が君に言う事を聞かせるならともかく、何故、貴族の私が低俗な庶民である君の言う事を聞かなければならないのかな?それは世界の理に反する行為だねぇ」
「自分が中心だって思ってる奴に、理云々を言われたくねぇっての」
小声でボソッと言ったつもりだったが、幸崎の耳に届いたようで「う~ん?」と余裕そうな表情を向ける。
「私は常に私のルールに従って行動している。私のルールは世界のルールだ」
「……そう言う事を自信たっぷりに言えるおまえが、少し羨ましいよ」
テーブルに置いてあるカフェオレを一口含んで小さく溜め息をつくと、幸崎はテーブルの上に靴を履いたまま両足を置いて腕を組む。
横暴な態度から店員や他の客に嫌な視線を送られるが、それを気にしている余裕はない。
「今の君は、前にあった面白みを欠いているねぇ。つまらない」
「俺の何を見て面白いって思ってたんだよ。勝手に面白いと思われて、勝手につまらないって言われても困るぜ」
「君が困ろうとどうなろうと、私には関係ない。しかし、ストレスが溜まると私の美貌に影響が出ないとも限らない」
「それこそ、知るかよ。おまえがどうなろうと、知ったことじゃねぇだろ。……今の俺にとっては、何もかもが心底どうでも良い」
吐き捨てるように言ってやる。
「何もかも……か。それはまた、随分とオーバーな表現だねぇ。それにしても、酷い顔だ。よくもまぁ、そんな顔を貴族である私に向けられるものだ」
幸崎が自分の顔を映している手鏡を俺に向ける。
……本当だ。ありえねぇってくらい情けなくて、酷い顔をしている。
真央が自暴自棄になってるって言うわけだ。
こんな顔になるのは、これで何度目だろう。
桜田家から追放された時、姉さんが死んだと聞かされて引きこもっていた時、そして今で3度目か。
俺の中の日常が、常識が何かに打ち砕かれるたびに、こんな情けない顔になっている気がする。
「……どうでも良い例え話に、付き合ってもらっても良いか?」
「私は君の話などに興味はないが、今の君自身よりは面白そうだ。聞かせたまえ」
目を閉じて促すように手を前に出してきたので、俯きながら俺は話を始めた。
「例えば、幸崎、おまえの父親とか母親が、本当の両親じゃなかったとしたら……生みの親じゃなかったとしたら、おまえはどう思う?」
「随分と漠然とした話だねぇ。そんな話には何の価値もないと私は思うが?」
「それでも何だか、おまえの意見を聞いた方が、良い気がしてるんだ。答えてくれないか?」
幸崎は横髪を人差し指に巻きつけながら「ふむっ」と珍しく考えるような顔をしたが、すぐに鼻で笑われた。
「ナンセンスな質問だよ、ミスター椿。私の父上や母上がこの世界に私を産み落とした者でないとしても、私が幸崎ウィルヘルムであることには変わりはない。周りの愚民のことなど関係ない。私は常に頂点に位置し、世界は私を中心に動いている。その事実は変わらないのだよ」
「じゃあ、おまえにとって親って何なんだよ?」
「私の表面上の守護者……とでも言っておこうか。私にとっては、親はどうでも良い存在なのだ。両親も私のことをただの人形としか思っていないだろうねぇ。……そして、私の才能にジェラシーを感じている故に、このような学園に私を……。いや、その話は低俗な君には早すぎる」
「一々、人をバカにしないと会話できないのかよ、おまえは……」
「低俗な者を低俗と言って何が悪いのかね。この学園に居る者は、私以外は全員低俗な家の低俗な人間しか居ない。常に私が頂点なのだ」
右手の人差し指を立てて俺にドヤ顔を向けてくるので、もはやこの自信が清々しく見える。
傲慢過ぎるが故の自信なのか、本当に実力があるから故なのか。
2学期になったら、こいつについて少しは気にかけてみるかな。
Cクラスには、梅原改が居ることだし……。
「最後に1つだけ、聞きたいことがある」
「何だい何だい?君は私に興味深々だねぇ。今日は気分が良い。何でも聞いてくれたまえ」
「おまえのクラスに居る、梅原改って男の情報が欲しい」
「ウメハラ……アラタ?そんなボーイが私の配下に居たかなぁ。私はガールの名前はすぐに憶えることができるが、ボーイの名前は到底憶える気にはなれないのだよ」
「じゃあ、何で俺の名前は憶えてんだよ?」
「それは君がぁ……面白いボーイだったからさ」
「はぁ……そうかよ」
こいつの面白いの基準が全くわからないが、とりあえずはツッコまない。時間の無駄だ。
そもそも、俺も本当に頭がポンコツになってるな。
幸崎に梅原のことを聞いても、まともな答えが返ってくるはずがねぇだろ。
「そろそろ時間だ。私はこれから、レディーを迎えに行かなくてはならない。さして特に実になることもなく、つまらない時間だった。2学期までには、少しは面白みのあるボーイに戻ってくれたまえよ」
幸崎はテーブルから足を下ろして立ち上がり、俺に背を向けてカフェを出て行った。
おいおい、支払いは全部俺持ちかよ。
仕方なく幸崎の分も支払いを済ませて俺もカフェを出ると、行く当てもなく噴水公園に来てベンチに座った。
「やっと1人になれた……」
人通りもなく、1人だけの孤独な公園。
時計はもう4時を回っていた。
さっきの記憶の声が、まだ頭の中に残っている。
「高太さんの記憶も、狩原浩樹の記憶も、今までは戦いの最中の怒りとか負の感情が混ざったものだった。だけど、さっきの記憶の声だけは違う。どこか……温かいっていうか、懐かしい感じがしたっていうか」
桜田家の母親は、あんな優しい声をしていなかった。
上辺だけの優しさしか向けられなくて、自分を守ることしか考えていない女だったから。
何度も頭の中でリピートするけど、その声が誰のものなのかがわからない。
それに……。
「俺のこと、何て呼んでたんだよ……」
名前の部分だけが、ノイズが入っているように聞き取れなかった。
それでも、音からして円華とは呼んでいなかったのはわかってしまったんだ。
それなら、本当の俺の名前って何なんだろうって。
椿円華でも、桜田円華でも、俺は『円華』っていう1人の人間であることに変わりはないと思っていた。
その常識が、あの『声』1つで崩れてしまった。
「俺は……一体、誰なんだ」
ミャ~オ。
俯いて頭を抱えていると、幻聴か、猫の鳴き声が聞こえてきた。
周りを見て捜せば、目の前に見覚えのある黒猫が一匹座っていた。
「都合良過ぎるだろ……。おまえも、俺を1人にさせてくれないのか?ノワール」
ノワールは跳んでベンチに乗り、俺の隣に座っては同じように景色を見る。
「なぁ……ノワール。おまえの飼い主には内緒で、ちょっと愚痴って良いか?」
ノワールは反応しない。ただ、それが肯定のように受け止められたんだ。
俺は手を組んで腰を曲げ、俯きながら話をする。
「俺……自分で自分のことがわからなくなってさ。姉さんのことよりもそれが大分ショックだったみたいで、これからいろいろとやっていかなきゃいけないことが多いのに、それに全然手が付きそうにねぇんだ。俺の本当の両親が誰なのかって……今更になって、こんなことで苦しんでるんだ。名前だって、本当は『円華』じゃないのかもしれねぇ。……本当に、何でこんな時にって思っちまう」
ノワールは鳴き声を出さずに黙っている。
「恵美を守りたい、側に居たいって思っていたのに、もう俺の役目は終わった。あとは梅原に任せて、俺は当初の目的通りに復讐に集中するつもりだったのに……一気にそれが崩れてしまった。これから2学期になるって言うのに、抱えている問題があるっていうのに……何もできそうにない。自分で自分が情けないぜ。……いっそのこと、さっきの声の記憶を消した方が良いのかもしれないな。何で岸野に記憶の異能具を渡しちまったんだよ、俺」
バカみたいなことを言っていると、ノワールが俺の背中に乗ってきて頭の上に前足が置かれる。
「……おいおい、ノワールくん?何のつもりだよ?」
苦笑いで聞くが、返答があるはずもない。
代わりに行動で表すかのように、ノワールは右前足を頭に置いたまま左右に動かす。
まるで、俺の頭を撫でるかのように。
「な、慰めて……くれてるのか?」
ノワールの手は止まらない。
でも……何故か安心感を感じると同時に、また涙が出てきては地面に落ちる。
「……涙腺、ゆっっるいなぁ……。いつから、俺はこんな泣き虫になったんだっての」
涙声になっていて、泣くのが止められない。
泣いている間、ノワールに頭を撫でられ続けていた。
その時、不思議と黒猫の前足が、何故か人間の手のように感じたんだ。
そして、自然とこんな言葉が零れた。
「誰か教えてくれ……。俺は何者で……父さんと母さんは、一体誰なんだっ……!!」
その答えを教えてくれる人間は、その場にはどこにも居なかった。




