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Snow Drop  作者: 藤岡ななみ
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ななみ小学生

 コミュニケーション障害なのかもしれない。

人と話すのが苦手だ。今でも。


幼稚園 小学校 中学校 高校

一人っ子でずっと人との距離の取り方がよく分からず、友達ができたことがない。

一緒にいるのはいじめられている子とか、反対にちょっとぶっ飛んだ子だった。

でも私自身は、子供の頃はいじめられたことがない。

いじめるにも値しない影の薄い子供だったのかもしれない。


小学校の頃、学校が嫌で嫌でたまらず、母親がパートに出ているのをいいことにしょっちゅうズル休みや早退をしていた。

多分、先生はあまりにも欠課が多いので不審に思っていたと思う。

「思っていたと思う」という表現をしたのは、私が親に欠課のことで怒られたことがないからである。

ひょっとしたら先生と親は密に連絡を取り合っていたのかもしれない。

なぜそう思うのかというと、多分小学校3~4年の頃一度だけ担任の先生の家に母と一緒に行ったことがあるからだ。

大人になった今思うと、担任の先生の家にわざわざ行くなんてよっぽどのことだ。

その時の先生と母との会話は全く覚えていない。


とにかく、母は本気で怒るとめちゃくちゃ怖かったし手をあげられることもあったのに、ズル休み 早退に関しては何も言われたことがないのがものすごく不思議である。


船員だった父は1年のうち、家にいる時間のほうが少なかった。母は寂しかっただろう。

そのためか私たち家族は母の実家の近くに小さな古い家を借りて住んでいた。

はっきりと覚えてはいないが、部屋が2つであとは台所とトイレという間取りだったと思う。

お風呂はなく、隣に住んでいる母の妹の家に毎日お風呂を借りに行っていた。

そんな不便と、家が古く今にも倒れそうということに対して子供ながらにコンプレックスを抱いていた。


一つ、今思い出してもすごく理不尽さを覚えることがあった。

父は帰ってくると1か月くらい家にいて、4~5か月仕事で海に行くという生活パターンだった。

部屋が2つあったといったが、1部屋は3畳くらいの部屋だったので、父がいないときはもう一つの6畳の間で母と1つの布団で寝ていた。

問題は父が帰ってきたときである。

テレビドラマなどでよく見る光景として、「親子3人川の字になって寝る」というシーンがあるが、我が家の現実は厳しかった。

私は道を渡ってすぐの家に住むおじいちゃんおばあちゃんの家に有無を言わず泊りに行かされた。

当時は、「家が狭いから」とか周りの大人に言い聞かされたり自分に言い聞かせたりしていたが、当時のまだまだ若い愛し合っている男と女が4~5か月ぶりにやっと会えたとしたら・・・

それにしても私に兄弟がいないのは不思議だ。


とにかく・・・早く大人になりたかった。

学校に行きたくなかった。保健室ばかり行っていた記憶がある。






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