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37.帰路の約束

朝。浴衣がぐいっと引っ張られて、目が覚めた。

目を開けると、昨日と同じところに白い手が見える。器用にも寝ている間、ずっと俺の浴衣を握っていたらしい。手は浴衣を握りながらも、気持ち良さそうに寝ている。

いつか見れなかった寝顔を見て嬉しくなる。何だか小動物を眺めているみたいだ、と1人可笑しく思っていると、突然パチっと開かれた目と視線がぶつかる。

別にやましい事をしていた訳ではないのに、心拍数は上がり、顔は強張る。

ぶつかった視線はゆっくり逸らされ、自身の手の方へ。

この状況をどう説明しよう。

君が自分から握ったんだ、と言うと責めている様だし。俺が握らせたみたいに言うとただの変態にしか思われない。第一それだと嘘だし。

「……ですね。」

「ん?」

顔半分が布団に隠れているため、彼女の声が上手く聞き取れない。

「夢じゃなかったんですね。」

寝起きの掠れた声が耳に届いて、トクンと胸を打つ。

「何が、夢じゃなかった?」

彼女の言葉に質問を返す。まだ微睡んでいて、布団に顔を擦りつけながら彼女が言う。

「私を誰かが運んでくれている感覚があって。

 立花さんの腕の様な気がしたんですけど。

 これは夢かも知れない、と思ったから。

 起きた時に確かめられる様に掴んだんです。

 掴んだ事も夢かもと思ったけど。

 ……夢じゃなかった。」

あの時、寝ながらも俺が抱き上げた事に気が付いていて、それを嫌だと思わず、寧ろ起きた時の確かめようとしていた、なんて。

夢じゃなかった、と眠そうな顔で笑う彼女は、いつもの何倍も幼く、それでいて女の顔をしていた。

最初の焦りとは違う意味で、心拍数が上がるのを感じた。

「……俺のお姫様抱っこの乗り心地はいかがでした?」

「よく眠れました。」

こんな時に気の利いた台詞なんて思い付かなかったけれど、彼女はちゃんと答えてくれて。今にもまた眠りに入りそうなのに、俺との会話を続けてくれている。この時間が心地良いと言う様に、穏やかな笑みを湛えて。

時計を見るとまだ6時。

「まだ早いからもう少し寝てていいよ。」

本当はもっとこの時間を楽しんでいたいけれど、眠そうな彼女を起こしておくのは可哀想だ。

「うーん。大丈夫です。

 このままもう少しお話しましょう?」

もしかしたら彼女もまた、この時間を楽しんでいるのだろうか。そうだと嬉しいな。

今日の天気はどうだとか、帰りの話だとか、そんな他愛もない会話を皆が起きるまで続けた。そんな事が幸せで堪らなかった。



「いやー。本当に楽しかったですねー。」

天馬の呑気な声が帰りの車中に響く。帰りも竜胆が運転をしてくれて、俺は珍しく一番後ろのシートで菅野と隣合っていた。

「俺は半分お守りだった気がするけど。」

軽い嫌味を言ってやる。隣の菅野はふふと笑って、ありがとうございましたと言う。前の席の天馬ががばっと後ろを向いて、

「2日連続でお世話になりました!」

と頭を下げる。その隣の金城も、

「私まですみませんでしたー。」

と少し恥ずかしそうに礼を述べる。既に旅館で交わした会話だ。

その時もそうだったが、今も竜胆の瞼がぴくりと動くのがバックミラー越しに見えた。

金城を抱き上げて運んだ俺に怒っているのではない。その時介抱できなかった自分に腹を立てているのだ。と言っても、触れたいという欲からではない。金城の事は何でもしてあげたいという気持ちからだ。

この旅行でからかわれたお返しをしてあげよう。

「金城はもっと食べた方がいいんじゃないか?

 身長が低いからって軽すぎ。倒れるぞ。」

勿論、心配の意味も含んでいるが。

「そ、そういう事言わないでもらえます?」

ちょっと耳を赤くして俯く金城。それでもちらちらバックミラーを見ているのが分かる。

きっとこうして赤くなっている事で、竜胆に勘違いされないか心配なのだろう。

見られている当人はというと、俺の意図に気が付いた様で。むすっとしてミラー越しにこちらを見た。それににこっと笑って返す。

人をからかうと自分に返ってくるんだぞ、覚えとけよ。

そうして面白がっていると、腕をつんつんとつつかれる。

「ん?」

「あの、……私重かったですか?」

金城に軽すぎ、と言ったために自分は重いと思ったのか。

小声で言いつつこちらを窺う様子が可愛くて、頭を撫でてやりたくなった。

「菅野は身長あるのに軽すぎ。

 美味しいとこ、沢山連れて行く。」

小声でそう返すと、楽しそうな嬉しそうな、そんな表情でふふと笑った。

そうだ、次に出掛ける日を決めておこうか。

でも狭い車中。小声で話すのにも限界がある。



後ろに積んだ荷物の中から、手帳とペンを2本取り出す。

隣の彼女は何が始まるのかと見守っている。

手帳から2枚ページをちぎって、その1枚とペンを彼女に渡す。

彼女は不思議そうにそれを受け取る。

<次出掛けるのはいつにする?>

紙にそう書いて、彼女に見せる。

そこでしたい事に気付いてくれた様で、ペンを走らせる。

<私は特に予定はないので、いつでも大丈夫ですよ。>

彼女の整った文字が、線の上に並ぶ。

勝手な解釈をすれば、俺が毎日会いたいと言えば会ってくれるのだろうか。そんな事を考えてしまう。できればあまり時間を空けたくない。

<俺も全然予定ないんだ。

 明後日とかでも会ってくれる?>

こんな聞き方、と自分で可笑しくなる。

<勿論です。>

そうすぐに返してくれた事が震える程に嬉しい。

彼女も俺と会う事を楽しみにしてくれていると感じられたから。花火の時の彼女の言葉は社交辞令じゃないと確信できたから。

<どこか行きたいところ、ある?>

<美味しいところ、連れて行ってもらえるんですよね?>

先程の会話を含めて、からかう様に笑ってこちらを見ている。

<美味しすぎて太りそうなとこにしようか。>

<望むところです。>

2人で皆に気づかれない様に、小さく笑い合う。

朝の会話もこの筆談も、至って普通の会話なのにこんな些細な事が楽しくて仕方ない。

<何系が好き?和食とか、イタリアンとか。>

さっきから質問ばかりになるのは、彼女を知りたいから。

<そういうのはあまりこだわらないです。

 でも結構、麺類が好きです。>

麺類が好きだったのか。そういえばこの旅行中、よく麺食べてたっけ。

<立花さんは?鯖寿司以外で。>

鯖寿司と書きかけたところで先手を打たれてしまった。

まぁ、これは皆周知の事実だもんな。

<どっちかと言うと和食派だけど。

 実は粉物が好きなんだ。>

<お好み焼きとかですか。>

<小麦粉使ったものって、無条件に美味くない?>

彼女が肩を震わせて笑う。

<もっとこだわる方だと思ってました。>

無条件に、というのにどうやらハマったらしい。

<庶民舌だから。実は美味しければ何でもOK。>

そんな会話が、解散まで続いた。



今日1日で、いや半日程で、今までになく話をした。大した事ないと笑われる様な会話。

写真や他のどんな形にも残らない、時間。

それでも俺と彼女は確かに、その時間を楽しいものとして共有した。

こういうただの記憶がもっと増えていけばいい、と思った。

彼女の字で埋まった紙は俺の手帳に挟まれ、俺の字で埋まった紙は彼女の鞄に仕舞われた。

またいつか、並べて読んだらきっと楽しいなって。

そんな子供の様な、約束。


 

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