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20.過去と現在

菅野のアパートの近くに設けられた来客用スペースに車を停めると、アパートの1階に菅野の姿が見えた。白い肌が太陽の光を反射し、眩しそうに目を細めている。

ナチュラルベージュの半袖のシャツワンピースに、七分丈の淡いブルーのジーンズを履いて、今まで見たことのないカジュアルな服装だった。

こういう格好も良いな、と思って外の暑さを思い出す。これ以上この炎天下に立たせておく訳にいかない。出て行くのをやめて、アパートの前に車を横付けする。

「おはよう。乗って。」

助手席側の窓を開けて、呼び掛ける。

「おはようございます。失礼します。」

礼儀正しくそう言って乗り込む。

「外で待ってなくて良かったのに。暑かったろ?」

車を走らせながら、暑い中待たせた事を詫びると、

「いえ、もう来られそうな気がしたので出て来た

 だけですから。出てからすぐ来られたので、

 タイミングはバッチリでしたよ?」

と答える。気だけで出て来るなんて無謀な。

「ならいいけど、もし俺が遅くなってたら

 どうするつもりだったんだ?」

「大丈夫です。立花さんは予定の3分前に

 必ず来られますから。」

確かに仕事で迎えに行ったりする時は、予定を早めに設定して伝えて、実際の迎えはその3分程度前に行く様にはしているが。

「でもなぁ……。」

「立花さんが遅れる事って絶対ないですよね。

 信頼してますから、時間丁度に出てこられるんです。」

信頼してるなんて言われると、苦言も引っ込んでしまう。

現金な奴だな、俺。


たわいもない話をしていた道中。

「そういえば、どこへ向かっているんですか?」

「もうすぐ着くから、とりあえず秘密。」

別に隠さなくてもいいんだけど、行ってからのお楽しみにしたくて。

程なくしてパーキングに車を停める。

「着いた。」

きょとんとする菅野を車から降りる様促す。眼下に広がるコバルトブルーがキラキラ輝く。

「あ、海ですねっ。」

会社のある県中心部からそう遠くはない距離だが、隣県から移って働き詰めだった菅野は、この海をまだ見た事がないだろうと思った。それに。

「ここ、俺の地元なんだ。」

「そうだったんですか。

 こんな素敵な海を見て育ったんですね。」

我儘だけど、勝手だけど、俺の事を知って欲しくて。

「今日は話をしたいんだけど、いいかな?」

マスターとあの店を褒めてくれたから。好きな人だから、話したいし聞いて欲しい。

「はい。勿論です。」

柔らかく笑ってそう言ってくれるから、何だか泣きそうになった。


海が一望できるオープンテラスの付いたレストランに連れて行く。景色も料理も最高に美味しい、地元で有名なレストラン。

プレートに目を輝かせる菅野と向かい合って、ランチにする。

食後にドリンクが運ばれ、一口飲んで息を吐く。

人に初めて話す事だ。少し緊張する。

「俺の家、ここから本当に近くて、小さい頃は

 あの海でよく遊んでた。母さんと2人きり

 だったけど、いつも楽しかった。」

気恥ずかしくて顔を見て話す事ができない。

海に視線を向けて話し始めると、目の端で息を呑むのが分かった。


***


エンジニアをしていた父さんは、俺が物心付く頃に仕事中の事故で死んだ。

それからずっと母さんが女手一つで俺を育ててくれた。

何度も何度も、耳にタコができるくらい、

「父さんは本当に格好良い、エンジニアだったのよ。」

って聞かされて、エンジニアの意味も知らなかったけど尊敬してた。

ひとり親でも母さんが必死になって頑張ってくれていたから、何の不自由もなかったし、大きくなってからは家の事を手伝ってた。父さんがいなくて可哀想って言われた事もあるけど、本当に毎日楽しかったんだ。

中学生になって、必然的にエンジニアを目指した。父さんの背中を追いたいと思ったし、母さんを助けられると思ったから。高校も専門の大学を受けやすいところを選んだ。

高校に入ってからは学校の勉強以外にも、専門知識を独学で勉強したりして、人一倍頑張ってたと思う。志望の大学にも受かったし、順風満帆にいってたのに。


卒業目前の2月。母さんが病気で死んだ。

働き詰めで病院にも行かなかったから、発見が遅れたらしくて。

俺は勉強ばっかで、母さんを気遣う事もできてなかった。死んでから気付いたってどうすることもできないのに。

母さんが倒れて病院に運ばれたって連絡を受けて、病院に行ったら、もう息をしてなかった。

やる気なくなって。全て失った気がした。

大切な家族1人助けてやれない奴が、どうして人のために働けるんだって、投げ出した。受かってた大学も蹴って、何をする気にもならなかった。

ずっと傍にいてくれていた千果の言葉も、受け入れる事ができなくて。

その時、志方社長に出会ったんだ。実は社長もこの地元の人だったらしくて。昔からよく行ってた店が社長の実家で、そこで初めて会って。

抜け殻みたいな俺の頭撫でて、

「今までよく頑張ったな。でも何もしないままなら、

 父ちゃんも母ちゃんも、何やってんだって怒るぞ。

 お前の事はこれから俺が助けてやる。

 母ちゃんにできなかった恩返しを、

 俺と一緒に世界中の人にしてみないか?」

そう言ってくれたんだ。

知らないおっさんに言われた言葉なのに、うろ覚えの父さんに言われた様な気がして。頑張りたいって思ったんだ。


***


「働き始めてから、マスターと出会った。

 良い店があるって千果が紹介してくれて。

 仕事の面も心の面も俺を助けてくれる、

 父さんみたいな人が2人もできて。

 ……あの時差し伸べられた手を、振り払ったり

 しなくて良かった。」

黙って耳を傾けてくれる、菅野の顔を見つめる。

その顔はちょっと泣きそうで、でも必死にこらえて微笑んでくれていた。

こういう人だから、好きになったんだ。

「この道を選んだから、君に出会えた。

 これ以上の幸せはないってくらい、今幸せなんだ。」

「ふふ、大げさですよ。これからもっと

 大きな幸せが、やってくるはずですから。」

そう言って笑ってくれる。

俺達はただ黙って、海に無数に輝く白い光を追っていた。

 

 

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