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15.モヤモヤと

近くに行きつけの喫茶店があって、そこで昼飯にする事にした。

カランコロンと昔ながらの鐘が鳴る、重厚なドアを開けて入る。

「幸多、いらっしゃい。」

「マスター、こんにちは。」

馴染みのマスターと挨拶を交わして、まばらに席に着いている客の間を進み、菅野を奥の壁際のテーブル席へと促す。俺の特等席だ。

喫茶店・baby's breathは、俺がPartnerに入社した頃に千果から良い店があると紹介された店だ。

18の千果がどうしてこんなモダンな喫茶店を知っているのか、疑問に思ったが、千果自身も大学の先輩に教えてもらったらしい。

それからかれこれ10年。暇があれば立ち寄って、忙しくても月に1回は顔を出している。マスターの皺を湛えた暖かな深い笑みと美味しいコーヒーに癒されにやってくるのだ。

志方社長と同様、支えになってくれるマスターも父親の様に思っている。

「素敵な喫茶店ですね。」

「だろ?俺の一番好きな場所。」

マスターの人柄を写した様な、ランプのオレンジの光。ウッド調のインテリアに、店内に流れるハスキーボイス。外の喧騒に呑まれない、全くの静寂がここにはある。

「幸多、今日は素敵なお連れ様がいるんだね。」

「うん。どうしても連れて来たかったから。」

マスターに紹介したかったし。

「そうか。改めていらっしゃいませ。」

「ありがとうございます。菅野湖陽と申します。」

俺の父親の様な人だと話していたからか、自己紹介をしている。

「ご丁寧にありがとう。マスターの景行聡《かげゆきそう》です。

 コウ、もしやこの方かな?」

菅野はきょとんとしている。

きっとマスターは前に話した事を思い出したんだな。

「うん。この人が、」

言葉を切って正面に座る彼女を見る。不思議そうな顔で俺を見ていた。

少し笑ってマスターに向き直る。

「俺の好きな人。」


どうしてか分からないけれど、そう言葉にした瞬間、今まであった恥ずかしさとか躊躇いとかが吹っ飛んで、ただ彼女が好きなんだって想いだけが残った。

マスターはにっこり笑みをより深くして、

「素敵な人だね。」

と言ってくれた。そうなんだよ。

「菅野さん、幸多がお世話になっています。」

「いえっ、こちらこそ、とてもお世話になっていますっ。」

マスターが言い、顔を真っ赤にした彼女が答えるのを見て、彼女を親に紹介するってこんな感じなのかな、と胸の辺りが暖かくなった。

「さて、いつもので良いのかな?」

「そうだな。菅野、嫌いなものあったか?」

「いえ、あ、りません。」

まだ吃っているのが可愛い。告白した時はここまでじゃなかったけど。

「お飲み物は何が宜しいかな?」

「えと、モカ、頂けますか?」

「はい、では少々お待ちくださいね。」

マスターがカウンターの方に戻って、また2人の空間になる。

彼女はやはりぐっと緊張が増した様で俯いている。

「菅野。」

「はいぃ。」

肩を跳ねさせて控えめにこちらを見ている。

「ごめん、突然。

 でもマスターには前から菅野の事話してて。

 いつか会って欲しいって思ってたんだ。

 さっき菅野が好きなものを教えてくれて、

 俺も自分が好きな所に連れて行きたいって思ったんだ。」

この店にいると、驚く程正直になれる。実はそうやって正直に話がしたいと思ったというのもあるんだけど。

「素敵な所に連れて来てくださって、ありがとう

 ございます。立花さんのルーツがここにあるって

 よく分かります。」

まだ顔は赤いけど、優しく微笑んでそう言ってくれるから、何か少しだけ、泣きそうになった。やっぱり、この人以上に愛しいと思える人はいない。

そう、思った。


目の前には、いつものコーヒーとサンドイッチ。

全粒粉のパンにパストラミのハムと沢山の野菜を挟んで、レモンの酸味を効かせた、マスター特製のサンドイッチだ。

「これ、本当に美味しいから。」

「ふふ、いただきます。」

少し大きめの口を上品に開けて、一口頬張る。

「ん、美味し。」

目を大きくして、それからにこっと笑ってそう言う。

「だろ?」

ついつい自慢げに言ってしまう。

菅野もそれに気付いて、ふふと笑っていて、それには気付かないふりをして、サンドイッチに齧り付く。うん、今日も美味い。

暫し食事に専念して、2人でコーヒーとモカを飲んで一息。

そこで携帯が震えた。見ると千果からの電話。

出ようか、出まいか。

「電話ですか?」

「あぁ、千果から。」

「私は気にせず、出てください。」

「んー、分かった、ごめん。」

店の静寂を壊す訳にはいかなくて、後ろ髪を引かれながらドアへ向かう。

出て行く直前、振り返ると微笑む菅野が見えて、申し訳なくなる。


暑い太陽の下、電話に出る。

「邪魔すんなよ。」

「待たせた挙句、最初の一言がそれ?」

不満げな声で千果が言う。

「で、何の用だ?」

「いやー、どうなったかと思って。」

「切るぞ。」

「あ、待って待って。

 あの子に私の連絡先教えておいて。」

「どうして?」

「女同士で話してみたいのよ。

 コウが断る権利、ないと思うけど?」

そりゃあまぁ、そうだけど。千果の餌食にならないかが心配だ。

「……分かったよ。それだけか?」

「えぇ、じゃ、送り狼にならないでよね。立花さん?」

「ならねぇよ!!」

こいつは本当に、嫌な奴だ。


電話を切って、店内へと戻る。

席では菅野とマスターが和やかに話をしている様だ。

菅野が優しく微笑んで頷いている。

「何の話?」

「あぁ、幸多。大した話じゃないよ。

 口にあったか聞いていただけだ。ね?」

「はい。本当に美味しかったです。」

秘密にされている気がして、モヤモヤする。思っていたより低い声が出たし、マスターはそれに気が付いている。それだけで、自分がまだガキだって思い知らされる感じがした。

「そろそろ、帰るか。」

これだってただの駄々っ子みたいなのに、

「はい。」

って素直に従ったりするから、ますます惨めになる。

格好良く引っ張って行きたいのに、どうしたって置いていかれる様で。

なぁ、どうしたら、君に見合う男になれる?

君が全てを委ねられるような男に、俺は、なれる?

俺は何も話せなくて、菅野はその空気に感づいていて。話した事と言えば、千果の連絡先を教えただけで。それ以外は無言のまま、菅野の家に向かってただ車を走らせた。


 

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