雨
登場人物
影宮時雨‥‥主人公
伏見縹‥‥時雨の想い人
稗田子凪‥‥時雨の恩師
雨のにおいがした。顔を上げて四角い窓に切り取られた空を見上げる。まだ雨は降っていないけれど、曇天の空でもうすぐ降り始めるのだろう。
僕は読んでいた本をしまい、立ち上がる。
行き先は決まっていた。
彼女の元へ
僕は外で傘をさして待っている。
20分ほど待っていれば、彼女は姿を現した。
「おかえり」
雨は小雨と呼べるものだけど、彼女か着ている着物は明らかに湿っていた。藍色の着物は濡れて、さらに濃くて深い色になっている。
彼女の気持ちが映しだされているように。
僕は傘を差し出す。自分が使っていた傘で、僕も彼女と同じく雨に濡れてしまう。
「使いなよ。そのために待ってたんだ」
僕はちゃんと笑いかけられているだろうか。不安になってしまう。
彼女は僕の一連の動作をただ眺めているだけだ。傘を受け取ることも、拒否することも、何もしない。
僕は彼女の視界に、瞳に、意識に、ちゃんと存在しているのだろうか?
「使わない、か。」
僕は諦めて、傘を閉じた。もとより傘を受け取るわけないと、わかってた。
わかってたけど、僕は彼女を迎えにきた。
一緒に雨に濡れると決めていた。
「じゃあ、行こうか」
微笑んで、彼女の隣にいく。
彼女が口を開いた。
「どうしてきた…」
「雨が降ったから」
彼女を1人にさせてはいけないと思った。
雨は涙を隠してくれる。
けれど彼女を泣かせるのはまぎれもない、雨だ。
「もう、梅雨だからね。雨の日が増えるんだろうね」
彼女の瞳が揺れたのがわかった。
わかってたから、僕は言った。
「だから、これからも傘を持って待ってる」
彼女にとって僕の行動は意味のないことかもしれない。逆に疎ましい事なのかもしれない。
それでも、いいんだ。嫌われたくはないけれど、彼女を1人になんてできない。
「行こうか、子凪さんのところへ」
ゆっくりとした速度で歩く。
彼女が傍らにいて、一緒に歩いてくれる。
それだけで僕は救われるんだ。
そう、縹がそこにいる、生きている
それだけで僕は、救われる───
これから何が起ころうと、
どんな結末だったとしても、
僕は縹のために生きると決めたんだ
語り───時雨