あのときのコトバ
改札をでると、前を佐々木美里が歩いていた。長い黒髪をグレーの制服の背中で揺らしながら歩いてる。スカートの裾から出て、膝上まである黒いハイソックスに滑り込む太ももが朝の光のなか白く輝いていた。
胸がどくっとした。昇太は美里の後ろ姿から視線を引き剥がして、商店街に並ぶ店店が開店の準備をしているのを見るともなく眺めた。この前から工事していた店が手作りののぼりを立てていた。その前で立ち止まる。
本日十一時開店。ご来店をお待ち申し上げます。
「このラーメン屋さん、おいしいんだってさ」
急に話しかけられて慌てて振り向くと、昇太の顔のすぐ下で、前を歩いていたはずの佐々木美里がラーメン店の中を覗きこんでいた。美里の髪の毛がふわりと風にそよぐ。
「このお店の本店が横浜にあって、そこに行ったことあるコがそう言ってたよ」
「へえ、そうなんだ」
美里の香りに打ちのめされて、少し頭がぼーっとしてくる。
「ねえ桐谷くん。今度みんなで一緒にこようよ」
「ああ、そうだね」
目を覚ますと、風がそよいでいた。ぼやけた焦点があうと白い天井と蛍光灯が見えた。右に大きな窓があり、青い空と白い雲のなか飛行機がゆったりと遠のいていくのが見えた。ぱたぱたと音がして、空気の流れがかわり、薄いピンク色の服をきた女の人が傍らに立つ。
見あげていると、しばらくして目が合った。はっとした顔をして駆け足で出ていく。すぐに戻ってくると白衣の男の人を連れてきた。
「桐谷くん。気がついたようだね」
男はゆっくりとそう言った。
病院で目覚めてからは、家族がどっと押し寄せてきて、ベッドサイドで母親が泣いていたり、妹が布団に突っ伏して泣いていたり、それに対して、笑って大丈夫、大丈夫と繰りかえしたり、父親とハグしたりした。
交通事故にあい体中を骨折し、二年間も意識を失っていたとのことだった。高校の友達はみんな卒業して、多くが東京に出て行ったらしい。地元に残った友達は、その後ときどき見舞いにきてくれたが、美里がいまどうしているのかは話にでなかった。
退院して久しぶりに一人で街に出た。昼間の十一時は車の走る音がたまにするだけで、ずいぶんと街は静かだった。あのラーメン店はまだ営業しているらしい。店の前に看板が出ていた。黒板にチョークで書かれた看板には、ラーメン六百円、くん玉ラーメン七百円、チャーシューメン八百円、みんな入り九百五十円と書かれていた。
みんなで行くという、あのときの宿題は果たせなかったけれど、と思いながら暖簾をめくった。
「いらっしゃいませー」
元気な女の子の声が出迎えてくれた。そしてそれは聞いたことのある声だった。
「佐々木さん」
昇太はそう言って、美里を見つめた。
「あら桐谷くんじゃない。いらっしゃーい」
その受け答えのしたかは、何となくおばさんっぽく聞こえた。
「ここでバイトしてんの?」
「バイト? あれ、知らなかったっけ? そっか事故にあったんだよねー。たいへんだったねえ。実はね、うちの実家でやってるんだ。このお店」
「え」
「いやー。結構たいへん。ふふふ。さあ、座って座って。なんにする。まずはみんな入りにしなよ」
選ぶ暇もなくみんな入りラーメンに決まった。美里は別の客の相手をするために去っていく。
過去の美里の言葉が頭の中で鳴り響く。
このラーメン屋さん、おいしいんだってさ。
このお店の本店が横浜にあって、そこにいったことあるコがそう言ってたよ。
ねえ桐谷くん。今度みんなで一緒にこようよ。
佐々木美里、肩書きは宣伝部部長、あたりなのかな。