62話 …浮かび上がる歪
「はいはーい! 皆さん私のこと忘れてませんかァ!? 司会のモナと解説担当カスパーでぇっす!!」
モナちゅわぁぁあん!!!!
カスパー様ぁぁぁ!!!!
野郎は失せろぉぉおおお!!!!
今日も素敵ーーー!!!
耳を割る大歓声の中、満を持して準決勝戦が幕を開けた。相変わらずの人気を誇る司会と解説者だが、ユーゼリアとクオリの視線の行く先は石舞台の奥、今は厚いカーテンでおおわれているその先の控室にある。
「アッシュ……」
「リアさん……」
あの後、内容が内容だけに、話す場を借りた部屋へと移したユーゼリアは、不承不承ながらアシュレイとの出会いについてを語る他無かった。
【銀翼騎士団】。冒険者ギルドが保有する、大陸の最高戦力を集めた特別部隊の名称である。所属するのはランクA以上の冒険者のみで、現在は20余名がこれに属していた。普段はほぼ機能しておらず、各人は冒険者としての職務を全うしている。が、ひとたび魔獣が大陸に現れたならば、彼等は神都ルバリスの聖騎士の名の下集結し、対魔獣専門部隊としての真の顔を見せるのである。
ここ数十年でまた急速に勢力を拡大し始めた魔獣・魔物に対抗するために組織された部隊、そこに名を連ねる者は、特別な資格を得る。それが一般冒険者に対する絶対命令権。銀翼騎士団の証たるオリーブと槍をかたどった純銀のバッジを掲げられた一般冒険者は、団員からのあらゆる命令に答えなければならない義務が発生する。それを拒めば、あるいは偽りと知りつつにせの情報を提供すれば、魔獣――ひいては魔人に与する反逆者として、処罰の対象となるのである。
「なるほど……。バスカルグの『青い森』で召喚を試み、身の丈以上の第八世代魔獣を喚び出してしまった上、魔力枯渇でそのまま気絶してしまった。そして気づいたらアシュレイ君がきみを介抱していた、ね……」
細いあごに手を当てしばらく思案すると、ちらりと少女を覗き、再確認した。
「その情報に、偽りは無いね?」
「ありません」
幾分かむすっとした表情のユーゼリアは、そう返してすぐ、召喚を行った直後煙の中に人影がちらりと見えたことを思い出した。が、フラウの言葉に返答をした後だったということと、なんとなく言うべきではないという直感から、口を閉ざしたままだった。
(言ったところで、まさか第一世代だの第二世代だのを私が喚べるわけもないし……見間違いよね。今思えば、ほんとに見たのかもあやふやだし…)
あれは、多分、自分の影が煙に写っただけ。
少女は、そう思っていた。
「え、では、ジルニトラはその後放たれたまま、ということですか!?」
青ざめたクオリがまさかと口を挟む。ユーゼリアは安心させるように微笑を浮かべた。
「それは大丈夫。召喚するときに描く魔法陣の中に、契約不履行の場合は喚び出した魔物を亜空間に強制送還するような仕組みが施されているの。私が気絶した時点で召喚契約は無理だから、それが発動したはずよ。恥ずかしい話だけど……。実際、起きた時はもう魔法陣は効果を失っていたしね」
実際は“契約される側”が生命を失ったことで契約不履行となったわけだが、意識を失ったユーゼリアが誤解をしていたのも、無理はなかった。
「ジルニトラか……。その歳で魔獣を召喚するとは、いい才能を持っているね。魔の力の聖域に無断で侵入したことに関しては、褒められた行為ではないけれども」
「う……そ、そのことは本当に申し訳ないと思っています。勝手に入ったのは私ですから、処罰も甘んじて受けます。けど、アッシュとクオリは関係ありませんから、この2人に罰を与えるのは不当です」
「……そうだね。言いにくいことを言ってくれたし、ユーゼリアちゃんは今までこれといってギルドに反するようなこともしていない。……今回だけは、その点については不問としよう」
「あ、ありがとうございます!」
「ただし」
フラウは畳み掛けるように口調を強めて、人差し指をピンと立てた。ほっと頬を緩めたユーゼリアの表情がこわばる。
「彼の身元が知れないことについては、依然変わりないままだ。そして、彼に今1番近しい者は、ユーゼリアちゃん、君だろう。これからどんな些細なことでもいい、何か違和感を見つけたら、ギルドか僕に伝えてくれ」
「それは……。……分かりました」
それは、彼を疑えということですか。
喉元まで出かかった言葉は、フラウの顔を見てかろうじて呑み込んだ。
身元が知れないというだけで、なぜそれほど執拗にアシュレイの事を知りたがるのか。表沙汰になっていないだけで、裏では何か事件が起こっているのだろうか。
「うん、良い子だね。敏い子は好きだよ」
目を細めて薄い笑みを浮かべたフラウを、クオリは困惑の面持ちで見やった。それに気付いているだろうに、彼は幼馴染には目もくれず、真っすぐにユーゼリアに語り続けた。
「話す順番が逆になってしまったね。僕がここに来たのは、実は1点、全国の冒険者達に伝えたいことがあるからなんだよ。君たち、ギルドで通達書は見たかな?」
「えっと……え、通達書? 見てないです。すみません、気がつきませんでした」
「いや、いいんだ。思ってたんだよね、たかが張り紙じゃ誰の気も引かないって。どこのギルドも雑用依頼書が枠外まで貼りだされてるのに、そんな中に追加されたって誰も気づかないよなぁ……」
真面目なユーゼリアらしく、何か重要なものだったのかと青ざめて返答をすれば、返ってきたのは呑気な言葉だった。うーん、と腕を組んで考え込むフラウに、女性陣は顔を見合わせる。
「あの、それで……?」
「ああ、うん、そうだった。それで連絡なんだけど、道中他の冒険者に会ったらこの事を伝えて回って欲しいんだ。通達書の存在もね。実は――」
軽い調子で口にする。まるで「お隣さん家の猫が迷子になっちゃったらしいよ」とでも言うような軽やかさで、フラウはとんでもないことを口にした。
「――実は、魔人が1柱、大陸に侵入してきているかもしれないと、上から連絡があってね」
「……え?」
「は?」
開いた口がふさがらないとはこのことだった。あまりにも突飛すぎて、どんな冗談かと、冗談にしても面白く無さ過ぎだと、笑い飛ばしたい。ただ、それが出来ないのは、言葉の軽快さと裏腹なフラウの表情だった。
悪い夢だと思いたい。そんな2人の心境にダメ押しをするかのように、フラウは同じことを繰り返した。
「通達書にはこの事は書かれていないよ。確証はないとはいえ、その可能性を知らせるだけでも民に要らぬ混乱をばら撒くからね。大陸に魔人が1柱きたかも、ってのも、本来は機密事項なんだけど」
そりゃそうでしょうね!!
ユーゼリアは内心で普段の彼女らしからぬ大絶叫を上げていた。さっきからなんなのだ。朝から聞かせる話にしては重すぎる。この場にアシュレイがいないことに、心底安心した。準決勝戦を目前に控えている彼に、これ以上精神的疲労を与えたくなかった。ただでさえ、彼とフラウは馬が合わないようであるし。
「で、でも、魔人は基本的に大陸には不干渉なのでは……」
まだ信じきれない面持ちで少女が問えば、フラウは頷きながら深いため息をついた。
「そう、そうなんだ。この数百年ずっと信じられ続けてきた“常識”だ。だけど、考えてみれば、この百年彼らが島を出なかったといって、どうして明日も出てこないと言えるだろう? 彼らは僕たちをたやすく蹂躙できる力を持っているというのに」
「それは、たしかに……でも……」
しかし、フラウの言ったように、魔人が島から出てこないというのは、ユーゼリアを含めた大陸のほぼ全ての人類が信じ続けてきた“常識”だった。人間は大陸に、魔人はレーゼ島に住むもの。400年前に起きた魔獣の襲撃の後から、その常識が覆されたことは未だ無い。いきなりそれを崩されることを言われて素直に頭に入ってこないのも、ある意味仕方がないと言えた。
「実はね、君たちが一時身を寄せたポルスという街だけど、あそこでつい1か月前、妙な現象が起きたということは知っているかい?」
「いえ……」
1か月というと、まさしくユーゼリア達がポルスを訪れたあたりのことだ。たった1晩だったが、あそこから彼女の旅は同行者が1人増えた。宛ての無い旅が、不意に色づき始めた、そのきっかけの街。
「ポルスにほど近い森の一部が、広い範囲にわたって凍結されたんだよ。村ひとつ分は優に超える範囲だ」
「え?」
「術の名称は分かっている。おそらく、水属性の戦術級大魔法【白魔の女神】――それも、とてつもなく質の高い術だと推測される」
もったいぶるように、フラウは告げた。苦々しい表情は、Aランクの彼が相手のレベルの高さを認めているのを表しているのだろう。魔法のスペシャリストといっても過言ではないだろうクオリも、術名を聞いて驚きを隠せないようだった。
勿論、ユーゼリアとて一介の魔導士である。攻撃魔導士でこそないものの、戦術級大魔法――すなわち、複数人の魔導士が力を合わせてようやく発動できるような、非常に大規模な魔法の名くらいは心得ていた。【白魔の女神】、辺り一帯を瞬間氷結させる、水属性の最上級魔法を更に超える最高難度の魔法である。
「戦術級って……え、ポルスで、ですか? 私たちが居た時はそんな話聞いてなかったのに――」
「ああ、そうだろうね。ギルドの調査によると、どうやらそれが発見されたのは、ユーゼリアちゃんたちが街を発ってから5日後のことらしい。その前後で街を去った魔導士は、確認できただけで6人。今、その6人の足取りを追ってこちらも調査しているわけさ。そのうちの1人の担当が、僕だった。だからこうして君たちと接触を図ったんだ」
クオリがきゅっと口を結んだ。その瞳はろうそくの炎のように揺らめいていた。
ユーゼリアはそれに気付くと何か言おうとして、一瞬逡巡し、キッと鋭い目線でフラウを射抜いた。
「でも、エルフのフラウさんならお分かりじゃないですか? 私は召喚魔導士で風魔法、それも下級しか扱えないし、持っている召喚獣もそんな戦術級を撃てるようなものは従えていません」
「うん、分かっているよ。そんなに睨まないで、ユーゼリアちゃん。美人に睨まれると、身がすくんでしまう」
「ふざけないでください!」
激昂した少女に肩をすくめると、フラウは声のトーンを落として告げた。どうやら本当のところを教えてくれるらしい。
「正直、最初は僕も君の事を疑っていた。特に、召喚魔導士は手に入れた魔物にそのランクを左右されやすいしね。けど、君の言う通り、今はもうユーゼリアちゃんのことは疑っていないよ。だからこそこんな込み入った話までしたんだから。あ、そうそう、クオリは元からあの街には立ち寄ってないみたいだし、心配しないでいいからね」
「じゃあなんで――」
「もう1人」
大俳優もびっくりの変わり身の早さだ。薄っぺらい笑みをクオリへと向けたフラウにまたユーゼリアが噛みつくと、彼は真剣な声でその話を遮った。男性にしては華奢な、骨ばった長い指がピッと1本立てられる。
「もう1人、このパーティには居るだろう?」
「まさか、それでアッシュを……? だって、彼は剣士であって、魔法なんて――!」
使えるわけが、無い。
そう続くはずだった言葉は、硬い表情のままのクオリと、張り付けたような笑みを浮かべているフラウの表情を見て、呑み込まれた。
束の間、広くない部屋に静寂が戻る。先ほどまでの、怒りと自分への自信に溢れていた力強さはどこへ行ったのか、細い声でユーゼリアが眼前の2人を見つめた。
「……私は、あの人に魔力を感じたことなんて、この1か月一度も無かったのよ…?」
「そうだね、彼は実にうまく隠してる。エルフである僕でも、道具なしには気付かないほどに。まあ……もっとも、クオリの【眼】は誤魔化せなかったようだけれども」
「クオリの……【眼】?」
「その話は後。結論から言うと、彼は魔力を持っている。それも、尋常じゃないほど洗練されたものだ。量も、魔導士と言ってもいいレベルのものだと思う。……これは【看破】と【増幅】と、まあ企業秘密なんだけど、その他もろもろの魔法が施された魔道具でね。これで覗くと、覗いた対象の含有魔力量を色で判別することができるんだ。まあバッグと同じ、いわゆる【魔法付与品】のひとつさ」
そう言って取り出したのは、なんの変哲もない、金の細工の施された指輪だった。玉が埋め込まれていて見た目にも美しいそれは、とてもそのような高性能な魔道具には見えない。
なにがしかの用途を持って生まれる【魔法付与品】は、一般的に、それに見合った形状をしている。冒険者に最も身近なバッグであれば「物を収容する」ことから、入口の輪を象徴したリング状だし、結界を生み出す魔道具であれば、薄い膜を貼れるような細長い箱である。遠方を拡大して見る魔道具は筒状をしていて、のぞき込んで使うものだ。
これは主に、魔法を付与する際魔導士がイメージをしやすいようにという計らいによるものだ。魔法はイメージが大切なものである。だから、より効果的に魔法を付与するために、その道具の使い方に合った形状に道具自体を加工してから、エンチャントをする。世に出回っている魔道具のほとんどはそういうもので、ゆえに、「覗いて使う」魔道具が指輪の形をしているのは、非常に珍しいのである。指輪は嵌めるものであって覗くものではないという固定観念が、魔法付与士の施す魔法に影響を及ぼさないとはかぎらない。
特に今フラウの出したような、複数の種類の魔法を関連の薄い形状に付与するには、相当な練度が必要になる
「企業秘密、って…それ、形状からしてとても高名な付与士の作品のようですけど、お知り合いなんですか? 魔力を色別するなんて魔道具も、初めて見ました」
「ああ、今回のために僕が1から作ったからね、これは。同じことを考えた奴が居ない限り、正真正銘世界でひとつだけの魔道具だよ。僕の使っている魔法剣も、実は自作のものなんだ。僕はクオリと違って他を捨ててでも一つのことを極めるというのが苦手でね、やりたいことは全てやりきるってのが僕の信条だ。剣と魔法については多分ご存じの通り、まあAランクになれる程度には極めた。ついでに魔道具師の資格も持ってるってわけさ」
百年も生きてると何分暇でね、と続けられた言葉に、もうユーゼリアは驚くことを止めた。
(……え、ちょっと万能すぎない? この人)
(昔から手先は器用な方でしたけど…私もびっくりです……)
クオリと視線だけで会話するも、フラウの話はまだ続いている。とりあえず自分の感情は後回しにして、今はアシュレイにかかっている嫌疑について聞かねばならない。ユーゼリアは気を取り直して、フラウの言葉に耳を傾けた。
「百聞は一見に如かず、かな。この指輪はあげるから、彼の姿をこれに通して、覗いてみるといい。寒色になるほど絶対量が少なく、赤に近づく程絶対量が多いんだ」
促されて、クオリとフラウを指輪越しに見てみるとその効果は一目瞭然だった。クオリのシルエットは真っ赤に染まり、フラウは緋色といったところだ。魔力量には若干自信がある自分の体の一部を見てみると橙色だから、なかなかシビアな色分けが施されているらしい。階下を歩く一般人が青色だ。なるほど、寒色暖色というのは、そういうことか。
道具のすごさは理解した。が、まだユーゼリアには納得しきれないことがある。
「たとえアシュレイが魔力を持っていたとしても、ポルスの件が彼によるものとは限らないはずです。まして、魔人かどうかなんて分かるはずもない。そもそも魔人が、どうしてわたしみたいな一介の小娘と一緒に旅なんてしてるんですか? 魔力量だけで彼を疑うなんて、早計だとわたしは思います」
「そりゃそうだ。もっともな意見だね。とはいえ、ギルドもそんなに楽観視をしていられない状況なんだ。ここのところ各地で魔物・魔獣の動きが活発になっている。どんなに小さな芽でも見逃すわけにはいかない。断定はできないけど、どうして魔力があるにも関わらず剣士として登録をしたのか、尋ねることは可能だ。それこそ、強大な力を持つ魔人が、わざわざ言葉で面倒なギルドの追求を逃れるとは考えにくい。彼らは世界の暴君だ。面倒なことになったら、必ず力で制圧してくる。僕たちは彼らの忍耐の限界を待てばいい。その力量によっては、彼の身元を判断する基準になるだろう」
まさか、ここ数日ずっとフラウが彼に突っかかっていたのは、そういう意図があってのことだったのか。意図的に彼を怒らせて、その力を測る狙いがあったのか。ユーゼリアはきゅっと口を結び、受け取った指輪を握りしめた。
(そんなの……)
無言のまま3人は部屋を出て、会場へと向かう。クオリのゴーレムが席を取っておいてくれたので、また最前列の良い席で舞台を見下ろすことができた。底抜けに明るい司会と場の空気に酔いそうになりながら、ユーゼリアは口を真一文字に引き結ぶ。
(そんなの、アッシュが可哀想すぎるわ……)
本人のあずかり知らぬところでギルドに疑いを持たれ、仲間にまで嫌疑の目を持つよう根回しされ――。確かに彼は何かを隠している。それはユーゼリアにも分かっている。けれど、彼がユーゼリアを陥れるためにやっているとは、彼女は考えられなかった。
(だって、魔人だとしたら、何故わたしを守ってくれるの? 本当に暴君なら、さっさとわたしを犯すなり殺すなりできたはずだわ。どうしてわたしを慰めてくれたの? 暇つぶし? 違う、彼の言葉は本当に温かかったの。彼が魔人かどうかなんてわたしにしか分からないけれど、でも、わたしは彼を信じてる)
そう思いながらも、頭の中で次々とピースが当てはまっていくのは、抑えられなかった。
どうして魔の眷属であるシュラが彼にだけ懐くのか?
――魔の眷属より高位の存在だからではないのか?
どうして彼は大陸の常識を知らなかったのか?
――そもそも大陸に住んでいなかったからでは?
どうして誰も知らないようなフェアラビットの生態に詳しいのか?
――幾千年の時を生きる彼らならば、知識も相応に豊富なのでは?
どうして彼はあれほど強いのか?
――人に非ざる者だから、では?
(アッシュ、わたしは……)
選手入場のコールとともに現れた8人の選び抜かれた選手たち。目当ての黒髪を、震える手で指輪越しに覗いた。
アシュレイのシルエットは、血よりも濃い深紅に染まった。
フラウの作った魔道具は、イメージ的にサーモスコープみたいな感じですね