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文学部石川助教授の静かな日々

巨大化した駅員の秘密 文学部石川助教授シリーズ番外編 

作者: 桐原草

「ねえ、あの駅員さん、最近また巨大化してたわよ。見た?」

 おしゃべり雀シスターズ(石川助教授命名)の一人である綾小路麗香が、石川ゼミのドアを開けながらしゃべりだす。

 シスターズの間では、最近学校の最寄り駅の駅員が話題となっているのだ。

 といっても駅員がハンサムであるとか、彼に惚れているとかその類の話ではなく、「いつみても食べている」というひそかな噂が引き金となって、麗香たちは毎朝駅員チェックを行ってしまうのであった。


「え~、麗香今日見れたんだ。いいな~、私見たときいなかったくせに、麗香にはみられるんだ。いいな~。」

 駅員を見られなかったのがそんなに悔しいのか、いいな~を繰り返すおしゃべりシスターズD。

 同調してCも「私もダメだったよ。いいな、麗香は」と声を張り上げる。


「ま、一日くらい見られなくてもええんちゃう?それよりコレ、さっきクマさんがおいていってん。こないだの名古屋出張のお土産やて。おいしいで。」

 そういうのは、ゼミ唯一のイケメン桐原である。言っておくがほかに男性のゼミ生がいないというわけではない。少なくはあるが。


「イケメンとはこんな感じの顔、を思い描いたら桐原クンだったの」とは麗香の名言だ。

 そしてそんな理由で今年の石川ゼミの男女比率は3:8、つまり男3人に女8人、そしてクマ先生という構成なのであった。

 クマ先生の人格を慕ってとか、クマ先生の講義をもっと聞きたいからという理由のゼミ生が存在するのかどうかは、不明である。


 今日はクマ先生が昨日まで名古屋出張だったので、そのお土産狙いで、卒論を仕上げてヒマのある4年生が多く集まっているが、基本、ゼミ生たちはこの部屋を談話室として使っているらしく、休講だからきましたとか、バイトまで時間があるので来ましたとか、ゼミ生じゃないけど遊びに来ましたとか、ここに来ると誰かしら居るというのは当たり前である。

 そしてそんな彼らのために、中央のテーブルの上には蕎麦でも打てそうなくらい大きな菓子鉢があり、いつもなにがしかのお茶請けが用意されている。そして、無くなると次の人のために一袋おいていくのが通例になっている。


「クマせんせはどこに?」麗香はさりげなく桐原クンの隣をチェックするが、もうシスターズCとDに両側をガッチリ固められた後だった。桐原クンがいるんならもうちょっと早く家を出るんだった、後悔役立たずである。

「フジコ先生のとこ。まだまだ時間かかるやろな。ういろう、持っていったばっかりやし。」

 やはりフジコ先生にはお土産持って行ったんだ、麗香はにんまりした。


「クマせんせ、名古屋の学会うまくいったのかな?」これはシスターズBである。麗香の見るところ、クマせんせのことを一番気にかけているのは彼女だ。フジコせんせとうまくいったらしいという噂が最初に流れたときに、隠してはいたが涙ぐんでいたと麗香は睨んでいる。

「何にも言ってなかったから、うまくいったんじゃない?うまくいかなかったら、やたらしゃべってくれるじゃない、あのセンセ。」

 気がなさそうにシスターズDが言う。

 確かにあまり受けなかったらしい学会のときは、最長34分演題についてしゃべりっぱなしであった。


 クマせんせって実は古典大好きだもんね、好きな研究をお仕事にしてるオトコっていいなぁ、桐原クンは泉鏡花を一生すきでいるのかしら。アナタ、ちょっと休憩しませんか、とか言ってお茶とシュークリームを持っていく妻。あら、唇にクリームがついてるわ、私が取ってあ・げ・る・・・


「ちょっと、麗香さん、また妄想してたんでしょ、置いていっちゃうわよ。鍵置いとくから、閉めといてくれる?」

 あま~い妄想の時間は短い。うわっと飛び起きて、皆と一緒に歩き出す麗香であった。


「・・・んで、どこに行くの?」何も聞いていなかった麗香は、歩き出した皆に遅れまいと早歩きしながら、シスターズBに問いかけた。

「アンタがぼけっとしてる間にクマさんから電話があったのよ。・・・2時ごろまで戻ってこないんだって。」

 やっぱりまだクマさんを引きずっているのか、ちょっと切なそうなシスターズBであったが、そのまま何もないかのように話を続けた。

「その間に何か食べに行こうってことになって、駅の向こうのシュークリーム屋さんよ。アンタ愛しの桐原クンご推奨。サンドイッチとシュークリームをご所望だそうよ。私はついでに噂の駅員さんも拝んでこようかな、なんて。」

「シュークリーム屋さんはいいけど、なんで駅員さんまで。太ってるただのお兄さんだよ?」

「私、徒歩通学だもん。私が前に見たときは、普通に痩せたお兄さんだったわよ?」

「それいつごろの話よ?」

「3、4か月前かな。去年の10月くらい。」

「うわ、その間にあんなに巨大化しちゃったの?!」


 思わず大きな声を出してしまったとき、前を歩いていたシスターズC、D、そして桐原クンが一斉に振り返って、「シャラップ!」のジェスチャーをした。

 目線の指し示す先をみてみると、そこにはフジコちゃんとわれらがクマさんのツーショット!

 クマさん、白衣着てない!でもなんかやぼったい!

 フジコちゃん、いつもどおりかっこいい!決まってる!

 二人で並んで駅の階段を上がっていくところだった。


 あの二人って二人きりでも腕組んだりしないんだ、手をつないだりしないのかな、恋人つなぎなんてしちゃったり・・・

 麗香が気が付くと、ほかのメンバーはカップルを追いかけて階段を上がっていくところだった。

 うわ、追いかける気だ。

 驚いては見たものの、先生カップルに遠慮して追跡をやめる気はさらさらない麗香は、皆の後を追って階段を上って行った。


 噂のカップルはちょうど噂の駅員さんの前を通って、改札を入ろうとしているところであった。

 そして、この何ヵ月かで存在感を膨らませた駅員さんは、何事かをフジコ先生に言おうとしているようだった。


 さすがに他の皆も声の聞こえる範囲まで近づくのは危険だと思ったか、階段の踊り場付近に佇んでそちらをうかがっている。

 そこに合流しながら、麗香は駅員さんの近くに不審人物がいるのに気が付いた。


 その人物は赤いベレー帽をかぶっていた。

 一目で男性だとわかる鋭いまなざし、すらっとしたあご、細いけれど引き締まった体、そのどれもが麗香の好みでいいオトコのフェロモンを発しているにもかかわらず、赤いベレー帽をかぶっていた。

 のみならず、派手なオレンジ色のコートのような上着を着ていた。

 右手には鉛筆のようなものを持ち、左手には大きなスケッチブックを構え、指には何個か金色に輝く指輪がはまっているようだった。

 そしてその彼の眼は駅員さんに熱く注がれていた。


 なんなの、この面白い展開は。

 こんな時でもいつも通りのクマ先生、思いっきり駅員さんに不審な目を向けているフジコ先生、この数か月で巨大化した駅員さん、赤ベレー・オレンジコートのフェロモン画家(?)。

 気が付くとゼミ生たちのみならず、一般乗客までもが遠巻きにその四人を見守っている状態であった。


 駅員さんはなかなか話し始めず、じれたフジコ先生が何か鋭い言葉を発した様子がした。

 それを受けて駅員さんの顔が遠目でも赤く染まっていく。

 横に大きくなった駅員さんが一人、真っ赤な顔で佇んでいるのが哀れを誘う。


「あかん、聞こえへん、行こ。」

 そう言い捨てて桐原クンはすたすたと歩いていき、クマ先生に話しかけている。

 ときどき桐原クンってすごいっておもうんだよね、思いもよらないことするっていうか、何も考えてないっていうか。

 麗香は胸の中で考えながら、あわてて後を追った。


 麗香たちゼミ生が集まって、駅員さんはもっと赤くなって、一層膨れ上がった気がする。

 マンガなら体から蒸気吹いてるところだよね。多少、同情しながら麗香は考える。

 ほかの乗客たちがこちらに注目している視線を感じるしね。


 そのとき、クマさんが動いた。

 フジコ先生の肩をいきなり抱き寄せたのだ。


 うわ、クマ先生!

 ゼミ生の肩が一斉に揺れた。サッカーのウェーブを作っているかの動きである。

 フジコ先生は信じられないものを見たかのように目を見開き、かわいそうなほど動揺している。


「ワシらはこれから行くとこあるんやけど、別に改札とおってもかまへんやろ?

 ほなら行ってくるからな。2時くらいには帰るから、それまでよろしゅう頼むで。」


 最初のセリフは駅員さんに、最後のセリフはゼミ生たちに言い残して、クマさんはいつも通りの歩き方で、でも、フジコ先生の肩を抱いたまま改札の奥に消えていった。

 桐原が「いってらっしゃ~い」と不必要に大きな声で送り出した。

 そしてその声で魔法が解けたかのように、ほかの乗客も動き出し、駅はいつもの活気を取り戻した・・・かにみえた。


「これじゃだめなんだ!ボクが描きたかったのはこれじゃない!」

 動きを取り戻した改札口がまた動きを止めた。

 フェロモン画家だった。


 彼は描きかけのスケッチブックを何枚か破り捨て、突っ立ったままの駅員に押し付けると、オレンジのコートをはためかせながら足音高く、駅を降りて行った。

 その後ろ姿を見送ってから、改札はようやくいつもの改札らしさを取り戻した―――。



「駅員さん、大丈夫ですか?」麗香は声をかけた。その声に、今まで固まっていた駅員さんの横に広がった肩がぴくんと震え、目に見えて力が抜けて行った。

 駅員さんはほう、と小さく息を吐いた。

「うちの助教授なんです、二人とも。」麗香は言ってみる。

「二人ともつきあってるんすよ。」空気を読めないのか、読めないふりをしているのか、能天気な声で桐原が続ける。「最近特に仲良くなったみたいっすね。」


 その声に駅員さんは崩れた。

「そうですよね。わかってました。ボクの高望みだって。」あんなきれいな人が一人でいるわけないんだ、つぶやくように言う。

 いろいろと問題はあるんですけどね、麗香は心の中で駅員さんに愚痴っておく。

「これで吹っ切れました。ストレスで最近食べ過ぎちゃってて、体もボロボロになっているし。」

 ありゃ、フジコ先生に片思いでやけ食いしてたんだ、この駅員さん。麗香は改めてフジコ先生パワーのすごさに驚く。

 この数か月で何キロ太ったんだろう、この駅員さん。


 駅員さんは続ける。

「さっきの画家の先生にもいろいろアドバイスしてもらったんですけどね。もう、あきらめます。

 いろいろすみませんでした。

 仕事に戻ります。失礼します。」

 そう言って、駅員さんは改札の奥に消えて行った。


 後に残されたゼミ生たちは、「ご飯食べにいこっか」「おもしろかったね」「クマさんやるね~」と口々に言いながら、駅向こうのシュークリームのおいしいお店に向かって、お昼ご飯を食べに歩いて行った。

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