第1話 追放
数多ある物語の中から、本作に目を留めてくださり感謝します。
3話完結の小さな物語。まずは第1話、お楽しみください。
教会を追い出された聖女がドタバタな旅の果てたどり着く先は......
「お前は聖女などではない。不浄を撒き散らす魔女め。その忌々しい袋と共に、今すぐこの聖域から立ち去りなさいッ!」
司教の一喝が、大聖堂の丸天井に跳ね返り、冷たい大理石の床へと降り注いだ。
膝をついたリーネの指先は、震えが止まらない。
屈辱と寒さが混ざり合って、爪の先まで白くなっていた。
物心ついたときから教会に拾われ、この「豊穣の革袋」と共に生きてきた少女。
その横で、司教の姪——エリーゼが得意げに胸を張っていた。
金髪を優雅に揺らし、白い聖衣に身を包んだ美しい令嬢。
「伯父様、この魔女を追い出せば、私が次期聖女候補になれますのね」
「ああ。お前の「清浄の聖水」こそ、この聖域にふさわしい」
司教は満足げに頷いた。
リーネの「豊穣の革袋」は、確かに凄まじい神器だ。
大麦、小麦、大豆、小豆——そして誰も見たことのない、真珠みたいに白くて硬い粒。
本来なら国ひとつ養える力がある。
だが。
この聖域の連中にとっては、「家畜の餌か、硬くて食えない石の卵」でしかなかった。
一方、エリーゼの「清浄の聖水」は分かりやすい。
触れただけで傷が癒え、光り輝く。
貴族たちが喜ぶ、見栄えの良い奇跡。
「リーネの神器は使えない。エリーゼ様こそ真の聖女だ」
周囲の修道士たちが、次々と頷いた。
司教は保身に走った。
貴族たちの支持を得るには、エリーゼを推すしかない。
リーネは邪魔だ。
だから——追放する。
リーネは拳を握った。
(……私の袋が、使えない?)
(いつか、見返してやる)
◇
リーネの目の前には、陶器の小皿にのったどろりとした茶色の塊がある。
昨日のことだ。
いつもの夕食。
素材をただ湯で煮ただけの、脂も灰汁も混ざった濁った水煮に、もう限界だった。
袋から出てきた大豆と塩を混ぜて、袋の隅にそっと押し込んでみた。
ただそれだけのことだった。
袋の内部は、時間の流れがおかしい。
翌朝。
取り出した瞬間、鼻を突いた。
芳醇で、懐かしくて。
一度嗅いだら忘れられない、複雑で深い香り。
傍らには漆黒の宝石みたいな液体が、ぽたり、ぽたりと床を濡らしていた。
リーネは震える手で、その泥を夕食の水煮に少しだけ溶かした。
恐る恐る、すすった。
その瞬間——世界の輪郭がぐにゃりと揺らいだ。
舌の上で何かが炸裂した。
出汁でも塩でもない、もっと深くて複雑な旨味が、喉から内臓の奥底まで一気に流れ込んでくる。
鼻の奥を突き抜ける発酵の香りが、眠っていた細胞を一個ずつ揺り起こすみたいだった。
(……これが、食べるということだ)
そう思った瞬間、隣の修道士が皿ごと引っくり返した。
「くさッ! なんだこの悪臭ッ! 腐っているぞッ!」
そこからはあっという間だった。
「これは腐敗じゃありませんッ! ただ、美味しいものを食べてもらいたくてッ……」
「黙れッ! 神の賜物をドロドロに腐らせ、あろうことか悪臭を放つゴミに変えるとは。お前の存在そのものが神への冒涜だッ」
コツン、コツン。
司教の杖がリーネの額を冷酷に押し返す。
食堂の顔たちは、今日も湯で命を煮殺した水の碗を抱えて、無表情に咀嚼している。
「行けッ! 二度とその汚らわしい顔を見せるなッ!」
ザアァァァッ——
叩きつけるような雨の中に放り出された。
重い鉄門が、背後で閉まった。
濡れた石畳から泥水が顔に跳ね返る。
リーネは革袋を、痛いくらいに抱きしめる。
「なによ。あんな、なんの味もしない肉ばっかり食べてッ」
涙が溢れそうになるのを、必死で堪えた。
「いつか絶対に見返してやるから。この泥と黒い水が、どれだけ人を幸せにするか……思い知らせてやるんだからァァッ!」
少女の絶叫は、雷鳴に飲み込まれる。
だが彼女の瞳には、雨の中でも消えない炎が灯っていた。
◇
街道を三日歩いた。
火も水もない道中では、袋から出てくる硬い粒をひたすらポリポリ齧るしかない。
「ポリ……ポリポリ……。あー、顎が死ぬぅ。この白い謎の粒、噛むとほんのり甘いけど硬すぎる」
二日目の夜、古びた空き倉庫に転がり込んだ。
寒さに震えながら革袋を抱きしめ、せめて暖かい寝床を、と念じた瞬間——袋がその欲に過剰反応した。
ズザザザザザァァァッッ!!
怒濤の勢いで白い粒が溢れ出し、気づいたときには首まで埋まっていた。
だが凍える夜、リーネの体温と、彼女の中に眠る「醸す力」が、粒の隙間でひそかに共鳴を始めた。
吐息が熱に変わり、フカフカした白い菌糸が粒と粒のあいだを静かに埋めていく。
翌朝。
倉庫じゅうに甘く華やかな香りが満ちていた。
袋の中には、一晩で熟成した清酒と甘酒がなみなみと溜まっている。
リーネはシャリっと麹を齧り、トクトク、キュッと酒を煽る。
完全に酔っ払った。
千鳥足で街道に踏み出した。
長雨が続いたせいで、道端の草はどれも踏まれ、泥をかぶり、茎が折れかけていた。
リーネはそんな草には目もくれず、ヒック、ヒックとしゃっくりをしながらふらふらと歩いていく。
その足元で、草がすうっと背筋を伸ばした。
踏んだわけでも、触れたわけでもない。
リーネが横を通り過ぎただけだ。
折れかけていた茎が天を向き、泥で塞がれていた葉の気孔がひらいて、緑が一段と深くなる。
道端に群れていた小さな黄色い花が、ふわり、ふわりと開いていく。
まるで春の朝が、そこだけ先に来たみたいに。
リーネは振り返らない。
ヒック、とまたしゃっくりをして、「今日も生きてるなぁ」と空に向かって呟きながら、千鳥足のまま先へ進んでいく。
石畳の隙間から次々と草花が顔を出した。
生気に満ちた葉が光を弾き、艶やかに揺れている。
雨漏りのするパン屋の前で親父が頭を抱えていた。
長雨で麦が湿気て腐りかけ、石みたいなパンしか焼けないと嘆いている。
「おじさん、それ腐ってるんじゃないですよぅ。ちょっとお昼寝が必要なだけ。私の大切な種、少し分けてあげますね」
リーネは袋からフカフカの麹を鷲掴みにし、男の麦山へ無造作に投げ込んだ。
止める間もなく、ふらふらと立ち去る。
だが数時間後。
腐臭が漂っていた麦の山から、春の陽みたいな甘く華やかな香りが溢れ出した。
親父が半信半疑で生地を捏ねると、釜の中でパンは見たこともないほど力強く、バチバチと音を立てて黄金色に膨れ上がった。
さらに先の木陰で、老人が今まさに息絶えようと倒れている。
「おじいさーんッ、元気出してくださいよぅーっ!」
叫びながら前転気味に突っ込んだリーネは、老人の口に濃厚な甘酒を無理やり流し込んだ。
「ゴブッ、ゲホッ……!?」
老人の枯れた目に光が戻り、頬に血色が差した。
頭上に、うっすらと文字が浮かぶ。
【体力:8→52】
【精神力:3→38】
【状態異常:衰弱(解除)】
「歩けるぞ……わしはまだ歩けるぞ!」
呆然と振り返った人々の前には、看板に頭をぶつけて
「あいたたた……」
と涙目になりながら、ヒック、ヒックと上機嫌に去っていくリーネの背中があった。
その背中に、誰かが気づく。
ボサボサの濡れ髪と、揺れるアホ毛の周りに——後光が差している。
誰の目にも見える、白く柔らかな光だ。
「聖女様だ……ッ!」
声が上がった瞬間、リーネの足が石畳の凸凹を踏み外した。
ズデンッ!!
派手な音を立てて地面に突っ込んだ。
全身が石畳に張りついたまま、アホ毛だけがぴょこん、と地面から突き出ている。
人々は膝をついたまま、そのアホ毛を拝み続けた。
「……神の使いは、お疲れなのだ」
「地に伏して民を慈しんでおられる……ッ」
「尊い……ッ!」
「いたたたた……」
地面に顔を押しつけたまま、リーネは小さく呻いた。
そんな声も届かないまま、王都の門がすぐそこにそびえ立つ。
と、その鼻先に——何かが来た。
風に乗って、滑り込んでくる匂い。
油だ。
肉を揚げる匂いだ。
だが単なる油じゃない。
甘くて、深くて、腹の底を直撃してくる何かが溶け込んでいる。
十五年間、あの聖域で一度も嗅いだことのない匂いだった。
(……この匂いを作っている人間は、本気だ)
根拠はない。
ただ、そう思った。
四つん這いのまま数歩進み、勢いをつけて立ち上がった。
そのまま走り出す。
(第一話終わり)
ご一読ありがとうございます! 聖域の「無味乾燥な水煮」から始まったリーネの受難、いかがでしたか?
私も書きながら、あの冷たい石畳と「腐敗」と罵られた味噌の香りを想像して、少し切なくなりました。 ですが、リーネの「発酵チート」が爆発します!
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