定理には前提条件がある
定理や変換には、適用できる前提条件というものがある。
ところが、オイラーやテイラーがトリックを使ったせいで、素人の間では前提なしに使えると思っている、あるいは問題ないという風潮がある。
もっとも簡単な例は自然数と素数の関係だ。
1+2+3+4+5+・・・=1+2+3+5+7+・・・
一見、正しく無い様に見える。
左は自然数の和、右は素数の和である。
これは、無限なんだから同じだよね。といっていることに等しい。
発散する級数だから使えない、というなら
1+1/2+1/3+1/4+1/5+・・・=1+1/2+1/3+1/5+1/7+・・・
こちらはどうだ?
これもやはり間違いである。しかし、オイラーやテイラーが同じトリックを使って級数の極限を求めたことは事実だ。
素数とは因果関係のない数列を、順序というもので関係があるように見せているだけだ。
左右の誤差が無視できないほどになっている。誤差の周期が素数の周期となってしまっているため、素数の周期が表面化しているにずぎない。
これが、正しくないというのは逆変換が出来ないことでわかる。
順序と数値という関係ない単位を結び付けてしまったために、数値を順序にはもどせなくなったわけだ。
もとの数列にある周期を使わない限り、逆変換はできない。解析法の限界がここにある。これがわかれば、未解決問題と素数の関係性は意図的に作られたものであり、本来、無意味なのではないかと疑う必要がある。
素人あいてにマジックを披露するのはいいが、それを真実だと思わせるのは罪だ。かれらの多くの時間を無駄にしている。
日本の数学は、使えない前提を教えない。だからツールが万能だと思い込んでしまう。数論で複素数や三角関数を間違った使い方をしていることを教えたほうがいい。
切捨てられた微小誤差に与えてしまった規則性が見えているならば、それは間違った方法だと。
コラッツ演算は小数の切り上げ演算である。なので自然数の間を連続関数で補間できない。最後に1が連続するのは小数になれば以降切り上げだから1しか現れない。
非連続な数列に間違った連続性を与えても証明したことにはならない。




