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証明と論文の違い

証明は、あくまで仮説の正しさを示すための論理であって、それ自身が論文とは関係ない。

論文は、仮説に対する推論と検証による考察をまとめたものである。


よって、証明を論文として発表するには、検証結果と考察を足さなければならない。

大学生が書く卒論とはわけが違う。かれらの多くがやっているのはAIでもできる通説のまとめや、検証作業のようなものである。


査読者が検証してくれるわけではない。かれらは、提出された検証結果と照らし合わせて、論理に矛盾がないかを確認するだけである。


SNSに流れる多くの「証明しました」は、検証結果とその考察が欠落している。だから、判断材料のないものを査読してくれといったところで、何も判断できない。査読者は暇でもなければ、それを専門で研究しているわけでもない。


「理解できないのは馬鹿だから」と言っているようでは、相手にされない。

ガロアも理論を予想しただけで、証明した訳ではない。相対性理論も証明されたわけではなく、現在も観測によって確認作業が続いている。


検証できなければ、それは予想のままだ。しかし、新たな証明方法が提示されれば、それを研究し検証する研究者が現れる。かれらが、論文として実証してくれる。


数学者はなにをするのか。実証された論理が、数学体系にどう組み込めるのかを検討するのである。かれらが行うのは、証明ではなくその論理がどのように体系と結びついているのかを研究するのである。より本質を探っている。そのための、専門知識であり、学会である。


論文発表は学者のステータスであって、一般人にとっては役に立たない。だから、一般人の論文など門前払いなのだ。


これをこじ開けるには、数学者に協力してもらうか、世論で押し切るか。しかし、懸賞問題は世論が一致するはずもない。それぞれが、自分が最初だといってゆずらない。


世論を動かすには、誰が最初かではなく、多角的に「証明された」という事実でまとめ、ジャッジを待つのみである。そのためには、何を揃える必要があるのかを議論し、できるだけ、正しい提案をしつづけなければならない。


現状では発表から認定までには2年はかかるだろう。しかし、巷に氾濫する中途半端な情報のおかげで、さらに長い時間を要するかもしれない。無価値な断片的情報を流すことが、認定を遅らすことになることを理解すべきである。


査読というのは、論理に矛盾があるかどうかの判定であって、証明の認定ではないといことを理解すべきだ。その後、学会で取り上げられ、検討されやがて認定にいたることになる。


論文を書くことに意味はなくても、声を上げ続けることは必要かもしれない。

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