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「台無しになった戦争」が好き

作者: 暇庭宅男
掲載日:2026/02/26

自分でも物凄い意地の悪い事を言っていると思うのだが、特に創作の中の戦争において、どれだけ勝っても何も得るもののない戦争だとか、あるいは、戦をしようといそいそ準備したはいいが本格的に始まる前に戦争どころでなくなってしまってうやむやになってしまったような戦争が大好きだ。自分の中でそれらを「台無しになった戦争」と呼んでいる。


「台無しになった戦争」の中でも私が最も好きなのは、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の風の谷勢力とトルメキア軍の戦いだろう。


細かいことは省くが、トルメキア軍は辺境にある風の谷を実効支配して、風の谷に落ちた巨神兵を完全な形で再生させ、対立する国々を平伏させ腐海を焼いて世界の覇者になることを目指した。

そして自分たちがただ生きるため生きてきた風の谷は、トルメキアの横暴を良しとせず、一度は主人公ナウシカの呼びかけで恭順するものの、無理な食糧供出に、トルメキア艦による腐海からの菌類の媒介など度重なるトルメキア側の横暴と不手際に業を煮やして反乱し両者は激突するわけだ。


もうこの時点でいいなぁ〜!と思う。詳しくは映画を観てみてほしいのだが、トルメキア側は風の谷の反乱が起きた時点で最早兵力をほとんど喪失していて、ここから勝ったところで焼けた森の広がるド田舎で、並み居る列強の大軍から巨神兵のお守りを強いられる。風の谷だってトルメキア軍を追い出したところで水源地を失くし、田畑は踏み荒らされていて、領主の城の広間にはヒトの手ではもう運びようのない大きな巨神兵の赤子がドッカリ陣取っている。


両者とも勝っても何も解決しないのだ。そしてそんな状態でいよいよやむを得ず互いに総力戦だ!となったところで、今度は王蟲の暴走でそれどころではなくなってしまう。


うーん。もう、最高。あらゆる創作における最高の「台無しになった戦争」の形だ。はじめから得るものなんかなく、正義の建前もひしゃげてそこらに捨てられ、戦の後には形の違う地獄が待っているだけ。挙句にそれを始めることすらなく、巨大な厄災で何もかも平等に公平にぐちゃぐちゃ。こんなに戦争の虚しさを説得力を持って伝えるストーリーラインはないと思うし、ヒトは戦う前に生活しているという当たり前の現実をよくよく思い出させてくれる。


もう一つ、台無しになった戦争として好きなのは、こちらはロボットゲームの、『アーマードコア4』のリンクス戦争だ。

こちらはちといろいろ事情が複雑に絡んだお話なのだが、ごくごくシンプルな話をすれば、時代遅れの物量主義VS先進的な少数精鋭主義の戦いで、始まったときにそれなりには互いに狙いはあったものの、失ったものの代わりに得たものは実に少なく、その次の作品でそもそも作中世界は最初から2つの理由によってどん詰まりであり、アーマードコア4の主人公、『アナトリアの傭兵』は頑張ろうが頑張るまいがそんなに未来は変わらなかったというとんでもない事実が突きつけられるわけである。

世間的にはその続編のほうが戦闘システムの洗練や有名なセリフのおかげで人気が高いが、「台無しになった戦争」の具合としては4の完成度は最高だと思う。最も、そんな物好きな視点でゲームをとらえているプレイヤーは少数派だろうが。


なぜ私はこんなにも「台無しになった戦争」が大好きなのだろう。それはおそらく、「頑張ったけど得たものが全然割に合わなかった」というテーマの、最も胸を張って消費できる一つの形だからだろう。


頑張りは報われぬこともある。それは何も将来の夢や人生の目標の未達だけでなく、日々の仕事で自分は精一杯やっているのに周りの人間の持ち込んで来たトラブル、週末の素敵な予定に水を差してくる誰かの無自覚なわがまま、自分の目的地と反対方向に流れている世間や世界の流れ……様々あるだろう。しかし、リアルで溢れている話にもかかわらず、これが創作に持ち込まれると途端に鼻をつまんで顔を背けたくなるような、すえた臭いのものになる。映画なら主人公が何もしなければよかった『ミスト』や、ゲームなら『Far cry』シリーズの幾つかのエンディングも、「自分が頑張るより何もしないほうが良かった」という意味合いを持たせたストーリーラインだがこれらは嫌いだ。シンプルにあまりにもわざとらしいからだ。


思うに「頑張って何かを得た話」よりも、「頑張ったけど全然割に合わない話」の方が、作るのは難しいし、それを含んだ作品をちゃんと面白くするのはもっと難しいのだと思う。ましてそれを嫌味ったらしくなく、作品へのストレートな愛着と両立させようと思えばそれは至難の業だろう。


それをおしても、私はリアルで感ずる「なーんだ、頑張ったのにこんなんじゃ全然割に合わないや」という感覚を、創作で露悪的でもなく、その作品を消費しながら登場人物にヘイトが溜まるものでもない、壮大ながら自然な形におさめている作品が大好きでたまらない。頑張ったのを何処かの誰かが突然報いてくれるおとぎ話でもなく、報われぬ現実をやかましく嘆く露悪趣味でもなく、ごく自然に、自分の掘った穴をいつの間にか自分自身で埋め戻していたような、そんなストーリーライン。でもその穴を掘りながら語らった人達もいれば、身体を動かしたのでハラが減って美味しく食べた昼食もあり、ため息をつきながら埋め戻した後には余韻も何もなく雨に降られてさっさと家に帰るような……そういうストーリーラインを未だに探している。そういうものが書きたいか?と言われるとそうではないのだが、消費者としてはそういう物語を、求めずにいられない。自分で自分が分からない、奇妙奇天烈な私の好みである。

ちょっと創作疲れしたので、好きなことを書こうと思い立った。好きなことは様々あるが、今回は誰とも共有出来たことのない「好き」を文章で書くのがテーマ。やっぱりなかなか言い表すのが難しいなと感じる。

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