第九話: 氏家 仁 ⑦
◆まえがき◆
新たな策を引っ下げてピクチャーノの大転換を計る氏家…
しかしその眼前に予想だにしなかった大きな波が押し寄せます。
一体何がどうなっていくのか???
では第九話、お楽しみくださ
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「じゃぁ氏家さん、お先に失礼しますよ」
浦川に肩をちょんと叩かれ、私は現実世界に引き戻された。
「あれ、ウラさん…もうお帰りで?」
「ほら、仕事が早くなっちゃったんでね……今日はサクッと帰りますよ。また今度、休み前にでもゆっくり飲みましょう。……しんちゃん、じゃ」
そう言って浦川は小気味よく店の引き戸を開ける。
「あれ?…空が何か凄い事になってる……こりゃぁ、一雨来るな」
店の入り口前で空を見上げ浦川が表情を濁す。
「あ~、そういえば台風がこっちに急接近してるそうですよ。傘持っていきます?」
と、店主。
「いらないいらない。まだ降りそうじゃないから……ボクん家、近いしさ。大丈夫」
浦川が店を出ると、店内の客はまた私一人になった。
「いやー、今日はダメですね~。昨日はこの時間、混んでたのになぁ~」
カウンターの後片付けをしながら店主は苦虫をすりつぶしたような顔をする。
「景気づけに一杯どう?」
「イイんですか?……じゃ、遠慮なく」
グラスを交わす「チン」という小さな音が辺りに響く。すると、その音を合図にしたかの様に、店の端に置かれた小さなTVからタイミング良くゲーム業界のニュース特集が流れ出した。
『家庭用ゲーム機の大手メーカーSALYが、自社ゲーム機〝PLAY-JOY〟の新機種を開発中……発売は早ければ来年か~…』
ニュースに反応して店主が口を開く。
「PLAY-JOY、すごいですよね~。…でも『3』であれだけ画面が綺麗だったのに『4』を出すって……一体何をするつもりなんでしょ?」
「さぁねぇ…」
「氏家さんはもうPLAY-JOYはやんないんですか?」
私の〝全く興味なし〟といった態度に、普段口数の少ない店主が珍しく話を続ける。本業を離れ長らく経過しているにも関わらず、やる気の欠片も見せない私の惨状をみかねた、店主のちょっとした愛のプレッシャーである事は容易に感じ取れた。
「サリー、あんまり好きじゃないんだよね。そもそも」
「えっ?…でも結構作ってましたよね。ソフト」
「成り行き上ね。……別に好きでやってた訳じゃないの。本当は」
言葉に偽りは無かった。実はサリー社とは、今さっき想いにふけっていた「ピクチャーノ」に絡む〝ただならぬ因縁〟があったのだ。
私の頭は再び、ビデオを早戻しするように20年前へと急速度で逆戻りしていく…
そう、まだサリー社が「PLAY-JOY」初代機を発売する2年前、1992年の古い記憶へ向って――。
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「サリーが来てるってよ。今、上の連中が打ち合わせ中だって」
席に戻った亀戸が若干興奮気味にメンバーに告げた。
その日は朝からプロジェクトチーム内にはただならぬ緊張感が漂っていた。大手家電メーカーの〝サリー〟が、どういうつもりかゲーム製造メーカーの我がK社を訪れる、という情報が営業部の情報通から飛び込んできていたからであった。
しかも、我が社のメイン事業を展開する〝ゲーム担当部〟ではなく、この弱小チーム「ピクチャーノプロジェクトチーム」を指名し、わざわざ出向いくるというのだ。そして今日がその来訪日。我々が浮足立っていたのも至極当然の事であった。
「何の話だと思う?」
「ゲームを作りたいって話ならここへ来る訳ないしな」
「謎すぎる…」
「何か最近ちょっと変じゃないか?周りの空気が…ついこの間も突然BEGAがウチにメール送って来たしな。……氏家、知ってる?BEGAのメールの話」
「ええ。聞いてますよ。ウチのピクチャーノと同じターゲットを狙って、同じようなお絵かき玩具を発売するってわざわざ言ってきた話ですよね」
「しかも商品名聞いたか?〝ピコチャ〟だぜ。あきらかに宣戦布告だよ、そのメール」
「仁義を切りつつ勝負。って事でしょ…」
確かにここの所のゲーム業界の動きには、それまでなかった変化が見受けられた。大手ゲームメーカーが自社のキャラクターを前面に打ち出し、「ゲーム以外の商品にそれらを活用していく」という、新しいタイプの事業展開をし始めていたのだ。
そんな流れの中、アーケード・コンシューマゲームの双方(業務用ゲームと家庭用ゲーム)で、常にトップ集団を走っていたBEGA社が「デジタル玩具を作り出す」というのだから、先発でその先を走るK社にとってそれは大変な驚き、かつ脅威でもあった。
「しかしさぁ…ゲーム屋のBEGAが何でよりによってデジタル玩具に手を出してきたんだ?ゲームだけで十分儲かってるじゃないか。あそこは」
「考えてる事はウチらと同じさ。〝キッズ市場〟を本格的に開拓していくつもりなんだよきっと」
「でも、天下のBEGAが相手って……大丈夫かウチは?ウチの製作チーム、新人入れても10人ちょいだろ?」
「それは……」
中堅のスタッフの言葉にチームの年長者もさすがに口を閉じてしまう。
皆一様に、迫りくる大きな波の予感を少なからず感じている様子であった。
「そんな事より、サリーだよ!…何かすごい話が進むかもしれないだろ」
「そうそう。あのどでかいメーカーが何かしらの話を持ってきてるんなら、思いもしない突破口が開けるかもしれないし」
私は正直、随分と呑気なことを言っているなぁ、という気持ちで皆の会話に耳を傾けていた。楽観するどころか気分は最悪だ。
――飲み込まれないようにしないと――
チーム員の〝から元気〟にどうしても同調できなかった私は、静かにその雑談の輪から外れた。
翌日、主任からチーム員へ「前日のサリー社の訪問の件」についての説明がされた。
サリーの訪問の理由はなんと『ピクチャーノ関連機器の共同開発の申し入れ』だったそうで、具体的には「ピクチャーノに繋ぐ専用プリンター開発の打診」であったとの事だった。話を聞きながら私は、自分が抱いていた不安感が雪解け氷のように消えていくのをひしひしと感じ、嬉しさで鼓動を高めていた。だが――
だが、この朗報を前に、明らかにメンバーの何人かの様子がおかしい。
「プリンターかよ…」
「う~ん…」
意味不明な不安と動揺から、私は先輩らに詰め寄った。
「共同開発……するんですよね?…相手、世界のサリーですよ」
私の昂りを律するように、主任が場に割って入り苦々しそうにこう告げた。
「いやな。…実は社内でもう走ってるんだよ。ピクチャーノプリンターの開発が…」
「ええーーーーっ!……そんな!……」
言葉通りの理由でサリーのこの申し入れはお流れになった。
その後上層部がサリーとどんな話をし、どんな決着をつけたかは知らないが、この翌々年、サリーは後に業界の天下を取るお化けゲームハード機『PLAY-JOY』を引っさげ、鳴り物入りで業界に旋風を巻き起こす事となる。そしてその本体には、まさかまさかの『フラッシュメモリーのセーブカードスロット』が、他機種にはない特殊機能として搭載されていた。
これも複雑な経緯なのだが、その時期、私は既にピクチャーノチームから離れており、K社の新規参入事業として本腰を入れて作られた『PLAY-JOY専用のソフトウェア』を開発する新チームに配属されていたから、この状況にどうのこうの言う立場にはなかった。
むしろ、〝サリーさんのハードの売れ行きを伸ばす良いソフトをバンバン作りまっせ〟という、そういうポジションにいたのである。
ピクチャーノの方はどうなったかと言うと、後発BEGAの〝他社では手が出せない有名アニメのキャラの版権を獲得し、キャラのパワーでソフトを牽引していく〟という、巨大企業の資金力をフルに利用した横綱相撲の前にあっという間に「お絵かき玩具首位」の座を奪い取られていた。
私がK社に入って初めて担当した商品は未来を感じる素晴らしい商品だった。
しかし、期待に胸を躍らせたその展望はあっさりと消し飛び、直後に現れた強力な捕食者らにより、その身も、狩場も、全てが一瞬で食い荒らされてしまったのだった。
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「…どこもかしこもハイエナだらけだよな。……いや、これが弱肉強食ってもんか」
当時の思い出に没入する余り、敗北感が唇のゆるみから転がり落ちる。
「氏家さん、湯豆腐…吹きこぼれますよ」
「えっ、……ああ、ごめんごめん。全然気が付かなかった」
目の前に、普段は春の終わりには終いとなる手つかずのままの湯豆腐が、うっすら白くなった湯の中で、私の箸の遅さに腹を立てグツグツと身を震わせている。
「湯豆腐まだ出してるのって、珍しいよね」
「今年は寒いですからね~。でもさすがに今週いっぱいかな~」
――ガラガラガラ――
浦川が店を出て5分としない内に、店の引き戸がゆっくりと丁寧にあけられる。
(つづく)
◆あとがき◆
この時期の大手メーカー陣は「ゲーム業界をどう発展させていくか?」という考えに躍起になり、色々な事を模索していた黎明期だったんですよね~。
(まさに弱肉強食という言葉がふさわしい時代でした…)
ただ、個人的にはこの時期、
我々は大事な物を切り捨てすぎて、自らを弱体化させてしまったような気もするのです。。。
「大きな破壊なくして大きな創造はない」
「小さなものをすくい上げて大きくする」
両立できるハズなのに、これが難しい…
日本ゲーム業界衰退の『毒』は、既にこのあたりから回り始めていたのかもしれませんね。
第十話は2/16(金曜)に発表予定!
でわでわ~(^^)/