第七話: 氏家 仁 ⑤
◆まえがき◆
居酒屋「しん介」で自分のゲームクリエイター人生を振り返る氏家…
今回は氏家が業界に入った1992年代のお話となります。
この時代はまだ家庭用ゲーム機に「カセットROM」を差し込んでゲームをしていた時代、
2024年現在から遡ること〝32年前〟の業界話です。
1日早いUPとなりますが、
どうぞお楽しみください。。。
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2011年 6月×日 夕刻 居酒屋「しん介」。
「遠山君はホラーゲームで出世。田内君も恋愛ゲームで出世。…俺は一体何やってんだか……」
飛騨山の記憶に後ろ髪を引かれつつも、私の足は自然と高架下方向に進み、見慣れた〝丈の短い小洒落た暖簾〟をくぐっていた。
居酒屋「しん介」は、7~8人の客で店内が一杯になってしまう小さな飲み屋だ。白木のL字型のカウンターのいつもの隅っこの席に陣取り、飲み始めてから小一時間は経過していただろうか。ほろ酔い加減になった私は、唐辛子の効いた枝豆を無造作に口に運びながら、自分がデジタルゲーム制作を始めた出発点「Kウェーヴ」社の事をぼんやりと思い出していた。
時は1992年3月――。
私は〝漫画家〟の次に志した「サイコロを振ったりコマを進めたりして家族や友人らと楽しむゲーム」を作る職人、いわゆる〝アナログゲームデザイナー〟への夢を実現すべく、大学卒業と同時に当時の日本では数少ない「アナログゲームの自社開発~製造販売」を事業展開していたKウェーヴに入社、その担当部署である新規商品開発部に入り込む事に成功した。ところが、部署への配属が決まった同じタイミングで、事もあろうにK社の〝アナログゲームからの撤退〟が発表されたのである。
「アナログゲームの需要が冷え切っている昨今、これ以上これをやり続けても意味がない」
という経営判断であった。
もともとKウェーヴ社の主軸事業は「家庭用・業務用のデジタルゲーム開発」であったのだが、この1992年は業界の〝ゲーム媒体〟が「カセットROM」から「CD-ROM」へと移行していく大転換期だった事もあり、負の遺産を多く抱え込んでいたK社は、「古い物は極力切り捨てて行く」という英断のもと、社をあげての変革路線へと大きく舵を切っていたのである。
この流れを受け、我々新規商品開発部が新たに掲げたテーマは〝革新的なデジタル玩具〟の開発。であった。
当時のデジタル玩具といえば、液晶ディスプレイ上に予め用意された〝複数の絵柄〟を点滅させる事で「あたかも画面上でキャラが動いている」様にみせ、これによってゲームを展開させる〝疑似TVゲーム(俗に言う液晶ゲーム)〟が市場を席巻していた。これに対抗しうる〝新しい何か〟を打ち出していく、というのが我々が掲げた直近の部内目標だった。
一見、抽象的で突拍子もないテーマにも聞こえるが、そもそも部内では「デジタル玩具類」と「アナログ玩具類」を両輪で扱っていた経緯もあった事から、部署の古株たちも示し合わせたように〝問題なし〟という態度を貫いていた。
私の喪失感とは裏腹に、この転換は「デジタル面の強化を前面に押し出した単なる方向修正」、部内は〝アナログゲームとの決別は至極当然の流れ〟といった雰囲気で、逆に社員のやる気で満ち溢れていた。
当然、意気軒昂な部内で新人が一人しょげていられるはずもなく、そこは「おっしゃる通りでごございます」と皆に合わせて右に倣う訳だが、そんな小さな隔絶感を抱えたまま取り組んだある「デジタル玩具」の開発が、意外にもその後の私のデジタルゲーム作りの基礎を形作っていくのだった…
「氏家さん。…今日はピッチがはやいですねぇ」
聞きなれた店主の声にはっと我に返り、口元に寄せたグラスを一旦テーブルに戻す。
「……いやね。今日、ひどい展覧会を観に行っちゃってさ。しんちゃん、DJオカベって知ってる?」
私は反射的に今さっき観てきた展覧会の話題を切りだし、ふぅ…と息を整える。
「DJオカベ…ああ!あの体中ピカピカ光ってる人。…今TVでバンバン出てきますからね。見たことはありますよ」
「そいつの絵画展を観てきたんだよ。…ヤツの作品展」
「え?……でもあの人、音楽の人ですよね?」
頭の半分を記憶の海に置いた状態では、自然と会話の反応が鈍る。
「…調子に乗ってるだけなんだろうけど……まぁ酷いのなんのって…」
「ありゃ~。で、そんな感じなんですか……なるほどね~…」
そこまで言うと店主は何かを察したようにニコっと笑い、口を閉じた。
「あ、追加でセセリちょうだい」
「へい」
新規商品開発部「通称七部」で私が最初に関ったその商品の名は『ピクチャーノ』。
ピクチャーノは家庭用TVに繋いだ本体の〝キャンバス部〟上でペンを動かす事で、TVモニター上に絵を描いて遊ぶ。というデジタル遊具で、そもそもはゲーム等で画面に表示される「ドット絵(四角の点の集合体で一つの絵を形作る絵)」をTVモニター上で精密に描ける事を売りにした〝オタク向けデジタル絵画作成機器〟として開発された商品だった。
「革新的デジタル玩具の開発」という命題の実現の為に、七部は商品の対象ターゲットや制作コンセプトを根本から見直しており、それまでぽかんと空白地帯であった〝キッズ市場〟へのデジタル玩具の導入という『戦略』を打ち出していた。そこで注目されたのがこの「ピクチャーノ」だった。
オタク向けに開発されたこの商品を〝キッズ玩具化させる〟というのが、私の配属チームに課せられた課題であり、私が社で直面した最初の壁であった。だが、チームに漂う緊張感をよそに私は一人興奮状態にあった。なぜなら、この商品の仕様説明をされた時、私は『この商品は化ける』という確固たる実感を掴んでいたからだ。
ピクチャーノには、本体と情報を交換しあうカードスロットが2つ付いている。
1つはTV画面上で完成させた絵を保存する為の〝セーブカード〟を差し込む「セーブカードスロット」。そしてもう1つは、TV画を描くにあたり、どんな画像をどのように描くか?というお題を提供する〝アプリケーションソフト〟を差し込む「アプリカードスロット」。この極めて特殊な本体仕様が私の想像力を激しく掻き立てた。
「これは単なるお絵かき玩具ではなく〝ゲーム〟になる。しかも、ゲームを作るゲームに成り得るぞ」と…
私の考えの裏付けはこうだった。
まず、ピクチャーノのデータセーブには業界初の「フラッシュメモリ」が採用されていた事。
簡単に言うと、このセーブカード内には特殊なメモリーが搭載されており、超高速でのデータ読み取り~掃き出しが可能であったから、これを媒介する事で本体に入力された新データを短時間でアプリ側に反映させる事ができた。つまり、ピクチャーノで描いた絵で、そのまま紙芝居や漫画やゲームができる。という訳だ。しかもデータ付きでである。
そして、セーブカードのデータを展開させるソフト部が、これまたアプリケーションカードとして完全分離していて、なおかつ自由に差し替えが可能であった事。
この2つの特性を利用し、私は一つの遊び方のモデルを「4本の4コマ漫画」で表現した。
その内容は『オリジナルキャラを用いたバトルゲーム』を子供たちが如何にして楽しむか?というもので、誰か一人がゲームアプリを持ってさえいれば、各々が自宅で描き上げたキャラクターを持ち寄って「こんな風に対戦が楽しめるぞ」という事を分かり易く漫画化したものだった。
このアプリの特徴は、インプットされたキャラ達が疑似アニメーションを行いながら様々なステージで多種多様な方法でバトルを繰り広げていく、という点、つまり、〝データが展開する為の「場」を効果的に提供できる〟という部分にあったが、実はその最大の売りは〝バトルを行う度にキャラクターが成長していく〟所にあり、その説明困難な部分を漫画で表現したのだ。
さらに話が専門的になるが、当ゲームで使用されたキャラ(画像)には、自動的にパラメータが割り当てられ、バトル後のデータセーブ時に〝その情報も画像データとしてキャラ画に再割り当てされ吐き出される〟という、他では真似できない新規性があった。
分かりやすく言うなら、キャラ毎に「経験値○○。体力値○○。攻撃力○○。防御力○○。馬力○○。素早さ○○。知能○○。装備A○○。装備B○○。装備C○○。…etc」というような能力設定がされ、バトルを行うたびにこれらのデータが変化、自分のキャラデータに『追加画像』としてくっついてくる。という仕組み(今でいうQRコードの自動書き込み機能のようなイメージ)である。
これはつまり
『プレイヤーが丹精込めて描いた画像にアプリケーションが命を吹き込む』
という事。
この夢の様なソフトが実現可能である事に気付いた私は当時、必然のように紡がれる未来の遊びをイメージし、本当に興奮したものだった。
ところが――
このピクチャーノが秘めた「ポテンシャルと可能性」を懸命にアピールする私に突き返された答えは『NO』。
「そこまでやるのは時期尚早。今回狙うターゲットはもう少し低く設定して欲しい」
「まずはお絵かき遊びの発展系のアプリから」
と、私が意気揚々として提示した会心の案は、拍子抜けするほどあっさりと一蹴されてしまったのである。
――ガラガラガラ――
「あっ、氏家さん。久しぶりですね」
「あーウラさん。どーもどーも。お元気でしたか」
「こっちは可もなく不可もなく…相変わらずですよ。…あ、しんちゃん赤星お願い」
やって来たのは、店の常連客の浦川氏。元は新宿のゴールデン街を拠点に飲み歩いていた気立ての良い大男で、互いに穴場的な飲み屋を紹介しあうような飲み仲間だ。
「そう言えばこの間、南野の野郎にあったんで、氏家さんのクラウドファンドの話をしたんですよ。そしたら奴の言い分がまた酷くて…」
「あー、聞いてますよ。……あいつの話はやめましょう。酒がまずくなる」
南野というのは、もともとある飲み屋でホールのバイトをしていた美大出身の小男で、浦川も私も、元その店の常連であり昔から知った顔の男だった。南野は私の口利きで、それまで私が関わっていた「ある新規ゲームの立ち上げプロジェクト」に参入、私の後釜として作業を引き継ぎ、今では驚くべき収入UPを成し遂げていた。
クラウドファンドの話は、つい最近失敗した私の個人的な「アナログゲーム作成の資金調達」の話で、ほんの百数十万の金を集める為に奔走していた私の状況を知っていた浦川が、左団扇で羽振りが良い南野に「お前、少しくらい協力する気ないの?」と詰め寄ってくれた際に起きたごたごた話の事だ。
南野は
「そんな事をしても氏家さんの為にならない。あの人は立ち回りが下手だからそこに気づいた方が良い」
などと、上から目線で論説をかましていたらしいのだが、私から言わせれば全くもっておせっかい。と言うか、とんだお笑い草である。
手取り十数万でヒーヒー言っていたほんの数年前の南野は「今はうだつが上がらないが、いつか氏家さんみたいなポジションに上りつめます!」と、微笑ましい事を言う様な可愛い奴だったが、金の力とは本当に恐ろしい。あれだけ気を付けろと言っておいたにもかかわらず、奴はころっと向こう側に行ってしまい、資金調達にびた一文協力しないどころか、季節の挨拶もなし。賀状の一つもよこさない。という、目も当てられない状況で縁は切れた。
「あいつ、店の客の誕生日程度で高級品まいたりしてるくせに…」
苦々しい表情で、浦川は持っていたコップを強めにテーブルに戻した。
「まぁまぁ、やめましょうって。…そもそも今日は初めから気分が悪いんですよ」
「?……ああ~、それで珍しくこんな早い時間からね。…珍しいもんねこの時間」
浦川は、いたずらっ子のような笑顔を返した。
最悪の気分に陥ることを回避し少しホッとした私は、目の前に新たに置かれた生姜入り焼酎に差し込んだ割り箸をひと捻りする。
ゆっくりと回転するグラスの中で薄ピンクの花びらがゆっくりと踊り出した。
(つづく)
◆あとがき◆
今回は話が専門的すぎて、ゲーム業界に詳しい人以外には読み辛い内容だったと思います。
しかししかし…
残念ながら、氏家の『専門分野丸出しの思い出話』はまだまだ続く事でしょう。(汗…)
ゲーム業界の昔話ととらえ、勘弁してやってくださいネ。。。
第八話は2/10(土曜)に発表予定!
でわでわ~(^^)/
※ご報告※
とうとう明日から大部屋移動になってしまいました。。。
執筆が続けられるか不安です…