第四十一話: 胡蝶の夢 ⑧
◆まえがき◆
翌週、池矢と再び会って酒を飲み交わす約束をした氏家。
次の週、彼の身の上に一体何が起こるのか?
今回のお話が〝胡蝶の夢〟の「最終話」となります。
では、「第8話」お楽しみください!(^v^)
※※※※※※※※
― 翌週の土曜 昼過ぎ ―
「そう言えば氏家さん、TV視ました?DJオカベ…、捕まりましたねあの人」
電話先の相澤の声はなぜか少し嬉しそうだった。
「え?どういう事?」
「やっぱり視てないか……クスリで捕まったらしいです。大麻で」
「大麻!……まぁ、らしいっちゃらしいよな〜……まだ容疑レベル?」
「いえ、持ってた所を現行犯で。一発アウトですよ」
「あらら!そりゃ暫く復帰は無理だわ。……しかし、馬鹿だね~奴さんも。天国から地獄だぞ」
「ですよね~。まぁ、最近調子に乗ってましたからねあの人」
受話器の向こうから相澤のクスッと言う含み笑いが聞こえる。
「なんだよ、ずい分嬉しそうに話すな……ひょっとして嫌いだった?奴の事?」
「当たり前じゃないですか、あの中身無い感じ……人の褌で相撲をとるのが上手いっていうか…」
「お前、そんな奴のチケット俺に回したのかよ」
二人は同時に吹き出す。
「それで、その面白い彫り師さんとは今日、何時から飲むんですか?」
「一応8時からってなってるけど、変な人だったしな。時間通りに来るかどうか…」
「でも良かったじゃないですか。先輩が他人の事こんなに面白そうに話すの聞いたの初めてですよ。大体批判ばっかですからね、いつも」
「お前また人を偏屈みたいに」
「偏屈じゃないですか」
「こいつ」
先日の池矢と霧島の姿と自分らの状況がダブり、氏家は苦笑いする。
「先週相当遅くまで飲んだって話でしたからね…今日はお控えめに」
― 19:30 ―
予定より少し早い時間に阿佐ヶ谷に着いた氏家は、駅前の噴水の前のベンチで10分ほど雑踏を眺めて時間をつぶした後、目的地のバーの扉をくぐった。
早い時間もあってか、カウンターにはまだ女性客が一人ポツンと座っているだけで、店内には品の良いチェロの独奏だけが静かに響いていた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席に」
薄暗い照明の中、女性の後ろを通りカウンターの端に陣取った氏家は、自分の斜め前に立つバーテンダーの姿を見て少し驚く。目に飛び込んできた愛想の良いぷっくりとした笑顔は、先週の人物とは明らかに別人のそれであったからだ。
女性客と会話する男の横顔を眺めながら〝雰囲気からすると、たぶん先週の人が店長だな〟などと思いつつ、氏家は先日の夜の出来事を反芻しだす。
「お待たせしました。ご注文は?」
「あ、ギムレットお願いします。……ゴードンで」
「かしこまりました」
手際よく差し出されたカクテルグラスから指先に伝わる冷えた触感を楽しみながら、氏家は無意識にほくそ笑む。
―やっぱりすぐには来ないよな…―
先週末に起きた濃密な出来事の数々を思い返しながら、グラスを傾けるうち、あっという間に20分ほどの時間が経過する。氏家は、未だ訪れないゲストに若干不安を感じ始めながら、グラスの底に残った酒をクイッと飲み干し、お代わりを注文した。
グラスを下げに来たバーテンダーに向かい、氏家は何気なく質問を投げる。
「あの~、先週立っていた細身の方は今日はお休みですか?」
「?」
氏家の言葉を受け、男は眉をひそめて不審そうな表情を浮かべる。
「すみません……ちょっと、おっしゃっている話がよくわからないのですが…」
奥に座っていた女性客もこちらを向いて怪訝そうな顔をしている。
「先週の大雨の日です。ここに来たのは確か10時頃で……」
「大雨?……ああ、土曜日ですね。あのドバーーーッときたけど夜中には嘘みたいに晴れちゃった日…」
「そうです!土曜です!」
「ならおかしな話ですよ。…先週土曜はこの店、臨時休業で開けてなかったですから」
「!?」
「お店を勘違いされているのでは?……この辺り、似たような作りの店がいっぱいありますからね。お酒が入ってて間違えて入ってきちゃうお客さん、たまに居ますよ」
店主はそう言って、ちょっと歪んだ微笑みを見せた。
奥でこちらの様子を伺っていた女性客が心配そうにこちらを覗き込みながら「店主の言う通りよ」とばかりにコクリコクリとうなずいている」
「そんな馬鹿な…」
自分の周りの店の様子を慎重に見渡して記憶と照らし合わすが、氏家はそこが別の店とはどうしても思えなかった。ましてや先週の豪雨の晩に起きた出来事は、どう考えても現実としか思えなかった。
「すいません……やっぱり、帰ります」
突然襲ってきた怪異に茫然自失状態となった氏家は、高まる鼓動を必死に抑えつつあえぎあえぎ店を後にした。
―どういう事だ?……一体何がどうなっている?―
店の外に出た氏家は自分の頬を両手で強めに2~3度叩き、大きく深呼吸をした。
氏家は冷静にゆっくりと後ろを振り返り、店の看板を再確認する。
『 BAR Nibble 』
先週の記憶と同じ薄緑にぼんやり灯った美しい看板…しかしそこに書かれた屋号は先週のそれとは別物に変わっている。
「記憶が何かとごっちゃになっている?……そんな事あるのか???」
混乱する思考を懸命に押さえつけながら、とりあえず一回帰宅して頭を冷やそうと考えた氏家は急ぎ足で駅方向に逆戻りを始めた。
移動をしながら、メモ機能で記録した池矢の携帯電話番号に電話をかける。
―プルルル…プルルル…プルルル…ガチャッ…―
「あ、池矢さんですか!私、氏家ですが…」
『おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号を確認して……』
―ブツッ!…―
「くそう!つながんない。……せめて池矢さんと話ができれば…」
何かとんでもない事が起きているような、そんな嫌な予感を振り払いながら、氏家は家路を急いだ
― 21:15 ―
自宅マンションについた氏家は肩掛け鞄のポケットから鍵を取り出し玄関のカギ穴に差し込もうとしてギョッとする。
―ガチャ―
「!?……おいおい、半ドアじゃないかよ………まさか???」
自宅の鍵をかけ忘れる事は割りとあった氏家は、その部分には格段驚きもしないのだが、流石にドアを完全に閉めずに出かけてしまうというのは初めての事だった。
「このタイミングで空き巣とかは勘弁してくれよな…」
氏家はできるだけ物音を立てない様、すり足で静かに部屋の隅々まで状況を確認して回る…
家の中に自分以外は誰も居ない事が分かった氏家は、玄関脇にあった透明の500円貯金箱に手が付けられていない事を最後に確認し、泥棒が入った訳ではないなとホット一安心する。
「しかし、先週のあれは一体何だったんだろう?……池矢さんの電話も番号間違えてるみたいだし……この後、どうやって連絡取りゃあいいんだよ…」
氏家は小声でぶつぶつと文句をこぼしながら、気持ちを切り替える様に風呂場に向かった。シャワーで嫌な汗を流し、ジャージに着かえて、冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、氏江はやっと落ち着いたなといった様子でダイニングの椅子に深々と腰を沈める。
『!』
それまで気が付かなかったが、テーブルの上に無造作に放られた雑誌類の横に、見た事のない20cm四方の小さな包みがぽつんと置いてある。
氏家は持っていた缶ビールをフタも開けぬままテーブルの隅にうっちゃると、包みの方を手に取ってがむしゃらに包み紙をはぎ取っていく…
「こ………これは………」
包みから出てきたのは1枚の油絵だった。
見覚えはない。だが記憶にはある。
それは池矢が話していた大作『樹』の習作として描かれたのであろう「白い大木」の絵であった…
「池矢……あの男、俺の居ない間に俺の家に……」
その奇妙な絵画に釘付けになった氏家の足元に小さな紙片のようなものがハラリと落ちる。それは絵と一緒に同梱されていた1枚の写真であった。
「霧島と池矢の写真……なぜこんな物を俺に???………しかもこれって……」
映っていたのは屋台で楽しそうに肩を組んでおでんを食べている池矢と霧島の写真であった。二人は明らかに今より年齢が若く、写真の右下に刻まれた撮影日は2001年の6月と記されている。
「10年前の写真じゃないか…しかもこのテーブルの感じ……あのおでん屋だ!」
一旦落ち着いた氏家の鼓動が再び激しく脈打ち始める。
―― 確かめないと ――
氏家はジャージの上にパーカーを羽織ると、そのまま財布と携帯電話を片手に家を飛び出し、大通りでタクシーを拾うと再び阿佐ヶ谷方向へ逆戻りする。
「阿佐ヶ谷の駅前、……北口の方で降ろしてください!」
車はほんの10分ほどで駅前に到着した。
「あ、お釣りは取っといてください」
「あーすいません。ありがとうございます」
氏家は早足で屋台が出ている銀行の方に歩みを進める…
「あれ?…店が出てない……」
先週、屋台が出ていたのは確かにその角地だった。
手がかりを失う訳にはいかない氏家は、必死にあたりを見回す。すると、
―お前、ちゃんと飲めよ~!―
―だめだー。もう腹いっぱいだー!…―
すぐ近くから若者達の楽しそうな笑い声が聞こえる。声の方向を確かめると、屋台の角地から20メートルも離れていない高架下の傍に「小さなたこ焼き屋」があり、外に小さなテーブルを出して客対応するほどの賑わいを見せていた。氏家は吸い込まれるように店に走り寄ると、店長らしき焼き手にぶっきらぼうに質問する。
「すいません、あの角っこでやってるおでんの屋台…今日は休みなんですかね?」
「何!急に!?……あ、酔っ払いじゃなかった。こりゃ失礼しました…」
それまで傍若者を相手していた店長は、氏家が連中の仲間だと勘違いして強面な反応を見せるが、氏家の顔を見るや態度を改め、丁寧な口調で話始めた。
「あーあのおでん屋さんですね……あそこ、お父っつあんが体壊しちゃったみたいで、ここ一月ばかり店出してないですねぇ……僕も店じまいに良く通ってて気になってるんですけどね」
「ひと月!?……あの、……先週の大雨の日、臨時で店出したりしてませんでした?」
「馬鹿言っちゃいけませんよ!入院中ですよ、あのお父っつあんは……あっネギポン……6つ、かしこまりました~」
「…入院…………」
「すいません、話し中に……いや~、残念ですがあのおでん屋…もう店出すのは難しいだろうって噂ですねぇ…この辺のフアン共は嘆いてるんですけどね」
「…………」
「お客さん、代わりにどうです?……たこ焼き、焼きますか?」
「いや、ごめんなさい。…また今度で」
氏家は、全くもって理解不能なその奇怪な状況に完全に頭が真っ白になり、たこ焼き屋の横に只々呆然と立ち尽くしていた。
―― まだわかんないのかい? ――
突然、聞いたことのある人を食ったような声が耳に入ってくる。
驚いた氏家は、慌てて自分の周囲を確かめるが、そこには何もないし誰も居ない。
「…今の……霧島さんの声だよな?」
不意に前方から強い気配を感じて顔を上げると、信号の向こう側で霧島と池矢がニヤニヤと不敵な笑みを浮かべ、直立不動でこちらを眺めている姿が目に入る。
「!?……あんた達、一体どうして!?」
二人に走り寄ろうとした氏家の耳に、つんざくようなブレーキ音が響く。
『 バスンッツ!! 』
鈍い衝撃が体を走り、氏家の記憶はそこでプツッと途絶えた。
(つづく)
◆あとがき◆
物語はいよいよエピローグをむかえます。
残す所あと2話!
1話は夜8時くらい。
最終話は夜中の12~2時頃にアップ予定です!
それではのちほど!!!(^v^)




