第三十三話: 日記
◆まえがき◆
今回のお話は池矢が破り捨てた日記の中からのお話。
高校時代の池矢の一幕となります。
では「第三十三話:日記」
お楽しみください。
六・ 日記
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10月○日
探していたお袋は、すでに家に帰って来ていて、ベロベロ状態で居間のテーブルに突っ伏して寝ていた。
時間は夜中の2時を回っていた。
あまりにシャクに障るから記録しておいてやろうと思い、久しぶりに日記を引っ張り出して、今まさに気持ちをぶつけているところだ。
今日はスナックのバイトが終わった後にちょっとした打ち上げに付き合わされてしまい、おひらきは終電も無い時間だった。車代をもらって大塚からタクシーで帰ってきたのだが、こんな変な時間に家を直前にして立教通りが渋滞で進まなくなっていた。
タクシーの運転手が一旦車を降りて、何が起きてるのかを確認してきてくれて、
「前の方で酔っ払いがクダを巻いて車を止めている」
と教えてくれた。
大学受験の相談もあり、明日だけは学校に遅刻したくなかった俺は、
「迂回できるならどこかで迂回して要町通りに出てほしい」
などと要求していた。
ところが、怒鳴り声とクラクションがだんだんと近付いてきて、障害物が自分の目で確認できる段階になって本当にびっくりした。
道のど真ん中をとぼとぼと歩いたと思ったらいきなりペタンと座り込んで車に向かって酷い悪態をつく、という醜態をさらしていたその中年女性は紛れもなく俺の母親だったからだ。
車は反対車線の流れが途切れるのを待って、一台一台、お袋の外側を回るように進んでいた。
「お前らみんな死んじまえーーーっ!」
「うるせーーーっ!クソババァーーーッ!」
お袋の叫び声と、運転手たちの怒号と、クラクションの音に心がかき乱されて、俺はどうにかなってしまうような恥ずかしさと怒りの中、それ以上道路の方を直視できなくなり、下を向いてしまう。
(カンベンしてくれよほんとに…)
結局、他人のふりをして帰ってきてしまったが、やはり心配になってしまい、家に着くなり自転車でお袋を拾いに行くが、お袋の姿はどこにも無かった…
もしやの事を想像して、嫌な汗をかきながら家に戻ったら、ちゃんと居たからホッとしたけど、車にでもひかれたらあなたどーすんの?
ビールか何かこぼしたみたいで左肩の入れ墨が透けて見えちゃってたし、あれじゃぁ酔っぱらって倒れてたって普通の人は助けてくれないって。
なんだか、怒りを書き留めるつもりが心配してるような文章になってきたからもうやめよう。
明日は担任に「芸大に進学希望」って話をするつもりだけど、きっと鼻で笑われるんだろうな。
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俺は持っていたボールペンをペン立てに戻してノートを閉じた。
「ふぅ」
昂る気持ちを抑えようと、大袈裟に大きなため息をついてみる。
そういえば、お袋が見当たらなくて近くのコンビニで聞いたら『あの酔っぱらいは、自転車を押して帰って行った』とか言ってたけど、自転車はちゃんと持って帰って来れたんだろうか?
気になって家の横の自転車置き場に確認しにいくと思いの他キチンとそれが止めてあり、少し安心する。
念のためもう一度居間の方も覗いてみると、お袋は何事も無かったかのように大いびきで寝ている。
ただ、その剛気な感じとは裏腹に左肩に彫りこんである〝唐獅子〟が何だか寒そうに見え、俺は寝た子を起こさないように慎重にお袋の背中に肩掛け布団を掛ける。
次の瞬間、お袋はむくっと顔を上げ、俺の顔を確認するやいなやお馴染みの悪態をぶちかます。
「お前の父さんはろくでなしだ!」
「池矢の血筋は人でなしの血筋だ!」
「私にかまうな!ほっとけクソ野郎!」
不意にこの状況に既視感を覚えた俺の頭は、高速で逆行を始める…
「この状況……あの時も確かこんな感じだったよな…」
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初めてやったバイトは皿洗いだった。
中学2年の時だった。
先に家を出て行った姉を真似て「自立資金」を貯めようと始めたバイトだったが、初めて給料を手にしたら、なぜか急に〝母さんに何か買って帰らなければ〟という気持ちになって、夜中にやっている寿司屋で『特上握り』を買って帰った。
その日のお袋はかなり酔っぱらっていたようで、今日と同じように居間のテーブルに突っ伏して寝てしまっていた。俺は初めて自分が働いて得た金で買ってきた土産だったので、それをどうしても食べてもらいたくてお袋に声をかけると、お袋は眠そうに瞼をこすりながらしぶしぶ目を覚ましてくれた。
ところが、寿司を開けて、醤油を用意して「さぁ、食べてくれ」という段階になったら、何が気に入らなかったのか、お袋はいきなり鬼のような形相になり、
『いるか!こんなもの!』
と、大声を張り上げて目の前の寿司をそのまま横にあったゴミ箱に投げ捨ててしまったのだ。ゴミ箱から外れて飛び散った寿司の残骸と、巻き添えを食ってすっ飛び、そこらに振りまかれた醤油…
楽しい場面が展開するはずだったその空間は、一瞬にして無残な光景が広がるそれに様変わりしてしまった。
一瞬何が起こったか全くわからなかった俺は、いびきをかいて再びテーブルに突っ伏すお袋の姿を横目で見ながら、あたりに散らばった寿司を拾いはじめる。
お袋の肩口に飛んだ醤油が、ちょうど〝唐獅子の入れ墨〟の顔の所にかかっていて、唐獅子が何かを食い散らかして笑っているようにも見え、突然、炎のような怒りが込み上がる。俺は、拾い集めていた寿司の残骸を床に投げ捨て、二階の自分の部屋に駆け込むと、力一杯扉を閉めた。
※※※※※※※※
――まさに、あの時と同じじゃないか――
俺は、悪態を放って再び寝てしまったお袋の左肩の入れ墨をじっと見つめながら、昔あった出来事を鮮明に思い出していた。
――いや違う。……俺はこの家を出ていく。俺はこの人を置いて出ていくんだ――
あまりにも理不尽な罵声には「この鬼ババァ!」と返す事もできるような年端になっていた俺だったが、ふと〝鬼になってしまったのはこの俺の方なのかもしれない〟という思いに駆られ、お袋に注いでいた視線を外す。
急に今までの思いが、まるでオセロの駒のようにパタパタと裏返りはじめる…
先月、東長崎という町がなぜか物価が安くて、アパートの家賃も全体的に安いという事を知った。6畳一間なら2~3万で借りられる物件がちらほら見つかった。
俺は決めた道を進む。
唐獅子は笑っていたのではなく泣いていたのだ。
(つづく)
◆あとがき◆
物語はいよいよ終盤に突入!
次回から中ボリュームの新章が始まります。
二人はこの後どうなっていくのか?
次回UPは、今週中のどこかを予定しています。
でわでわ!(^v^)




