第三十二話: 池矢 創 ⑯
◆まえがき◆
長く続いた「池矢の章」も今回が最終話となります。
池矢の母の話等、更に後半に入れる予定だったお話を全てこの回に入れ込んだ関係で、プロットに大きく修正が入りました。
またまた更新が予定より遅れましたが、今回はその分ボリュームUPしましたのでどうぞよしなに…(^_^;))
では「池矢の章、第十六話」。
お楽しみください!
※※※※※※※※
―同日。時刻は5時間ほど前…―
ゆきネェから送られてきたノートをその場で開く事ができなかった俺は、それを麻のトートバッグにねじ込み、高円寺の飲み屋街へと繰り出していた。
「あら池矢さん、今日は早いですね。……一杯やってきますか?」
高架下に差し掛かる直前で、声をかけてきたのは馴染みの焼き鳥屋の店主だった。店主は慣れた手つきで「紫門」と書かれた紫色の提灯を店の角の定位置に設置するとパチンとそれに灯を点した。
「あぁ宮さん………そうね。……〝お入んなさい〟ってタイミングだよね」
「風出てきましたからね。……奥どうぞ」
俺は店の焼き台の横にちょこんと付いている2人がようやく並んで座れる程のサイズしかない小さなカウンターに腰をおろす。
「酎ハイください。……あれ、今日ナギくんは?」
「あー、奴は今買い出しでてますね」
「買い出し……そういう時間だもんね。まだ」
俺の目の前にシュワシュワと炭酸が踊る透明の液体で満たされたジョッキがトンと差し出される。
「何焼きますか?」
「ハラミかな。まずは。……2本ください」
「……好きですね~ハラミ」
店主は苦笑いしながら手際よく串に塩を振りつけると、それらを焼き台にトトンと乗せる。
「あ。……この間は、ずっとハラミばかり食べちゃってごめんなさいね。…赤字覚悟のご奉仕メニューだって聞いてビックリしちゃった……今日は色々食べるから」
「いやいや、出してるメニューですからそんな気にしないで下さい………まぁ、お手柔らかに」
そう言って店主はくしゃっと笑う。
「でも牛ハラミも百円って……やっぱり思い切ってるよね~ココは」
「ウチは薄利多売で勝負ですから。全部百円て所は譲れないですよね~。……あっ!いらっしゃい!お二人様……どうぞ、どうぞ。中でも外でも」
早くも2組目の客が入る。
客が店内のコーナー席に座ろうとしたタイミングで、買い物に行っていた店主の相方が店に帰ってくる。
「あら、池矢さん。早いですね今日は」
「あ、帰ってきた。……後でつくね焼いてね」
ナギ君はニヤっとうなづいて見せる。
出てきたハラミをささっと平らげた俺は、二杯目の酎ハイを口に運ぶ前に足元のトートバッグから厚手の大学ノートを取り出し〝日記〟と記されたボロボロの表紙を無造作にめくる。
―― 1981年 7月4日 ―
最初のページに書かれていたのはこの日記を付け始めたその日であろう日付だった。
「懐かしいな。中学時代だよな、この年代は…」
俺はおもむろに最初のページをめくった。
===2P目===
(白紙)
===3P目===
7月4日
今日から飲み屋さんで皿洗いのアルバイトを始めた。
初めて自分で働いてお金をかせぐので、記念に日記を書き始める事にした。
母さんに言われて「高橋」という偽名で働くことにした。
池袋で「池矢」の名前を出すと何かと面倒なのだそうだ。
あと、他の人に顔を見られない仕事にしろと言われたから皿洗いがちょうど良いと思ってここに決めた。
目的は、姉ちゃんと同じように自立するための資金を貯めることだ。
働く時間は、夕方6時から夜10時までで、時給は500円。
毎月、最後の出勤日にその月に働いた金額をもらえるらしい。
とりあえず目標は10万円。
今、中2だから、高校卒業まで4年以上時間がある。
最低、週に3回働けば月に3万円くらいは貯金できるから、4年働けば15万円くらいか?
高校になってもっと頑張れば多分20万円くらいは貯められるはずだ。
日記は毎日書くのではなく、書きたい事がある時だけ書こうと思う。
------
7月6日
新しく学校に来た体育教師の見た目がゴリラっぽかったので、みんなから「ドンキー」というあだ名をつけられた。ドンキーは見かけは色黒で体系もがっしりしていてイカツイ感じなのだが、実はとても気が弱い。
今日もツッパリ連中に給食の時間にトマトをぶつけらても何も言えずにいて、それどころか学級委員に「あとは任せたから」とか言って職員室に逃げてしまった。
最近テレビで「校内暴力」という言葉が流行りだしたが、先生があんななら生徒が好き勝手な事をやりだすのもしかたないと思う。
===4P目===
7月13日
学校で夏期講習と進路の事を聞かれたけど「まだ決めてない」と答えておいた。
うちは最初は「私立で環境が良い所」みたいな事を言っていたのに、今はお金が無くなってしまったから公立高校以外は行けないと言われている。
「小石川か竹早が良いんじゃない?」と簡単に言われたけど、あまり勉強する時間もないし無理だって。
お金お金、あーいやだ。
------
7月20日
今日家に帰ったら、母さんが大きな風呂敷に荷物を入れてどこかに行こうとしていたので、どこに行くのか尋ねたら「熱海時代に着ていた着物を質屋に持っていく」と言うので、それは大事な物なんじゃないかと聞いてみたら「お金が無くなってきたからしょうがない」と言われた。
母さんは最近、パートで週に何日か働き出したけど、まだ若い衆が定期的にショバ代をこの家に持って来てくれているからお金の事は大丈夫だと思っていた。実際はどうなんだろう?
聞いてみたいけど、とてもじゃないが恐ろしくて聞けない。
母さんが晩酌で荒れるようになったのもお金が原因な気がする。
すごく嫌な予感がする。
------
7月30日
今日は初めての給料日だった。
もらえた金額は22000円だった。
まだ母さんから月の小遣いを3千円もらっていたから「それはいらない」と言ったら、「それとこれとは別だ」と言って、なぜかすごく怒られた。
母さんには、アルバイト代は「大学に行くお金に使いたい」と説明していて、それは良い事だと言ってくれている。
だからとりあえずアルバイトで稼いだお金は全部貯金しようと思っていたのだけど、
===5P目===
×××××××××××××××××
5ページ目で俺はハッと我に返る。
ページがそこからざっくり20ページほど切り取られて存在しなかったからだ。
俺はそのノートの状態を見て、それが自分が下仁田のセッちゃんの所に滞在中に破って捨てた部分である事を急に思い出した。
ノートを持って行ったのには特に深い意味はなく、単純に半分以上が白紙だったから、山籠り中の出来事を書いても良いしメモ帳代わりに使っても良いかな、位の軽い気持ちで持って行った物だった。中に書いていた内容も中学から高校時代にかけての自分の愚痴が中心で、特に大切にしていた物という訳でもなかった。ただ、そこに書かれていた内容は池袋のお袋を非難する部分が多くを占めていて、それが急に嫌になり、ある日、それらをごっそり破いて捨てたのだ。
事に至るきっかけははっきりしていた。
山籠もり中、俺は毎週末、セッちゃんが自分へのご褒美として行っているビール晩酌に付き合っていた。その小さな酒席中、セッちゃんの口から出るのは大抵はTVに出てくるタレントの話か「街に買い物に出たらどの店の誰が意地悪かった」といった他愛のない話で、酒の弱いセッちゃんはいつも小一時間かけて中ビンを半分位飲んで
「あ~酔っちゃった酔っちゃった」
と、そそくさと後片付けをして寝てしまう。そんな具合の晩酌であった。ところがある日、ほろ酔い加減のセッちゃんが自分の若い頃の昔話をしている途中に突然神妙な顔付きになって
「ソウの母さんはかわいそうな子だったよ~」
「しず子はホントに可哀想だった…」
と、お袋の子供時代の話を始めたのだ。
「あの子は小学生の時に、お父さんに連れられて向こうから帰ってきた子だぁし……だから家では、よぅく皆んなにイジメられてねぇー……それで、あんなにキツい子に育っちまったんだよ…」
セッちゃんの話は唐突で、酒も入っているものだから聞き取りにくくはあったが、話の流れから察するに、どうやらお袋は大戦中、中国か朝鮮で働いていたお袋の父が引き上げ船で連れてきた〝現地っ子〟だったのだという事がわかった。
小さい頃は、群馬に来るとお袋がセッちゃんに当たり前の様にキツくあたる姿が気味が悪かったし、当のセッちゃんがその事に対して全く怒らず、むしろ悲しそうにしているのが不思議でならなかったが、それなりに大人になり、セッちゃんの話を聞いたことで、俺はようやくその違和感がどこから来ているのかを理解したのだ。
お袋の話をしよう。
お袋は俺が6歳の時に親父が連れてきた二番目の母親だった。俗にいう〝後妻〟とうやつだ。
親父と一緒になる前、お袋は熱海で芸者をやっていて、誰からも好かれるさばさばした性格と、アサヒグラフの表紙を飾った事もあったという器量の良さを武器に、芸者の肩書を持ちつつ温泉街の隅っこで小さな小料理屋を営んでいた。今では想像もつかないだろうが、その頃の〝熱海〟の賑やかさといったらそれは凄いもので、街は色とりどりの飲食店と遊戯施設でごった返しており、それこそ「毎日が縁日」のような状況であった。
当時は珍しかったアメリカ生まれの『ダッジェムカー』(パンタグラフで天井から電気をとって走らせ〝ぶつかり合いを楽しむ〟乗り物)が小さな射的屋の横にドカンと共存したりと、その熱気は凄まじいものだった。そんな活気ある街にポツンとある美人店主が切り盛りする店となれば、それはもう繁盛しないはずはなかった。
ある時、テキヤの興行つながりで頻繁に東京と熱海を行き来していた親父が、芸者であったお袋を酒宴に呼んだ事がきっかけで二人の縁は始まったという。そもそも親父はもとは名門大の水泳部でならしたスポーツマンで、〝やくざ者〟特有のガラの悪さ〟が無いどとろか逆に〝インテリ感〟があったりしたものだから、運悪くお袋の方が恋に落ちてしまったという訳だ。そうして流れのままに、お袋は“コブ付きのヤクザ者の母親”となってしまったのである。
「いつ家に戻るかも分からぬ旦那の帰りを待ちつつ血の繋がりの無い子供を育てる」
それだけでも相当なストレスだったはずだが、お袋のそれまでの熱海での派手な生活を考えれば、ここ東京での新生活がもたらす理不尽さたるや、それはそれは想像を絶するものだったに違いない。お袋の精神が急速に病んでいき、酒に逃げ、子供たちに当たり散らすようになったのは、言い方は悪いが〝至極自然の流れ〟であったのだろう。
今にして思えば、家の様子がおかしくなり始め、お袋の状態に変化が現れだしたこのタイミングでうまいこと家を出たゆきネェの判断は大正解だった訳で、気の毒な事に、そういう対応ができない年端の俺に後のシワ寄せが廻って来たのは言わば「天災」のようなものだったのだと思う。
つまり、我々3人に起きた一連の出来事は間違っても誰か一人が責められるような類のそんな単純な出来事ではなかったのだ。強いて言えば元凶は「親父様」であり、この砂漠の様な家で生活していた我々は、いわば皆一様に被害者だったのだ。
―― カラン… ――
思い出巡りが最優先になり、完全に忘れ去られたグラスの氷が半分ほど溶けて勝手に位置を変え、飲み手に不満の声を漏らした。
「おっと、ぼーっとしすぎたね。……こりゃ」
俺は、急かされる様にグラスを口元に寄せると、ごめんなさいとばかりに中身の半分くらいを一気に喉奥に流し込んだ。
焼き場を交代したナギ君がこちらを横目でちらっと見て小さく微笑む。
俺が池袋の家を出る直前までお袋に持っていたイメージは、〝気が短くて怖い人〟だった。
だが、一番最初に熱海で親父に紹介された時は、〝美人で優しい人〟であった事を今頃になってようやく思い出し、俺は小さく唇を噛んだ。
「しかし……思い切ってごっそりいったもんだな」
ノートの切れ目をバラバラッと弾き、一瞬、そこに書いてあった内容を思い出そうともしたが、再び子供時代の記憶の海にダイブするような疲れるマネは止めておこうと、何とか踏みとどまる。俺は気持ちを切り替えて続きのページをめくり始めた。
書き込みが再開したページ以降にはすでに日付の明記は無く、ただあちこちに絵の具の種類や調合する材料との比率、技巧的な発見やちょっとしたアイデア構図等が乱雑に書き込まれていて、山籠りを始めてからは、このノートは〝単なるメモノート〟と化していた事がわかる。
「大学に落ちた後は、さすがに日記どころじゃなかったからな…」
ノートの所々には〝こんなもの描いたっけ?〟といった全く記憶から消えてしまっている図案もちらほら存在し、俺はそれなりに面白がりながらページを進めていた。
ところが、ページがもうすぐ終了近くに迄進んだところで俺の手がノートの最後の書き込みページでピタッと止まる。
===42P===
1993.10.10
下仁田に戻ってまた何か1枚仕上げよう、くらいの軽い気持ちで来てはみたが
カンヴァスの前に座っても全く気持ちが動かない。
頭に浮かぶのは嫌な連中の顏ばかりだ。
セッちゃんの顏をみたら、会社を辞めた話もできなかった。最悪だ。
明日東京に帰ろう。
===============
「1993年?……」
自分の中で半ば強制的に封印していた記憶が蘇る。
「そうだ。……浪人時代以外に俺は一度だけ群馬に行った…………それで……」
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
1993年 10月 下仁田。
久しぶりに下仁田に来た。以前、ここに来たのは浪人になりたての頃だったから、かれこれ6~7年ぶりの来訪であった。
天気が快晴だったので、東京の文房具屋で小さなスケッチブックを衝動買いしたが、最後に乗り込んだ上信電鉄でもそれを開く事は無く、只々懐かしい緑に目を奪われながらの道程であった。
下仁田の家には昼前に到着した。
俺は家に着くなり、裏の畑の方に回る。台所側の大きな戸口が閉まっている時は、セッちゃんは畑に出ているという合図だからだ。
「セッちゃ~ん!……来たよ~」
額の上に手を掲げて日陰をつくり、しばらく目をしばしばさせていたセッちゃんは来訪者が俺だと気付き、いつものニカッとした笑顔を見せる。
「ソ~ウかぁーーー!いや~~久しぶりだわねぇ~~」
セッちゃんは作業を切り上げ、すぐさまテコテコとこちらにやって来た。
「いやぁ~~アンタまた背、伸びたかい?」
「伸びっこないよ。そんな歳じゃないから」
「そーかいそーかい。かかかか」
セッちゃんは冗談だか本気だかわからないセリフを吐きつつ上機嫌で笑う。
「いや~でもアンタ~、大学!…無事に卒業できて良かったぁね~」
「手紙しか出せなくてごめんね。……すごくバタバタしててさ」
「いいんだよぉ~そんなこたぁ~!いや~でもほんとに良かったよぉ。……まぁ、あがりんしゃい、あがりんしゃい」
そこから小一時間はこちらが状況を話すのではなく、セッちゃん自身にあった出来事をセッちゃんが俺に話して聞かせる完全なセッちゃんショータイムとなる。ひとしきり満足した所でセッちゃんは初めて質問を切り出した。
「ところで、今回は何しに来たん?」
「いや……特に目的があって来たって訳じゃないんだよね。セッちゃんの顔見にきたのと、またコッチで2~3枚絵でも描いて帰ろうかなーって」
「ありゃ、そりゃすごい!…そんじゃぁまたひと月おるんかい?」
「ん~、今回は1週間くらいかな~」
「1週間……あ、そうか!会社か!……そー言えば良い会社に就職決まったって言ってたっけな~手紙で。………そんで会社は?……休みかい?」
「あ、……しばらく有給を取ったからね。……土日挟んで7日位は全然休めるんだよ」
セッちゃんの喜んでいる顔を見ていたら、とてもではないが『会社は辞めた』なんて話はできなくなり、俺はとっさに嘘を言ってしまう。
「そうか~。1週間か~。……まぁ、また前みたく早く起こしてやるから頑張って絵描きんしゃいね!……ああ、あんたの絵の道具とかは全部段ボールに入れて、押し入れにとっといてあるから」
「よかった~。今回は東京から何も持って来なかったからさ。捨てられてたら高崎まで買いに出なきゃなんない所だったからさ」
「捨てる訳あるかいーー!大事な絵の道具を~~。……あっ、ラジオも置いてったねアンタ。毎日聴いてたあのちっこいラジオ」
「あー、あのラジオね!なつかしい。……まだ、動くのかなぁ?」
「そりゃ~わかんねぇな。あとでつけてみんしゃいな」
その日はまだ時間もたっぷりあったから、セッちゃんとの話を終えた後、段ボール箱に入っていた大判のスケッチブックを片手に近場の裏山の方へと足を向けてみた。
山に入り30分も進まないうちに程よい景色を見つけたので、俺はそこに陣取って早速下描きを開始した。
「あれ?」
いつもはあっという間に構図を決めて、10~15分もあれば「持ち帰って油彩画に落とし込めるくらいのイメージ画」が描けるのだが、画面を縦にしても横にしても、どうにもピンと来るはまり方にならない…。
俺はその場所をあきらめてまた別の場所で同じことを試す。
「え?……どういう事だ?」
場所を変えてみたが、やはり「これだ!」という構図に決まらず、俺はだんだんと焦りだす。
結局、あーだこーだと悩んでいる内に5時近くになってしまい、俺は珍しくまともに何も描く事はせずにセッちゃんの待つ平屋へと戻った。
その日の晩御飯時には、俺の大学卒業と久しぶりの再会を祝いセッちゃんがビールを出してくれた。
「来るなんて思ってなかったから何も買ってなくてさぁ~……でも冷凍しといたサバがあったから、とりあえずそれでお祝いだぁ~」
セッちゃんの俺に対するおもてなしは本当にありがたく、畑で採れた久々の自家製野菜もうまかった。ただ、昼間、全く絵が進まなかった事が引っ掛かっていた俺は、手放しでそれを喜ぶ事ができなかった。何か得体のしれない嫌な予感が胸の奥で燻り始めていたからだった。
食後のTVタイムを満喫しだすセッちゃんを尻目に俺は早々に三畳間に入ると、押し入れから無地の小さめのカンヴァスを取り出しそこに下地を作っていった。
――調子が悪い日もあるって。今日は下地だけでも作っておこう…――
そう言い聞かせ、とりあえずその日は毎回の儀式でもある〝漆黒の下地〟をつくり、早めに床についた。なかなか眠りに付けず苦しんだが、運よく生きていたラジオが俺をうまいこと眠りに誘ってくれた。
次の日、早朝からバスに乗り山奥に入った俺は、そこでも前日と全く同じ体験をし、得体の知れない何かに平常心をかき乱されていた。
「これは落ち着いて風景画を描くって状況じゃないな……色々素材だけ揃えて、今回はイメージ画でいこう」
その辺に転がっている石ころや木の枝、葉っぱ等の素材は普通にデッサンする事ができたので、俺は画面を作るヒントになりそうな物を片っ端から描いて、それらを土産に夕方発のいつものバスで帰宅した。
夕食を終え風呂に入り、早くも布団に入ってしまったセッちゃんをよそに、俺は今日用意した素材を畳一面に並べ、描画の準備を進める。
10月に入り、少し肌寒さを感じる夜を迎えはじめてはいたが、外ではまだ鈴虫がしぶとく命の歌を歌い続けている。俺は段ボール箱の一番底から引っ張り出した木製の小さな道具箱の蓋をゆっくり開けた。
久しぶりに絵筆を手に取った俺は、懐かしい面持ちで目の前の黒いカンヴァスに対峙する。
「!?……………………………………」
気持ちを整え、準備も完璧に行ったはずだった。
しかし、信じられない事に体は次のアクションを完全に拒んでいた。
否、焦る気持ちとは裏腹に、俺の頭の中には一片のインスピレーションすら浮かんでは来なかった。
「…………嘘だろ…………こんなの……」
目の高さまで持ち上げた筆はカンヴァスに接する少し手前で完全静止している。
俺の額に、一筋の冷たい汗が流れる。
画面に自由に絵を描く『イメージ画』は、俺が最も得意とするジャンルの絵であり、これを描く行為において「迷いが生じる」などという事はそれまで一度も無かった事だった。むしろ、他の絵がうまく進展しない時に〝気晴らし〟で描いて調子を高めるといった「救済的な行為」だった。
俺は目の前で起こっている現実に、味わった事のない凄まじい衝撃を覚える。
襲いかかる動揺を振り払うように、俺はとりあえず集めた素材をデフォルメしつつ闇雲に画面に再配置し、目の前の現実に必死に抗う。
悲痛な作業が数十分の間続く…
「だめだ!こんなんじゃ!………いや、そんなはずがあるものか!」
自分の前で展開する〝ソレ〟は、もはや絵画というレベルのそれでは無かった。
「これ以上はどうにもならない」と悟った俺は、自分に何が起きているのかさっぱりわからないまま、その経験した事のない恐怖から逃れるように全てを放棄し、布団を被ってしまう。
――調子が悪いだけだ……明日は違うはずだ――
そして次の日の夜。
俺は再び黒く塗りなおしたカンヴァスに対峙し、前日と同じようにその身を硬直させていた。
「馬鹿な……………………全くイメージがわかない………」
俺は引きつる脳で必死で考えた。
その日は明け方までこの理不尽な状況に対する理由付けを必死に試みた。
考えに考えたが出る答えは結局のところ一つだけだった。
それは
『絵を描くことが嫌いになった』
という事。
元々それほど好きでは無かった「絵を描く」という行為は、それが自分のアイデンティティーに統合された子供時代に、好きというレベルを軽々と飛び越え、自分に絶対に必要な〝心臓〟のような物へと昇華した。そこまでは何となく体でそれを実感し、その事を生きる目的であるように感じたりもしていた。
だが、それが無意味な行為であると心底思ってしまった時、その時点で俺の心臓は潰れてしまっていたのだ。つまり俺は大学の4年間かけてじわじわと自分を追い詰め、最終的には完全に自分の手で自分を殺してしまったのだ。
だから、より正確に言うのであれば、
「絵を描くことが嫌いになった」
と言うより
「絵を描くことに意味が見いだせなくなってしまった」
と言うのが一番正しいのだろう。
まぁ、色々気が付いた今となっては正直もうどちらでも構わない。
いずれにせよ、一人の俺が死んだ事に間違いはないのだから。
※※※※※※※※
次の日の朝。
急用を思い出したから東京に帰る。といきなり告げて荷物をまとめだした俺に対し、セッちゃんは、複雑な顔をするだけで文句の一つも言わずにおにぎりを握ってくれた。
「来年あったかくなったらまたおいで」
バスに乗り込む俺の背中に向かって、セッちゃんが言った。
俺はその言葉から逃げるように小走りで座席についた。
バスは、舗装の行き届いていない国道をガタガタと揺れながら走り出す…
何気なくポケットに手を突っ込むと、いつの間にかそこに入れていたラジオが指に触れた。俺は気持ちを切り替えようと、それを取り出して耳につなぐ。
「あ」
イヤホンから聞き覚えのある曲が流れてくる。
《芸大出身の話題のグループ『クリストファー・カントリー』が贈る、クラッシックとポップスを融合させた新サウンド~…》
それは、大学時代から異彩を放っていた音校の天才児「高瀬次朗」率いる注目バンドの一曲だった。
「燃え殻だな……俺は…」
悲しくはなかった。
感情は動かなかった。
ただ、無表情な頬の上を一筋の水滴が静かに伝っていた。
(つづく)
◆あとがき◆
次回は破り捨てた日記からのお話となります。
こちらは本当に短いので、すぐにUP予定です!
でわでわ。(^v^)




