第三話: 氏家 仁 ―うじいえひとし― ①
◆まえがき◆
いよいよ話の中心人物「氏家」の登場です。
世を憂い、失意の底にいる彼にいったい何がおきたのか?
お楽しみください…
三・ 氏家 仁 ―うじいえひとし―
まだ夜が白み始める前のとある6月の早朝。
私は禍々しい〝独房生活〟の夢にうなされ、身体にまとわりつく湿ったタオルケットとさんざ格闘した挙句、爆ぜた焼き栗のように目を覚ました。
独房の夢を見たのは十数年ぶりだった。
その昔、数百万円に及ぶ莫大な慰謝料を被害者たる男に完済し切ったあの日からピタリと見なくなっていた忌々しい夢。
2年半もの間、連日のように自分を苦しめていたその悪夢が、長い時を経て再び蘇ってきたのである。まぁ無理も無い。こんな状況であれば悪い気が悪い気を呼び、事態がどんどん悪くなっていくのも頷ける。
「せっかく忘れかけてたのにな…」
頭をかきかき、フラフラと洗面所へと向かう。鏡の前でチューブを絞ってミントの香りの歯磨き粉を歯ブラシの上に乗せると、ため息交じりの薄ら笑いがこみ上げる。
「まぁ、独房よりはマシかもしれないけど………あの地震はないだろ…」
つい数ヶ月前に東北地方で発生した未曽有の大震災は、人々が住む海沿いの住宅地を壊滅状態にしてしまった。さらに、海沿いにあった原発も巨大な津波の影響で破損、回復は不可能と言われる「劣悪な放射能問題」を引き起こしたのだった。この影響で福島を中心に広域が収拾つかずの無茶苦茶な状況となっていた。そして…
現地の人ほどでは無いものの、私自身も尋常ならざる被害を被っていた。
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2011年 3月 11日。
久々にとった長めの休みを満喫していた私は、呑気に短パン一丁姿で金魚に餌をやっていた。
前週、次の事業立ち上げの資金にあてようと思いコツコツ貯めていたナケナシの三百数十万の金を「ただ遊ばせておくのは勿体ないから」と、某大手家電メーカーの株式へと移し換えた私は、未踏の大陸を前にした冒険者さながら順風満帆な気分に浸っていた。
〝魔の刻〟は、そんなタイミングで、本当に何の前触れもなく突然やって来た。
遅めの昼飯を食べた直後だったから、時刻的には2時か3時くらいだったはずだ。とにかくそれが起こったのは、私が金魚に餌をやり終え、TVのスイッチを入れようとしたまさにその瞬間の事だった。
足裏から全身に突然伝わってきた『ドスン!』という大きな振動を皮切りに、間髪入れずに辺りの家具が昔のディズニーアニメの様に激しく踊り始めた。向こうの部屋から金魚鉢が床に落ちて割れる音が聞こえる…
私は、目の前にあった40インチの重たいプラズマTVがPC側に倒れないように必死でそれを押さえた。
「グラララララララララ…」
揺れはいつまでも収まらない。
これほど大きく、しかも長時間続く揺れは初めての経験で、パニック状態に陥っていた私は身の安全よりもとにかく「仕事のデータが詰まったPCを守る」という一念で、TVの「つっかえ棒」の役割を健気に遂行する。
数分後。揺れは収まった。
「これ、相当ヤバイんじゃないか?……震源地は?」
地震速報を確認しようと、無事だったTVのスイッチを入れたが、規模の大きさのせいであろうかスグには情報が出てこない。私はとりあえず気持ちを切り替えて、割れた金魚鉢の処理をしようと対面の部屋へ向かう。
棚の上から落ちて水浸しになった書籍を拾い上げると、その下に少し平べったくなって死んでいる金魚を発見する。
「かわいそうに…」
――東北・三陸沖でマグネチュード9.0の地震が発生しました。これは~――
背後のTVから臨時放送が流れ出す。
「9.0!?…こりゃひどいな」
ガラスの破片を新聞紙にくるみながらTVを食い入るように凝視していたその時、
『プルルル!プルルル!プルルル!』
テーブルの上でケータイがけたたましく鳴りだした。
「誰だ?まったく……この状況で急かしてくれるなって…」
私はブツブツとぼやきながら床一面にばら撒かれた水をタオルで乱雑に拭きとると、テーブルの上のケータイに手を伸ばした。と、電話口の向こうから聞き慣れた友人の慌てふためいた声が飛び込んでくる。
「氏家!無事だったか…良かった良かった。…いや、そんな話じゃないんだ!お前、株!…先週、全財産突っ込んだって言ってた株!…アレちゃんと対応しただろうな?
今、株式市場がドえらい事になってるぞ!」
〝株〟という単語を聞き、私は相手の言葉途中で持っていたケータイを放り投げると、稲妻の様な勢いでPCを立ち上げ、市場の状況を確認した。
――こ、……こんなバカな!!!!!――
株式推移の画面を前にし、私の全身の血は瞬間的に凍りつく。
人の鼓動のようにリズミカルに似たような間隔で波打つ株価推移の折れ線グラフ。
そのラインの動きが『ある一点』を境に、真っすぐに急降下している。落下率は十分の一?…否、十五分の一…。そして、現在株価を表す数字は、まるで底なし沼に落ちていくゲームスコアか何かのように、とてつもない勢いでみるみると下がっていく。
私は極度の動揺で痙攣する指先にかろうじて自分の意思を伝え、できうる限りの速度で所持する持ち株の「売値」を指定し入力する。が、株価は指定値が反映される前に、それを超えてさらに下がっていく…
まさに地獄だ。
結局、とんでもない下方に売値を設定し、なんとか全ての持ち株を処分しきるが、その頃には既に私の頭の中は真っ白になっていた。
(つづく)
◆あとがき◆
転院して数日は「コロナ対策と経過観察を兼ねて数日間は個室」との事で、現在はある程度余裕を持って執筆できておりますが、大部屋に移されたらまた執筆困難な環境に戻ってしまうのかと思うと、ちょっと憂鬱です…
今、整形系の病棟やリハビリ病棟は老人がひしめいており認知症の方も非常に多く、夜の大部屋などはまともに寝れない有様なのです((+_+)))
まぁ、その時はその時。
ベストを尽くすまでか…(悲)
第四話は2/2(金曜)夜に発表予定!
でわでわ~(^^)/