第二十四話: 池矢 創 ⑧
◆まえがき◆
画材屋で目的の材料を揃えた池矢は、近くの居酒屋で同世代の学生グループと遭遇します。
同じ絵の世界を志す者同士の会話は果たしてどんな方向に発展するのか?
池矢の章「第八話」
お楽しみください!
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「ちょっとお宅……何二ヤついてんのよ?」
突然真横から声をかけられ左方に眼をやると、いつからそこに居たのか先ほどトイレに立った男がこちらを覗き込むようにしてぬぼーっと突っ立っている。相手の表情はいかにも不愉快そうで、しかも、困ったことにその眼は酒に酔って若干虚ろ気味だ。
この危うげな状況を何とか丸く収めようと、俺はできるだけへりくだった口調で相手に言葉を返す。
「いえ、ちょっと思い出してた事がありまして……つまらない事なんですけど…」
「思い出してたの……あ、そう。……後ろ…なんかうるさくてすいませんねーホント」
「いえいえ。飲み屋ですし………全然大丈夫ですから」
自分達の話を聞いて笑っていたのではないと受け取ってくれたらしく、男は急に機嫌を直し、馴れ馴れしい笑みを見せる。
「お~い、そこー。……よそのお客に絡むんじゃないぞ~」
後ろの仲間から声がかかる。
「大丈夫だって!絡んでるんじゃなくてちょっとお話をしてるだけです~……!あれれ?お兄さん、よくみたらまだ若いね!……学生さん?」
「いえ……いや、学生といえば学生ですかね……浪人です」
「浪人生!……一浪?二浪?」
「……一浪で」
「なんだよ~!年下じゃん!……あ、俺そこの理知大の3年。……いや~、浪人生か~。羨ましいな~」
何が羨ましいのかさっぱり分からなかったが、反射的に正直な受け答えをしてしまった自分の間抜けさを若干悔やみながら、俺はこの会話を極力早く切り上げようと、適当に話を組み立てる。
「ええ。ちょっと試験勉強の途中であまりにも腹が減ってしまって……定食屋も閉まってたんで、ささっとここで食べて帰ろうかな~と……」
「ふ~ん…………で、酒も飲んでるんだ~。……余裕だね~なんか~」
俺の言葉を聞いて男は眼を細めながら訝しげな表情を見せる。酔っ払いだと思ってあまり考えずに返答したのが完全に災いした形だった。俺が返答に困って苦笑いしていると、相手が何かに気付き突然声を高めた。
「あれ!?…そのカバンの中の袋、BISAIの袋じゃん!……お兄さんも絵描いてるの!?……ひょっとして美大希望!?」
速射砲のように興奮気味に放たれる質問に、俺は言葉を選びながら慎重に答えた。
「はい。……一応油絵をやってまして」
「うわぁーー!何これ、超奇遇じゃんーーー俺も油科!……いやー、そうかそうか~油絵描いてんのか~……あ、ここ座ってイイ?せっかくだから少し話ししようよ」
「え……ああ~……オレもうすぐ帰るんで」
「ウソつけよ~さっき酒お代わりしたばっかじゃんか~……まさかそれ残して帰る訳じゃないよね~」
酔っ払いはこれだから気が抜けない。何を考えてどこに気を向けてたのか知らないが、ちゃっかり俺の言動は観察していたようだ。
「まぁ、これはちゃんと飲んで帰りますけど…」
再び後ろの集団方向から声がかかる。
「お~い、そこー!……よそのお客様に絡むなってーーー!」
「違う違う!絡んでないって!……て言うか、このお兄さんも絵をやる人!……俺、ちょこっとこっちで飲むから!……放っといて!」
そう言うと男はこちらの返答をろくすっぽ聞きもしない内に、隣の席にドカッと座ってしまった。
「おい、後輩!……その俺のサワー、持ってきて!……そー、それそれ」
男の指示に素早く反応した一人の女の子が、若干ヨタつきながら男の飲みかけのサワーをカウンターに届けにやって来る。
「先輩~。あんまりからんじゃダメですからね~……あ、お兄さん宜しくねっ」
――どいつもこいつも自由すぎだっての…――
バイト先で同じ様な連中の相手を嫌というほどしてきた俺は、小さく溜息をつく。
「俺、絹川……君は~、いや名前なんかどうでもイイか。どうせすぐ忘れちゃうしな……で、大学はどこ受けるの?ムサビ?タマビ?……まさか芸大とか言わないよね?」
自称キヌガワは勢いよくまくし立てながら勝手に話を進めていく。
俺は、ここでウソを返しても反って面倒になりそうな予感がし、端的に事実を話してさっさと店を出てしまおうと決め、キッパリと答えた。
「……芸大です」
「え?」
「その、まさかの方です」
「え?え?……マジで芸大!?…って、君、実技試験までもう全然時間ないじゃん!…なんで、こんな所で酒なんか飲んでんのよ!?」
店内にひときわ響くその声に反応し、さっきまで〝カメラのOB〟に反論していた絵画チームのボスキャラがジョッキを片手にこちらにやって来る。
「何か面白そうな話してるな~……俺もまぜてくれよ」
「片桐先輩、この男来年〝芸大〟受けるって言ってるんですよ~」
「ああ、聞こえた聞こえた……で、この時期に半纏姿で居酒屋で飲んでる訳でしょ。……さぞかし自信があるんだろーなと思ってさ」
あきらかに不穏になりだした空気に俺は焦りだす。
「いえ……自信なんてとんでもない……この店だって本当に半年以上来てなくて…」
キヌガワが意地悪そうな笑みを浮かべて俺の話をぶった切る。
「まぁまぁまぁ、店に居る理由なんてどーでもイイの。で、どこの予備校通?」
「予備校は通ってないです」
「まじか!……君、……独学で芸大チャレンジする気?」
ボスが眼を丸くして声を高める。横にいたキヌガワが飲もうとしていた酒を吹き出しながら続く。
「ちょっとちょっと!なら、尚更オカシイでしょ。……この時期にその余裕は」
「だから…さっきから言ってるでしょ、余裕があるから呑みに来たとか、そーゆうのじゃないんですって」
「デッサンは?……独学で石膏デッサン勉強なんかできないよね?」
ボスが少し強張った表情で問い詰める。
「高校の美術室にあるのを何回か描きました……あと、浅草に石膏を描かせてもらえる教室があって、そこで何枚かは…」
「おい、お前!」
突然、ボスが声を荒立てて態度を急変させた。
「お前、まさか俺らの事からかってない?」
「そんな…」
「片桐先輩、それは無いんじゃないですかね~」
「いや、もしからかってるんなら許せん話だ。……絹川、お前も知ってんだろ、俺も芸大狙ってた派で、こいつと同じく一年間棒に振った口だって」
「まぁ~……でも、色んなヤツがいますしぃ…」
「お前はこだわりないもんな。アカデミックな絵画とかファインアートとかには……でも俺はどっぷり浸かってた方だから黙っちゃいられんのよ……それに何、コイツ?石膏デッサン『何枚か描いた』って………お前、フツ―芸大受けるヤツは何十枚、何百枚って描くんだよ!それこそ死ぬ気で頑張ってやっと一次デッサン受かるかどうかって世界なワケ……わかる!?」
「まぁまぁ、片桐先輩、……落ち着いて」
「一次は通りましたよ」
自然と口が開いてしまった。誰だってその人なりの事情を抱えて頑張ってやってるのだ。相手のあまりに一方的な言い分に耐えられなくなった俺は、思わず自分を肯定する台詞を吐いてしまった。それは相手を否定する最悪な反応だと解っていながら、どうしても黙っていられなかったのである。
――ゲラゲラゲラ!――
後ろから甲高い笑い声が響いた。カメラ男の笑い声だった。
「片桐~、ダサいぞ~お前~!……相手の方が優秀そうだぞ~。どうすんだ~」
カメラ男が底意地悪そうに声を張る。ボスは真っ赤になってなお食い下がる。
「油は?……油絵の方は!?………どこで何描いてきた!?」
「山で……群馬の山奥に4ヶ月くらい籠って風景画を何枚か描いてました」
――山籠もり!?この時代に!?……うけるぞそいつー!ゲラゲラゲラ!――
カメラ男の下品な野次が容赦なく降り注ぐ。
さすがのボスも、キヌガワと顏を見合わせ眉をひそめている。
「お宅さ~。……デッサン数枚、風景画数枚って……芸大なめすぎじゃないの?……そんなやり方でホントに受かると思ってんの?芸大だよ芸大…」
ボスが呆れ顔で突き放すように静かに言い放つ。その顏には既に怒りは無かった。隣でキヌガワが気の毒そうにポツリと呟く。
「山で風景画って……今どきおかしいでしょ。現代絵画の時代だぜ。今は」
――山下キヨシか~!お前は~!――
――ゲラゲラゲラゲラ!……――
カウンターの3人の話に聞き耳を立てていた後ろの集団が面白がって騒ぎだす。
ボスがこちらに向き直り、今度は真剣な顏をして力説し始めた。
「君な。デッサンはたまたま通過したのかもしれないけど、油絵なんかもっと厳しいぞ。……絹川の話じゃないけど、実際、描画手法だってその時代なりのトレンドとかあるしさ。そういうのを学ばないと……『風景画かきました~芸大受かりました~』って、あり得ないからそんなの。………考え方も、やってる事も古すぎだって」
その言葉を聞いたカメラ男が立ちあがって吠える。
『良いこと言うじゃないか~片桐~!……その主張は正解だぞ~!時代、カルチャー、トレンドだよ!……風景画なんか描いたって売れやしねーぞ~』
ボスは憐れんだような表情で俺をみつめている。
「時代は関係ないでしょ!芸大受験に……良い絵描けば受かるはずでしょ!」
「いや、あるのあるの。大有りなの。…〝新美式〟とか〝どばた式〟とか、そういう予備校の第一線で学ぶようなヤツらの中のTOPクラスがようやく食い込んでくるの。そういう所なんだよ芸大って所は」
と突然、ボスの言葉に呼応するように後ろの連中から声が上がり出す。
「芸大のレベルが高いのは確かだけどさ~。まー俺らは実践的にやるっていうか、要はその世界でどうやって食べて行くかだからさ~」
「芸大で古臭いファインアート続けたって、今の時代全く意味なしだって!」
「そー。意味なし!」
絵画科グループがわいわいと盛り上がり出す。
「いーぞ諸君!その通りだ!現実を見るんだ!……片桐大先輩も目覚められたぞっ!」
――片桐センパーイ!――
――いーぞーーー!――
――現代アートばんざーーい!――
カメラ男の煽り文句に一同は異様などよめきをみせる。その禍々しい渦にもみくちゃにされながら、俺の血液は沸騰寸前になる。
「でも、絵ってそんなもんじゃないのでは……大体…」
――びちゃっ――
俺が台詞を終えない内に一枚の昆布が俺の額に直撃し、テーブルの上に落ちた。
――もーやめろーー山下ーー!――
――山に帰れーー山下ーー!――
――ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!……――
「お前らっ…何を…」
――かーーえーーれっ!――
――かーーえーーれっ!――
――かーーえーーれっ!――
――かーーえーーれっ!――
目の前の集団が、一致団結して楽しそうに囃し立てる。
俺は言葉を失い、その様子を悪い映画でも観るかのように只々凝視する。
悪夢の様な十数秒にくさびを入れたのは最初に俺に声をかけてきたキヌガワだった。
「いや~、これは帰った方がイイでしょ。………お会計、呼ぶ?」
※※※※※※※※
店を出た俺の身震いは駅のホームでも続いていた。
理不尽に罵倒され、理不尽に店を追いやられたその怒りは、夜風ですぐに吹き飛んでいた。
その時、なによりも俺が恐ろしかったのは、芸大に受かる受からないよりも、
「そもそも自分が選んだこの道は正しいのか?」
彼らが言う様に
「今の日本でファインアートをやるなんてのはナンセンスなのか?」
という根本的な疑問が自分の中に突然吹き湧いた事だった。
今の自分を支えているのは、それまでやってきた事に対する自負の気持ちだけ。
「この道は間違いでした」「全ては無駄でした」そんな馬鹿げた事になったらどうしたらいい?その時、まだ自分は耐えられるのか?…
考えた事も無かった底知れぬ恐怖に打ち震えながら、俺は真っ暗なホームの小さな椅子に座って行き来する電車を見つめていた。
「俺……何で絵、描き始めたんだっけ……」
(つづく)
◆あとがき◆
結局一日あけてのUPになってしまいました。
次回は水曜の夜にUP予定です。
お楽しみに!(^v^)
(話の内容は全然楽しくないんですけどね…(笑))




