第二十一話: 池矢 創 ⑤
◆まえがき◆
近田との偶然の出会いから2週間ほどたったある日、池矢は近田からの電話で目を覚まします。
では、池矢の章「第五話」
お楽しみください!
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「……もしもーし……どちら様ですか?」
「もしもし、ソウくん?……オレ…近田だけど」
電話の相手は、最近偶然の再開を果たし、何かと思い出す機会が増えていた近田であった。
「!…しょーちゃんか!……どうしたのこんなまっ昼間に」
「あのさ、急な話でアレなんだけど、今週末…金曜日の昼間って空いてる?」
「……空いてるけど、何か急用?」
「この前の飲み会から結構時間たっちゃったけどさ……社長が今週末なら時間取れるから〝絵描きの彼〟を会社に呼んでみないか?って言ってるんだよ」
「え!…まじで?……いや、行ける行ける。全然いけるよ……て言うか、本当に話してくれてたんだ……驚いた~」
近田との偶然の再開からすでに2週間近くが過ぎていた。
近田には申し訳ないが、彼の提案に関しては、どうせ飲みの席での「ノリ」だろうと話半分で聞いていたので、俺はその内容自体忘れかけていたのだった。
「なんだよ~失礼しちゃうな~。あ、それでさ、来る時に一つお願いがあるんだ」
「何?お願いって?」
「社長がさ、ソウくんの実際の絵を観てみたいから、小さい絵、雑誌くらいの大きさの絵を2~3枚持って来れるかって……どうかな?」
「全然平気だよ。…えーと…確か吉祥寺だったよね?会社」
「そ。吉祥寺の駅から10分もしない場所。…今から住所言うからさ、何か書くもの用意して――」
予想だにしなかった申し出に気を良くした俺は、近田の話に二つ返事でOKをだし電話を切った。だがすぐにハッと気付いて不安になる。
1人暮らしを始めるにあたり、俺は結構な量の絵を処分していた。つまり、先方が指定したサイズの完成作品が手元に残っていたかどうかが非常に曖昧だったのだ。
「良い感じの薔薇の絵があったけど、あれは春先に米屋さんに売っちゃったしな」
急いで押入れの奥の作品ストックを漁ってみるが、案の定、そこにあったのは受験に的を絞って描かれた15号以上の大きな作品ばかり…辛うじて出てきた小品は、描きかけの静物画と人物をモチーフにした実験絵画の2枚だけだった。
俺の描画のジャンルは『油絵』だ。油絵は水彩画と違って、画面が完成してもそれが完全に乾くまでには1週間から10日はかかる。とてもではないが、新しいものを新たに描いて持っていく時間などない。
「これで乗り切るしかないか…」
俺は押入れから引っ張り出したその2枚の絵に加え、過去の制作物の写真をファイリングした「作品記録ファイル」を用意し、週末行われる〝顔合わせ会〟に出向くことにした。
そして、あれよあれよという間にその日は訪れた。
※※※※※※※※
吉祥寺にある近田の会社は、井之頭公園とは反対側の静かな住宅街の中にある年季の入ったマンション内にあった。従業員が3人だけという事もあってか8畳ほどの縦長のスペースに敷居を立てて、一方を業務スペース、残りを応接スペースとして使っているこじんまりとした会社であった。
「どうも初めまして。遠藤です。……君がウワサのすごい絵描きさん?」
「ちょっと社長!……やめてくださいよ~。いきなりそんな言い方~」
応接スペースで茶菓子を食べながら待機していた俺の前に、身軽な動きで颯爽と着席したその男は間髪入れずまくしたてた。それまで俺の話し相手をしていた近田は、男のぶっきらぼうな出現に窘める様な反応だ。一目で二人の信頼関係が伺え、俺は内心少しホッとする。
近田から「社長」と呼ばれる30代前半くらいに見えるその男は、近田の前説通りいかにも「やり手の青年実業家」といった自信に満ちたオーラを放っていた。
「初めまして。池矢です。……すみません。お忙しいところ時間をつくってもらったようで……」
「いや、いい、いい。かたっ苦しい挨拶はいらないから。……いや~しかし、ウチの近田と小学生からの友達だって聞いてさ。コイツ、子供のころの友達なんか居ないみたいな事言ってたから、君の話を聞いてちょっと驚いちゃって――」
まるで初対面とは思えぬほど親し気に話しかけてくるその男の爽やかな笑顔の奥に、こちらを吟味するような鋭い目が光っている。なるほど、社長という人種はこういう感じなのかと変に納得しながら、俺はその男の話に素直に耳を傾けていた。
男は、自分の会社の簡単な説明と、近田と縁ができたきっかけ、奥で小さく微笑みながらパソコンを操作している事務の女の子の説明などを端的に行うと「さて本題」とばかりに、表情を改めて切り出した。
「ところで…今日は作品を観せてもらえるって話だよね」
遠藤は俺の足元の紙袋をチラッと確認して二カッと解りやすい笑顔を見せる。
「はい。ただ、……ご希望されたサイズの完成作品が丁度無くてですね…今日お持ちしたのは描き途中のもの2枚と、過去に描いた作品の写真ストックなんです」
そう説明しながら、俺はまず紙袋から作品ファイルの方を取り出してテーブルの上に置いた。
「なるほど。そのファイルの方の写真は全部完成品ってことかな?」
「はい。そちらを見ていただければ、どんな画風かは解っていただけるかな~と」
「拝見してもいい?」
「もちろん!」
ファイルに入っていた写真は高校時代に描いたダビンチの模写作品と数点の静物画、そして山籠り中に描いた一連の風景画とセッちゃんの肖像画だった。遠藤はファイルの数ページをパラパラと飛ばす様に流し見し、群馬の風景画のページで手を止める。
「これ、写真?」
「あ、絵の写真です。…つまり絵です」
「へぇ~、凄いリアルだね~。この川のカンジとか、まったく写真だよね~……これホントに絵?」
「よく見ると右下にサインが書いてありますから」
「え?…どこどこ?…どの辺?」
会話を聞いていて近田が吹き出す。
「社長~、芸大狙ってるんですから~。専門家ですよ専門家」
俺は慌てて近田に目配せする。
「よせよ。専門家じゃないって。油絵なんてまだ初めてちょっとなんだから…」
その慌てっぷりを見た遠藤は、すかさずこちらを小さく指差すと、意地悪そうに言葉を加える。
「お、それは逆に自慢?」
「いえ、そんな事は…」
「だから~、からかいなさんなって」
ニヤニヤしながら突っ込みを入れる遠藤の方に向き直り、近田が眉をひそめる。
「いや~、しかしこれは想像以上だな~。……お!どっかで見た事あるぞ、この絵」
満足げな表情でファイルめくっていた遠藤の手が、あるページで再びピタリと止まる。彼が指し示した写真はダビンチの絵の模写だった。
「それは、レオナルドダビンチの『受胎告知』に描かれたマリアの頭部の絵で…高2の時に描いた〝模写作品〟なんです…」
「それ、さっき僕も見て驚きました!学校の美術の授業で買わされた12色の絵の具セットで描いたらしいんですよ……で、なんか、当時仲良くしてた近所の美容室のマスターにあげちゃったとかで…」
俺の説明を遮り、近田が興奮気味に話に割って入った。さらに、その流れを受けるように、今度は近田の話に遠藤が言葉を被せる。
「あげた!?……え??何で何で??………解んない。意味が!」
「昔っからすぐあげちゃうんですよ。この男は」
二人は同じ様な呆れ顔で俺の方に冷ややかな視線を投げてくる。
「いえ、それ子供の時の……高校生の時の話ですから」
俺は責められている様な気分になり、思わずしどろもどろに変な返答をしてしまう。
「あ!そうそう。その紙袋の中の方、……そっちも観せてもらえる?」
「え?……あ、はい」
遠藤は、見ていたファイルを閉じてテーブルの端にすいと置くと、脱線しかけた場の空気をリセットするかのように〝問題の絵〟を出すよう要求した。
俺は言われるがままに紙袋から2枚の絵を取り出すと、それをテーブルの上に1枚ずつ恐る恐る提示していく。
「一枚は高校時代の描き途中の静物画で、もう一枚は実験的に描いて途中で手を入れるのを止めてた幻想絵画です…」
「その果物の絵、途中なの?」
パッと見、出来上がってるように見えなくもない静物画の方を指差し、真っ先に口を開いたのは遠藤ではなく近田の方であった。
「まだ細部には殆ど手を入れてないし…ほら、こういう陶器の質感とかさ」
俺はまだ詰め切れていない箇所を順に示しながら、二人に状況を説明していく…
「う~ん……言われなきゃわからんよね、正直な所……でもそれよりなぁ~…」
絵を手に取り、画面ギリギリまで顏を近付けて細部を観察していた遠藤が、そう言って首を少し傾げた。
「でもそれより……何でしょう?」
気になった俺は、すかさず遠藤に問いかける。
「写実的すぎ?……何というか……少し普通っぽいと言うか…」
「ちょっと社長!我々シロウトなんですから~」
社長の歯に衣着せぬ物言いに近田が慌てて反応したが、俺はその近田に向って両手で制す様にしながら気持ちを伝える。
「いや、しょーちゃん、……思った事はズバズバ言ってもらった方がイイんだよ。こーいうのが勉強になるんだから………浪人の身なんだぜ、こっちは」
そんな二人の会話がまるで耳に入っていないのか、遠藤はもう一方の絵を反対の手に取ると、視線を絵の方に向けたまま質問を投げてきた。
「こっちの方は、幻想絵画って言ってたけど………どういう絵?」
「えーと、そういう絵の分野があるんです。…「印象派」とか「シュールリアリズム」とか、一種の区分けみたいなものですね。「幻想絵画」は、内容的には想像の世界の絵というか…夢の中の一場面のようなカンジの絵とでも言いますか…」
全体的に白い霧のようなモヤが立ち込める中、画面の中央に一人の裸婦が眠る様に浮遊している。その絵は、そんな構図の絵であった。
遠藤は一見完成度が高く見えた静物画よりもそちらの絵に興味がある様で、今度はその絵の方を斜めにしたり逆さにしたりしながら何かを吟味するように目を細めている。
「これ、買ったらいくら?」
「え?」
唐突に発せられたその質問に一瞬思考が止まる。
近田の方にちらっと眼をやると、近田もまた同じ様に、突然の社長の言葉に目を真ん丸くしている。
「4号サイズの絵ですと………いえ、そもそもそれ、未完成ですよ」
「うん。いーのいーの。……面白いじゃない、このカンジが」
近田は遠慮もせずに人差し指で「上へ、上へ」のサインをこちらに送っている。
「いや~…未完成なんで………参ったな……」
「じゃぁさ、良いことあるように〝ラッキーセブン〟で7万でどう?」
「!…な、7万ですか!?………未完成ですよ?」
動揺する俺の前にぬっと身を乗り出し、近田が再び割って入ってくる。
「まてまてソウくん、いいじゃない。買う方がOK出してるんだから……社長!それで行きましょう!7万で!」
その後、我々3人が何を話したかについては正直なところ殆ど記憶にない。
あまりに思いがけぬ展開に、しばらく頭が混乱していたからだ。
俺は、当時の自分にとっては身に余る大金を手に、キツネにつままれた様な面持で家路に向かったのだった。
(つづく)
◆あとがき◆
先週末、
急な用事ができてしまい、結局執筆ができませんでした。(はぁ~)
ですが、先日から気を取り直して再び再開!
明日もUPできるといいな~(^v^)
※補足※
池矢の章「第三話」にプロット上非常に重要な要素の抜けがあったので加筆しました。
お時間あったら再読してみてください。(何が変わったかすぐ解った人は名探偵素質アリ…)




