人間て便利だね
瞬くと、髪をとかしながら鏡の向こうに目を向ける女がいた。
少女と言えば豊満すぎる身体付きで、大人と呼ぶには余りにも危うげな表情をしている。
肩膝ついて、視線はどこにも定まらず、同じ場所ばかりに櫛を通す。
ドアをノックしても、開けても、中に入っても気付く様子もない。
「人間って便利だね」
だから突然そう告げられた時、一歩後退して棚にぶつかり鍵を落としてしまった。
なにがと問う代わりに顔色を伺うが、女の視線は変わらず揺蕩うばかりだった。
恐らく独り言だ。
そう結論付けるのが心地よく、そそくさと鍵を戻すと忘れ物を取りに抜き足する。
「好きでもないのに好きって言える」
忘れ物は目の前だが、唐突に繰り出される言葉を準備なく受け止めるのは危険かもしれない。
女の背後で足は止まる。
「誰とでもキスできる」
櫛の手は緩慢に、でも留まることなく上下している。
「痛くても、痛くないって言える」
その言葉がどこに向けて発せられているのか定かではない。
応えたくなる衝動と、抑制の葛藤が口を閉ざす。
「笑いたくなくても、笑える」
女はおもむろに櫛を差した手を止めると、クルリとこちらに振り向いた。
「人間て便利だね」
真正面から提示されたその言葉に、その視線に体が磔にされる。
女は表情のない顔で、でも貫くような視線を刺してくる。
「そう思うでしょ」
言葉は空間を揺らしたが、彼女の前髪は微動だにしなかった。