散らない桜の話
綺麗だね、しばらくはそう思っていた。
でも、ある日気付いてしまった。
どうしてこの桜の木は散らないの?
それに気付いてからはずっと、この桜を綺麗だと思えない。
道行く人々は皆、綺麗だねと微笑みあう。
毎日毎日。散らない桜を見上げて、そう言っている。
どうやらこの桜の違和感に気付いているのはわたしだけみたいだ。
わたしは、目を細める。
どうしてみんな気付かないの? 桜は散っていくから綺麗なんだよ。
そんなある日、気づいたもう一つの違和感。
……よくみると、行き交う人々は毎日同じだ。同じ服装の同じ人々が通り過ぎていく。
目の前の信号が青に変わり、信号待ちをしていた誰かのケータイがメロディを鳴らす。
このタイミングも同じ。次は……。
わたしは目線を、後方に投げた。
桜の木の下、女子高生の二人組がスマートホンを桜の花に向けている。
突風が横切ると、彼女たちは「綺麗だね」と無邪気な顔で笑いあうのだ。
「全然綺麗じゃないよ!」
わたしが叫ぶと、景色は大きく震え、停止した。
「!」
次に景色に大きなひびが入る。そのひびは、見る見るうちに広がっていき、景色を粉々に砕いた。
思わず目を閉じる。
そして、恐る恐る、目を開くと……桜は散っていた。
雪が、降っている。
わたしの足元には、干からびた茶色い花束。
女子高生の一人がこちらに歩みより、何処か哀しげな目で花束を見下ろす。
彼女は、女子高生ではなく大人びた女性だった。
女性は木を見上げると、
「この桜が咲く前には、あたし別の街に引っ越すよ。だから、ここにくるのも今日で最後」
女性は、干からびた花束を回収すると、代わりに新しい花束を置く。そして、静かに手を合わせた。
「ねえ、結はあっちで元気にやってる? 桜が綺麗だからっていつまでもここにいちゃダメだよ」
女性は、その言葉のあと「こんな辛い桜はもう見納め」と呟き、目にうっすらと涙を浮かべた。
……マフラーに顔を埋め、立ち去っていく。
女子高生の姿のままのわたしは、そんな光景をただ見ていた。
桜、散っちゃったか……。
わたしが見上げた先には、灰色の空の下に枝を伸ばした木があった。
桜が綺麗なままでいてくれたら、それだけでよかったのに。
わたしもそろそろ見納めにしよう。
桜が散れば、季節が巡る。
ここじゃない何処かにも、綺麗な場所がきっとある。
end.