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公爵令嬢に婚約破棄を言い渡す王太子の非常識をぶった切った男爵令嬢の顛末(短編版)  作者: 礼(ゆき)
短編版

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8/10

8,

 家に戻って、ベッドに伏して泣いた。喉を絞めて、声を出さないようにした。それでも声が漏れてくるから、机に手を伸ばしてつかんだ布をぐっと嚙んだ。唾がじんわり布に染みて、パッと離した。つかんだのは、ライアンから渡されたハンカチだった。


 尚更涙が出てきて、ぐっと口元にその布を寄せて、また泣いた。


 私は学院に行けなくなった。部屋代を滞納できないから、パン屋の売り子は続けている。このまま、パン屋の売り子で過ごそうかと思った。学院から逃げ出して、失踪してもいい気がした。


 私がどこにいるか知っている者はいない。王太子は、いなくなった私に頓着しなくなればいい。惚れっぽい彼だ、いずれ忘れて、別の子に向かって、またマージェリーを怒らせるかもしれない。

 おなじことの繰り返しだ。


 問題は解決しない。


 おかみさんは、学校に行かなくなった私になにも言わない。騎士団にも顔を出さなくなっても、気にする素振りもみせなかった。

 店を手伝ってくれるからいいさ、と笑い飛ばす。


 三日もすると、私はパン屋の娘だと思うようになった。朝起きて、仕込みから手伝うようになった。半日店先で売り子をすることもあった。店先を掃除して、常連さんと立ち話をする。

 市民に紛れていたら、誰も私を男爵令嬢とは見ない。

 

 このまま、誰からも忘れられてしまえれば楽になるのに。私はため息をつかずにはいられなかった。


 カランカランとベルが鳴る。

「いらっしゃいませ」


 入り口からライアンが入ってきた。

 ぐっと喉が詰まるけど、今の私はパン屋の売り子だ。気にすることはない。男爵令嬢でも剣豪の直弟子でもない。


「お久しぶりですね。今日はいかがしますか」

「これで用意してほしい」

 小さな硬貨を二枚受け取った。


「君は、いつから働いている」

「春からですよ」


 袋にパンを詰めながら答えた。

「店はいつ閉まるんだ」

「夜まで開いてますけど、奥に控えるので、店番がいるのは夕方までです。皆さん夕食前までには買い物はすませられるでしょう」

 パンをつめた袋を手渡した。


「そうだな。ありがとう。また来る」

「ありがとうございます。またごひいきに」

 ライアンは店を後にした。


 夕方、仕事を終えて、ほっとしてから、部屋に戻る。裏手にまわり、階段に足をかけた。

 ほうっと仕事の心地よい疲れを吐息に込めて、三角巾に手をかける。トントンと軽やかにのぼりながら、三角巾をとれば、前髪がはらりとおちる。

 

 心地よいわ。玄関で首にかけている鍵を引き出す。


「パン屋の娘」

 下から声がかかった。

 ほえっと下をむくと、ライアンがいた。後ろに年配の女性が控えている。


「いや、男爵令嬢クリスティン・カスティル」


 私はざっと青ざめった。足跡をたどられたの。実家にまで手を回された? 階段にあがってしまえば、逃げ道がない。手にした鍵で、ドアを開けた。逃げるように室内に飛び込み、鍵を閉めた。


 とんとんと駆け上がってくる足音が二つ。


「クリスティン。あけてくれ」

 私は玄関先でうずくまった。

「ダメです」

 小さな声はライアンには聞こえない。

「話がしたい」

 私は首を振った。絶対に外には出ない。心に決めて、そろそろと奥へ逃げる。

 

「ここで待っていてくれ」

 扉の向こうで声がした。

 ガチャリと鍵が回る音がする。


 逃げ腰の私は、その音に恐怖を覚えながら、床に尻もちをついて、開く扉を見つめた。


 扉がそろっとあいた。ライアンが入ってくる。なんで鍵を持っているの。訳が分からず、閉口した。扉が閉められ、内側から鍵をかけられた。


 もう、逃げれない。

 

 震える私に、彼が跪く。

「クリスティン。怯えるな」

「どうして鍵を……」


 ライアンが、手もとの鍵をちらつかせる。

「複製した」

「ふえぇ」

「酔って連れ帰った時に、お前が俺に渡した。スペアを作るには二時間もあれば十分だ」

「……女の子の部屋なんですよ……」

「そう思うなら、易々と男に鍵を渡すな」


 じりじりとライアンが寄ってくる。私は怖くて縮こまった。剣を交える時は怖くないのに……。今は無性にライアンが怖かった。


「怖がるな。悪いようにはしない」

「悪いようにって……」

「園遊会には顔を出せ。今日は針子を連れてきた。寸法だけでもとらせろ」


 私は目をつぶって、首を振った。


「クレス」

 私ははっと顔をあげた。

「俺にはすべてばれている。観念しろ」


 睨まれたら、こみ上げてくる。

「……どうしたらいいんですか」

 ふるえながら、涙が出た。


「私……踏みこまなくていい落とし穴ぶち抜きました。うちは私を含めて兄弟が六人います。領地も狭いです。男爵家なんて言っても、納税するだけで結構大変です。領民の生活もあります。私が粗相をしたら……、公爵家に文句つけられても、出せるものは……、本当になにもないの」

「そうだな」


「中途半端に貴族の末席にいるのは、平民でいるよりつらいです。張らなくてはいけない見栄もある。まもらなければいけないものもあります。隠さないといけないことも。家族や領民がいれば、私が私としていられる時間は少ないの」

「そうか」


「出せるお金は少ないけど、勉強してくるならいいと、三年だけやっと勝ち取った時間なの。腕試しもしたかった。王都の話を聞いたら、行ってみたくなったの。楽しそうでしょ。ただ、憧れただけよ。おいちゃんのお話はいっつも面白かったのよ」

「おいちゃん?」

 泣いて語る私のことをじっと見ていたライアンが変な声を出す。


「剣豪のおいちゃんよ」

 彼があっけにとられた顔をすれば、私は小首をかしぐしかない。


「……、剣豪をそんな呼び方しているのか……」

「子どもの頃、おじちゃんと呼ぼうとしてうまく言えなかったの。そのまま、おいちゃんで定着しちゃって……」

「いや、そういうことじゃない……」

 ライアンはすわりなおし、あごに手を当ててすごく難しい顔で考え込む。


 彼がぱっと顔をあげる。

「……逃げてどうにかなると思うか」

「……思わない」

「逃げられると思うか」

「……思わない」


「どうしたらよかったと思う。いや、もうお前は答えを言っていた。否定した俺が悪かった」

 私はピンとこない。

「クレスの時に、言っただろ。ご令嬢が、きっぱり断ったらどうなると、覚えていないのか」


 思い出した。私は、ありありと両目を見開いた。

「悪かった。答えを訂正する。まずは、断ってみないと始まらない、そうだろ」


「断るの」

「嫌なものは嫌と言わないとはじまらないだろ」

「でも……」

「悪いようにはならない。むしろ、言うべきことを言わない方が悪化する」


「そうでしょうか」

 信じられず、おずおずと答える。

「男爵家も、剣豪も、公爵家も、王家も、今回の事態を傍観している。わかるな。悪いようにはならない」

 

 それだけの人たちがすでに事態を把握しているという事実に私は目を見張った。

「私が黙っている方が、事態が混迷すると言いたいの」


「誰も、お前の意志を知らない。俺が、影でこそっと聞いただけのことだ。舞台は用意された。チャンスを棒に振るかどうかの問題だ。これ以上の意志表明の場は今後は用意されないだろう」


 私は、息をのんだ。

「流されるか、あらがうか。

 戦う方が、らしくないか。お前は、剣豪の直弟子なんだろう」 


 ライアンの静かな眼光に私は魅入る。そのまま吸い寄せられるように頷いた。断ってもいいという許しが支えになる。


「針子を呼ぶぞ」

「はい」


 お針子が呼ばれた。

 彼女は、私の前で丁寧にお辞儀をする。


「学園では目についてしまいますので、寸法はこちらではかるようにと言われました。要望があればなんなりとおもうしつけください」


「では、お願いがあります。今回の仕立ては……」



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