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学院のいじめは続いていた。無視と一人ぼっちが主体で、たまに物が隠される。申し訳程度の嫌がらせに、嘆息しながら探せばすぐに見つかる。
王太子は寄ってくるけど、ライアンが適当に誤魔化して、逃げる余裕を与えてくれる。逃げるから追いかけるのかもしれない。悪いのは分かっているけど、向き合うのも怖かった。
思い込みが強くて、頭がお花畑な気がして、話が通じなさそうで、どうしていいかわからない。
あれ以降、ライアンとは学院で会話していない。練習場で顔を合わす時は、剣豪の直弟子だから友達のように接する。立場が違うと表情が違う。少し不思議な感じがした。
休日の午前中はパン屋の店番だ。私は売り子として働き、おかみさんの声がかかればパンを運び店頭に並べる。
カランカランと店のベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
にこやかに声をかけてから、ほえっと私は止まる。
「久しぶりです。覚えてますか」
ライアンが申し訳なさそうに立っていた。
「ええ、覚えているわ」
私は看板娘らしく、明るく迎え入れた。
「また、買いにきてくれたの。うれしいわ」
「あなたにお返ししないといけないと思いまして……。あの時は、本当に助かりました」
「外でお連れさんもお待ちでしたものね」
「ええ、思い付きで散歩して、いい匂いに誘われたんですが、どうも市井の常識に欠けていたようで……」
あっとライアンが口元を手で覆う。身分にかかわることは告げてはいけないのでしょうね。分かるわ。私でさえ、パン屋では身分を隠しているもの。男爵令嬢だとはパン屋のご夫婦しか知らないわ。
私は気にしないふりをすることにした。名前も知らないふりをする。
「では、今日は何になさいます」
ライアンが握っていた拳を開くと、小さな貨幣が三枚あった。一枚は私への返金、二枚は……。
「パンを見繕ってくれますか。今日は友人と食べたいと思っています」
女将さんの焼き立ての声がかかった。私は奥へ引っ込み、焼き立てパンを持ってくる。
「では今日は、焼き立てのパンと、おすすめのパンを用意しますね」
不思議とライアンの表情が柔らかい。他愛無い会話だけど、気持ちが和んだ。
昼過ぎに騎士の恰好をして下宿を後にする。道場でひとしきり汗を流したら、とてもすっきりした。井戸で水を汲み、桶に顔をつけて水を飲む。水をすくって、前髪さえ濡らす勢いで顔を洗った。
「ああ、気持ちいい」
スッキリする。剣をふるえば、集中する。仕事をすれば、気が紛れる。
稽古場と、仕事があるからほっとしていられる。
顔をあげると、横にライアンが立っていた。
パンが入った袋をかざす。
「一緒に食べないか」
午前中に私が売ったパンだった。友人とは、私のことだったのか。まじまじと彼の顔を見つめると、どうしたと訝られる。
なんでもないと誤魔化して、二人で並んで、木陰に座った。
いつも食べているパンだけど、動いた後はなお美味しい。
「どうしたの」
「店で買ってきた」
「これ、庶民のお店のでしょ。ライアンが行きそうにないよね」
「そういうとこは、気にするな」
ぷいっとそっぽを向く。
店ではけっこう愛想良いのに、騎士団にいる時はかしこまっている。
「どうしたのさ。一緒に食べようなんて」
「愚痴だ」
「はあ……」
ライアンが頭をわしゃわしゃとかく。
「学院では俺の自由な発言は難しい。俺の一言で、状況が悪くなっても申し訳ない」
「はあ……」
「俺が公爵家の人間だとは知っているだろ。俺は通常は、殿下のご学友であり、側近として動いているんだ」
「ふーん」
知らないふりをする。
「殿下は惚れっぽくてな。今までも何人か、学院を退学させている」
「退学!」
「ひどいだろ。
そういうケースはたいてい、令嬢も分かっていて近づくんだ。家と家の問題だ。令嬢一人でどうにもできないものを、近づく令嬢が悪いとも今までは言えた。殿下のくせも分かってて寄ってくるんだ。ちょっと知恵があれば、そんなことはしない。
婚約者の公爵令嬢もそんなこんなで気が休まらない。早々、婚約破棄なんてできるわけがないのに、いちいち目くじらを立てる。
王家も王太子の恋愛沙汰にはピリピリし、公爵家も釈然とせず無言だ。
少しはわきまえてもらいたいところに、また厄介なのが現れた」
ああ、私の事だと。パンを食みつつ、青ざめて耳を傾ける。
「このご令嬢が困ったことに、なにも知らない。高等部から編入してきただけあって、無知だったんだ。
殿下の顔も、婚約者がいたことも知らない。田舎者といえばいいか、深窓の令嬢と言えばいいか」
そこは田舎者でいいですと、パンを咀嚼しながら思う。
心痛の種になり申し訳ない気持ちが胸に広がる。
「どこに愚痴るあてもないんだよ、俺は。
殿下もあれだけ避けられているんだ、さっさとあきらめればいいものを……。逃げるから追いたくなるのでは、収まるものも収まらない」
「ご令嬢が、きっぱり断ったらどうなります」
「……聞かない」
その返答、よくわかる。
「あの殿下は、きかない。まず友達から始めようとでも、言い出す」
ライアンはそう言うと、頭を抱えた。
「……それは大変ですね……」
私がおかれている状況が、袋小路だと心底痛感します。泣きたいわ~。
ライアンがパンの包みを私の胸に押し付けてきた。
思わず、袋を抱きかかえる。
「やる。賄賂だ。これで、黙っててくれ」
「これがですか~」
私は思わず笑ってしまった。いつも自分が食べているパンを賄賂にもらってしまった。
「そんなものくれなくても、黙っていますよ」
一人でも私のことを心配してくれる人がいる。それだけで、安心できる。しょうもない夫婦げんかに巻き込まれたと思えばいいんだ。
「今日、十六歳になります。お祝いと思って受け取りますよ」
ライアンが目を丸くする。
「お前、十六だったのか」
「はい」
なにを驚くのか、分からなかった。
「もっと、年下だと思っていた」
顎に手を当てて、舐めまわすように顔を見られた。
恥ずかしくなって、どうでもいい質問を口走る。
「ライアンはいくつなんですか」
「十八だ」
夕方、私が十六歳であると、なぜか騎士団全体に広まり、一斉にみんな驚いた。どうやら、もっと若く見られていたらしい。それこそ、十二歳とか……。子ども扱いされるわけだと納得した。
十六歳はお酒が飲める年齢だそうだ。街ではそういう決まりごとがあると聞いたことがあったけど本当だった。田舎では、一応子どもはだめとは言うけど、解禁されるのは、身長が止まったあたりだとされており、アバウトだった。
お酒が飲めるって、そんなにすごいことなのかわらない。じきに飲めるものだけに、正直飲めても飲めなくても変わらない気がした。
そのまんま、騎士たちに飲み屋に連れていかれた。
これはあれだ。なにかにつけて理由つけて、飲んじゃえってノリだ。男ってどこもそういうとこあるのかな。
理由ある方が、楽しいのかな。よく分からない。
ドンと騎士サイズの杯が目の前に出されて、驚いた。大きすぎる! 私はこんな量を飲んだことがない。
「これ……」
杯に触れて困る。両手で包んでも、指先が触れ合わない。
「ガキんちょには難しい量だな」
「これぐらいはいけるだろ。男なら」
騎士たちは勝手なことを言う。
「これ、飲んだら、帰りますね」
ぐっと飲む。久しぶりのお酒はなかなか美味しかった。そう言えば、田舎から出てきて飲むのは久しぶりだ。と言っても、飲んだことあるのは、果実酒だけだけど。




