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マージェリー。ウールウォード公爵家の長女。
脳内に刻まれた名前に、すいませんもう一回言ってください。なんて、言ったら張り倒されそうだ。私の全身は総毛立つ。
我知らず、私は公爵家にたてついたということなの。
私一人に、数人の女生徒が取り囲む。制服のリボンの色を見た限り、全員上級生だ。一年生を取り囲む醜聞関係ないなんて、ただ事じゃあない。
「殿下のほれっぽさに付け入る女の多さに辟易しているのです。今度はあなた、どんな手を使ったのかしら」
「……惚れっぽい?」
言われた言葉を反芻するように繰り返していた。惚れっぽいというのは、あれですね。ちょっとしたことで、すぐに好きになってしまう。そういうことですよね。
「知っていて、ぶつかったのでしょう」
怒りに燃える明かり両眼が私を睨みつける。さしずめ、私は竜に睨まれた蛇だ。大きな男性を相手に剣を振るのは慣れているのに、女性相手だと何をどうしていいか、ちっともわからない。
「まさか。あれは事故で……」
か細い声で言い訳をしようとした私に、持っていた閉じた扇をパンと手に打った。ひいぃと私はさらに小さくなる。
「殿下の惚れっぽさはこの学院で知らないものはいません」
頭ごなしに否定され、うひぃっと私は肩をすくませて、目を閉じた。
「高等部より入学してきたあなたでも一度は耳にしているはずよ。今まで、どれだけの令嬢が声をかけてきたと思うの。公爵家に反目することの意味も推測できず、あわよくばとあさましい令嬢が、その実家に与えた損害と彼女たちの末路を知らないなどありえません」
「知りません。本当に、神に誓って……何もしてません。本当に、誓って、なにもしていないのです」
立場はわきまえているつもりだった。学院のクラス編成でも一番下のクラスに入り込んだのだ。学力もそこまでしか到達できなかったとはいえ、地方の子女では合格率は半分と思えば、私は頑張った方だ。
弟や妹の世話をして、家族の手伝いをして、女の子らしいことなんてわずかしかできない。剣豪のおいちゃんとの訓練だって、それだけは家の仕事より父母が優先して許してくれたからにすぎない。勉強と稽古以外に私に時間はなかった。
学院入学の切符を得るための勉強をすれば、都会の貴族の情報など耳に入れている余裕はない。
「本当に……、婚約者様がいらっしゃることも存じ上げておらず……」
泣きたくなってきた。社交界や貴族の集まりに出る気もない。ただ、ちょっとだけ、私だけの時間が欲しかっただけなのに……。
「……ごめんなさい……」
謝って、泣き出してしまった。
「興が冷めたわ」
公爵令嬢は踵を返し、取り巻きを連れて立ち去って行った。
静かになった一人ぼっちの中庭で、さめざめと泣く。落ちた涙がパンを濡らした。涙がしみ込んだパンを食べるのは、悲しくて、辛すぎる。私はそっと包みなおそうとした。
突如、腕をばっとつかまれた。
ほえっと顔をあげると、ライアンが立っていた。
「来い」
そのまま、連れ去られた。
食べる気を失ったパンは、地面に転げ落ちてしまう。私は、彼に木陰へと連れ去られた。
低層の木陰に座らされる。
しゃくりあげる私は、そのまま拳で涙を拭いて、大きく息をつく。
「つかえ」
差し出された、紋章入りのハンカチを握って、目に押し当てた。
「本当に何も知らないのか」
嘆息しなら、息を吐く。
私はこくこくと頷いた。
ライアンは頭をかく。
「マージェリーが言うように、殿下は惚れっぽい。そもそも寄ってくる女も多い。ほとんどはあしらっているが、片手で数えるぐらいは、浮名を流した。
婚約は二人が幼少期に決められた。家同士のものだ。誰が割って入ることも許されない。なのに、殿下は手を出すわ、マージェリーもそんな女相手にむきになるわで泥沼だ。
たいていは令嬢側の自業自得だからと、俺も捨て置く。
学院では殿下に手を出せば、公爵に家がつぶされるとまことしやかな噂さえ流れている。半分嘘で、半分は本当だ」
「そんな気は、ないんですよ」
泣いている私に、ライアンは続ける。
「君はあまりに何も知らなすぎる。
それこそ、もう地方に還りなさい。そうすれば、俺があなたを追いかけようとする殿下を止めてあげよう」
せっかく入学したのに……。それはない。
思っても、しゃくりあげるだけで、私はしゃべることができなかった。
「そういう反応をするから、殿下も興味を持たれるんだ」
「……本当に、なにもしてないんですよ。私」
「知ってる……」
ライアンも苦悩の表情を浮かべていた。
ひとしきり泣いたら、スッキリした。
状況も少しは理解できた。
毎日の無視も少しだけ慣れた。小さくなっていたら、なんとか生きていける。私の味方についたと思われて、家に害が及ぶことをみんな恐れているんだ。
それこそ、噂は尾ひれがつき肥大化し、恐怖を植え付けているのだと理解できた。
下層貴族は平民より上級貴族と接する機会がある。その時に粗相をしたら後が怖い。みんな、よくわかっているだけだ。私は仕方ないとあきらめた。
パン屋のお客さんもおかみさんも親切だ。騎士の訓練場でも歓迎される。
受け入れてくれる場所があるから、この嵐が過ぎ去るのを待とうと思った。
そんな時に、教科書がゴミ箱に捨てられてた。
拾い上げれば、まだきれいだった。ほこりを払えば使える。
収まるどころか、ここまできてしまったという、ショックの方が大きかった。
本当に、田舎に戻ろうかとさすがに思った。
女の子の恨みを解消する方法なんて、ちっとも思いつかない。下手に動いたら、家にも害悪が及びそうだ。
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