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目覚めると、私は医務室のベッドの上だった。枕元に置かれた伊達メガネを発見し、手にする。壊れていなくてほっとした。
剣豪の直弟子に、パン屋の看板娘、風変わりな一面がばれないように変装している。変装用必須メガネ。顔立ちに目がいかないように、大ぶりな眼鏡を選んだんだ。
ぶつかって、落ちるなんて、不用心だったわ。私はふうとため息をつく。
医務室の扉がバタンと開いた。
「クリスティン、目覚めたかい」
金髪碧眼の美少年から脱皮間もない美青年が、駆け寄ってきた。さっき私がぶつかった人だ。
私が身を起こすと、彼はベッドに座り、片手を取った。
「いきなり倒れて驚いたよ。どこか痛いところはないか、頭はクラクラしないかい」
「ええぇ、まあ」
歯切れの悪い私は状況がつかめない。おそらく、私より身分が上だ。下手な受け答えは、実家に迷惑がかかるかもしれない。
じっと見つめる私に、なあにとばかりに笑顔を投げかけてくる。そういえば、この人、なんで私の名前を知っているのかしら。
「運んでくださってありがとうございます。あの、どなたか存じませんが、なぜ……私の名を?」
「ああ、学長に聞いた」
「はっ」
「君の装いや、制服のリボンから学年も分かる。名簿から調べてもらった」
職権乱用。そんな熟語が、ポンと私の頭に浮かんだ。
「眼鏡が外れた君に、心が動かされた。すまない、もう一度、その眼鏡をとってくれないか」
甘い表情と声で囁いてくる。
私は身を守るように、浮いていた手で眼鏡の縁を押さえた。
「……ダメです」
絞り出すように、言った。
「前が見えません」
嘘だけど、もうこの場が乗り切れるならかまわない。
「僕が、君が見えるまで近づくから……ねっ」
うっと喉が詰まる。きれいな顔に迫られても、うれしくない。むしろ怖い。
「ダメです」
足を摺り寄せ後退する。熟れた美青年の手が伸びてきて、私はきつく目を閉じた。
「殿下……、いい加減になさい。知らない男性に迫られて、畏れない女性はいません」
「ライアンか。そんなことないぞ。たいていは喜んでくれる」
「それはお立場を理解されている女性達であって、男爵令嬢の彼女は殿下とお会いすることも今までなかったのです」
「そんなものなのか。それはそれで初々しくていいな」
殿下と呼ばれたわ。公爵家のライアンがそんな呼び方をするなんて……、一人しか思いつかないわ。
私は恐る恐る目を開く。
「殿下とおっしゃいました……」
「そうだよ、クリスティン。
僕が、王太子のデヴィッド・グランフィアン。以後お見知りおきを」
握っていた私の手の甲にキスをした。
私はライアンとデヴィッドを交互に見つめて、閉口してしまった。
その日を境に、学院生活がガラガラと崩れ落ちた。
「おはようございます」
教室に入って、挨拶をしても、そっぽを向かれるようになった。
聞こえなかったのかな、と最初は首をかしいだ。
授業で、グループ分けを先生が促したら、私だけぽつねんと残された。
教室中がよそよそしくなった。
挨拶もされない、グループにも入れてもらえない。人生初めての孤立だ。
教室では、いじわるまではされなかった。今まで、それなりの仲だったのに急によそよそしくしている自分たちの後ろめたさもあるのだろうか。
廊下を歩けば、ひそひそと知らない女の子に後ろ指さされる気がした。気にしすぎかと思ったけど、ふりむいたら、本当に三人ぐらいの女の子がすっと隠れた。
この状況は、学院中から無視されているということでしょうか。へこみそうになるわ。
悶々としているうちに、お昼の時間になる。教室で食べるわけにもいかず、私は小さな包みをもってそとにでることにした。
中庭に向かう途中、王太子様が現れる。
「クリスティン」
彼だけが、私の名を呼ぶ状況は異常だ。
「ごきげんよう、王太子殿下」
「デヴィッドと呼んでくれたまえ、愛しい人よ」
私の喉が、うっと詰まる。端正な顔立ちよ。美しいわ、すらっとした金髪碧眼なんて、絵にかいた王子様よ。でも、私の身辺の変わりようを考えると、恐怖を感じる。
「いいえ、王太子殿下、私にも立場というものがございます。軽々しく殿下の御名を呼べる立場ではございません」
畏れ多い立場を理解して、引いてください。どうか、お願いします。私は祈りながら、俯いた。
「クリスティン。僕は君を怖がらせる気はないんだ。顔をあげておくれ」
どうしようと思って、私はじっとする。
「殿下。無理強いはよくありませんよ」
「ライアン、僕は彼女にお願いしているだけだ」
ライアンの声がして、安らいだ。恐る恐る顔をあげる。
金髪碧眼の端正な青年と、紺碧の髪と瞳をした精悍な青年が並んで立つ。絵にならないわけがない。
「あっ、顔をあげてくれたね。クリスティン」
殿下がふわっと綿菓子みたいな甘い笑顔を向ける。
「そうそう、食堂に一緒にいかないかと誘いにきたんだ」
すかさずライアンが口をはさむ。
「殿下。あなたが食堂に行っては、一大事です。ましてや男爵令嬢を連れて行ったら……」
「かと言って、僕の執務室に入れるわけにはいかないだろう」
二人の会話が始まり、私はすり足で後退する。
「あたりまえです。とにかく昼食は専用の部屋でお願いします」
「堅いな。彼女の立場なら、食堂を利用していると思って、連れ立って行きたかったのだ」
「殿下。お立場を考えてください」
ライアンが眉間にしわを寄せて、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
がばっと私は彼らに背を向けた。
「私、もうお昼済ませましたから!」
会話に気を取られている二人を置いて、脱兎のごとく逃げ出した。
中庭まで走った。息を切らしながら、ベンチに腰をかける。
「なんなのもう……」
王太子様に声をかけられるようになって、状況が一変した。私は、もう何が起こっているのかもわからない。
手にしていた包みを膝に置く。今朝作ったパンが包まれている。
食べれば少しは気が紛れるだろうか。
ただ、間違って人にぶつかっただけなのに、この状況はなんなのかしら。それだけで、こうも人が変わるものなの。信じられないわ。
うつむいたまま、膝に乗せたパンをつかむ気にもなれなかった。
明るいはずの中庭なのに突然、日が陰った。
私ははっと顔をあげる。
声を失った。
見目麗しい女生徒が仁王立ちしていた。白銀の髪をなびかせる、白磁の肌の麗しい女性が、その深紅の瞳にらんらんと怒りの色を込めて、腕を組み立っていたのだ。
背後には数人の女生徒も立っている。
私は、美しいという鎧をまとった女性に見下ろされる。
「あの……、どちら様でしょうか」
「田舎者は、私の名も知らないというのね」
冷たい一声が、冷や水のごとく浴びせられる。
「私の名は、マージェリー。ウールウォード公爵家の長女であり、王太子殿下の正式な婚約者になります」
ほえっと私は、開いた口が閉じなくなってしまった。
あの王太子様は、婚約者がいながら、私につきあってくださいと言っていたということですか! なんと非常識な!!
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