第9話 鋏少女に毒沼を(前編)
見るからに汚染されたような色合いの沼地には様々な獣の骨が部分的なものから丸ごと同然のものまで浮かんでおり、どれもが今回のゲームの参加者の足場となるには充分なほど巨大だった。
そんな「毒沼マップ」とでも称したくなるフィールド内を足早に駆ける少女の髪は黄緑色でその瞳の色は紅茶味の飴でも見ているかのよう。
やがて少女は目の前で内部に仄かな青を湛えた大きな宝石とデザイン性を伴った台座が毒沼の上に位置しているのを確認。
この装置を起動して行き、全ての装置の中央に位置する浄化装置を作動させるまでの工程に何処まで貢献出来たかで獲得ポイントが決まる。
少女は確かにこの装置を捉えていたのだが……まるで見えなかったかの如く先程の速度のまま通過した。起動するにはやや複雑な操作が必要で、今も追われる身の少女にはその時間は致命的だったのだろう。
「逃ぃーげぇーるぅ、のぉー?」
悍ましい雰囲気を帯びながらも自らが若い女性である片鱗を残した声色を響かせた追跡者。白いワンピース姿の女性という言葉で外見の大半は説明されるが、その服は血だらけで、ベージュ系の長い髪も全体が血で滲んだかのよう。
瞳は髪の色と似ていたが一番目を引くのは両手で持つ事になるほど大きく、鮮烈なまでに真っ赤なハサミだろう。
追われる少女が先程の装置を探そうとマップ内を探索していたところ、
「あらあらぁ。こんな所に人間がいるぅー」
後ろ姿を目撃するや、振り返ると共にそう言われ、追い掛けて来るように。
まるで距離が縮まらない。
逃げ続ける少女がそう心に浮かべた通り、血濡れワンピースの少女はそのハサミで目の前に来た骨を容易く切断しながら進む為、その度に距離が狭まる状況下。
こっちの方向だと、追い掛けて来ない……?
半信半疑ながら追われる方の少女は決断し、自らの能力による大鎌を生成。
その直後、少女は緩やかに浮かび上がって行き、並の脚力で跳んでも届かないであろう高度よりも先を目指す。
その高さまで来ると、ずっと片手で柄を握っていた大きな刃を伸ばす両手持ちの鎌を自らの両腕で振り回し始めた。
刃は白く、全体的に緑色の印象が目立つ鎌の形状は全体的に鳥のイメージに収束するデザインを為し、登録名をリネームする際に少女はRPGのモンスター……ハーピーを連想。
そしてハーピーの別名『ハルピュイア』が現在の彼女のエントリーネームだが、この能力により生成した大鎌が武器としての機能を大幅に損なうまでダメージを受けない間は飛行能力が付与される。
そして自らの筋力で大鎌を回転させる事で鎌も飛行性能も強化されて行く。
能力による武器の生成はベイシスの段階から見られ、能力による生成物は耐久値と物理的な強度と形容可能な性質が施され、質量も有する。
ハルピュイアは鎌を手動で回転させた速度と回数の度合いにより、鎌自体や飛行性能を強化するコストと呼べるものを得て行くのだが……能力による生成物の中でもこの鎌の比重は一回り多いと言える。
こんなデカくて重い鎌、ただの女の子が振り回すの無理だって!
一般にしてリネーム前のコードネーム『ローリングサイズ』の能力者――雨縞瑛美が心の中で度々叫んでいる台詞である。
ぜぇ、はぁ……。
遂には心の中でも息切れを発し始めた彼女だったがローリングサイズは鎌の回転を止めてもコストの蓄積は保持される。
「へぇ……あなた、飛べるんだぁ?」
赤いハサミを持つ少女が雨縞瑛美を見上げながら、手にするハサミを分離し双剣となった武器を両方とも投げ付ける。
赤い刃二つは雨縞瑛美まで届くが、浮遊する鎌を一回転するよう操作するだけで弾き返した。コストが溜まっていればこの鎌は自在に操作が可能で、高所から回転する鎌による遠距離攻撃を一方的に行えれば理想的だろう。
使用者自身への飛行能力付与は鎌を手にしている時しか無い為、それを行うには高所での足場が必要となるが……この毒沼マップの地形にそんな場所は無い。
少しは強化しといてよかった……。
そこまでコストを貯める余裕の無い雨縞瑛美は跳び移るのが困難な足場が連続する場所を探し出し、広い場所が見つかった事に喜びながら着地する。
とりあえず、気が向いた時に鎌を回しとくかな。
鎌の回転方向は左右を問わないが、この鎌を持って走り回れる程の筋力と体力は備えていない為、雨縞瑛美は鎌を引きずりながら歩き出す。
あー、ダルい……。
それからある程度進み、そんな愚痴を心の中で彼女が零した時だった。
目の前には白いワンピース女性の後ろ姿があり、長いベージュの髪は血でも吸ったかのように赤味を帯び、雨縞瑛美の気配に気付くかのように振り返った少女の瞳は髪とよく似た色合い。
「あらあらぁ。こんな所に人間がいるぅー」
比較的少し前に聞いた台詞と声が発せられるや、雨縞瑛美は急速に浮上。
もう追い付かれた⁉ でも、今の台詞って……?
困惑と共に元来た道を戻る経路で飛行する彼女はやがて毒沼に沈みながらも無理矢理進む赤いハサミを持った少女の姿を目撃。
「逃ぃーげぇーるぅ、のぉー?」
先程の赤いハサミを持つ少女はそのまま雨縞瑛美を追い掛けた為、毒沼を進んでいた少女が次の骨の足場に上陸した頃、対峙する形となった。
「あらあらぁ」
追い掛けて来た少女が上陸したての少女にそう言った後、
「あらあらぁ」
と相手から言われた後、二人の少女は時間差はあったがそれぞれ発言する。
「こんな所に人間がいるぅー」
「こんな所に人間がいるぅー」
なに……この状況?
雨縞瑛美は同じ姿で同じ赤い武器を持った少女が鉢合わせする様を上空から見ていたが……暫くすると、自らの鎌を緩やかに回転させる。
でもよく考えたら……これ、逃げれる。
自分が標的では無くなったという事実だけを受け入れ、雨縞瑛美は手頃な方向を見繕った後、初速だけ高速に設定してからその場から飛び去った。