第60話 視えない沼は何で染まる(前編)
「これはこれは……」
統合五日目のフィールド内の一室にて、そう声を発した男性は所々に豪勢な意匠が施されたローブを着ているからか儀式を行う際の装いにも見え、全身を覆うそのローブからは顔と手が辛うじて覗く。
そんな僅かに確認出来る肌部分だけでも血色の悪さと痩けが目立つ為、一見すると老人のような雰囲気だが皺らしきものが見えない為、まだ若いのかもしれない。
自らの生命力を何かに吸われたのか捧げたからなのか……そんな様相を漂わせる男性がいる部屋は小さな集落ならば全て包み込めそうな程に広大。
立ち並ぶ部屋の壁は多角形を描いている為、真上から床全体を見れば円形だと言うのも、それほど乱暴な主張では無い。
災厄の王がお目覚めになる場として実に相応しい。
そう思いながら男性は赤系のニードルパンチカーペットの組み合わせで構成される床を歩き、部屋の中央へと近付いて行く。
歩みが遅いのは男性が弱っているからでは無く、この部屋の床の上を歩いた者にしか判らない……体への負荷がある為。
具体例を挙げるならば、泥などの不純物が多量にある水に己の背丈の半分近くを浸けながら移動するようなもの。
部屋の中央を目前とする位置まで男性が来ると、特に何も無いその場所で男性は僅かながら呟く。
「む」
「あら、まぁー」
同伴の女性に至っては緊張感の無い声を出したが……男性同様、このまま何も起きぬ筈が無いと警戒心を強めてはいた。
立ち止まっているのに体への負荷が部屋の中央から流れて来るような……そんな違和感の元凶が目の前の床から音も無く、その巨体を浮上させて来た。
部屋の比率から見て巨人と形容したくなる程のサイズを誇るそれは、女性のような姿だったが下半身からは異形さが際立ち、骨のような硬質印象を放つ力強い紫色部分からはよく湿ったような光沢が窺える。
そんな紫色は触手状で、それらが幾重にも重なり異形で満ちた下半身の主な外観を形成し……触手の先端が赤紫色を帯びていたり赤紫色のみの触手もあったりするのだが、赤紫色部分の割合は全体から見れば多少以上か。
比率と言えば所々で散らばるように分布する縦長瞳孔の緑色眼球も軒並み大きくヒトの肋骨を開いて各先端を尖らせたような湾曲形状の白いトゲ部分に至っては牙のように並びがち。
口を開いた際の牙のように並ぶ肋骨紛いと眼球が隣接している箇所も幾らかあり周辺の隆起具合次第では顔と捉えられる余地が生じる。
部分的もしくは全体が赤紫色の紫色硬質触手の集合となるボディをベースに緑色の瞳と肋骨の如く複数突き出た白い箇所というパーツで構成される下半身だったが各々の分布と向きは好き勝手なもの。
それらが織り成す全体の造形は遠目からでも尋常では無い歪さを放っていた。
「ほぉ……」
男性はこれ程まで複雑で異様なエネミーが突如現れ、その巨体を目の当たりにした事も合わさり思わず息を呑みそうになる。
前述の通り上半身は人型の女性で、肌は人間らしい色と質感で長く伸びた髪は鮮やかな赤紫色……両の瞳は金色で胸の膨らみ具合は豊満の域。
そんな上半身を下半身同様の異形が覆うのだが胸元の上部分は露わで、背中の方は大胆な開きよう……両腕の異形に至っては上腕終わり辺りから指先までを覆い、細身の胴体と比べ不釣り合いな程の大きさ。
以上の要素を踏まえこのエネミーの異形部分の分布を見れば宛ら長手袋を着けたパーティードレスのよう。
下半身とは違い上半身の異形分布は見事なまでに左右対称で、背中からは肋骨紛いの白い突起が外側に出ており、正面からでも見える程のサイズを有す。
少し上腕に掛かった箇所から始まる異形部分の説明よりも述べて来た風貌の巨大エネミーと対峙する事となった男性の反応の方に触れるべきか。
「邪魔立てするのはあの魔法少女どもだけと思っていたが……まぁいい」
そう言った後、振り向きもせず背後の女性に対し続けた。
「準備はいいか?」
「おーけぇー」
声を発した女性の周囲を見れば金属光沢の目立つ青磁色の何かが広がっており、目の前のエネミーが鮮やかな赤紫色なのに対し、女性の赤紫色の髪は絶妙な色合いを湛えていた。
池という形容が務まるほど床に広がっていた青磁色の金属の傍らで琥珀色の結晶体が形成され、ネオンイエローの光を伴った明滅を見せる。
そんな琥珀結晶からエネルギーが流れ出るかのように琥珀色の光の群れが右手を開いて突き出す男性の前方へと集まって行き……並の一軒家ならばその中に収まりそうな規模の球体と化すまで幾らの時間も要さなかった。
「充分だな」
そう男性が呟いた次の瞬間、膨れ上がった琥珀色の光の球体は何かの形を目指すかのように変形し始め……その挙動が収まった頃には大きな両腕と両足があるかのような姿に。
頭部が省略された筋肉質な人体を彷彿とする体躯は琥珀色の光のみから成り、その形成を終えて着地した頃、男性の周囲にエネミーらしきものが一体浮上。
「まだ現れるか。いや、これは……」
分体か? と続けて心の中で呟いた男性がその一体に視線を注いでいると、更に一体床から現れ、またも人と同じくらいの背丈だった。
その造形は先の巨大エネミーから紫色の触手と白い骨らしき部分を雑多に用いた縦長の肉塊……腕らしき太い部分が一本生え、二体目も同じ要領で形作られているものの全体形状自体はまるで一致しない。
男性は作り出した琥珀色の光を人型にしたもの――ゴーレムに攻撃を任せ女性の方へと後退。
コンクリートの瓦礫やスクラップ車両を集めて大きな人型にしたものをゴーレムと呼ぶ事が許されるのならば、エネルギーを有する琥珀色の結晶が光に変換されたものを集めて人型にしゴーレムと呼ぼうが乱暴では無いだろう。
便宜上『光ゴーレム』と呼称しておくが、このように「周囲にあるもの」を集合させ人型にして使役する……それが男性の能力と言えた。
女性に至ってはニードルパンチカーペットの床が残っている場所まで移動しては手を突き、青磁色の金属部分の拡大に努めている。
本来ならば女性が琥珀結晶をエネルギーに変換して射撃を行うのだが……そんな琥珀色の光を男性がゴーレムとして扱う状況に。
巨大エネミーの眷属かのように取り巻く異形エネミー達……その一体目掛け、光ゴーレムは殴打を浴びせる。この場合、眷属エネミーに琥珀色のエネルギー球体が直撃した時と同じ結果となる。
本来ならばその場で消滅する琥珀色のエネルギーは「ゴーレム形状の維持」という性質が与えられた事で、先程衝突した部分がある程度削れるだけに留まった。
主に紫色の触手で構成された眷属エネミーは体の各部分が散り散りに吹き飛ばされたのだが……それらの破片が床に落ちる前に引き戻されるかの如く元の場所へと向かって行くや各々の箇所で修復を始めた。
再生力自体が再生するのは後ろで聳え立つ、参加者達の間で『スキュラ』という呼称で恐れられている最上位エネミーくらいの為、眷属の再生力は消費性。ダメージを与え続ければ、いずれ再生しなくなる。
「再生……したか」
そんな再生能力が眷属エネミーにあるのは少し意外だという様子を見せながらも男性は光ゴーレムに追撃させたが……ここへ来てスキュラ本体がその大きな右腕で光ゴーレムを薙ぎ払おうとする動きを。
前述の通り、スキュラの両腕の造形は異形ではあるが左右対称。主に紫色の触手と散見される赤紫部分で構成されているが、手の部分に至ってはかなり特徴的。
異形ながらも人間の手の形状が保たれる中、手の甲と手の平には緑色の眼球……側面から眺めれば手の平の厚みを越える大きさの目玉一つのみだと判る。
緑色の眼球は腕部分に更に幾つかあるが手の目玉のサイズは圧倒的……それでも尚、目を引くのは五本の指先と言える部分から伸びた長い爪となろう。
幾らかの青味がある赤紫に寄った色の為、真っ赤という表現は使い難いものの、血のような赤色を余りにも鮮やかに放つ細長く伸びた刃物形状は強烈な外観。
何よりも、そんな真っ赤同然の部分はスキュラ全体を見渡しても手の爪を除けば何処にも見当たらない為、異様さが際立つ。
各々が手全体よりも長く伸びた爪は高めの強度を誇る触手部分よりも一層硬く、そんな赤い爪が光ゴーレムを引っ掻くように薙ぎ払い、直撃した。
薙ぎ払った速度で光ゴーレムから体当たりを受けた時と同じダメージを爪側は受けるのだが……それは光ゴーレムも同様で、有する体積を大幅に失って人型を維持する為に変形し直すやその背丈は随分と低いものに。
「……やはり本体からの攻撃は被害が大きいな」
発言と共に男性が光ゴーレムのいる方へと手をかざす中、傍にいるピンクゴールドの瞳を持つ女性の足元で広がる青磁色の金属の周囲でまたも琥珀色の結晶が生成されるや光となり、光ゴーレムのいる場所目掛け集まって行った。
程なく登場時と同じ体積にまで戻った光ゴーレムは攻撃し続けていた眷属へと更なる一撃を浴びせる。
戦闘開始時二体だった眷属エネミーは四体に増えているが、その間もこの一体に攻撃を集中させた結果、再生力が弱まるまでになっていた。
「まずは一体か」
男性はその眷属エネミーを殴らせるのではなく、光ゴーレムの右手で握り締めさせる事でダメージを一気に与える。
琥珀色の光の中で崩れ行く眷属エネミー……再生力が完全に失われた様子を見せた次の瞬間、急速に元の形へと再生して行くと共に紫色の触手部分全てが赤味を帯びて行く様が窺えた。
握り絞めていた手を離させ光ゴーレムを少し後退させると、スキュラの赤紫触手部分と同じ色になった眷属エネミーの体の一部分が動き……触手を退かすかの如く盛大に開いた箇所から緑色で縦長瞳孔の瞳が現れた。
「第二形態……? 全ての分体がか⁉」
「あら、あらぁー」
男性と女性がそう発言……各々の眷属エネミーの形状は異なるが残る三体も同様に赤く染まると予想する事は容易だろう。
そんな光景が繰り広げられた直後、五体目となる眷属エネミーが浮上……それを男性が一瞥するとこう言った。
「攻撃の際は一番ダメージを与えている分体に頼む」
「はぁーい」
随分と緩やかな声色と様子で女性が返す。
流入側のガーデンでのフィールド内に出現した際、スキュラが繰り広げる光景を目の当たりにした参加者達は誰もがその脅威に圧倒され、撃破出来るという概念を放棄した。
そんなスキュラの再来とも言えるこの状況はローブ姿の男性と青磁色の金属を繰り出す女性には、どのように映るのか。
少なくともこの部屋にある大きな油絵では然も汚染されたかのような色合いの泥らしきものが広がり、動物と思われる大きな骨が幾つかの数と種類で部分的に浮かぶ様が描かれている事だけは確かだった。
・スキュラについて、というより
元ネタに忠実に寄せるなら、スキュラの造形の落とし所は……
――上半身女性で下半身が魚、胴体からは犬の頭が六つ生えている。
Scyllaとは「犬の子」という意味なので犬要素を取り入れたくもなるものの。
――三列に並んだ歯を持つ長い首を伸ばした頭が六本。十二本ある足は垂れ下がっている。
という記述ケースもあり、少なくとも「お気に入りの場所で腰まで水に浸かったら下半身が化物になりました」という逸話が特徴的なので上半身女性という要素は外せ無さそう。
・じゃあこのエネミー、スキュラじゃないじゃん
本編で述べて来た通り、参加者が勝手にスキュラと呼んでるだけなんですよね……コードネームや通り名の類止まり。
第38話から登場の『マインゴーレム』なんて地の文で済し崩し的にそう呼ばれ続けはしましたが、アナウンスでは「ボーナスエネミー」と表示されていただけ。
そもそもエネミーは外見段階で識別性が充分なので個別の名前は用意されていない可能性も……さて、もう一つ。
・本作の服装描写について
髪と瞳と背丈と胸部容量の情報しか無いキャラが多いですが、何かしらの服は着ています。
今回のスキュラは服装描写に近いものがあり服のデザインに拘ると如何に文字数が嵩む事態に陥るかが窺えなくも無い……服装は大抵省略してますが、こんな風にやろうと思えばガッツリ書く事も出来ますって事で。




